2016年4月30日土曜日

課題

 目標を設定するということは課題ができるということ。
 夢があるということは課題があるということなのだ。
 そう考えると夢や目標がない状態は課題がないのかも知れない。現状に不満が無かったり平穏だということなのだろうか。
 不安や不満があるということは無意識であれ夢や目標のための課題が既にあるということかも知れない。

撮影:2010/05/01

 今日も晴れていたが気温が上がらない様子。
 虹色ティッシュ最終ページに取り組む。今日はMacに向かってデジタル作業。先はまだ見えていなかった。
 コマ割りや台詞回しを調整しつつ背景を制作。3Dソフトでカメラ位置を探し2Dデータとしてエクスポート。今回はモノクロで書き出してイラレで一コマずつ背景をセットし透明効果で対応する。モノクロ背景には砂目調のトーンを貼り込む。p13-14でかなり時間をかけたせいかどこまで完成度を上げるか迷う。完成形はあってないようなものだからだろう。
 制作はしていたが不採用にしていた背景がここに来て使えそうなので採用。全体としてバランスが良くなければ描き直そうかと思って仮に入れたのだが、悪くない感じなのでそのままとした。


 まるでジグソーパズルを組み立てるようにページを構成していく。デザインの仕事をしている時とは違った感覚も必要な気がする。お弁当を詰める時の感覚に似ているだろうか。その内に煮詰まってきたので公開することにした。

 構想から完成まで5ヶ月程度かかっただろうか。15ページだから計算してみると1ヶ月に3ページという遅筆ぶりである。週刊漫画どころか月刊漫画だって無理だろう。今は達成感より疲労感の方が大きい。
 今後の制作については課題も多い。画力が足りないのはもちろんのこと、色彩に頼りすぎている点、演出、効果、構成…限られた紙面をどう使えば真意は伝わるのか今後も試行錯誤が続くのだろう。課題が多いということは目標や夢が多いということだから望ましい状態なのかも知れない。

 今回の作品に関してはともかく最後まで描くことを第一目標にしていた。それほど途中になっている作品が多い。ところが、描き上げた途端、次の展開が浮かんで来てしまった。
 何よりも多くのフォロワーさんに支えられている感覚がありがたい。読者にどう楽しんでいただくのかという意識が日増しに強くなっているような気がするのだ。

 ただ、今の執筆速度では一生のうち何本描けるか…ともかく描き続けることが目標であり課題なのだ。


腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:110回

執着

 風の強い朝。
 いつものようにネットをチェックしつつふと思う。
「自分の作品に対する執着が薄れていないだろうか。」

 デジタルはフラットが得意だ。データも軽くなる。
 手描きでの制作であれば使用する筆や木炭などの画材はもちろんのこと紙の質感や吸水性など様々なことに気を配る必要があるし、それが楽しくもある。
 デジタルはどうだろう。ブラシパターンやフィルタ効果など見栄えを工夫することが可能であり比較的簡単に試行錯誤することができる。
 それが作品に対する執着心を希薄にしていないだろうか。

 自分の作品に執着する。
 そう心に念じつつ机に向かった。
 
 ふと気がつくと、ペンにつけていたのは薄墨だった。使用済みのインク壺に薄墨を入れているから時々間違う。そして間違う時は大抵集中力が高まっている時だ。幸い薄墨の濃度が高かったので若干柔らかい印象になる程度で済んだ。スキャニング後に濃度を基準に線画を抽出するので濃淡のコントラストが重要なのだ。
 デジタル作業に移ってレイアウトを再検討。ここでも執着だ。より良いものにする。それだけが目的だ。リズム、流れ…インパクトが足りない。間が足りない。レイアウトを再構成しているとカットが足りないような気がしてきた。しかし、カットを追加すれば、また詰め込みすぎになるだろう。いろいろ検討すると結局元の案に戻ってしまう。描いたカットを最大限使おうとするからいけないのだろう。レイアウトによっては背景画も変更する必要があるので何とか突破口を見つけなくてはならない。

 夕方になって買い物のために外に出ると風が冷たかった。陽が差しているのにパラパラと降っていた雨は上空で雪だったのかもしれない。餃子が安かったので買って帰った。
 最近、フッ素加工のフライパンで餃子を焼くと必ず焦げつかせる。火が強いのかと思っていつもより火を弱くして買ってきた餃子の半分を焼いてみた。するといつもよりは焦げつきが少なかったが、結局の所、餃子の皮は破れてしまい無残な姿となってしまった。以前は問題なく焼けていた気がするのにどうしてだろうと思ってネットで調べてみる。
 どうやら古くなったフッ素加工のフライパンは餃子も焦げつきやすくなるようだ。要するに鉄のフライパンで焼く方が失敗が少ないのかもしれない。そこで残りの餃子を鉄のフライパンで焼くことにした。いつも目玉焼きやちょっとした炒め物程度に使っている小さめのフライパンだ。ネットで調べた情報を参考にして焼いたことは確かだが、フッ素加工のフライパンのように皮が破れてしまうような焦げつきは避けられた。そればかりかしっかり火が通ってとても美味しい。フライパンがもう一回り大きければ申し分ないと思う。ずいぶん前に100均で購入したものなのでずいぶん活躍してくれていると言っていいだろう。調べてみるとフッ素加工のフライパンは2〜3年で効果が落ちるという。穴の開いてしまう鍋もあるので仕方ないことなのだろう。鉄のフライパンは手入れ次第で使いやすくなっていくのでシンプルなものの方が強いということなのだろうか。最近セラミックコーティングのフライパンもあるようで気にはなっている。
 何だか調理器具に執着しているようで可笑しくなってしまった。大したものを作るわけでもないのに調理器具に凝ったって仕方ない。腕の方を磨くべきだろう。
 料理も考えて作るものなのだから適当に済ませるとかせずにきちんと考えた方がいいのかもしれない。以前は味噌汁の出汁も昆布や鰹節から取っていたのにいつの間にか顆粒の旨味調味料になってしまっているし、ドレッシングも調合していたのにマヨネーズで済ませるようになっている。何かを省略すると別の何かの手を抜くようになったりして全体的な質が落ちているようでは元も子もないのだ。


腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:105回

2016年4月29日金曜日

渾身

 朝から雨。雨音は久しぶりのような気がして心地よく感じられた。
 気持ちも落ちついていて制作に専念できそうだった。
 全力で取り組むことを渾身の力を込めてと言うことがある。作画の場合は力んでも良い結果は得られないので全身全霊を注ぐというか想いを込めるというか…渾心の想いを込めて…そんな風に描いてみようと思った。
 これまでも懸命に取り組んできたつもりではある。ただ手応えのないことが多かった。描いて描いて描いて…まぐれのような確率で何とか描いていた。それが少しは手応えを感じられるようになった今だからこそ想いを込められるのではないかと思った。

撮影:2014/04/29
  タイミング良く雨模様。思う存分集中出来そうだ。集中力を高めるために聴き慣れた音楽をかける。

 想いを込めて。想いを込めて。想いを込めて。

 相変わらずバランスの取り方に苦労しつつも鉛筆の走りは悪くない。いつになく集中力が持続できた。残念なのはペン入れした途端イメージが変わってしまったことだ。デジタル彩色の工程でまたイメージが変わるからと思ってスキャニングするもデジタル彩色がまた思うように行かなかった。ひとつが調子いいと他が良くないという残念な結果。作画中イメージしてたコマ割りをしてみるとこれまたどうも冴えない。先にコマ割りをして作画も再度描き直した方がいいだろうか。

 漫画に取り組んでみて初めて解るのは、絵が描けるだけでは漫画が描けるとは限らないアイディアやストーリーがあっても漫画が描けるとは限らない。コマ割り、セリフ回し、カメラワーク…と様々な要素が複雑に関係し合わい最終的には整合性が取れている必要がある。極端なことを言えば、漫画は描けても何かが欠けていることがある。こんな風に難しく考える必要はないかもしれない。順調な時はそれでいいだろう。問題は躓いた時だ。

 たとえ一コマでも1ページでも想いを込めながら描こうとした一日が終わる。
 今日は成果がなかったかもしれないが、明日の成果につながるよう想いを込めて描くことを心がけたい。


腕立て伏せ
1回目:101回
2回目:103回

2016年4月27日水曜日

苦楽

 今日も晴れ。湿度が低いのか午前中は体感的に少し肌寒い印象だった。
 昨日1ページアップしたこともあり一旦頭をリセットしたいと思っていた。
 とりあえず脳内にあった次の展開をプロット。あれこれ考えていたことも実際に紙の上に落とすとイメージ通りというわけにはいかない。漫画に取り組んできて準備が大切なことを改めて考えることが多くなっているので、たとえ短い内容でも充分な準備をしたいものだ。

撮影:2012/04/28
 昼頃になって、昨日行こうと思って中止した書店へ出かけてみた。
 途中、通りかかった花屋が気になって入ってみた。ネットで見かけたイヌハッカというハーブが気になっていたのだ。虫除けの効果が期待できる他、マタタビのように猫が好むらしい。さらには料理にも使えるということで興味を持ったのだ。ごくたまにしか入ったことのない店なので顔馴染みでもない。様々な観葉植物やハーブ類の鉢植えが並んでいた。ウロウロと店内を見て歩いてもそれらしい植物は見当たらなかった。そこで店員さんに声をかけてみると「和ハッカのことじゃないの?和ハッカならそこらに出てるし観葉にはならないよ。植物で虫除けなんて出来っこないし猫が欲しいならあげるよ?」
 もう…お話にならないのでお礼を言って店を出た。わからないことはわからないでいいのだ。詳しいことわかったら教えて欲しいという人ならむしろ信頼するだろう。何か失礼なことを言ったのだろうかと考えてながら書店へ向かった。
 書店に行ったからと言って特に見たいものがあるわけでもないということに行ってから気がつくのは毎度のこと。いつも通りのコースを回って隣のCDショップへ立ち寄る。CDショップと言っても1/3程度はゲーム関係だろうか。他にもカードゲームコーナーもあるのでCDが置いてあるスペースはそんなに広くない。好きなミュージシャンの新しいベストアルバムがあったので手に取ってみたが、購買衝動には繋がらない。以前だったらどうしても手に入れたいと思っていたものも「まぁいいか。」となることが多い。この「まぁいいか。」が世界観を小さくしていなければいいのだが…。
 それから産直の店をハシゴしてドラッグストアでパンと飲み物を買った。近所の公園で食べようとしたらアメリカハナミズキが満開になっていて春の陽射しがまぶしい。その時になってカメラを忘れていることに気がついた。

 漫画家が苦しむことが面白い作品につながるという言葉が心に刺さっていた。言われてみればその通りなのだ。生みの苦しみがなくては作家自身の達成感も小さいだろう。苦しいことを楽しめるようになることが必要なのだ。好きなことを仕事にするということは楽をすることではない。好きでなければ耐えられないような理不尽なことや苦悶するようなことが待ち受けているのだ。
 そんなことを考えつつ、ホームセンターやスーパーを回ってショッピングモールへ。
 苦しみながら制作することについて考えつつ店内を歩く。自分の中に2人の人格を形成し、一方がもう一方を叱咤激励するイメージだ。自分自身の中でのことなのでイジメもパワハラもない。都会で生活していた時はそう言う感覚を時に応じて切り換えていたような気がする。田舎町暮らしをするようになってバラバラだった人格が統一された気がしていた。
 面白い作品を描きたければ、もっと苦しまなくてはならない。
 そんなことを考えていたせいかショッピングモールでは少しばかり気合が入っていたような気がする。いつものコースを歩くのもペースが早い。
 携帯ショップでスマホを見ていたら店員さんに声をかけられた。そこで立ち話になったのだが、スマホを検討する上で経済的なことはもちろんのこと、インターネット環境やパソコン環境を検討する必要もあって簡単にはいかないのだという話をした。移動してきたばかりだという彼は落ち着いて当たりも柔らかく解説してくれた。押し売りするわけでもないしわからないことがあれば「その辺りについては明るくないので…」と正直だった。こういう店員さんがあちこちのショップを転々と移動させられてどこに行き着くのだろう。花屋である必要もないが、自分の店を持って思う存分勉強したらしても良いお店になるのではないかと思えてしまった。
 組織は優秀な人材を採用してどんな役割を任せるかは裁量次第なのだ。
 帰宅して改めてイヌハッカについて調べてみる。和ハッカとはニホンハッカのことを言うのであれば、やはりイヌハッカとは別物だった。イヌハッカは別名キャットニップと言うらしい。さらに調べると苗のネット販売もしている様子。送料が高いので試しに育てるなら種で取り寄せたほうがいいのだろう。
 ネットで調べられる情報を花屋で聞いたのは間違いだったのかもしれないと思う。けれど、その植物が店頭で販売されているかどうかは尋ねてみないとわからないし、ネットだけで完結してしまうとコミュニケーションのきっかけにもならない。

 ニホンハッカもイヌハッカもシソ科らしい。
 そういえば、そろそろシソの鉢植えもひとつあると便利な季節だ。


腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:108回

2016年4月26日火曜日

虹色

 いつもより少し早く起きたので午前中に少しアナログで作画。
 昼頃に買い物のために外出した。書店を回るつもりをしていた予定より買い物が増えてしまったのでそのまま帰宅。夕食の買い物はまた夕方にすることにして昼食を済ませて制作に取りかかった。

撮影:2011/04/27

 足し算からの引き算。
 今日はイラレに配置したコマを削除してみた。すると空間にゆとりができてスッキリした。それではこのコマも削除してみよう…と削除しているうちにカットの半分ほどを削除してしまつた。やってきたことの半分が不要になったということかと唖然とする。
 次に削除したカットをフォトショの方で合成してみた。イラレではコマ割をしてあったが、フォトショの方では虹色の光の中に馴染ませることができる。
 背景の制作は、とにかく虹色の光をイメージ通りに表現することに頭を悩ませた。今回はP13-14の連結ページにすることに決めてからポスターのように濃厚でカッコイイ仕上がりにしたいと考えていた。現実には思うように行かず試行錯誤の繰り返し。
 実は今日も始める前までは出来上がる気がしていなかった。フォトショで合成し始めるとイラレ単体での作業ではなくなるのでフォトショで編集したらイラレで配置したテキストの関係を確認しなくてはならない。制作工程が増えることになるのだ。


 
 回転させたり捻ったりあれこれ試しつつ収まりの良いところを探す。最終的にはコマ割を全て無くしてしまった。空間の広がりは表現できただろうか。虹色の思い出の光は表現できただろうか。本来ならもっと緻密に描写すべきなのだろう。しかし、イメージを掴もうとする手が空を切る感覚がなのだ…。
 これ以上、足しても引いても良い結果になりそうにないので公開することにした…。やりきった感よりもっとなんとか出来なかっただろうかというもどかしさの方が大きい気がする。よく言われることだが、この苦悶はなかなか理解されにくい。
 そんな想いを抱えつつも公開してモニタで確認して見てハッと息を飲んだ。虹色の光の表現が予想以上だったのだ。自分で言うのもおこがましいが、まるで光の絵の具で描いたようだ。ある程度の完成形はイメージしていてもその予想を超えたと感じる時はやっぱり嬉しい。次からその表現を狙って使うことができるようになる。制作しているMacのモニタが古いので制作環境の色の再現性が良くないことも原因しているのかもしれない。正直なところフルカラーの作品を描くことの意義に疑問を持ち始めていた。しかし、きちんと色を扱えることが出来るようになれば間違いなく魅力のひとつになるだろう。


腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:105回

2016年4月25日月曜日

方位


 季節の変化は体調だけでなく心理的な変化をもたらすこともあるのだろう。
 これからの時間に想いを馳せる時、これまでやってきたこととこれから取り組むべきことについて方針を考え直す機会になるのかも知れない。春と秋は気候的にも過ごしやすいから行動するのにも適している。

撮影:2010/04/26

 過去の写真を見直していたら疑問が浮かんだ。
「ボクはどうして写真を撮っているんだろう」
 子供の頃はカメラがまだ貴重品のような時代だった。修学旅行に一眼レフを持って来れば一躍ヒーローになれたのではないだろうか。しかし、今やスマホでも高画質の写真が撮れる。各家庭にカメラが何台もあるような時代なのである。幼稚園や小学校の運動会ともなれば、父兄のカメラがズラリと並ぶことになる。
 こんな時代にボクは何を残そうとしいるのだろう。自分の記録としての意味以上のことがあるだろうか。
 ストックフォトサービスが登場したのは何年くらい前だったろう。デジカメの普及が急速に進み、家庭内で撮影したものでも売れるとあってボクも登録した。ありがたいことに何枚かの写真をご購入いただいたが、単価が安いこともあって何年経っても最低振込額に達しない。そのうち熱意も冷めてしまったようだ。推測するにそういう人が相当数いるのではないだろうか。振込最低額に達しなければ支払義務も発生しないとすれば、これはある意味で運営資金を集めるシステムのようにも思える。しかも、株券のように売られてしまう心配もないのだ。現在もいくつかのストックフォトサービスを利用しているものの冷静に自分の写真を見ていると用途もよくわからないしメッセージ性もない。おびただしい数のカメラマンが登録しているのだから、ただ美しいだけの写真では売れるわけもないのだ。
 それは今描いている漫画とて同じことではないかと思う。数え切れない人がイラストや漫画を描いている。そんな中、出版社と契約するわけでもなくフリーの漫画家として作品を描いていくにはどうすればいいのだろう。恋愛やアクションやお色気で商業誌のような魅せ方をするのがいいのだろうか。それこそ多くの作家が考えることだろう。一時的なヒットでも困る。ボクにしか描けない息の長い作品であり、多くの人に必要とされる作品でなくてはならない。
 言うまでもなく簡単なことではないのだ。

 人は生涯の仕事を決める時、どんなきっかけで決めるのだろう。
 ボクは大学へ進むことが念頭になかったから近所で就職率が高いと言われる高校を選択した。自分の夢を追う前に家計の負担を減らさなくてはならないと思っていたのだ。しかし、就職率が良いからといって希望するような求人があるとは限らない。就職先を決める段になっても思うような仕事は見つからなかった。どうすれば良いのかわからなかったとは言え終始受け身だった気がする。希望の職場があれば学校から問い合わせてくれるというので地元の写真館を希望したところ、思い掛けずトントン拍子で話が進んでしまった。今思えば世間知らずのままのボクはただ迷惑をかけただけなのではなかったかと思う。指示されたことや教わったことが上手に出来ず、数え切れない失敗をして注意されたり叱られたりしているうちに将来が見通せなくなって辞めてしまった。休日が少なくて思うように絵が描けないということも大きかった。
 同級生の進路は様々で高校を中退してしまったり進学校から就職した友達もいる。よく知る同級生の中ではやはり大学まで進んだ友達が仕事も家庭も安定していると言えるだろうか。もっとも彼なりに苦労はしただろう。彼は何の仕事をしたいとか夢を持っていただろうか。体力があり要領が良くて色んなことを器用にこなす性格だったような気がする。世間から必要とされる典型的なタイプなのかもしれない。
「夢がない」と言っていた同級生は道を見つけただろうか。夢があるからといって道が楽になるわけではない。むしろ夢が導くのは険しい道だろう。しかし、彼の道もまた楽な道ではなかったかもしれない。
 ボクは生きるためにどうしても選ばなくてはならなかったのが「描く」という仕事のように思えている。時に漫画家だったり絵描きだったりイラストレーターだったりしたが、中心にあったのは「描く」ことだった。

 亡くなった父は建具職人をしていた。てっきり仕事に誇りがあって好きでやっていると思っていたのに「好きでやってるわけじゃない」という言葉を聞いてショックを受けたことがある。儲からなくても魅力的な仕事をしているのに「好きではない」とはどういうことなのかと理解に苦しんだ。ある意味では父もできることに精一杯取り組んでいただけだったのかもしれない。

 幸か不幸かボクには「描く」ことしかないようだ。たとえこの人生でまた新しいことに挑戦するとしても多くのことは出来ないだろう。そして、描くことの可能性はまだまだ尽きることがない。
 方向性の微調整は必要だとしてもこれまでやってきたことを無駄にしない道を選びたい。

 制作は新しいカットを2点ほど作画。イラレでレイアウトしてみたが、相変わらずまとまりが良くない。明日はデジタル作業をメインにした方がいいだろう。


腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:105回

2016年4月24日日曜日

成果

 日曜日だから…と毎週いいわけしている。今日も例に漏れず自動オフしてしまっているようだった。
 気持ちだけは上向きで新境地に到達したいという気分になっていた。それにはガンガン描いていい絵を描かなくてはならない。

 昨日天ぷらで使った小麦粉が残っていたのでフライパンで焼いて食べようと思っていた。そのままでは芸がないのでそば粉を少しと擦った長芋、卵、砂糖、それからいつも焦げつかせるのでオリーブオイルを入れてみた。そしていつも分量を多めにしてしまう重曹を少々。
 いつも焦げつかせるのはなぜか。てっきり砂糖のせいだと思っていた。
 先日、塩や重曹でフライパンの焦げつきを緩和させる処理をしていたこともあって焦げつかない工夫について考えてみる。単純に火が強いのだろうか。そう考えて火力を弱めて時間をかける。一事が万事適当なのでそういう心配りに欠けている節がある。蓋をしてしばらく火を通し、頃を見計らって裏返すと…焦げていた。ただ、いつもよりは焦げが少ない気がする。
 置きっ放しになっていた紅玉を切ってみたらいつの間にか水分が少なくなってドライフルーツを思わせる味になっていた。小麦粉を焼いた何だかわからないものとスカスカになった紅玉にブルーベリージャムをつけて食べると予想外に美味しい。考えてみると効率とか手早くとかいうことに慣れてしまってじっくり時間をかけることを忘れていたのかもしれない。

 しばらく前から髪が伸びすぎてヒーローアニメの主人公のような髪型になっていたので気候も良くなって来たことだし切っておくことにした。

撮影:2011/04/25

 初めて自分でカットするようになったのは20代の頃だったろうか。床屋に行っても特に注文があるわけでもなく、さりとて気に入ったようにしてもらえるわけでもないと思うようになった。基本的には手入れの手間がないようざっくばらんに短くカットしてもらえればいい。毎回「今日はどうしますか?」と尋ねられることすら煩わしいと思うようになっていた。今でこそ1,000円カットの店も珍しくないが、3,000円以上かけるなら自分でカットした方が良いのではないかと思うようになっていた。もっとも、床屋での世間話そのものは嫌いではなく、知り合いができることもあるので馴染みの店員さんが適当にやってくれるなら出かけてもいいと思うこともあった。たまたま近所の床屋さんが同じ年齢の方がやっていたのでしばらく通っていたのだが、そのお店も閉めてしまったのでここ数年は専ら自分でカットしている。
 髪をカットする時は、切った髪が飛び散るので浴室に新聞を敷いている。伸びるだけ伸ばしてからカットしているので年に4回程度だろうか。着ているものにも髪が飛び散って後が厄介なので衣類も出来るだけ少なくする。終わったらそのままシャワーを浴びられるのが理想だ。当然ながら冬場はどうしても寒い。暖房を入れてやることでもないような気がするので寒くならないうちにカットすると良いことになる。実際は寒くなるまで伸ばしてしまい震えながらカットしていたりするのが関の山なのだが。
 かくして今日も1時間ほどでカットした。後頭部がよく見えなくて以前はタテガミのように残ってしまっていたので今は後頭部を念入りにカットしている。全体的にカットしすぎた感じになるのがお決まりパターンだ。

 髪をカットした後、何とか制作を進めたいと机に向かった。昨日の疲れが残っているのか慣れているはずの絵が上手く描けない。そんな風に上昇志向はいつもあえなく霧散してしまうのだ。しばらく格闘してみたが、やっぱり日曜日だからだろう。

 買い物の必要があったので夕方になって外出すると思ったより気温が低いイメージで風が冷たく感じた。そろそろなくなりかけていた米が特売になっていたのでレジに持っていくと顔なじみの店員さんが「重いはずなのに何だか軽々と持つね。」と言って笑うので「そんなことないですよ。そんなフリしてるだけです〜。」と返す。実際の役に立つことはないと思っていた腕立て伏せの成果のような気がしてちょっと嬉しかった。

 夕食には、昨日の山菜の残りをまた天ぷらにした。今日は意識的にじっくり時間をかけて揚げてみた。すると昨日歯ごたえを感じていたタラノメは柔らかくて美味しく感じた。

 焦らないこと。慌てないこと。つい忘れてしまいがちだ。
 そして努力とか積み重ねっていうのは、ふとした瞬間に活きるものなのかもしれない。

腕立て伏せ:105回

2016年4月23日土曜日

都合

 桜の花が終わるのを合図に果樹は花の季節となる。果樹王国は花樹王国へと変貌するのだ。サクランボ・モモ・ラフランス…そしてリンゴと続くことになるのだろうか。白やピンクの花に菜の花やタンポポの黄色が寄り添う。他にも普段雑草と呼ばれ邪魔にされることの多い様々な野の花が咲いて大地を花の絨毯へと染めていく。
 そしてこの時期は山菜シーズンでもある。盆地なので平地は気温が高くなりやすいようで徐々に標高の高いところへと上がっていく。
 フキノトウから始まってコゴミ・木の芽(アケビの新芽)・タラノメはおなじみの山菜。コシアブラを食べるようになったのはいつからだったろう。山に行かないとなかなか採れないし他の若芽と間違いそうな気がするので店で買うことが多い。当地方ではウコギの若芽も食べるということでボクも食べるようになったものの大きさによって苦みが強いことがあるので好んで食べるわけでもない。数年ほど前から食べるようになったハリギリの新芽が実に旨い。タラノメに似ているが柔らかく甘みを感じる。
 今日調べていたらタラノメとハリギリとコシアブラは同じウコギ科ということだ。ウコギ科の植物に共通する旨み成分があるのだろうか。

撮影:2016/04/23

 そろそろ山菜のシーズンということがわかっているのでソワソワしていた。カレンダー的にはまた早いとわかっていても桜の花はカレンダーなどお構いなしに花期を終えた。きっと山菜だってそうだろう…と思った。
 天気予報では今日から数日間は晴れということで自転車を出した。気になっていたタイヤとブレーキゴムの交換は済んでいる。出かける時間が遅くなるのはいつものことで昼前に自宅を出た。北上することになるので近所ではすっかり散ってしまった桜も徐々に花期が逆戻りして行く。ちょっとしたタイムトラベルのようだ。
 追い風だったのか自転車は予想以上にスイスイ走り1時間半ほどで目的地に到着した。桜は丁度花吹雪の季節。コゴミの季節にドンピシャ…と思ったら予想外の展開が待っていた。いつもなら緑色の新芽がモコモコと膨らんで足の踏み場に困るほどなのにどこを見ても茶色く枯れた昨年の葉が残るのみ。フキノトウは花期を終えてトウが立ち、あちこちで小さなフキの葉を広げ始めている。気温が高めで推移しているから場合によってはコゴミも開いてしまったのではないかと恐れていたのに…あちこち探し回ると本当に小さなコゴミを数本だけ見つけることができた。ハリギリの新芽は少し大きくなりすぎている印象。あと数日早ければ適期だったかもしれない。どうにも納得行かないまま、そばにある山桜の花がまだ蕾であることに気がついた。ソメイヨシノが終わるのでもう咲いていてもいいはずではなかったかと混乱する。確かにカレンダー上でのコゴミの時期はあと1週間ほど後かもしれない。最盛期はホンの数日から1週間程度なので逃して後悔することを心配しているのだが、コゴミにだって都合があるのかもしれない。
 釈然としないまま帰路に就く。近所の産直の店に寄って話を聞くとやはり今年は山菜も早いという。仕方ないので200円程度のコゴミとコシアブラを購入した。顔なじみの店員さんの元気がないようなので話を聞くと冬場に雪が少なかったから体力が落ちているのではないかという。それでも1m40cm程度は積もったというからスケールが違う。

 山沿いを走りながら景観の良い場所に自転車を止めて写真を撮って、そばの果樹園で摘花している方に声をかけた。
「この場所の眺めは最高ですね。」
 すると嬉しそうに話を聞かせてくれた。モモの樹の手入れはサクランボより大変だとのこと。サクランボの収穫の経験はあるがモモは未経験だ。ハローワークにサクランボの収穫のアルバイト募集はよく見かけても、モモのアルバイトは見かけた憶えがない。聞くと大きくて鮮やかなピンクの花はアカツキという品種だそうだ。お盆前に出回るおいしいモモだ。少し離れた所に咲いている小ぶりで比較的薄いピンクの花はモチヅキという品種で主に加工になるという。近年はサクランボにもモモにも多くの品種が登場していて把握しきれないほどである。花の時期から違いがあるというのは興味深い話だった。花の時期の観光は地域おこしにならないのだろうかとふと思った。
 その後、公園に立ち寄って遅い昼食。公園にある大きな池では桜吹雪が池を縁取っていた。犬の散歩や釣りをする人、散歩の人など近所の人らしい人たちで賑わっていた。それからホームセンターに立ち寄ってから産直の店へ。いつものお決まりのコースとは言え、この辺りで疲れが出始めるのもお決まりだ。
 産直の店は工事中で中が見えなくなっていたので一瞬「しまった!また空振りか!?」と焦ったものの中ではちゃんと営業していて多くの山菜や野菜を手に取る人たちで賑わっている。今日調達した山菜にはタラノメが足りない。正直なところ、新鮮さが命の山菜の中でもタラノメは筆頭ではないだろうか。山で採りたてのタラノメは天ぷらにするとホクホクと柔らかくクリームのような食感があるのに対してスーパーに並んでいるタラノメはゴツゴツとした歯ごたえがある。味は同じタラノメでも別物のように思えるほどだ。産直の店はどうだろう。たくさん並べられているものを何度も見直してみてもやっぱり食べてみないとわからないのだ。
 産直の店を出て走っていると自宅までもう少しなのにお尻が痛くて仕方ないので休憩を兼ねて書店に立ち寄る。落ち着いたらスーパーへ立ち寄ってやっと帰宅。

 夕飯に山菜を天ぷらにして食べた。
 やはりハリギリの新芽は柔らかくて美味しい。コシアブラの苦味も久しぶり。タラノメはちょっと歯ごたえがあったが仕方ないことだ。他の山菜の個性が強いのでコゴミの存在感が薄くなってしまった。天ぷらでなくおひたしにすべきだったかもしれない。

 気にかかっていたことが一つ解決したので明日は制作に取り組めるだろうか。
 
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:108回

自転車走行距離:約40km

 ボクに残されたのはもはや希望を信じることだけ。

因果

 今日は満月だったようだ。朝は曇っていた天候もやがて晴れるという予報だった。
 気になる展覧会があったので出かけたいと思っていた。電車の時間を調べると昼過ぎの電車なら間に合いそうだ。その前に時間があるので作画を進めようと思ってMacを起動。データの調整をしているうちに刻々と時間は過ぎていく。
撮影:2013/04/24

 自転車で出るなら片道1時間半程度見ればいいだろうか。雨さえ降らなければ、電車を使うより早く帰宅できるかもしれない。そこで展覧会の情報をチェックしてみると入場料が1,000円だった。600円程度を予想していたのでいきなり気持ちが萎える。それだけ人気の展覧会ということなんだろう。仮に電車で出かけるなら往復の電車賃と合わせて1,500円程度かかることになる。自転車で出かければ飲み物等を調達するために300円程度を使うことが考えられる。普段出かけない展覧会なのでそれだけ興味も強い。しかし、ネットで紹介された作品を見ているうちに衝動が落ち着いてきた。何より出費と時間が痛い…自転車にしても電車にしても出かければ今日一日はそれだけで目一杯になってしまう。しばらく考えて中止することにした。
 亡くなった知人の絵描きさんがよく言っていた。
「お金を払って、本物を目で見てこそわかることがある。」
 ボクは同意していたし、今でもその通りだと思う。ただ、現実の問題には代え難い。
 欲しいものや行きたい所を我慢するのはもう慣れてしまっている。「今は我慢。今は仕方ない。」と過ごしてきた。
「人生の幸せの総量は一定」という話を聞いたことがある。
 そもそも幸せとは本人が実感する幸せのことを言っているのだろうか。大金持ちであっても幸福感を感じられない人はいると聞くし必要最低限の生活だって幸福感が感じられないとは限らないだろう。もし、幸せな時なのに幸せを感じられていないとしたらその方がもったいないだろう。だから今できることに取り組めば多くを求める必要はないのではないかと思う。

 作画は描いてあった下絵にペン入れをしたり思いついたアイディアを描いたりしてして何枚か描いた。視力の調子には波があるようだ。それからスキャニングしてイラレで配置。するとカット数が多すぎて入りきらないという事態に陥ってしまった。彩色していない状態で配置してあったのでここからイメージを固めるために取捨選択をする必要があるのだ。あれやこれや迷っているうちに全部やり直したい気分になってしまった。
 冬の間、食後は椅子に座ったまま仮眠したりしていた。こたつがないのでこたつに入って休むことはできないし寒いので畳の上にごろ寝することもできなかった。久しぶりに畳に横になって仮眠すると入眠が早く復帰も早くすっきり感もある。お陰で作業も捗るようだ。

 ふと気がつくと、鉢植えのシクラメンが満開のまま萎れていた。何年も前にいただいたもので毎年花を咲かせてくれる。カーテンの外に置いていたのですっかり忘れていたのだ。慌てて水をあげたが、復活してくれるだろうか。
 人生は不思議だなと思うことがある。
 何の関係もないものが、実は関係しているということがあるだろうか。
 以前は「全てに意味がある」と考えていた。それを否定してしまったつもりもないのにいつのまにかすっかり忘れていた。
 たとえば、ビリヤードの玉のように弾いた側の玉と弾かれた玉の間の関係性は理解しやすい。けれど、弾かれた玉同士の関係性は弾いた玉がなければ成立しない。現実の事象では弾いた玉の存在がわからないままだったりするのではないだろうか。
 科学的根拠を推し量れば不可能なほど遡らなければならない。
「そんなことは関係ない。偶然だ。」
 まずはその一言で優先順位をはるか彼方へ葬り去るのだ。
偶然の一致…そう思えることも実は遠い昔に定められた必然で避けようのないことなのかもしれない。

 今こうしていることは幸せなことなのだろうか。問題だらけの日々とはいえ、子供の頃から夢だった漫画を描いているのだから幸せでないわけはないだろう。
 今こうしていることは、果たしてどんな意味のあることなのだろうか。
 そして明日は…。



腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:105回

2016年4月22日金曜日

活性

 思い出すのに努力を要するような日。一体何をしていたのだろう。
 バイオリズムが低調ということで気持ちを楽にしようと思っていたことは確かだ。
 朝もゆっくりしたせいで朝食は正午を過ぎている。実は1日2食生活はどうだろうと考えていることもあって朝食兼昼食だ。
…そうだ。作画系の脳を休ませれば、効率が上がるだろうかと考えて少し数字と向き合っていた。ずっと課題になっていることなのだが、表計算ソフトでランダムな数字の列をもとに次の数字を予測する関数がないか調べているのだ。昨夜から少し調べ始めていて、いくつかの関数があることはわかった。一つずつ試してみるとどれも目的に合致しないようだ。勉強不足なだけで工夫すれば使えるのだろうか。しばらく格闘してみたもののやっぱりわからないので再度保留することにした。


撮影:2011/04/22

 それから机に向かって鉛筆による下絵の作画。数字と格闘したせいか調子が悪くないようだ。脳を活性化されるということは、一部だけを活性化させることよりも全体を活性化させることが大切なのだろうか。そう考えると一意専心よりも様々なことに取り組むことで全体としての効率が上がることになる。苦手意識を忘れて次々に課題に対峙した方がいいのかもしれない。
 それから改めてネームを描き込む。ここ数日、外出したり他のことをこなしつつ脳内のイメージを再構成していた。最近、視力に問題を感じていたのに調子がいいような気がする。アーモンドを食べていたせいだろうか。なんでも老化現象の一因となるAGEという物質を排出する働きがあるとのこと。まさかそんな即効性はないだろうかと半信半疑である。
 空腹になったので紅茶を入れ、ブルーベリージャムで食パンを一枚食べた。
 そこからはMacに向かう。
 制作中の漫画の背景を制作するためにまだ使い慣れていないソフトを起動。英語モードで使用する必要があるのでMacをあらかじめ設定してあった英語バージョンのOSに切り替える。まだ使い慣れていないとはいえ、何度か使っているうちに無意識に体が反応するようになる。記憶を辿るより身体の反応に任せる感じなのだ。ざっくりとベースになる画像を作画しておいていつものソフトでまた編集。デジタルドローイングとはいえ、作業そのものはキャンバスにアクリル絵の具で描画している感覚だ。もっとも、レイヤーを分けたり透過効果を設定したりすることはデジタル独自の感覚が必要かもしれない。

 このブログのための写真をチェックしていると季節の様子をチェックすることになる。そろそろあの山へ行けば、瑞々しいフキノトウが出ているはず。平地ならコゴミも出ているだろうと想いを馳せると途端にソワソワし始める。子どもの頃、家族で山菜採りに出かけることがあったから習慣になっているのかもしれない。

 一日を終えてみると何が低調だったのかわからない。
 思い出すのが難しかったのは、色んな課題に取り組んでいた結果なのだった。

腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:105回

2016年4月20日水曜日

交換

 自転車のタイヤに亀裂が入っているので気になっていた。加えてブレーキがすり減って来ている。どちらも安全に関わることなので、近日中に遠出しなくてはならないと考えていることもあって早めに対応するに越したことはない。
…とはいえ、ズルズルと先送りにしていたのは、桜の開花状況が気になっていたからでもある。
 今日は風も穏やかで薄曇りだった。出がけに1点だけ作画確認するとそのまま描き続けたくなるのを我慢してカメラを担いで出かけることにした。桜のチェックの後は自転車のメンテナンスというコースだ。

撮影:2011/04/21

 いつも立ち寄る神社を訪ねると家族連れの近所のお店の方と顔を合わせた。今日はお休みだったのかもしれない。
 そろそろ満開だろうと思っていた桜は満開の時期を過ぎて桜吹雪の季節を迎えていた。比較的気温が上がらないまま推移していると思って油断していた。風が強かったことも原因しているのだろうか。
 展望台に立ち寄って写真を撮る。様々な野鳥の声に混じってウグイスの声も聞こえた。上り坂が急なので自転車を降りて歩く。普段、少しばかり腕立て伏せをやっていたところで息は上がる。毎日のように歩いたり走ったりしなければ次第に衰えていくのだろう。少しくらい苦しくてもたまには動かなくてはならないのだ。
 目的地に到着すると、土日でイベントがあるため会場設営の準備が進められていた。その頃には桜はたぶん葉桜になっているだろう。毎年のことだから一通り写真を撮って帰りは急な下り坂。ブレーキが心配なので自転車を降りる。その足でホームセンターへ向かった。
 ホームセンターでには顔馴染みの店員さんがいて対応してくれた。前輪も交換時期だということなのだが、予算オーバーだし前輪と後輪とそれぞれのチューブ、加えてブレーキの交換となると工賃込みで今乗っている自転車を購入価格と同じくらいになる気がする。今回は後輪のタイヤとチューブ、そしてブレーキの交換をお願いした。とても詳しい解説付きでサービスまでしてくれるということなので、話の流れもあって手持ちのイラストカードを差し上げるとサインを入れて欲しいと言っていただいたのでこちらが嬉しくなって店員さんの好感度も上がった。

 これまで撮影してきた写真を見ても今年の季節の推移は駆け足だ。例年ならそろそろ開花の時期だろう。1週間程度は早まっているだろうか。
 暖かくなるとできることが増える。美術館で開催中の作品展も気になっている。漫画の制作は自宅に引きこもってやるしかないから何を優先するか検討する必要があるだろう。益々制作のスピードアップが求められる…というか、あれもこれも手を出したくなる性格を何とかした方がいいのかな。
 

腕立て伏せ
1回目:101回
2回目:105回

 九州地方の熊本や大分を震源とする地震が続いているが、夜になって福島沖でも地震があった。

光陰

 朝は薄日が射していて桜の撮影に行きたくなった。一方で少しでも漫画の制作を進めたい。そんなことを思いつつ、平日の仕事をこなしていると天候が下り坂になった。おかげで制作に専念できる。



 以前は制作中に音楽をかけるのが常だった。手持ちのCDからMacに読み込んだもので、古いPowerbookがオーディオマシン代わりだ。お馴染みの曲は安心して聴けるものの長く聴いていると飽きてしまう。新しい曲を購入する余裕もないし、新しい曲を探すのも骨が折れる。そんなこともあっていつのまにか音楽もかけずに黙々と制作するようになっていた。ふと、久しぶりに音楽をかけてみると同じ曲なのに新鮮に聴こえる。しばらく制作に集中できなかったのは雑念が頭の中をグルグルと回っていたせいだったようだ。

 音楽のお陰もあってかいつもより調子がいい気がする。ふいに浮かんだ漫画を筆で描いてみた。敢えて定規は使わない。文字は葦ペンだ。スキャニングしてデジタルでグレートーンで着色。若干荒っぽいが、何かとルールで自分をがんじがらめにしてしまう傾向があるのでルールに囚われないスタイルもあっていいと思ったのだ。



 調子に乗って何カットか描き進める。
 課題になっているのは、ペンタッチ。ボクのこれまでの絵は軽さと華やかさが足りない。ポップさだって足りない。今回は回想シーンの軽く繊細な雰囲気が欲しいと思っていた。同じ絵ばかり描くよりは他のキャラクターでも試してみようと思い途中になっている漫画「バランス」のキャラクターでも試してみる。

…それにしても、大変な作品に手を出してしまった。
 「バランス」を途中にしてしまっているのは、実力が足りないことを自覚したためだ。とにかく多くの作品を描いて足りない部分を埋めなくてはならない。積み上げるのはそこからだ。今は穴だらけなのだ。
 目的の軽く繊細な雰囲気を手に入れるため、現在制作中の漫画のキャラクターで3カットほど作画。うち1カットが雰囲気よく描けた。そのカットを分析するにペンのタッチもさることながら光と陰の表現がポイントのようだ。ペンで陰を描けば、光を捉えることになり儚い存在感が浮き彫りになる。光のレリーフ。光の彫刻だ。
 意図に近い雰囲気になったのは1カット。脳内に定着するためにまだまだ描かなくてはならないだろう。

 そして、時は矢の如く過ぎていく。


腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:110回

2016年4月19日火曜日

再生

 薄日の射す朝。どうやら風は落ち着いたようだ。
 いつもよりは少し早めに起きたはずなのに平日の業務をこなすといつの間にか正午を過ぎていた。少し机に向かって作画をしても調子がつかめない感じだった。
 フッ素樹脂でコーティングされたフライパンが焦げつくようになっていたので調べていたら鉄製のフライパンは塩を使うと焦げ付きが改善されるらしいということがわかった。それをフッ素樹脂加工のフライパンでも応用できるだろうかと思い試しても見ることにした。ただし温めたフライパンを塩で擦るという方法なのでフッ素樹脂が剥がれてしまうのではないかという不安がある。とりあえず現役のフライパンで塩を乾煎りしてみた。擦ってダメにしてしまうのが怖かったのだ。その後、捨てるしかないかと思っていたフライパンで試してみた。恐る恐る塩で擦ってみるとフッ素樹脂は意外と大丈夫のようだった。擦り終えてみると前よりザラザラ感が少なくなったように見える。
 どうせお腹が空くのだろうからと思い、冷蔵庫から焼きそばの麺を取り出した。焼きそばは焦げつかれては困るので現役のフライパンを使う。塩を乾煎りしただけだが、いくらか改善しているような気もした。それからせっかくなので引退寸前だったフライパンで目玉焼きを焼いてみようと卵を割ったら珍しく黄身が壊れてしまった。これでは効果がわかりにくいと思いつつ仕方なくそのまま焼いて焼きそばに乗せて食べた。
 後で改めて調べてみると重曹を使う方法が見つかった。以前調べた時は重曹を使うと油分が取れてしまうのでむしろ焦げつきやすくなるとの記事を読んだ気がする。ネットの情報は検索キーワードによって全く違う結果が得られてしまうし時に更新されていることも珍しくないので注意が必要だ。

撮影:2012/04/19

 食後に所用を思い出したので外出することにした。桜はすっかり散ってしまっただろうと思ったらまだ楽しめるようだ。もっとも緑の葉が出ている所もある。以前の写真を確認するといつもの年ならまだ桜が咲き始める頃だ。ついでにショッピングモールへ立ち寄って散策。ファッション関係はすっかり春色である。むしろ初夏をイメージしているのだろうか。特に馴染みの店がは入っているわけでもない。月曜日とあって客も多くはないようだった。新作映画をチェックしたり書店に立ち寄ったりして外へ出た。それからスーパー2軒に立ち寄って帰宅。

 作画はあまり進まなかったが、焦げつくようになってからの再生がポイントかもしれない。

腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:113回

2016年4月18日月曜日

補完

 変わりやすい天候。雷雨の後は唸るような音を立てて強風になった。
 日曜日という意識もあってかゆっくりとしたスタート。気がつくと午後になってしまったので慌てて机に向かった。昨日の掴まえきれなかったイメージを追うためだ。
 イメージを掴まえるために脳内のチャンネルを切り換えてみた。漫画系のイラストチャンネルからドローイング系のイラストチャンネルへの切り換えとでも言うべきだろうか。人によってはもっと多くのチャンネルを持っているかもしれない。

撮影:2012/04/18

 チャンネル切り換え後はイメージに近い印象になったもののキャラクターが変わってしまった…そこからキャラに寄せていくと結局イメージが変わってしまう。
 何をしようとしているかというと、下絵の段階でしっかり描き込んでペン入れで最小限の線だけ残そうとしている。いつもと同じことをしつつ、いつもより線を少なくしようという試みだ。ボクは描き込むことで絵を成立させようとする傾向がある。背景に3Dソフトを利用するのは世界観の破綻を防ぐ意図がある。それがもしかしたら固い印象につながり読者の想像力を制限する方向に働いていないだろうか。よりシンプルな絵にして読者の想像力で完成する画面作りをできないかと考えたのだ。
 いつもは彩色しやすくする目的もあって閉じた線を心がけている。しかし、シンプルにする目的と同時に開いた線にしようと考えていた。いざ取り掛かってみるとどの線を残すべきか迷う。迷いつつ描き進めるといつもの同じ線になってしまう。
 スキャニングして主線を残してレイアウトしてみる…物足りない。シンプルとは違う。物足りないのだ。ボクはそういう絵に向いていないのだろうか。オリジナル探求が簡単にはいかないのは当然のことだ。
 今回の試みは無駄というわけでもなかったのかもしれない。配置して見たことで新しいカットのイメージに繋がった。もっとも完成図は曖昧のままであっても

 買い物に出たついでに近所の川沿いに桜の様子を見に行くと強い風によってずいぶん散ってしまったようだ。

腕立て伏せ
1回目:104回
2回目:110回

2016年4月16日土曜日

書店

 晴れたり曇ったりしている様子。
 熊本の地震の情報に気もそぞろ。5年前の東日本大震災を思い起こすためだろうか。今回は余震の回数が多いようだ。東日本大震災の時もしばらく余震が続いていたはすだ。

 少し机に向かってみたものの集中できない。食事をして書店へ自転車を走らせた。
 折しも桜が満開である。数日前には既に満開になっている印象だったから散り始めている様子も見られる。それでも満開が続いているのは比較的低い気温で推移したせいだろう。桜まつりの会場近くの駐車場や道路ではガードマンが交通整理をしていた。
 書店に立ち寄って店内を見て歩く。特に目的があるわけではない。目新しい本や情報に出会うことを期待してのことだ。昔は書店に向かう理由があった気がする。漫画、雑誌、人生観、ライフスタイル、知識…様々なことを求めて出かけていた。今ではそのほとんどをインターネットで満たしている。
 書店を出る頃には「モノクロの線画でも成立する絵を描きたい」と思うようになっていた。


撮影:2013/04/16


 帰宅すると例によって何もする気になれなかった。自転車で走ったせいなのだとは思いつつ疲れやすくなっているのかなと思うことがある。
 夜になって冷凍してあったサバを味噌と生姜で炒めて産直の店で買ったフキノトウを天ぷらにして食べた。先日買ったフキノトウより小ぶりだったり開いていたりしている。もっとも味はフキノトウだから問題ない。産直の店では文字通り塔が立った蕗も並べられていた。たしか大きくなっても食べられると教わったことがあった。「炒め物だったかな?蕗味噌にもできたかな?」と思いつつ、フキノトウを買うから両方買う必要はないだろうと判断した。
 食後の休憩をしていると唐突に描きたくなったので机に向かった。


腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:105回

入口


 天候は荒れ模様。風が強いのでせっかく咲いた桜が早くも散ってしまうかと心配になる程だ。気温も下がったようで体調もイマイチといった感じ。いつになったら体調や気分を言い訳にしないようになれるのだろう。
 もう16年になるファンヒーターの臭いが気になる。ホームセンターで修理費用を聞いてみると8,000円程度になるだろうとのことだった。小型のファンヒーターに手が届いてしまう。再発の可能性がないわけでもないから新品に買い替えた方がいいということだろう。16年というと長持ちしている方ではないだろうか。自分で分解修理する方もあるようだから挑戦してみたい気もしている。

撮影:2012/04/15

 漫画の制作の続行。スケジュールを気にするあまり完成度が落ちているような危機感があった。一度立ち止まって改めて制作に向き合ってみた方が良さそうだ。スケジュールを言い訳にするようならボクが漫画を描く意味などなくなってしまうのではないだろうか。漫画を描く意味がないなら存在の意味だってないかもしれない。
 設定はある程度できているのでイメージを作画してレイアウトして行けば出来ていくはずだった。昨日の試作はどうにも気に入らない。目指したイメージとはズレてしまった。デジタル作画なのでソフトの機能に振り回されている感覚がつきまとう。今日は改めて違った雰囲気を描いてみる。イメージを形にするためにしばらく描き進めるとやはりイメージとズレてしまう。どうにも掴まらない。
 やはり下絵を手描きしてみることにしようか。

 上手く描けないと途端に希望を見失う。それは迷路の入口だ。

 煮詰まってしまったため、夕方になって買い物に出ると気温が下がっていて寒かった。風がおさまれば桜もいくらか長持ちしてくれるだろうか。

腕立て伏せ
1回目:95回
2回目:102回

2016年4月14日木曜日

自覚


 昨夜は雨が降ったようだが、朝には上がっていて薄曇りの空には青空が透けていた。
 漫画を公開するために昨日は自宅で制作していたものの桜はそろそろ満開だろう。

 不思議なことに「ボクが描かなきゃ」という自覚が芽生え始めている。「誰かに任せることができないもの」という意識がそう思わせるのかもしれない。当然ながらボクの作品はボクにしか描けない。
 次ページの構想を整理するため背景のデジタル作画の手法を模索する。念頭にあった方法を試してみたところ「メモリが足りない」とエラーメッセージ。他のソフトではどうだろうと思い、違った手法を検討してみる。しかし、使い慣れたソフトでないと操作方法で一々つまずいて作業が行き詰まるので結局元のソフトに戻ることにした。しかし、思うような表現にならない。
 買い物もしたかったのでカメラを持って外出することにした。
 満開と思しき公園へ向かおうと自宅を出て唖然とした。すぐ近所の川沿いの桜並木が満開を迎えていた。数日前は三分咲き程度ではなかっただろうか。予定を変更して川沿いで桜の撮影を始めた。
 桜の撮影には逆光によって透けた桜の花びらに補助光として弱いフラッシュを当てる。効果に機材は持っていないのでフィルムカメラで使用していたマニュアルフォーカスレンズでピントを合わせる。露出が連動していないので開放値でピント合わせした後、速やかに適正な絞りまで絞り込む。その間に風が吹いたり手ブレがあったりすると狙いの写真は撮れない。撮影対象になる桜は花が混み過ぎておらず適度な空間のある構図がいい。満開の桜並木なのでいくらでも探しようがあるためついつい長時間撮影になってしまう。


 桜の花の撮影をするとヘトヘトになるのは毎年のことだ。上ばかり見て撮影するせいか1時間ほどの撮影で「桜酔い」したようになる。それにしても風も強くないし陽射しも柔らかで桜の撮影には打って付けの日だった。夢中になって昼食を忘れていたので珍しく団子を買って食べた。売れ残っていた3本入りの1パックには、好物の「ずんだ」がなくてあまり得意でないみたらし団子とみたらし団子に海苔を巻いたものとゴマをまぶしたものだったのだが、思いの外美味しくて驚いてしまった。誰もいない公園で満開の桜を眺めながら食べたせいだろうか。
 買い物を済ませて帰宅するとどっと疲れが出てひたすら眠い。30分くらいずつ何度か眠った。普段、薄暗い部屋で漫画を描いたりパソコンのモニタを見ているせいか逆光での桜の花の撮影は目への刺激も強いのだろう。撮影中に眩しくて何度か涙が止まらなくなったほどだ。そう言う刺激は時々必要なのではないだろうか。

 夜になって熊本で震度7の地震。余震が多いようだ。


腕立て伏せ
1回目:101回
2回目:103回

研磨

 晴れていた。
 気温も上がる様子だったので桜の開花状態が気になる。


撮影:2015/04/14

 これまで制作中の漫画を何本か途中にしたままになっている。今回の漫画はどうあっても結末までたどり着きたいと思いリズムを崩さないよう取り組んでいる。ただ、今日は進行が遅れていることやそろそろクライマックスに差し掛かるのでより丁寧に制作したいと思い公開を遅らせようかと考えていた。進行が単調になっている感じも気になる。
 漫画ではコマ割の工夫も大切な要素になる。少年漫画系と少女漫画系ではコマ割の扱いに違いがあるように思うことがある。少女漫画系の変則的なコマ割に憧れがあるのものの真似ようにもどうしていいかわからない。
 予定していたカットが揃ったのでスキャニングしてデジタルで彩色。点数が多かったのでなかなか大変だった。まずは自分が感動できるものをと考えてあれこれ検討してみる。
結局、レイアウトして公開することにした。出来上がってみると大切なページにも関わらずインパクトが弱い。本当にこれ以上工夫の余地がなかったのだろうか。
 現在は人物の会話で展開を成立させているので変化を持たせるために背景の描写を増やしたりイメージカットを入れたりするのもいいかもしれない。制作スタイルとして現在のように人物カットを独立して描いてレイアウトする方法ではなく、飽くまでもページで成立させる制作スタイルの方がいいのかも知れない。これまであまり不自由を感じていなかった横長の見開き効果が使えないのが残念に思えるようになってきた。スマホ対応も考えれば縦スクロールを考える必要があるとはいえ、パソコン画面は横長なので画面空間の使い方としてもったいない気がする。視線の動きとしても右から左というよりは上から下という意識が強い気がする。
 いずれにしても作画力不足、表現力不足が辛い。1年前、2年前では描けなかった絵を描き、描けなかった漫画を描いているのだから焦らず確実に一歩ずつ進むことが大切なのだろう。

 精一杯頑張ったと言葉にすることは簡単だ。それは気持ち次第で誰にでもできること。そこで満足してはいけないのだ。
 作画もストーリー作りもまだまだ研磨が足りない。



 天気予報予報通り夜になって雨が降り始めた。

腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:103回

2016年4月12日火曜日

循環

 気温が下がった。ファンヒーターの灯油を使い切った所だった。仕方なくまた給油。その際に少しズボラなことをしたせいでいくらかこぼしてしまった。
 気温が下がると腕立て伏せの際にも力が入らない。

撮影:2013/04/13

 ペン入れの調子が良くないのも気温のせいだろうか。鉛筆ではいい感じだと思ってもペン入れでイメージがガラッと変わる。当然といえば当然ではあるとは言え許容範囲というものがある。デジタル彩色によってまた変化することになることを承知していてもペン入れの線が骨子となるのでポイントを捉えられていないと歪みとなる。
 明日公開できるペースを維持したいと思い、5カットほどの下絵を描いてペン入れした。下絵の調子がいいような気がしていてペン入れも順調のように感じた。
 夕方になって買い物ついでに外出した。自転車を走らせながら作画用の紙を廉価なコピー用紙を使っているということをふと思い出す。少し厚手の上質紙を買ってある。その紙にした方がペンの走りも良いはずだ。少し高いので失敗した時にもったいないと思い廉価な紙に戻っていたのだ。
 帰宅してからまた机に向かった。するとまた調子が上がっている気がする。気分が良くなってそれまでに描いていたカットを見直して愕然としてしまった。どうしてこの絵で調子いいと感じていたのだろう。慌ててそれまでのカットを描き直すものの調子が上がればそれまでの絵の歪みがまた見えてくる。
…好循環の悪循環である。
 今日は何カット描いただろう。いつもでは考えられないスピードだったはずだ。好循環に苛立ちを憶える。自分の欠点など気づかない方が幸せなのかもしれない。
 結局、最後に描いた2カットを残して全て破棄した。二度と見たくないひどい絵に思えたからだ。最後に描いたカットも納得の行く出来ではないが、一晩眠れば見え方が変わるだろうか…いや、それもどうなんだろう。
 集中力が高まって空中分解してしまったかのような感覚だ。

 好循環の悪循環…受けて立たねばなるまいか。


腕立て伏せ
1回目:102回
2回目:108回

2016年4月11日月曜日

省略


 桜が咲いているというのに雪が降ったらしい。昨夜は雨音がしていると思ったが、雪だったのだろうか。ファンヒーターに入っている灯油を使い切ろうとしていたのに気温が下がってきたからまた詰める必要があるだろうか。
撮影:2015/04/12

 昨日描いていた下絵を元に制作スタート。2日に1回アップするペースだと1日目にペン入れまで終了していないと2日目の制作が厳しくなる。今日は追加のカットもあったので予定より遅くなってしまった。昨日考えていた構成からまた変更した割にフラットな印象が否定できない。リズム感やインパクトはどこに行ったのだろう。決められたスケジュールで完成までたどり着こうとすると作画のスピードに加えて省略を採用することが効果的な場合がある。手や指の仕草の表情を失わずに簡略化して描く。以前だったらそれほど悩まずにできていたような気がするから感覚を見失っていたのかもしれない。


 現在の作品はフルカラーなので良くも悪くも色彩に依存している。作画していてコントラストや構成に迷うのはモノクロの訓練が足りないのではないだろうかと思える節がある。言ってみれば色彩の省略だ。省略というものは手を抜けばいいというものではない。色彩に頼らずとも色彩の代わりになる効果が必要なのだ。今描いている作品が終わったらモノクロ作品も描いてみようかと思ったりもする。

 入浴中、「虹色ティッシュ」の今後の展開を再検討。

腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:101回

2016年4月10日日曜日

効率

 日曜日。少しゆっくりしようかという思いもありつつ漫画の制作のために用意してあったレイアウトを確認して机に向かう。「描くコト」を取り戻すために悩み続ける時期は過ぎたのだろうか。元々イラストや油彩も描いていたはずなのになぜ悩んだのだろうと思うと不思議である。鉛筆がためらいなく紙の上を走る。ずっと描き続けてきた絵なのに何が違うと言うのだろう。

撮影:2013/04/11

 昨日の外出の際に産直の店でパック入りのフキノトウを買ってみた。近隣で採れたもので10個ほど入って130円。自転車で走り回ってやっと採れる量を考えると無償奉仕のような価格設定だと思う。鮮度も良さそうだ。その日のうちに半分程度を天ぷらにして食べた。当り前だが自分で採ってくるものと比較しても味に遜色はない。むしろ車道脇の土手で採るよりも安心だし安全と言えるだろう。贅沢を言えばサイズがまちまちだった。自分で採る場合は無意識にサイズも吟味しているのだと気がつく。それでも外出のためにまとまった時間が取りにくくなっているのでありがたい。
 今日は残してあったフキノトウを蕗味噌にした。フキノトウを軽く茹でて水にさらし水を絞ってから刻んで油を引いたフライパンで炒めつつ、味噌・酒・みりん・砂糖・塩を加えて水分が抜けるまで加熱する。あまり時間が長いと風味が飛んでしまうのかもしれない。今回はいつもよりちょっと砂糖が多かったかもしれない。今回は量的に少なかった。冷凍保存してもいいのでまた手に入ったら作っておきたい。

 社会は様々なコトを分業することで成立している。もちろんボクが生活は多くの方々の仕事があってこそ成立しているわけで漫画の制作のために必要なパソコンや道具も自分で作ったものではない。そういう意味では分業されているとはいえ、漫画の制作についてはアシスタントがいるわけでもない。出来る限り自分でやるしかない。
 そこに自分の一存で決められるからこその面白味や醍醐味もあるわけだ。

 夕方になって今日描いた下絵をスキャニングしてレイアウトに配置してみた。例によって正面顏のアップばかりになってしまっていて動きがない。気に入っていたカットの下絵がどうしても収まりきれないので次ページ送りにしたのが原因かもしれない。スケール感・リズム感・デザイン性・インパクト…様々な要素をバランスよく成立させるコトは簡単ではない。繋ぎだけの説明ばかりのページでは面白くないので明日また考えようと思う。


腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:105回

使者

 晴れていた。外出しようかと迷っているとふいにアイディアが降りてきたのでどうしたものかと考えて簡単にネームを描いてメモ代わり。明日は天候が崩れるということなので外出することにした。
撮影:2012/04/10

 近所の川沿いの桜が咲きかけていた。やはりいつもの年より開花が早いのだろう。
 自転車で走るとあちこちの公園の桜も咲きかけている。コブシやモクレンは満開だろう。穏やかに晴れた空に白い雲が浮かび、時折やや強めの風が吹いていた。
 まだ、桜の満開には早いだろうとも思ったので一眼レフを持ち出さなかったのだが、それが後で後悔の元となる。
 毎年チェックしている大きな公園のコブシの花も満開で甘い芳香を風に漂わせていた。ソメイヨシノとは別の種類と思われる桜の花が満開になっている所もあった。一本の満開の桜の下でお弁当を広げている老夫婦。家族連れや仲間が集まってあちこちで花見をしている。持っていたコンパクトデジカメである程度撮影したらソメイヨシノにはまだ早いということで公園を後にした。
 買い物をして帰ろうと思いスーパーに寄って、産直の店とドラッグストアに寄った時、コーヒーフィルターがそろそろなくなるので買って帰ろうとしていたということを思い出す。ドラッグストアでは148円だったようだ。いつも100均で買っているので差額の40円が面白くない。少し迷ってスーパーまで戻ることにする。
 人生は些細な選択の繰り返しだ。
 ドラッグストアではパンと飲み物を買っていたのでコーヒーフィルターを買った後で山沿いの屋根のあるベンチで頬張った。すぐそばの別のベンチの前にたくさんのツクシを見つけたので撮影していると何かの気配を感じた。見ると歩道を白いカモシカが歩いてくるではないか。この時期のカモシカはボンヤリしているようだ。脅かしたりこちらが驚いたり急に動いたりしなければしばらく観察させてくれる。元来、強い近視らしく臆病という話を聞いたことがある。天然記念物でもあるし追いかけてはいけないと言われている。
 市街地にある山は周囲を住宅や道路などで囲まれているのでカモシカは山地へ逃げることができないのだろうと思う。地元では知る人ぞ知るカモシカの存在なのだ。以前子連れだったと思うのでさほど大きくない山に4頭くらいのカモシカがいるのではないだろうか。散歩道のそばでくつろいでいることもあったりしてちょっとしたマスコット的でもあり、中腹にある神社では白いカモシカを「神の使いか!?」と話題にしているのも見かけた。ボク自身も初めて会ったわけではない。三回以上は見かけていると思うが、まともな写真を撮れたことがない。コンパクトデジカメの最大望遠を使うせいか手ブレがあったりキレが甘かったりしてすっきりした写真が撮れないのだ。そして、あろうことか今日もコンパクトデジカメしか持っていなかった。
 カモシカはとても穏やかで写真を撮るのを待っていてくれるようにさえ見えた。それなのに今日もまともな写真が撮れなかった。
 いくつもの小さな選択の積み重ねで白いカモシカに会うことはできた。もしコンパクトデジカメではなかったら白いカモシカには会えなかったのかもしれない。

 帰宅して写真を整理しかけたが、制作中の漫画が気になるので優先順位を変更。追加のカットを描いてスキャニング、そしてレイアウト作業。なんとか公開にたどり着いた。



 今日はいろんなことがあった。
 白いカモシカは何かを告げるために現れたのだろうか。

腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:86回

2016年4月9日土曜日

修正

 今日は晴れたり曇ったり天候の変化が激しかったようだ。外出したい気持ちがありつつも制作が気にかかる。

撮影:2012/04/09

 次ページで準備していたカットを描き直したいと考えていた。描き直した場合、用意できているカットがないという事になる。ここの所、準備してあったカットをベースに制作していたためいくらかゆとりがあった。いよいよ厳しくなってくるという事かと身構える。もっとも画力が上がっているとすれば、新しく描いた方が作品としては良くなるはずだ。2カットの描き直しと新しく1カットを追加で作画。
 描き直したはずのカットを修正前のカットと比較してみるとトレースしたわけでもないのに殆ど変化がないので我ながら驚いてしまった。修正になっていないのではないかと不安になる。ちょっと無理なポーズをイメージして描いてしまったのでほんのちょっとしたことが違和感となるのだ。たぶん、もう一度描き直しても同じように描いてしまうのだろう。脳内にイメージのテンプレートがあってそのイメージに従って描いているという事なのだ。コンディションは良いということなのだろう。最初のイメージが如何に大切かということになる。逆に言えば、脳内のイメージを修正しなければ、何度でも同じ絵を描いてしまう事になる。
 予定では明日また1ページアップしたい所だ。例によって自信はない。

 天候の問題もあるが、そろそろ買い出しを兼ねてオフにしたい。


腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:105回

2016年4月7日木曜日

目標

 朝、気がつくと雨音がしていた。乾燥していたようだからちょうどいいタイミングかもしれない。この雨で桜の開花が早まるか、それとも遅れるだろうか。
 制作のリズムが順調なので次の目標はもっと多くの作品を公開することだろうか。そんなことを考えていたが、よく考えてみると今の作品だって短編で完成させる予定だった。恐らく15ページ前後になるだろうから短篇には違いないが、制作には既に数ヶ月を要している。一歩間違うと半年もかかってしまいそうだ。

撮影:2013/04/09

 制作に取りかかって予定していた1カットを描いて配置してみると何か物足りない。カット数が4カット。レイアウトのバランスが取りにくい。それで少し先で使おうと思っていたカットを1カット追加。それでも物足りないのでさらに1カット追加。また詰め込みすぎの印象は否めないが、バランスの良くないスカスカよりもマシになったろうか。しかし、よく見ると追加してカットの髪の長さが違う。仕方なく他のカットに差し替えた。このページは何とかなるとしてもカットのストックを使ってしまったのでまた描かなくてはならない。いや、描く楽しみが増えたと考えるべきだろう。今日公開したのは9ページ目。あと5ページ程度で話がまとまるのだろうか。甚だ自信がない。
 2日で1ページのペース10日以上かかるだろう。地道にコツコツ描くしかない。
 たとえば、モノクロならもっとペースアップできるだろうか。いや、そうすると別の問題や悩みが生じる気がする。
 たぶん…たくさん考えて、悩んで、作品にすることがボクの目指す漫画描きの姿なんだろう。



 出来上がったページを眺める時間は至福のひと時だ。何度も繰り返し見るのでミスを見つけて慌てたりすることも多々ある。このひと時が次の制作への原動力にもなるのだろう。


腕立て伏せ
1回目:102回
2回目:100回

2016年4月6日水曜日

節目


 天候が崩れると思ったら晴れていた。
 そろそろ川沿いでヨモギを採取して天ぷらを食べるに良い季節のはずだ。今年は暖かいのでもう大きくなっただろうか。

撮影:2011/04/06

 ここ最近の更新は2日に1回のリズムで公開である。このリズムはある程度準備してあるから出来ることであってゼロからのスタートではない。誰に約束したわけでもないのにこのリズムが狂うことに何故か不安を感じる。下準備してあるページもあと少しなのでまもなくペースダウンすることは予想できる。せっかくリズムを掴みかけているので現在の制作を維持しつつその先のページを進めたい想いはあるものの実行することが容易ではない。
 今日もMacの前に座って作業を確認。明日公開予定なの既に間に合わない気がする。
 ちょうど腕立て伏せ100回に挑む前の気持ちに似ている。
「…無理だろ。」
 途方にくれながら机に向かうと意外に描けるので気をよくする。この2年の取り組みの賜物だろうか。調子に乗って制作が途中になっている作品のカットも1点描いてみた。以前描いていた雰囲気と変わってしまうのでこれはこれでまたリハビリが必要のようだ。
 描いたカット3点をスキャニングしてレイアウトする段になってもまだ完成が見えない。この空間をどうやって埋めていけばいいのだろうかとまた躊躇。DTPをやっていた時の癖で答えが見つからない時にはとにかく出来ることから進めていく。まだモノクロの画像データに彩色することで色が主張し始めアクセントやリズムが生まれる。3Dソフトのデータは便利なので頼り過ぎてしまう感がある。逃げのような気もするのであまり使いたくないと思いつつ結局背景に大きく使うことにした。
 手描きの合計3カットと3Dソフトの画像1カットを配置。セリフの位置を調整したりしてやっと先が見えてくる。どうやらもう1カット手描きが必要のようだ。それなら明日でも間に合うかもしれないと安堵した。明日また新しいアイディアが出るだろうか。今の所、2日で1ページというギリギリセーフなリズムも悪くない。

 明日でnoteが始まって2周年。
 ボクのnoteはあと1ノートで900という節目である。


腕立て伏せ
1回目:102回
2回目:103回

慣性

 天気は良いが、制作は少し遅れ気味。
 朝目覚めるとアイディアが浮かんでいた。昨日までに出来ていた構成を変更する必要がある。新たに2カットを描かなくてはならない。そして差し替えだ。
 差し替えの理由は顔の向きと目線の問題だ。差し替え前のカット正面向きばかりだった。目線も正面だったので構成に動きがなかった。チラシや広告などのイラストカットなら正面向きが有効の場合が多いかもしれない。それに慣れてしまっているということもあるのだろうか。起きた瞬間というのは作業の手順や煩わしさが念頭にないため結果をストレートにイメージできるのだろうか。新たな目標ができたお陰で作業は増える。しばらく前に準備してあったカットを差し替えたので違和感がなくもない。
 背景に冬枯れの木立が風にざわめく様子を描き加えようと考えて試し描きをしてみるも付け焼き刃で良い絵は描けない。思う通りに描けないので見送ることにした。
 


 夕方になる前に買い物のため外出。
 青空が広がり、梅の花が満開だ。コブシの花も咲き始め桜の蕾が膨らんでいた。今日は暖かで穏やかな日和も明日には荒れるらしい。
 書店を回りたい気もしたが、早々に帰宅して制作に戻った。
 新しいカットを描くことに以前ほど抵抗がないのはありがたい。これまで少し力み過ぎていたのかもしれない。そうしなければ思うような絵に到達できなかったのだ。それが今は力まずに描けるようになってきた。
 慣れは惰性となり油断に繋がる。慣性飛行するための軌道に乗せるために向上心を維持し新たな挑戦を続ける必要があるだろう。


腕立て伏せ
 1回目:106回
 2回目:105回

2016年4月4日月曜日

稜線


 頂上ではない。頂上であろうはずがない。
 これからも苦しみは続くであろうし、向上心を忘れてはいけない。
 けれど、肩で息をしながら吹き出る汗すら流れるままに山を登りつつ突然稜線に出たような清々しさすら感じる。幸福感は甘く瑞々しい。

 noteを始めてもうすぐ2年。すぐに漫画を描き始めたわけではない。試行錯誤の末に漫画と向き合うようになった。子供の頃、夢中でラクガキした感覚を少し思い出した。そして憧れた「線」に手が届いている気がする。
 憧れた線とは、文字通り「線」だ。昔は曲線も手描きだった。その美しさは線の太さや長さとのバランスによって成り立っていた。今ではデジタルソフトのペジェ曲線を使って美しい線を描けるようになったが、手描きと同様の線を描くのは容易なことではない。

撮影:2013/04/04

 今日予定していた制作に向かって見ると早速暗雲が立ち込めた。

 新しいカットを追加しようと机に向かうとペン入れの際にインクと間違って薄墨を使ってしまうという失態をやらかした。ふと気がつくとペン入れの線が滲んでいたのだ。インクは使っているうちに蒸発して濃度が高まるが、薄墨は濃度が低い。筆で紙面を傷つけないような使い方をしないでペンで紙面に傷をつけるような使い方をすると滲んでしまうのだ。いい感じの下絵だったのに滲み始めてしまったので焦りつつ乾かしてみると修正で何とか対応出来そうなのでホッとしつつスキャニングした。
 レイアウト作業移るといくらか客観視できるようになる。追加してカットは悪くない。ただ全体に面白味が足りない。その原因が何なのか掴めないまま夕方になってしまった。明日は良いアイディアが浮かぶだろうか。

 自由自在に描けるようになるにはまだ修行が足りない。
 だからまだ厳しい登山は続くのだ。


 腕立て伏せ
 1回目:100回
 2回目:108回

2016年4月3日日曜日

闇雲

 昨日予定していた制作が少し遅れたために今日は1カット描き直しの必要があった。それと言うのも描いていたカットのタッチがリアル系の作画をしてしまったからだが、漫画の線画でリアルな描写系に描いてしまうと目が大きいので奇妙な仕上がりになる。それで今日は漫画タッチに戻して作画することにした。下絵の段階では鉛筆の柔らかな雰囲気の線もペン入れして彩色すると印象が強くなる。主線を抽出して重ねるので尚更である。
 元々詰め込みすぎの印象だったページをダイエットして次のページへ送ったので読みやすくなっているだろうか。もしかして間延びした感じになっていないだろうか。もう1コマ追加すれば良かったかも知れない…としばらく考えたものの用意したカットを使って構成するにはこれ以上のアイディアが出せなかった。行き止まりである。




 思うに、お決まりのパターンや慣れがないために試行錯誤が続くのだろう。それが悪いことかといえば、そういうわけでもない。試行錯誤が様々な可能性を発掘し、いつか振り返った時に新たな発見へと繋がるだろう。闇雲にもがくことが必要なのだ。
 そう考えれば、試行錯誤の繰り返しや暗中模索の時期は幸せな時間かもしれない。発見や感動に出会うために必要な最も素晴らしい時間なのだ。


 腕立て伏せ:104回

陶酔

 オフにしようかな…と思いつつ、予定をこなすために制作を進める。
 用意してあった下絵の仕上げとページへのレイアウト構成なのでMacに向かってデジタル作業だ。仮に配置してあった3Dソフトによる背景を登場人物の身長に合わせて変更する。登場人物のやり取りになってしまうのが退屈ではないかと思い、背景カットや小物などをアクセントにすることを考えたが、良いアイディアが浮かばない。まずは人物カットのと背景カットのバランスを見ながら仕上げに終始した。


撮影:2010/04/04

 夕方まで粘って自転車で外出。買い物がてらスーパーに寄ったが、何も買わずに出てきた。ホームセンターに立ち寄ると自転車が気になる。ドロップハンドルの手頃な価格の自転車が出ていないだろうかと思うのだ。もっとも、出ていたとしても即決できるはずもない。ただ、状況を見たいだけなのだ。現在乗っている自転車は5年くらいになるだろうか。ちゃんと整備しないせいもあってあちこち錆びている。おまけにこのシーズンはタイヤ交換やブレーキの交換を考える時期だ。出費を考えると新しい自転車に買い換えた方が良いのではないかという想いが頭をもたげる。結局、気に入った自転車は見当たらないのでどこかホッとしていたりする。今年も家庭菜園は出来そうもないと思いつつ、店内をぶらついてそのまま出てきた。

 春は名ばかりとはよく言ったものだ。風はまだ冷たく冬の余韻が漂っていた。

 帰宅して夕食前に机に向かった。次のページ用に1カット追加したかったためだ。イマイチ気持ちが乗っていないが、描いたり消したりを繰り返すうちに何とかスイッチが入ったようだ。以前のように1カットのために何日もかかるようなことが少なくなったのは喜ばしい。他に描いてあった下絵1点と合わせてペン入れ後にスキャニング。彩色工程へ移る…が、リアル表現の方へ偏ってしまった。イラストカットとしては面白いが、制作中の漫画のタッチを考えるとバランスが良くない。明日、描き直しだろうかと思いつつ作業を続けた…すると描けば描くほど「読者の集中力の妨げにならないような…」という方向性とはズレてしまう。
 やっぱり明日仕切り直そう。

 克明に描くことが読者の共感を得られるレベルなら話は違うが、大した技術力もないボクが克明に描こうとしてしまうのは自己陶酔しているだけなのだ。読者の集中力…感情移入を妨げないような画風に徹する必要があるだろう。



◇腕立て伏せ
 1回目:96回
 2回目:106回

2016年4月2日土曜日

工夫

 晴れていたので外出したくてウズウズしていた。
 しかし、今日公開の予定のページを準備。それから次からのページの流れを確認した。
 下絵があるページがあと数ページある。それらのページを仕上げつつその先のページを描かなくてはならない。


撮影:2009/04/02

 流れを確認していたらつながりを考えてページを増やす必要を感じた。全体のページは暫定なので必要に応じて増やすことは可能だが、減らすことは無理ではないかなと思う。
 午後になって公開。
 今日公開したページは、動きやテンポがあって気に入っている。カラフルすぎて落ち着かないだろうか。RGBが得意とする光の表現も使ったのでアニメ的だろうか。敢えて砂目トーンのざらつき感を加えることでぬるっとしたツヤが出ることを抑えいてるのだが、狙いは外れていないだろうか。1ページの中で繰り返し楽しめるようになっているだろうか。今回は擬音にも配慮したつもりだ。漫画では音を文字で表現することは当たり前のことではあるが、改めて入れようとすると迷いが生じる。ありきたりのものや真似になってしまうようなものは避けたいし、響きはカッコいい方が良い。さらに文字をカラーリングする際にグラデーションを施した。
 しかし…作者の想いは伝わらない方がいいのかもしれない。どんな工夫をしたとかどれだけ悩んだかということよりも読者がどれだけ物語に没入することができるかが大切なのだ。そう考えれば、集中を妨げず集中力を高める手助けとなる工夫でなくてはならない。


 夕方になって外出。ちょっと久しぶりにショッピングモールを散策した。春休みだからか中高生くらいの姿が目立つ。漫画を公開後なので頭をOFFにする目的もあったのだが、結局、歩きながら漫画のことを考えていた。
 たとえば、週一回公開するペースのスケジュールはどうなるだろう。今と同じクオリティーの画面作りをするのであれば4ページは無理のような気がする。無駄を省きつつ内容は充実させる必要があるだろう。


 逆算してこのスケジュールで描ける作品のスタイルを考えるのもアリかもしれない。

◇腕立て伏せ
 1回目:90回
 2回目:110回

2016年4月1日金曜日

階段

 晴れているようだったが、気温はさほど上がらない印象。それでも桜の開花予報は平年より早いようだ。つまり気温が上がらないのはいつものことなのだ。

撮影:2006/04/01
漫画の制作続行。
 明日アップできるように準備を進める。
 手描きや3Dソフトを経てレイアウト。インクと墨で描いた原画の画像データを仕上がりの調子を見ながら加工し少しずつ仕上げていく。画像を加工している際、デジタルならではの表現が見つかったので採用することにした。これで印刷物にすることが難しくなる。ちょっと加工しすぎの感が否めない。1ページの漫画を繰り返し何度でも読み返せるよう視線誘導に無理がないか気になる。
 ジクソーパズルのようにパーツを揃えつつ一段ずつ階段を上るように作品として完成させていく。気がつくと想像の余地を残すための余白がなくなっていた。

 noteを始めてからもうすぐ2年。そして3年目になろうとしている。長いようであっという間の2年だった。そしてようやく漫画を描くことのリズムをつかみかけている気がする。
 思えば、以前は締め切りに追われることが当たり前で、自分のペースを掴むなどということは考えもしなかった。締め切りはクライアントの都合であり、限られた時間内に最大限のパフォーマンスを発揮することが仕事だと思っていた。もちろん仕事の内容によってそれは当然のことかもしれない。しかし、そのために自分のペースなどがわからないままだった。もしかしたらボクがクラウドソーシングで成功することができなかったことやリズムを掴めなかったことはむしろ幸いだったのかもしれない。もしあのまま続けて軌道に乗せることができていたらどんな日々が待っていたのだろう。
 noteでの活動は強制されたものではない。だからこそ厳しい面もある。クリエイターさんが多いことを考えると優しいながらも厳しさをご存知の方々に見ていただくことになるのだ。時間や締め切りという言い訳ができない状態でどこまでクオリティを高め、これがベストであると言える作品が提示できるだろう。それはどこまで自分の甘えを断ち切れるかということでもあるのかもしれない。
 実際には日々の生活や体調、精神状態によってバランスよく高いパフォーマンスを維持することさえ難しいのだ。
 noteを始めた当初から漫画をメインにしようとは思っていたわけではない。試行錯誤の手探りの結果だ。もっとも、それは現在進行形でありこれからどうなっていくのかはボクにもわからない。ただ、ここに来てリズムを掴みかけているということが、また新たな階段を上るための1ステップであって欲しいと思う。


◇腕立て伏せ
 1回目:101回
 2回目:70回

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...