2016年5月29日日曜日

切望

 晴れ。日曜日だからということもあってか気持ちは緩みがち。
 昨日少し歩いたこともあってかテンションは高くない。午前中は少しゆっくりスタートで午後から机に向かう。しばらく描いていたが、ぼんやりするのでふとそばにあった温度計を確認すると30℃だった。窓際のせいかもしれないと思い、別の温度計を確認。26℃だった。いずれにしても室温が高めなのだろうと思って窓を開けた。

撮影:2008/05/30

 子供の頃は食事の時間になろうが深夜遅かろうがお構いなしに描いていられた。ところが、今は自分でスケジュールを管理できる立場になっているはずなのにうまくコントロールできているとは言えない。
 わずかな時間だとしても描くことに意味があるならと言い聞かせる。先日整理した下絵の修正は時間の経過を経て、画力のアップを実感することができる。真っ白な紙に描く気持ち良さとは違う集中力の高まりを感じる。麓から山に登るか、五合目から登るかという違いだろうか。少しの間、時間の経つのを忘れて没頭出来たようだ。

 偶然かもしれないが、最近、夢や目標を見失っているという話を目にすることがあった。ボクも以前そういうことがあったので気持ちがわからないわけではない。夢や目標を手放しても生きることに支障がないのかもしれないと思ったりする。満たされていないとしても足りていることはある。両手に何かを抱えたままでは夢や目標を掴まえることはできないのだろう。夢や希望が星のようなものだとすれば、月明かりで見えなくなる可能性だってある。
 失望、渇望、絶望…皮肉にも希望はそんなところにこそ見い出すものなのかもしれない。

 午後から自転車を出して書店やスーパーを回る。
 スーパーで三重産のブリのアラが安く出ていた。幸い冷蔵庫に大根があったはずだ。脳の活性化のために意識的に魚を食べたいと思っているのだが、いかんせん調理方法に問題がある。グリルで焼けば臭いがこもる。先日はシシャモを買ってきて魚焼き用の網で焼いたところ網の下の受け皿が汚れて焦げついてしまった。
 帰宅してまずはブリを軽く焼いた方がいいと思い、しばらく使っていなかった中華鍋を使ってみようと思いついた。古くなったフッ素加工のフライパンでは焦げつくのではないだろうかという心配があったからだ。熱した中華鍋に少し油をひいてブリのアラを投入。焦げつくことを心配したもののどうやら大丈夫のようだ。塩胡椒をしてから酒を少しかけて蓋をして蒸し焼きにした。全体に火が通ったところで鍋に移し水・醤油・みりん・砂糖・酢で調味。しばらく煮たら鷹の爪を一本。仕上がりを見計らってごま油を回しかけ、刻みネギをパラパラ。それから少し時間を置けば出来上がりだ。出来上がってみると臭みも気にならないし、使った中華鍋もツルリと洗うことができて手間も少なかった。そういえば、穴の空いて使えなくなった鍋がある。何か工夫をして再利用できるかもしれない。穴の空いた鍋ならアルミホイルを敷いた方がいいだろう。手軽に魚料理ができるようになれば、脳が活性化し作画も調子が良くなるのではないかと期待している。


腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:103回

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