2015年8月21日金曜日

ブレイクスルー

 行き詰まった後に待っているもの。
 悩んで煮詰まって悶絶した後でないと突破することはない。
 解ってはいても永遠に続くかと思われるほどの濃い霧の中、悶絶することもある。

 もう数えきれないほどの行き詰まり感を何度も突破した。
 描ける描けると思ったらまた行き詰まる。
 そして描けてもアイディアがない。
 エンジンはかかっても行き先がわからない。
 地図がないわけではない。
 目的地がないのだ。
 しばらく思うままにドライブをするように描いてみてもやがて飽きる。

 気分を切り換えようとMacの前でひたすらインプット。
 note、Twitter、Google+、Faceboook…その他の情報サイトの閲覧。
 書店に足を運ぶ機会は少なくなりおびただしい数の情報が脳内に飛び込んでくる。
 ほとんど依存症ではないとかと思うほど、次から次へと情報を取り入れる。
 この蓄積は将来何かの役に立つのだろうか。

 調子が良いと思える時間は長く続くものではない。
 あっという間に感受性のアンテナは格納され、心の扉は固く閉じる。満ちてはひいて行く潮の流れの中に翻弄される貝の様である。
 調子が悪いというほどではなくても心の波が静まり返ってしまった時をどう過ごすか。それが課題だ。好きなことを仕事にしない方がいいと言われることもあるが、好きなことを仕事に出来ないわけではない。好きでないことであっても仕事にするのは簡単なことではないからだ。

 子供の頃に思い描いた途方もない夢は叶いっこないはずだったからいつの間にか忘れてしまって時代が追いついたことにも気がつかず日々に追われる。

 そんなある時、思う所あって腕立て伏せをしてみた。
 たまに自転車で近所を走ったりショッピングモールを散策する程度で運動らしいことをしていないことに思い至ったからだ。するとたった10回の腕立て伏せが出来ない。唖然とした。ペンと鉛筆が握れたら大した腕力など必要ないと高を括っていたのだ。ところがどうだこの有り様。高校時代の体育の授業だって腹筋運動と腕立て伏せはそれぞれ50回ずつがノルマだったと記憶している。せめてそれくらいの体力は維持しておきたいものだと思い、腕立て伏せと腹筋運動を始めた。ただ、以前にもダイエットや体力的な不安解消のために何度か試してみたことがあった。その時と同様長続きしないような気もしていた。
 数日経った頃、ちょっとした変化に気がついた。描いても描いても思うような線が描けなかったのに、いつの間にか以前の感覚を取り戻している。
「あれ?なんで描けてるんだ?」
 思い当たることと言えば、ここ数日の腹筋運動と腕立て伏せである。半信半疑ながら調べてみると「軽い運動により脳内の神経伝達物質セロトニンの分泌が活性化する」とのこと…セロトニンは言うなれば神経系や免疫系など体調を制御する役割を担っているらしい。その副産物として鉛筆のコントロールにまで影響したということだろうか。仮にそうだとしても続けてみなければわからないと思った。
 いつもなら飽きてしまったり面倒だったりしていつのまにか続かなくなるのだが、今回は違った。何しろ作画に影響する可能性があるのだ。無理しない程度に続けてみると予想以上に継続出来ているらしい。腹筋は60回、腕立て伏せも何とか45回までは出来るように回復して来ている。そして作画の方も順調に思えた。驚くべきことに鉛筆もペンも走るしアイディアも湧いてくる。時には脳が暴走するのではないかと思うほどコンデションが良いこともある。
 普段、仕事や家事に追われていたりすると無意識のうちに身体を動かしているからこんな心配は必要ないのかもしれないが、パソコンの前や机に座ったままだったりする場合は、某かの負荷が必要なのかもしれない。気のせいかアトピーの症状まで改善している気がする。
 そんなわけでセロトニン活性化の仮説はあながち間違ってはいないのかもしれない。ただし、軌道に乗せるには3ヶ月ほどかかるという情報も見られた。

 いずれにしても体調や精神状態のコントロールに苦慮していたので思わぬブレイクスルーとなりそうな気配である。
 ボクは体力の維持ではなくセロトニンの活性化を目的に運動する。そしてそれは作画で行き詰まらないためのひとつの方法なのかもしれない。

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...