2017年10月31日火曜日

遅筆

 晴れたり曇ったり一時雨。不安定な天候。
 どういうわけか早めに目が覚めた。こういう時は直後に地震があったりするので一応用心してみる。携帯でテレビの情報を確認しても特に異常はなさそう。そこで久しぶりにテレビをチェックしたことに気がついた。睡眠のリズムが狂うと一日調子がつかめないので二度寝しようと思ったが、今日はそれも上手く行かない。しばらくゴロゴロしてから諦めて布団を出る。布団を畳む際に軽いストレッチをするのが習慣になっているので起き抜けに運動することになる。身体にいいのか悪いのかよくわからないが、寝ぼけてふらつきながら歩き回ることは少なくなった。

《揺れる》撮影:2011/11/1

 習慣になっていることは他にも筋トレやこのブログがある。そして最近習慣化し始めている一日1ショット。既にネタ切れで失速しそうだが、せっかくだから漫画も一日1カット描ければと思い始めた。 これは実際なかなか思うようにはいかない。何故なら以前なら1カット描くのに2日以上かかっていたからだ。イラレだったり手描きだったりと条件は違うものの一日で描き上げるにはまだ修行が足りない。
 それでも一日1カット描ければ一週間で1ページ描き上げることは可能になるだろう。ただでさえ遅筆なので当面の目標にするには悪くないかもしれない。




 今日も1カット…と言っても下絵があったものを修正し着地点が見えたところで気分転換に外出した。台風の影響などで外へ出られない日が続いていたので身体を動かしておきたかったのだ。それに今日の1ショットのモチーフも欲しかった。

 自転車に注油して走り始めると先日のキィキィカタカタいう音は鳴らなくなり快適だ。冷んやりとした空気感は冬が近いことを予感させる。

 ショッピングモールで何か良いモチーフはないかと見て歩いたものの目に入るのは見慣れた一般的な野菜。それでもいいとは思いつつちょっと面白いものはないかと探してしまう。そういう点は産直の店の方がいいのだろう。思うようなものが見つからないままついでに散策。戻ってきた所に知り合いがいた。目を丸くして驚いている。巡り合わせというものはあるのかも知れないと思う。面白くないことがあったようで話を聞いたものの輪をかけて気分を害してしまったのではないかと少し心配ではある。

 外に出ると赤い夕陽が今日最後の輝きを放って山向こうへ沈もうとしていた。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:120回

2017年10月30日月曜日

復帰

 早朝から風雨の吹き付ける音で目が覚めたものの土曜日の自転車遠征の疲れが残っていて起き上がるまで相当な時間を要した。毎日走っていれば大したことはないのかもしれないが、毎日4時間かけて40kmを走るのは色々と都合が悪い。

 そういえば、自転車と電車と徒歩で片道1時間半ほど通勤していたことがあった。これが一生続くのだろうかと麻痺しかけた頭で考えていた。毎日の仕事に追われていれば選択肢などあるわけはない。今でこそ無理してはいけない風潮が浸透しつつあっても「自発的な頑張る」気持ちがなければ、仕事を消化することはできなかった。その原因は自分の未熟さにあると思っていたのでなおのことだ。


《のこりいろ》撮影:2009/10/31

 大手企業の下請けの仕事はやがてデータ納品を要請されるようになった。不況の波が静かに押し寄せて内製化の動きが加速し…仕事はなくなった。DTPの先端を走るつもりでいたのにいつの間にか薄暗いフロアの片隅でコピーに明け暮れる日々となった。高いとは言えなくても不満を感じない程度の給料ではあったので会社の負担になっているだろうと考えるようになった。薄暗い場所での作業で視力に不安も感じ始めていた。

 同じフロアで働く人が宴会の席で精神的疾患の話をしていた。普段明るく礼儀もあり丁寧な対応をする人だったのでにわかに信じがたい部分もあったが、何よりその苦しみを共有できなかったことは心残りではある。その後、街並みを見て吐き気を感じるようになったことを思うと自分自身の心も壊れかけていたのかもしれない。

 誰のせいでもない。それぞれの仕事をしただけなのにしわ寄せをかぶってしまう誰かがいるのだ。

 病院に相談しなかったのは、社会復帰が困難になることを恐れただめだ。精神的疾患の認知度が低い時代で社会的な理解が進んでいなかった。
 幸か不幸かそのタイミングで環境が変わることになり、その後退職。それから田舎暮らしに憧れて単身移住した。その判断が正解だったとも思わない。きちんと相談できないまま行動に移してしまったからそのしわ寄せは今になっても残っているし家族にも影響した。




 あれからもう17年。さらなる不況の波もかぶりながら何とかやってきた。社会復帰が出来たとは言えないだろう。社会復帰と会社復帰を履き違えているようでもあるし、むしろ復帰不可能な深みまで沈みこんでしまった感はある。そして心の修復が出来たかと言えば自信はない。少なからず問題を抱えながらも生きようとしている人たちがいることを知ることは出来た気がしている


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:118回

2017年10月29日日曜日

依存

 雨。昨日の疲れが残っていて何もする気にならない。使命感も喪失して焦りすら感じない。卵の特売日になっているはずだからスーパーへ行かなくてはならないとは思っていた。毎日の生活リズムの中で本当はやらなくてもいいようなこだわりはどれくらいあるだろう。卵を買いに行かなかったからといって特に困ることはないはずだ。

 今日はともかく体調回復に努めよう…それしかできない。
 近所で消防のサイレンが止まったようなので気になって外に出てみたら雨が降りしきる中、消火栓のあたりに消防らしき人たちが集まっている。大事でもなさそうなのでそのまま部屋に戻った。

《秋色絨毯》撮影:2003/10/30

 特に何をするでもなくうたた寝しながら夢と現実の間を往来する。夢を見ていたと思ったら夢の感想や現実に関わるようなことを取りとめもなく誰かと話している気がする。よく知った親しい人である気がするのにそれが誰なのか現実に戻る時にわからなくなる。もう一人の自分なのかも知れないとも思う。対等に意見交換ができて今後の方針をそれとなく暗示する。そういう話し相手だけであってもありがたいと思ってしまう。

 昨夜ふと考えた。一人暮らしも長くなったというのに寂しさというものを実感した覚えがない。慣れない部屋で初めて眠る時は非現実的な夢を見ることはあってもそれは寂しさとは無関係だ。
 あるいは若い頃は寂しかっただろうか…子供の頃から一人でもできる趣味を選びがちだったせいもあるだろうか。それでも常に恋愛とか友情というものに憧れていたからもしかしたら寂しかったのかもしれない。ただ度重なる失恋や形骸化してゆく友情に別れを告げる中で喪失してしまったような気もする。丁度、仕事や趣味に忙しくなっていく頃だった。
 一人じゃないからなのかもしれない…と考えてみる。現世での別れになってしまった人たちが何人もいるからその中の誰かがいつも一緒にいてくれているからだろうか。具体的に一人じゃないと実感することがあるわけではないにしても寂しさを直視せずに済んでいるのはそのためだろうか。





 子供の頃から他力本願なところがある。お地蔵様に手を合わせたりするうちはまだ良いとして何でもない大きめの石にも何か宿っているのではないかと思い手を合わせることがあった。宗教的なものとはちょっと違う気がする。親しみとか敬意といった類いだろうか。少なくてもそこらに転がっている石ころでさえ石という存在年齢はかなり長いだろう。話ができるならどんな経緯でそこに転がっているのか聞いてみたいくらいだ。

 目に見えるもの見えないもの触れるものや触れないもの。日々は何かに依存することで成立している。そして人生もまた依存なくしてありえないだろう。依存していることを自覚し感謝することくらいしかできないような気さえしている。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:115回

2017年10月28日土曜日

巡回

 晴れのち曇り。天気概況では晴れになっているのに窓からは白い雲しか見えないので曇っているのかと思い自転車による外出を止めようと思っていた。しかし、何度調べても雨が降っている様子はないし夕方まで晴れの予報。明日からは雨の予報だし台風も北上しているということで今日を逃すと平日になってしまう。平日は何かとやることがあるので避けたかった。雨に降られなければいいだろうということで一旦断念しかかった遠征の予定を復活。昨日は体調がすぐれなかったものの今日は大丈夫そうだ。

《染秋》撮影:2008/10/29

 外に出てみると雲は多めがちながら所々に青空が見えている。これならなんとかなりそうだとペダルを踏み込むとキィキィガタガタ音がした。油切れだろうか。すでにしばらく走っていたので今日はそのまま走ることにした。どうやらペダルの回転部分のベアリングにガタつきがある印象。出がけに後輪のタイヤに空気を入れた時、予想以上に減っていることにも気がついている。近所しか走っていないようでも知らぬ間に消耗しているのだ。

 薄曇りでやや風はありつつも苦になるほどではない。走っているうちに汗がにじむ程度には暑くなった。田園風景はほぼ刈り入れが済んでいて残りわずかになっていた。緑も少なくなる時期なので寂しさも漂い始めている。何年か前から進められている自動車専用道の整備により東西が分断されようとしている。工事はゆっくりでも確実に進められているようだ。その関係か高い電波塔のような設備が作られているところもあった。




 コンビニで水分補給や昼食を済ませつつ風景の写真撮影もそこそこに目的地へたどり着く。そろそろ自転車を新調してもいいタイミングとは思いつつ先立つものがなければ話にならない世の中だ。

  夏の間格闘した植物たちはすっかり勢いを失くし嘘のようにすっきりしている。一応持参していた草むしりの道具や伐採用のノコギリは出番がないようだ。ここ数年、あまり出来が良くなかった柿の木が今年は豊作の様子。高枝切り鋏と運搬のための車が必要なのにどちらもない。写真用に手の届く所の枝を2本ばかり手折って持ち帰ることにする。
 今年はこれで自転車による遠征が最後になるだろうかと少しばかり後ろ髪を引かれつつ帰途に着いた。

  いつも立ち寄る知り合いのデザイナーさんの所へ行ってみると来客の様子。今日は挨拶だけにして帰ろうとしたら名刺はあるかと言われた。来客されていた方は美術や写真に造詣のある方で自己紹介しておいたらどうかということらしかった。お話を伺うと確かにお詳しい様子。何かご縁があるかもしれない。

  しばらくお話をさせていただいてからまた自転車を走らせる。

 いつの間にか太陽の光は弱くなり夕闇も迫る最短コースをひた走る。スーパーを二軒ハシゴして予定通り18時前に帰宅することができた。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:120回

2017年10月27日金曜日

気圧

 晴れ。気持ちよく晴れているようなのに身体が鉛のように重い。考えてみれば、以前もこういうことが時々あったような気もする。最近は逆に調子が良かったということだろう。調べてみると日中気圧が少し下がったようだ。そのせいだろうかと考えなければ説明がつかない。

《光葉》撮影:2011/10/28

 昨日公開した漫画を加工してグッズを作ってみようかという構想があった。ネットショップのアカウントはいくつか取ってあるものの準備はほとんど進んでいない。取りあえず店舗名くらいは決めたいと思い昨夜から改めて考えていた。思い浮かんだショップ名を検索してみて同じものがないか調べてみる。しかし、これだけインターネットが普及しているのだから似たような名前がない方が不思議なくらいだ。心配なのは商標登録ということになるが、それも早い者勝ちということを考えるともはや名前をつけることが不可能にさえ思えてくる。
 気圧の変動は気力の圧力にも関係するのではないだろうかぼんやりした頭では検索作業さえままならない。これで会社に勤めていたらどんな評価をされていたかと思うとぞっとする。組織に対応するために生物的な進化も必要なのではないだろうか。

 昨日公開した漫画の1カットを修正しながらグッズ用のイラストとして使えるかどうか検討してみる。こうして少しずつでも未来のための種を播くことが大切なのだ。


 夕方近くなって少し回復したので買い物ついでに自転車で外出した。既に日没近い時刻になっていて空には夕焼け色に輝くうろこ雲が広がっている。気温もそこそこ上がったようで赤とんぼの数も多いようだ。いつも立ち寄る店をハシゴしつつ今日の1ショットのモチーフを考えながらも無理する必要はないとも思う。目的の一つにクローズアップ写真を撮ることがあったのにまだ近接写真が少ない。ブナシメジやマイタケといったキノコも検討してみるも残念ながら今日は安くなかった。

 夕食に昨日撮影したオレンジカリフラワーを茹でて食べてみるととても美味しかった。茹でるという調理法が面倒に感じていたのでちょっと印象が変わりそうだ。
 夕食後、一眠りしたら体調がやや回復。明日は気力の圧力が高まることを期待したい。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:112回
2回目:115回

2017年10月26日木曜日

選定

晴れ。
 天地鳴動の夢を見てしまい朝からヘトヘト。震度10を超える地震。津波が押し寄せ建物ごと押し流される。なんとか難を逃れたものの山の上にある神社の大きな岩がグラグラと揺れ海岸沿いでは噴火による溶岩が噴き出していた。そんな様子を比較的冷静な目て見ていたものの夢から覚める時はホッとした。天変地異を絵に描いたような夢だった。

 そんな天変地異の仮想体験をしつつ予定していた漫画を公開するため最終チェック。作画中は後で確認しようと思いつつ先延ばしになっていたことがそのまま残っていたりする。デザイン的にもうひと工夫したいところだが、前回の公開から既に15日経過していることもありそのまま公開することにした。特に締め切り設定しているわけではないのでズルズル先延ばしすることは避けたい。


 天気が良いようなので買い物を兼ねて自転車を出した。高い空に薄い和紙のような雲がちぎれて貼りついているようだ。まだ赤トンボも飛んでいる様子。紅葉は少しずつ進んでいる。近所の山の高い所に生えている赤松が気になる。父の話によれば山の八合目付近の西向きの斜面は松茸スポットになっているはず。もちろん雑木が混じりであるとかさらなる諸条件が必要だ。

《静かなる》撮影:2010/10/27

 今日の1ショットはどうしようと思いつつ産直の店に立ち寄る。すると原木なめこやムキタケ、そして今や貴重になっている野生のシメジが並んでいた。もともとシメジとは「占地」という字を当てていたらしい。スーパーで販売されているブナシメジも以前はシメジの名前で販売されていたが、本来のシメジとは別物で樹上に発生することからブナシメジと改められたと聞く。それにしても今日の1ショットのために手に入れるにはいささか高価であり白っぽい灰色なのでわかる人にしかわからなという伝わりにくさもある。地上に発生するシメジにも様々な種類があり中には毒を持ったものもあるので素人が見た目だけで判断するのは危険だ。
 色の主張が明確なパプリカも目に入ったが、面白味に関してはどうだろう。ハロウィンのカボチャのように細工をしたら面白いのかもしれない。
 たまたま野菜をモチーフに選んでいるだけで野菜でなくてはならない理由もない。財布も消費も追いつかなくなってしまうので選ぶのは意外と難しいのだ。

 そういえば、漫画の公開に夢中になっていて一食しか食べていなかったことに気づいた。スーパーで小さめのカレーパンと缶コーヒーを購入してひとまず胃をごまかした。



 日も暮れかかってきたので帰宅しなくてはならないと思っていたら夕焼けが美しく空を彩り始めた。太陽は西の山に沈んでしまっていても秋の雲は高いところにあるせいか遅れて夕焼け色に染まり始める。何度か自転車を止めて撮影しながらもう一軒のスーパーに立ち寄って帰宅。
 なかなかまとまらな走りながら漫画の次の展開を考えていた。考え続け、描き続けているとパズルのピースが急に繋がり始め一枚の絵を完成させることがある。その瞬間のために描いているのかもしれない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:115回

2017年10月25日水曜日

落胆

 曇り。気温は低め。

 思えば、始まりはいつも落胆しているかもしれない。
 不器用な上に勘が鈍い。センスもないし気も利かない。したがって何をするにも一旦つまずいてしまう。一回で覚えればまだしも繰り返し失敗をする。しかも失敗のパターンが変わる。趣味だったら許されるとしても仕事として取り組む場合は問題なのだ。自分の失敗しないためのルールが少しずつ増えていき失敗する回数は少なくなってもガチガチに融通が利かない。
 他の人がささっと出来てしまうことが真似できないのはそのためだろう。

 《光彩宣言》撮影:2011/10/26

 山で印象的なキノコを見つけたことがある。淡いピンクで形はいわゆる綺麗なキノコの形ではなくちょっといびつで不定形。匂いがなんだか不思議だった。土っぽい土着な匂いではなくオシャレでエレガントとでも言おうか。帰って調べてみるとどうやらフランスなどのヨーロッパで好まれるらしい。同じ種類のものが日本にあっても洋風な匂いがするというのは不思議だと思った。日本ではウケない匂いということなのだろう。
 食べたことのないキノコをを食べるのは結構勇気が必要だ。見かけたら観察するということを数年に渡って繰り返した。なにしろ日本ではあまり食べられていないキノコだからちょっと詳しいくらいの人に聞いても相手にされないかもしれない。
 ある年、意を決して調理することにした。図鑑にあったように一旦茹でこぼすと脆かった肉質が締まって崩れにくくなる。そして炒めてみると特有な香りがした。もちろん嫌な匂いではなく良い香りなのだ。一口食べてみてしばらく様子を見る。じっくり調べたのだから大丈夫なはずとは思っても図鑑では気がつかない別種のキノコであったりする可能性は捨てきれない。どうやら大丈夫そうだったので今度は多めに炒めて食べてみたのだが、美味しいというほどではなくむしろ香りが強すぎた。ここでまず落胆したものの数年に渡って悩んだこともあってそのまま食べなくなるのは悔しい。次からは野菜などを炒める時に少しずつ使うようにした。すると香りがちょうど良いアクセントになって美味しく感じられたのだ。
 色違いのキノコが存在することが後からわかった。同様に食べられるということだったのでコトなきを得たもののこういうコトがあるからキノコは怖いのだ。しかもさらに数年後、新たに毒成分が見つかったから食べない方が良いとの情報が図鑑に掲載された。キノコの世界ではこういうコトがたまにあるのだ。美味しいキノコだと思っていたので残念である。



 写真を撮ったり漫画を描いたりしていても似たようなコトに遭遇する。
 写真の場合は、見たままの印象で写らなかったり意図が表現できていないコトで落胆し、漫画の場合は毎度の様に描いた絵が気に入らない。どうしてこんなに下手なんだと落胆する。
 そのままでは悔しいので繰り返し撮ったり納得行くまで描いたりという道を辿るコトになるのだ。

 落胆せずに器用にこなせる人生はどうだろう。深入りせずにスイスイいろんなコトを楽しめるのだろうか。落胆に始まる苦悩の中に楽しみを見つけている様な気がするので不器用な人生も意外と悪くない気がしている。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:110回

2017年10月24日火曜日

踏襲

 晴れて爽やかな日。運動を兼ねて自転車で外出することにした。

 最近、1日1ショットということで撮影するようにしているため、今日は何を撮影しようかと考えながらペダルを踏む。紅葉のシーズンを迎えていることなので撮影できるものはいくらでもありそうなものだ。ただ、今の所は風景写真ではなく静物写真をテーマにしているので何か持ち帰って撮影したい。もちろん落ち葉やドングリでも構わないとは思っている。その季節のものであれば優先的に撮影したほうがいいだろう。


 《昇る月》撮影:2007/10/25

 この撮影には単品を取るという目的だけでなく将来的に合成写真など加工して利用することを想定している。加えてライティングの工夫だ。これまではスタジオ撮影でのストロボの配置を思い浮かべながら照明の配置を考えることが多かった。写真学校へ行ったこともないのに基本を踏襲しようとしてしまうのだろう。ここ数日続けていたら「せっかくなんだから色んな角度からのライティングや演出を工夫してみればいいじゃないか」と思い始めた。そうなのだ。写真というものは光の芸術でもあるのだと思う。光をどう捉え操るかということが作品に反映される。光は雰囲気を形成する重要な要素である。

 空腹感を感じたので安いラーメン店に入って食べようとしたら以前のような安売りメニューの垂れ幕がない。店内は混んでいるようだし無理して入ることもないと思い直しスーパーで小さいサイズの焼きそばを食べた。
 その後、産直の店に入ると見慣れない野菜が売られていた。撮影するにはちょうどいいかもしれないと思い購入。撮影後の調理も楽しみだ。
 その後もパソコンのお店やスーパーを廻っていつもより早い時間に帰宅した。



 少し前に考えていた隙間時間での活動をすっかり忘れていたので少しでも制作を進めようと漫画ソフトを起動した。ところがアイドリングなしではなかなか思うように描けない。悩んでいるうちに日が暮れた。
 定例業務でMacが使えない時間を利用して手に入れた謎の野菜の撮影。jpegデータの他にRAWデータも保存しているのでHDDがすぐいっぱいになるのではないかと心配している。

 最近、Macの様子が少しおかしい気がする。先日は突然のシャットダウン。今日は謎の発信音。中古で購入したこともありそろそろ限界なのだろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:110回

2017年10月23日月曜日

体感

 雨のち曇り一時晴れ。夜になって雨。台風21号は太平洋側を北上し北海道に雪を降らせたようだ。当地に関しては、風はやや強くなったもののほとんど影響はなかったと言っていいのではないかと思う。
 気圧の影響か眠気に支配されていたが、天候はまだ不安定でもあり昨日の買い物で何とかなりそうなので制作を進めることにした。

 描きかけのページのコマを一つずつ描き込んでいく作業は写真の現像で印画紙に像が浮かんでくるイメージに近い気がする。写真と違うのは描きながら修正を加えるので下絵と仕上がりでは違うものになってしまうことだ。未熟さの表れなのかなとも思うが、それも醍醐味だろう。

《寄合》撮影:2007/10/24

 夕方になって定例業務があったので複数のソフトを起動してみたところメモリ不足でほとんど動かなくなってしまった。例によってMacのスペック不足である。月曜日なのでセキュリティソフトが動いているかもしれないと思ったらバックアッフソフトがメモリを圧迫していたようだ。マシンスペックの問題はとかく体感速度だったりしてMacそのものの動作に変化はほとんどないのかもしれない。それでもよりによって作業中に動くのだから間が悪いとしていいようがない。そんなこともあってイライラが募っていた。少し落ち着きがないように感じたのは栄養管理ソフトでアドバイスされたようにカルシウムが足りていないせいなのかもしれない。魚を食べる機会が少ないのに牛乳も飲んでいない。夕飯時にそれを思い出し気休めに冷凍庫からシラスを取り出してご飯にふりかけてみた。



 若い頃、漫画家になりたいという夢がありながらその道へまっすぐ進まなかったのは様々な理由がある。技術もなかったし伝えたいことも何かわからなかった。本を読むことは好きだったとはいえ、自分で表現するということはまた別問題だ。家族や周囲の人に理解してもらうことも難しかった。
 それでも若くしてデビューする人はいたのだと思う。どうすればそんなに若くして作品をまとめられるの今でもわからない。漫画ばかりではなくイラストや絵画という分野でもまた若くしてデビューする人がいた。嫉妬や羨望が入り混じった感情で若くしてヒットしてしまうとその先が大変なのではないかと思っていた。
 作家年齢は購買層にも関係があるのかもしれない。漫画の場合は若い世代を中心に読まれていたので年齢的に近ければ感性も近いのではないだろうか。
 イラスト、絵画…と購買層を考えると描くことを軸にキャリアシフトすることが可能ではないかと思うことがある。実際、そのように活動されている作家さんもあるようだ。もちろん漫画でデビューするだけでも大変なのだからイラストや絵画へキャリアシフトするのは容易なことではないだろう。それにイラストや絵画に限らず、漫画もまた人生経験を積むことで作品に厚みや深みが出せるようになるのではないかとも思う。問題になるのは気力や体力、そして感性だろうか。生涯ペンを握り続けることは並大抵なことではないのかもしれない。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:115回
2回目:116回

2017年10月22日日曜日

果樹

 雨。こんな日に外出しなくてはならないとは…と嘆きたくなりそうな雨。雨具がないので自転車は使えない。片道15~20分の道のりとはいえ、道は水たまりだらけだろうから靴は浸水するだろう。雨が上がって履ける靴がないのも困るから捨てようと思っていた引退間際の穴の空いた靴を履くことにした。これでも雪の日なら水は入ってこないはずなのだ。買い物もあるとはいえ渋々腰を上げた。

 そういえば、ストックフォトに登録申請していた写真の一点が販売開始になったと通知が来ていた。
「1点?2点申請しているはずだけど、まだ審査中かな。」
 そう考えて確認したらもう1点はNGになっていた。これなら行けるだろうと思った写真をレタッチして申請しているのでNGになるのは面白くない。

《秋の光》撮影:2010/10/23

 最近、雨の日に出歩く機会はほとんどない。ましてや南の方から台風が北上中となれば外出するのが億劫になるのも仕方なかろう。ストックフォトでNGになった写真を思い出して時折不愉快になる。
 歩き始めて間もなく果樹園の柿が視界に入った。完熟まではまだ少しある青みのある柿の実が雨粒を弾きながらも濡れている。なんだか清々しい気分になった。
 雨の日の散歩もたまにはいいのかもしれないと気分を切り替えて歩き始めたら道が冠水しかかっている。すでに靴の中は水が浸み始めていた。すると通りかかったのは梅の木の果樹園だ。黄葉して散った葉が緑の苔の上に散らばっていて綺麗だった。そこでまた気分を持ち直し目的地から帰る時に数枚の写真を撮った。道沿いの花壇には色とりどりの花が咲いていて目を楽しませてくれた。

 スーパーに立ち寄って買い物。明日には台風の影響も過ぎて買い出しにまた出られるだろうと思うので普段通りの買い物をした。



 帰宅して遅い昼食をラーメンで済ませた後、ドッと疲れが出て眠気に襲われた。1時間に満たない外出でイビキをかいて眠るほど疲れるとは。

 昨日産直の店で買ってきた果実の写真を撮って投稿する際、念のために調べてみたらカリンではなくてマルメロだった。毎年間違うような気がする。カリンの方はフットボール型で実がツルンとしているのだ。昨日買ってきた果実は実が丸く微毛がある。地域によっては混同しているところもあるらしいから仕方ない事かもしれない。それにしても風景写真でないとほとんど反応がない。いや、風景かどうかというよりデザイン性だろうか。要は面白実がないのかもしれない。気が楽といえば楽だけど、モチベーションは上がらない。問題はこれが基盤の準備期間であるということを忘れてはいけないということだ。反応がないからと放り出してしまうと基盤すらできない。しばらくは我慢が必要ではないかと思う。

 しばらく写真に注力している感じがあるので少しでも描こうと漫画用のソフトを起動して加筆することにした。少しずつではあるが描き進められてはいるはずだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:120回

2017年10月21日土曜日

完熟

 曇り時々小雨。南の方から太平洋岸沿いに台風が近づいているらしい。かなり大きいようで台風の目もはっきりしているという。

 早めに寝たら長く眠れるし早く起きられるのではないかと早めに布団へ入るようにしているが、なかなか寝つけないばかりか起きる時間はいつもと大差ない。どうしても朝は弱いらしい。

《ライフライン》撮影:2010/10/22

 昨夜は夢も印象的で起きてからも3本立てで覚えていた。

 一つ目はハウス栽培の苺を試食する夢だった。苺と言ってもメロンサイズである。葉っぱも大きかった。せっかくだから完熟したものを食べればいいのにまだ白っぽいところの残る苺を食べたので酸っぱいようだった。半分ほど食べたが満腹になるサイズだ。

 二つ目の夢はジューサーの中に魚が泳いでいた。魚はボクが拾ってきたらしいのだが覚えていない。サバのようなスマートな魚だと思って夢の中で調べたらダンゴウオのようだった。ダンゴウオと言えば最近ネットで見かけたヘンテコな魚じゃないかと思ったらスマートだったはずの魚がアンコウのような姿に変わってしまった。

 三つ目の夢は一旦忘れたのだが、後で思い出した。
 駐車場で大きなワンボックスタイプの二台の車が駐車しようとしているのを見ている夢だ。後ろに気がついているのかいないのか二台の車がバックしてぶつかりそうになった。すると一方の車がクリームのようにやわらかくてもう一方の車がスポッと突き抜けてしまった。大きな穴が空いたが何事もなかったかの様に駐車を続けていた。

 何の脈絡もないシュールな展開だが、夢を覚えていると満足感の様なものは残る。

 台風が来る前にということもあり買い出しを兼ねて自転車を出した。
 空は全面雲で覆われいつ降っても不思議はない。ただ、比較的高い位置の雲だったのでしばらく大丈夫だろうと判断した。いつも立ち寄る携帯ショップではまた新たなキャンペーンが始まっているようだ。例によって内容がさっぱりわからない。壊れたとか調子が悪いと言った必要がなければ相談することもないのかもしれないと思う。実際、相談してみても出費が増えるだけで本当の意味でお得だったことはないような気がする。
 そもそもWebのコンテンツを作っていない通信業者が利益を上げてもコンテンツの提供者は無償で提供していることも少なくないだろう。考えてみるとおかしな構図である。



 スーパーや産直の店を自転車で廻りながら今日の課題はどうしようと考える。
 一日1ショット撮影することを課題にしてから数日経った。すでに「今日はどうしよう」と考えることがしばしばある。撮影台は決まっているのでモチーフをどうするかが問題だ。昨日はみそラーメンだったので今日は醤油でいいか…と思ったりもする。自分が楽しめなければ続かないだろうということもあり連続でラーメンは避けたいところ。撮影後の現像やレタッチも一手間かかるのだから出来れば後で意味のある撮影にしたい。幸いにして実りの秋だ。旬の野菜や果物が迎えてくれる。キノコなどの山のものが不作の傾向と聞いているが、気のせいか今年は紅玉が元気のような気がしている。完熟した紅玉の赤は黒っぽく見えるほどだ。

 電機店とホームセンターに立ち寄って照明器具について調査。近隣の電機店ではRa84の照明器具が高演色の最高値のようだ。意外なことにそのあと立ち寄ったホームセンターにRa90のLED照明があった一つで2,500円程度だから3灯なら7,500円くらいの予算を考えなくてはならないだろう。ストロボを買うことを考えればかなり格安とは言え出費としては少なくないので悩むところだ。試しに一つずつ買ってみるということを考えた方がいいだろうか。

 普段立ち寄らないスーパーに入ってみると店内の様子が刷新されていた。フードコート近くでは食事できるメニューが充実し価格も手頃に抑えてあるようだった。こうなるとちょっとリッチな雰囲気のフードコートが登場しても不思議はないのかもしれない。探していたコーヒーが手に入ったのでラッキーだった。

 少し降っていた雨が帰宅後に強くなったようだ。

 考えてみれば、日々の生活の中でそんな課題がいくつかある。
 一つは毎日のストレッチと筋トレ。一つはこのブログ。そして最近始めた一日1ショットの撮影。課題をこなしたからどうなると言うわけでもなく、やめたっていいこととは言え何となくやめるのも嫌なので納得いくまでは続けたい気がしている。課題ではなくても平日の通常業務や毎日の食事の準備もやらないわけにはいかない。
 会社や組織の様に上司やクライアントから出された課題をこなす日々ではないのだから自分で考えた課題をクリアしていくのも必要なことではないかと思う。

 幸か不幸か昔から仕事を片付けるより増やす方が得意なのだから。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:115回
2回目:115回

2017年10月20日金曜日

白熱

 雨。霧のように細かい雨が降っていた。買い物も気になりつつ雨の中を歩いて行くのも億劫だ。

 昨日撮影した焼きそばの写真の色が納得いかなくて夜な夜なストロボだの撮影用の照明だのと調べ物をしていたせいでひどく疲れが残っていた気がする。




 現在、使用していなかったパソコンデスクを撮影台として利用している。周囲を白いマット紙で囲み光源は白熱灯。2灯で撮影しているが必要に応じて3灯にすることも可能だ。写真用機材はとかくお金がかかるので最低限必要と思われる構成にしてあるのだが、問題は白熱灯である。たいていのカメラは白熱灯用のWB(ホワイトバランス)が組み込まれているのだが、これがイマイチスカッとしないのだ。そもそも太陽光が基準なのだから無理な話ではある。無理は承知でなんとかしようとデータ上でさらに色味の調整を試みるわけだ。
 四苦八苦した挙句に労力が報われるとは限らない。なんだか眠たくなるような仕上がりになってガッカリすることも珍しくないのだ。

 町の写真館にしても広告用の商品撮影にしても高品質のものを求めるのは失敗する可能性を出来るだけ排除するためでもある。もちろんその上で良いものを生み出す必要があるわけだ。そう考えると光源に白熱灯を利用しているというのは褒められてものではないのだ。案の定、毎回色調で悩んでいる。

 《季蜜》撮影:2010/10/21

 方法としては大きく分けて2つ。一つはストロボでもう一つは照明器具だ。
 ストロボの場合はまともに買おうとすると安くても数万円ということになるだろう。しかも多灯式ともなれば2倍、3倍の予算を組まなくてはならなくなる。古いフィルム時代のストロボが使えないか調べてみたが、電圧の違いや調光のことなどもあって好ましくないようだ。他にもスレーブユニットというものがある。1灯のストロボ発光に反応して他のストロボが発光する方式だ。この場合は複数のメーカーが対応しているようだ。ただし、どのメーカーの製品に信頼が置けるかさっぱりわからなかった。
 照明器具の場合は、レフランプというものがある。いや、生産終了になっているようなのであったというべきだろうか。青い色をした大きなランプで確か写真を複写する時に使っていた覚えがある。パソコンもデジカメもない時代だった。ちょっと気になったのは演色性の高い照明器具だ。最近はLEDを推奨する記事も少なくないようで Ra90という演色性の高いライトの他にRa95を実現しているというライトもあるようだ。言うまでもなく白熱灯と比べれば安くはない。

 こうした機材はオークションを探してみても割と高音のような気がする。必要な人はいても持っている人は使用頻度が高くないので状態がいいのかもしれないと想像する。ネット徘徊しても数千円のランプを買うか買わないか悩み続けるのがオチだから脳内が白熱するのが関の山だ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:110回

2017年10月19日木曜日

隠喩

 雨。やはり寒い朝。山では雪でも降っているのではないだろうか。
 昨夜、寒さを見越して布団を一枚増やしたせいか壮大なスケールの夢を見た。ファンタジーでありながら腑に落ちる隠喩に感じられるエピソードもあり今後の作品テーマになりそうな予感。覚えている間に書き留めてかないと時事刻々と忘れ始める。エピソード意味を考えたりしている間にも夢は徐々に霧散してしまうのだ。

《紅雲》撮影:2011/10/20

 印象が強かったせいか今日はかなり書き留められた気がする。時系列が曖昧な部分もあってどっちが先のエピソードだかという点について迷う部分はあった。順序が変わるとメッセージの意味も変わってしまいかねない。

 数日前から始めた1日1ショット。何かいいタイトルはないかなと思案中。撮記とか随撮とか…取り敢えず飽きるまでやってみようじゃないかということで昨日はスーパーで買った鶏の唐揚げ。せっかくなので使い方に迷っていたEyeEmを利用することにした。EyeEmはストックフォトとしての販売機能もあるらしい。今の所は習作なので小さめのサイズにしてアップしてみた。EyeEmはアカウントのアイコンもまだ設定していないのでそのうちやらなくてはと思ってはいる。




 描かないと仕事しなかったような感覚になるのは良いことだろうか。寒い日だったので随時暖房を入れつつ気がつけば夕方。定番の肉じゃがを作っているうちにもう夜である。今日は外出もしなかった。こういう日が徐々に増える季節だ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:110回

2017年10月18日水曜日

段階

 晴れのち曇り。気温低め。
 例によってエンジンのかかりが良くないもののなんとか制作に着手。描きかけのページのコマを描いていく。

 どれくらいのレイヤー数を考慮しているのかわからないが、主線+彩色+背景+ベース…と、一コマだけで最低4枚くらいのレイヤーを使用することになる。他に下絵や枠線、セリフやテキストデータなどが付加されるからレイヤー数はどんどん増える。ページ上での構成に問題がなければ、他のファイルで描いてからコピーすることもある。その場合は当然手間が増えることになる。

 描き始めてしばらく集中できていたようで気がつけば夕方だった。

《秋彩》撮影:2009/09/19

 今日は買い物しなくてもいいとも思ったが身体を動かすのも大切なので自転車を出す。あたりは既に暗くなっていてライトの必要を感じるほどだ。寒くなり始めているのにジョギングの人とすれ違ったりする。立ち止まった途端寒く感じるのではないだろうか。遠い山並みを眺めつつペダルを踏んでスーパーを二軒はしごした。

 最近、写真を撮る機会が少ないので一日1カットの写真を撮ることにしてみようかと考えた。風景や生き物の写真など屋外のものは時間もかかるので室内で撮影できるものという設定だ。モデルは何でもいい。身近にあるものをパソコンデスクを利用した撮影台を使って撮影する。昨日は冷蔵庫にあったニンニクを撮影してみた。シャッターを切って仕上がりを見るとカメラのモニターで確認するより暗く仕上がるようだ。そのデータを踏まえて今日はスーパーで購入した鶏のから揚げを撮影。シャッタースピードが1/15~1/30でf値は5.6か8.0と言ったところだろうか。手持ち撮影をしているが、シャッタースピード的には既に三脚が必要である。露出を変えたりして何枚か撮影した。

 撮影を終えてみるとキャベツの千切りとかレタスを添えるべきだったとか照明が立体感に欠けると言った要素が見えてくる。
 継続することの大切さは飽きることにあるのかもしれない。飽きて投げ出してしまうこともあるかもしれないが、飽きることによって次は工夫しようという欲求が生まれるのだ。

 飽きて興味を失うまで続けてみることが次の段階へ進むための鍵なのかもしれない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:115回

2017年10月17日火曜日

擬態

 晴れ。所有のため外出。コンビニを出たところで足元にアマガエルがいることに気がついた。水道設備の蓋の上にうずくまってどうやら日向ぼっこを決め込んでいるようだ。それにしても格子模様になった蓋の模様を真似て背中を普段の黄緑色ではなく白黒っぽいまだら模様にしている。実際の格子模様よりスケールが小さいとはいえ見事な擬態と言うべきだろう。接写してもじっとしているのが可愛かった。

 《残照》撮影:2002/10/18


 地元を離れる人がいる一方でUターンしてくる人もいる。地元以外を知っているからこそ見えることもあるだろうと思う。しかし、それが活かせるかというと必ずしもそうではない。受け皿がないのだ。これまで出会った人の中にはせっかくUターンしてきたのにまた都会へ出る人もいた。役に立ちたいという想いが活かせないのはもったいない…と思いつつ解決策があるわけではない。おそらくずっと地元にいる人にもわからないのだ。

 あちこちに立ち寄って用件を済ませつつ、以前立ち寄ったことのある店へ行ってみた。パソコンの販売や修理を手がけているようで珍しくMacの相談にも乗ってくれるという。すると応対してくれた人がどこかで会った気がした。前回訪ねた時に留守番をしていると言っていた人だろうかと思ったが、前回は会えなかった店長さんのようだ。
 不思議に感じながら今使っているMacのメモリの増設が可能かとか新品を購入すべきかという日頃誰にも相談できないことを相談してみる。結論から言えば、新品が安くなっているのでトラブルを避けるためにも新品の方が良いだろうという話だった。少しでも安く済ませることを優先するあまり多少のことには目をつぶろうとしてしまう。新品が良いという結論は至極自然なことだ。もっとも現在使用しているソフトが動かない危険性がなくもない。本来なら少しずつバージョンアップすべきなのだ。

 話に枝葉をつけていくうちに以前訪ねたことのある電器屋さんの話になった。すると意外な展開になった。その店にいたことがあるという。記憶を辿る…以前訪ねたのはもう5年以上前になるはずだ。するとその頃ちょうど店にいたという。道理で初対面の気がしないわけだ。そこの店でもMacを扱っていたということで地元では稀有な存在なのかもしれない。当時のことはよく思い出せないが、今回は初対面ではないことになる。どうやらUターン組ということなのでそう言う面でも話ができるかもしれない。心強い再会だった。

 その後、また所用を済ませつつ時々立ち寄るリユースショップへ入った。概ねいつも通りの商品の中にモバイルバッテリーを見つけた。スペックがよく解らないながらインターネットで見かけた気がする。桁が一つ足りないのではないかという価格設定なので買っておいて損はないのではないかと思う。こういう掘り出し物があるから侮れないのだ。ただ、中古のバッテリーの場合は放電している可能性はないのだろうか。随分以前に購入したノートパソコンはバッテリーがすでに放電していた。パソコンの場合はコンセントにつないで使うので大きな問題にはならなかった。しかしバッテリーが放電していたら全く無意味である。それで価格設定が安いのかもしれない。
 ふと、すぐそばにMac miniが陳列されているのを発見した。今使っているMac miniより新しいタイプでメモリの増設可能な人気モデルだ。妥当と思われる金額よりやや高めな気はしつつ需要を考えると高くもないのかもしれない。仮にメモリの増設をしなくてもCPUがやや早いのでストレスは少ないのではないだろうか。いても立ってもいられなくなって店を出た。メモリを増設する場合どれくらいの費用が加算されると計算すべきだろうか。少し冷静になって考えようと思った。
 それからスーパーや携帯ショップに立ち寄って帰宅。

 調べてみたところ安いメモリなら1万円前後で希望のスペックになりそうだ。すると現行機種の最も安いモデルとほぼ同程度の金額ということになるだろうか。ただし現行機種よりメモリが多いことになる。現行機種に同程度のメモリを搭載することを想定すればやや安い計算だ。
 しかし…と、もう一度考えてみる。なぜ新しい機種が必要なのかと言えば、日々の業務を円滑にするためだ。ストレスを軽減するためだ。今日立ち寄ったMacの修理販売をしているお店のMacの起動速度と言ったら現在使用しているMacより優に3倍は早いだろう…それだけ?問題なのは速度が早いだけでは業務をこなせないということだ。やや安く買える程度の中古を買ってしばらくしてまた買い換える必要が生じるのかもしれない。

 環境も機材も食事もすべて用意しますから心置きなく漫画を描いてください…なんて誰か言ってくれないだろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:115回

2017年10月16日月曜日

燃焼

 曇天の寒い日。暖房の試運転に良い時期と思い稼働させたらそれきり通常運転。どうやらこの寒さは遥か南西の台風が呼び込んでいるようだ。例年、ファンヒーターの温度設定は最低にして使ってきたが、長く使ってきた生か不完全燃焼とは行かないまでも臭いが気になるようになった。今年は少し高めに設定しようかと考えたりする。北海道では室温が20℃になるように設定されているらしい。参考にしようと思う。

 昨夜はどういうわけかなかなか寝つけず眠りも浅かった。こういう時は腕立て伏せをしても力が入らない。睡眠の質が体調に影響するのだということを痛感する。

《紅葉飛沫》撮影:2009/10/17

 寒くて外出する気にもなれないため買い物もパス。お陰で制作に打ち込むことができた。打ち込む…とは言ってもいつものように修正と加筆の継続。先に描いたカットのイメージに沿うような背景を3Dソフトで用意しようとしたらアングルの調整が難しく何度もやり直し。漫画なのだから微妙なズレがあっても大きな問題ではないと思いつつ後々つじつまが合わなくなるような気がするので可能な限り合わせておきたいのだ。背景を3Dソフトで制作する場合、意図したアングルに位置決めすることが難しいこともある。

 睡眠が浅かったせいで半覚醒状態を引きずっているのか唐突にアイディアが浮かんで来る。いつもなら歓迎するところなのにちょっとめんどくさかった。描き留めておかなくては忘れてしまうし作業を中断すればまた横道に逸れてしまいかねない。辛うじてラクガキでアイディアを繋ぎ止め作業続行。

 3Dソフトや漫画用のソフトを慣れない身のこなしで切り替えて一つのカットに仕上げていく。千手観音のようなペンさばきで作業できるようになるためにはまだまだ経験が必要のようだ。
 心技体のバランスが大切とは武芸やスポーツで言われる言葉だったろうか。漫画を描くことにも通じるような気がする。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:108回

2017年10月15日日曜日

先陣

 曇り。気温が低めで肌寒い。昼過ぎの時点で室温が20℃。暖房を入れるほどではないもののこの機会に暖房機器の試運転をしてみた。最初は寝ぼけたようにぐずっていたが、間もなく運転開始。ずいぶん長く使っているファンヒーターだ。1年で故障するという話も聞くので17年も故障しないというのはタフだなぁと思う。最低温度設定だと臭いがするようなので今季は少し使い方を変えてみようかとも思う。

 何事も期待通りに進むものではないと心得ているつもりでいてもつい期待をかけてしまう。期待が圧力になってはいけないと思いながらも心は残る。遠くへ行くためには仲間がいた方がいい。けれど、その仲間に依存してしまっては進めたい方向へは進めないだろう。ことが思うように運ばない時、何かに依存していないかと自らに問いかけてみるべきだ。無理矢理に方向転換をしようとすればはじき出されるだろう。それでいいのかも知れない。一人でも進みたい方向へ歩き続ければ同じ志を持つ新しい仲間に巡り合えるかも知れないのだから。


《山稜の月》撮影:2005/10/16

 いつものようにブログの写真を加工していたらまだ手掛けたことのない手法が見えた気がした。技術的には今までより難しいレベルに挑戦することになるだろう。
 最近、難しいことをやろうとしすぎているのかも知れないと思う。自分のレベルを基準にして常に上を目指せば技術は高まっても心が置き去りになるのかも知れない。求められているのは難しいことよりわかりやすいことだとすれば、理解されないのはむしろ自分自身に問題があるのだ。シンプルさが好まれるのはそこに理由があるのかも知れない。
 技術的にどうあれ結果的によりわかりやすく胸に迫る作品のスタイルになれば良いのではないだろうか。もう少し脳内で練ってから折を見て挑戦したいと思う。

 もしAIが脅威になるとすれば、技術的な模倣の枠を超えてまだ誰も気がつかない領域を表現するようになることだろうか。将棋の世界や社会の分析などでは既にその片鱗が見えているようだ。写真やイラスト、絵画や音楽といった芸術分野でもそれほど遠い将来のことではないかもしれない。ただし、前衛的な芸術表現は受け入れられるまでの社会的な醸成を必要とする場合もあるだろう。一歩先に焦点を当てられるかどうかがポイントかもしれない。先陣を切ったところで結果が出せるかどうか別問題。昨今の話を聞いているとそれすらも時間の問題なのだろうかとも思う。豊かな社会のために一役買ってくれるならそれも悪くないのかもしれない。

 漫画の制作をしているうちに日が暮れた。たった一コマでこれだから時間がいくらあっても足りないのが現実なのだ。

 夕方になって買い物ついでに外出。曇り空なのですっかり暗くなっていた。いつものスーパーへ行くと野菜が大安売り状態。来店客がひしめき合っていた。昨年台風で打撃を受けた野菜も回復しているようで何よりだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:105回

2017年10月14日土曜日

秋祭

 曇りのち晴れ。
 今日は地元の農林水産祭だということを思い出して出かけることにした。寒いような気がして衣類を探すのに30分ほど手間取り、結局いつもの格好で自宅を出た。
 農林水産祭と言っても農産物は産直の店に時々出向いているのでどちらかというと木工だろうか。珍しい農産物があればという興味もある。

《遠き山》撮影:2016/10/15

 駐車場を利用した広い会場にイベント用のテントを設営して農産物や林産物を販売している。木工コーナーはかなりたくさんのテントで家族連れが楽しんでいる様子。お父さんの腕の見せ所だ。
 白いナメコなるものが紹介されていた。突然変異でこれから量産できるようにするらしい。白いナメコの味噌汁というのも面白いかもしれない。ネットでチェックしていた木工屋さんも出店していた。木工には興味があって自分で出来る機会がないかと調べている時に見つけた木工屋さんだ。教室も開いているとのことだが、定員20名がすぐに一杯になるという。それだけ関心も高いのだろう。

 興味深かったのは苔玉を販売しているテントだった。苔は水分が足りなくても枯れないのだという。言われてみれば、石の上に生える青々とした苔を見かけることがある。むしろ水分が多すぎて腐ってしまうことはあるらしい。そして苔にはたくさんの種類がありそれぞれに性質が違っているとか。多くの種類があって分厚い文献もあるのに手頃な図鑑がないらしい。時々写真に撮ることがあるが名前すら知らずに撮っている。奥が深そうだから撮影した苔の名前を調べるところから始めるのもいいかもしれない。

 毎回お腹を空かせながら何も飲み食いしないのもどうかと思い色々悩んだ挙句に芋煮を食べることにした。おばちゃんの具材の入れ方を見ていたら大きな鍋から芋煮やきのこを確実に掬い上げてお椀によそってくれた。そんな名人芸があったのかと感心してしまう手捌きだ。少し薄味に感じたものの里芋はトロリと溶けそうに煮込まれていてきのこが良いアクセントになっていた。キノコの名前を聞いた所、オリミキと言っただろうか。ナラタケのことだそうだ。

 他にも団子やラーメン、焼きそばやトマトパスタなど気になるものはたくさんあったが、いかんせん出かける時間が遅い。しかも財布の中身が寂しい。通り過ぎた女の子が「お金持って来れば良かった」とひとりごとを言って通り過ぎていった。あと少しという所で終了の時刻となった。人の集まりが鈍くて暇そうなテントもあったので明日はぜひ盛り上がって欲しいものだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:101回
2回目:108回

2017年10月13日金曜日

幻日

 曇りのち晴れ。徐々に気温が下がっているようだ。そのせいかいつもより気力が高まらない気がする。SNSを巡っているうちにやる気スイッチがONになるだろうと思ってもグルグルと同じコースを巡っているようだ。
 そういえばSNSのコミュニティのオーナーに昇格したとメッセージが来ていた。参加したものの投稿はしていないはずだ。どういう経緯でオーナーに指名されたのかよくわからない。権限を確認してみたらオーナーだけに全権ではないだろうかと思う。責任重大である。どういうわけでこうなったのだろう。


《収穫後》撮影:2012/10/14

 何とか漫画のソフトを起動して昨日準備してあったページレイアウトを配置してみた。
 流れを見ながら挿入したいコマが出てきたので編集することにした。以前の制作段階ではそのまま公開できるくらいのレベルにしておいたつもりが今や下絵扱いだ。ページを追えるように作った流れが変更を余儀なくされる。ギュッと圧縮されたストーリーをアコーディオンのようにい引き延ばしているようだ。

 そうこうするうち珍しく電話が鳴った。ほとんどネットでのやりとりなので電話というと不安を覚える。そういえば今朝方の夢見も良くなかった気がする。

 電話に出てみると何のことはない太陽の方に虹のような縦の光が見えるという知らせだった。夕方近い太陽の方向に虹が出るわけはない。以前は環水平アークの出現を知らせてくれた知人なので侮れない。幻日という現象かもしれないと思ったが、電話するほどのものが出たのを見たことはない。そして話しているうちに見えなくなってしまったという。いずれにせよ外に出たって見えないだろうと思いお礼を言って電話を切った。
 ところが、少し後で外出してみると西に傾いた太陽から少し離れたところに虹色の光彩が出ていた。予想した通り幻日だと思われるが、これまで見た幻日の中では最も輝きが強く大きい気がする。雨で大気が澄んだ後に気温が下がったためだろうか。幻日は太陽に近い方向に出現するということで撮影するのが難しい。移動すると見えなくなったりするのでその場で一応何枚か撮影してみた。
 そういえば、以前に環水平アークを知らせてもらった時は天頂部に白い幻日環が出現していた。巨大な天使の輪のようで幻日環という呼称とは裏腹に非現実感を味わったのだった。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:115回
2回目:120回

2017年10月12日木曜日

志向

 曇り時々晴れ。昨日、魚を食べたせいかやや早めに目が覚めた。魚介類や海藻は時々食べたいと思いつつ安いわけでもないのでつい敬遠してしまう。

 日々取り組んでいることがあると言っても結果の出ない毎日をまともに考えていたら根から腐ってしまう。すでにいくらか腐っているだろう。自覚がないだけだ。そんな時の肯定的な言葉は静まり返った心に美しい鐘の音色を鳴らすような響きがある。もう歩くことも適わず立っているだけが精一杯だとしてももう一歩、あと一歩前へ進むための希望の音色だ。
《ススキ野原》撮影:2002/10/13

 きっと漫画を描く上で必要なことなのではないだろうか。人生は楽じゃない。身も心もすり減らすような社会生活を送っているのにさらに辛い作品は必要だろうか。自虐的な笑であれブラックユーモアであれ笑いの要素があればこそ活力につながるというものかもしれない。むろんハッピーな笑いであるに越したことはない。
 時には涙が心を洗うこともある。悔し涙や悲しい涙も時には有効だろうか。なんと言ってもハッピーな涙であるに越したことはないだろう。そう考えると泣いたり笑ったりが許されるのはハッピーな作品ということになるだろうか。

 長くかかっていた作品のトップページを公開した。まだ直したいところもなくはないが、いつまで温めていても発酵して熟成することはないだろう。先へ進まなくてはならないのだ。ただ、内容がハッピーかというと疑問が残る。浮かんだネームを描き起こしてみたら雰囲気をハッピーにすることはできるかもしれないと思えた。苦しいことも悲しいことも辛いことも呑み下し幸福感を表現するのは容易ではない。偽善と言われても解釈を変え幸福を志向することも必要なのかもしれない。少なくとも作品の中で幸福感が得られることが大切ではないだろうか。まずはまた一歩踏み出した気がしている。



 所用のため自転車にて外出。書店に立ち寄ると「発酵」に関する書籍が目に入った。パンやお酒など発酵が関わっていることは少なくない。ゆっくり読んだら面白いかもしれない。しばらく行っていないうちに書店には簡易的な喫茶コーナーができていた。100円で紙コップ式のコーヒーが飲めるようだ。購入した本をゆっくり読むためのスペースと考えていいだろうか。喫茶店を併設する店もあるのでどこまで有効かわからないにせよ本を読む機会も少なくなっているので面白い試みだと思った。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:112回
2回目:118回

2017年10月11日水曜日

塵芥

 雨のち曇り一時陽射しあり。過ごしやすい気候のせいか起きてからもしばらく眠い。夏と冬は眠気で命の危険を感じるので仕方ないのかもしれない。買い物の必要も感じていたが、断続的に雨が降っていた。

撮影:2002/10/12

 昨日、少しずつ制作を進めていた作品の表紙を更新。手掛けてから時間が経っているので絵柄が変わってきてしまった。セルフカバーといえば聞こえはいいが、未熟さの後始末といった感がなくはない。いずれにしても当初考えていたよりキャラクターの存在感が増したのではないだろうか。時間を無駄に過ごししていたではないのだと思いたい。


 改めて作品について考える。
 人生に分岐点はつきものだ。同じように物語にも分岐点がある。結末は決まっているもののどの筋道を辿るかによって作品の意味が変わる。物語について繰り返し考えるうち違った可能性が見えてきたりする。閃きというのは思いついた時は素晴らしいものであってもなんども検証を重ねるうちに矛盾をはらんでいたり破綻していたりするものだ。慎重に検討する必要がある。ましてや物語の持つ意味を深めるのか塵芥に帰してしまうのかという鍵を握っていることが少なくない。何度もひねって考えているうちに元々の目的を見失ってしまいかねないこともある。
 集中と解放を繰り返しながら物語を紡いでいくのだ。

 今日はやっぱり描きかけの作品の続き。表紙にあたるページのためか時間をかけすぎている。後で更新することも想定しつつ一旦公開しておくのがいいかもしれない。そうでないとなかなか先へ進めないのだ。とは言え、投げ出すわけではないから必要な体裁を整えようとタイトルを配置していたらソフトの限界なのか文字のアウトラインに欠けが発生した。別のソフトを起動して編集しようとしたら今度は使い勝手が違うので若干混乱。それでもなんとか形になりそうだった。問題は書体の選択だ。使える書体がかなりたくさんあるので適切な書体を選択するために時間がかかる。しばらく検討していたら夕方になってしまった。
 雨が上がっていたので作業を中断して買い物のため自転車で外出。辺りはすっかり暗くなっていた。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:117回

2017年10月10日火曜日

先輩

 曇りのち晴れ。

 気がつけば先を行く人が見当たらない。先輩だったり先人だったりが歩いたであろう道をしっかり歩けているのたろうか。

 子供の頃、身体に似合わない大きなランドセルを背負って小学校まで歩いて通った。1km?それとも2kmくらいだろうか。子供の感覚では途方もなく遠かった。風の日、雨の日、そして炎天下の日。雪の少ない地方だったので雪道を通ったことはないはずだ。通学路沿いには防火用水があったり放置された藪があったり坂道も砂利道もあった。
 ランドセルは授業のための教科書やノート、それから筆箱や連絡帳などを普通に入れるだけでいっぱいだったし書道の道具や給食袋が必要な場合に至っては手提げの荷物が増えていた。
 あの電柱まで頑張って歩こう。次はあの電柱。そして…効率最優先の現代社会では通学時間が長いことは褒められたものではないかも知れない。それでも基礎的な体力とかあと一歩進むという行為を毎日続けていたことは無駄にはなっていないような気もする。


撮影:2003/10/11

 高校を出て社会に出れば職場には上司や先輩がいた。転職が多かったお陰でいつしか年下の先輩も珍しくはなくなっていた。
 先輩とはいつも先を歩く人だった。わからないことがあれば相談できるのが先輩だった。

 漫画を描いたり写真を撮ったりしていてもわからないことや相談したいことは次々に出てくる。調べ物が必要になることも少なくないし、それぞれの分野には先駆者がいて様々な活動を展開している。ただ、どの道が正解とか間違っているというものではない。そして進むべき道を考えた時、いつの間にかどの道も該当しないような気がしてきているのだ。

 もしも先駆者のいない道を進もうとしているなら進むべき方向の判断も安全確認も試行錯誤の中から学んでいくしかない。

 先日から取り組んでいる漫画のページを確認していてふと思った。
「まだ1ページ目だ…先は長いぞ。」
 目の前のことに集中していたがため先のことが見えていなかった。全体に深めていかなくてはならないのに1ページ目にかかりきりになってしまっていたのだ。由々しき事態である。思えば、目の前のことが納得できるまで先へ進めないのは若い頃からの傾向だった。その都度先輩が先へ進むことを促してくれたのではなかっただろうか。その度に納得が行かず不満を漏らし反発もしてきた気がする。無駄にプライドが高く自らの未熟さが原因とは思いたくなかった。

 全体を見渡すことで次に取り組むべきことは見えてくるだろうか。またイチイチ煮詰まったり躓いたりするのだろう。それでも一歩ずつ先へ進む必要があるのだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:105回

2017年10月9日月曜日

漫然

 曇りのち晴れのち雨。日中は爽やかで比較的過ごしやすい日になった。

 思うところあって自転車で外出。ちょっと視点を変えた写真を撮ってみたかったのだ。ここ数日、気温は上がっているものの秋は麓にも少しずつ下りて来ている。街路樹や公園樹の紅葉、赤とんぼ、季節の花。ススキの穂が風に揺れていたり田んぼでは稲刈りが進んでいたり。

撮影:2015/10/10

 写真映えするようなスポットへ遠出すれば個人的な満足感は得られるとしてもそれ以上を求めるののは難しい。例えばストックフォトで販売することを考えると名所の写真は撮り尽くされているばかりか足繁く通わなければ撮れないような写真がひしめいている。しかし、視点を変えることで見ているのに見えていないものを再認識することができれば、近所であっても十分なのではないだろうか。見慣れてしまっている風景の中に魅力を見出せるかどうかがポイントだ。
 地域起こしなどでも言われることだが、ありふれていると感じている地元の魅力に気がつくことは難しい。ある意味では外を知らないと内には気がつけないものかもしれない。

 自転車を走らせてスーパーでパンとコーヒーを買い、近所の公園へ行って写真を撮りつつ軽い昼食にした。
 公園のイチョウ並木はそろそろ黄葉が始まっていて銀杏の実がたわわに実っているのが見える。ここ数年、春の桜の時期と黄葉の時期になると訪ねているのでもう見慣れた風景になってしまっているのは確かだ。その見慣れた風景の中に考えていたテーマに沿って撮影できるかと被写体を探す。
 言うは易く行うは難し…何事もそうだ。テーマが決まっているのにそのテーマを捉えて撮ることは容易ではない。それは対象が自分の創作物ではないためかもしれない。これまでも度々テーマとしてきたことなので今更感がなくもないが、そのテーマをクリアできていないことが問題なのだ。

 機材の性能が高まっているのでともすれば撮影者の技量が問われなくなりつつある。しかし、今の所はまだ「何を撮りたいか」という意図は撮影者が握っているはずだ。漫然とシャッターを切っていると撮るのではなく撮らされているような写真になってしまう。本当に意図を持ってシャッターを切っているのか意識することが大切なのかもしれない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:116回

2017年10月8日日曜日

回路

 晴れ。気温が上がったのは久しぶりの気がする。昨夜なかなか寝つけなかったのは気象の変化を感じ取ったせいだろうか。増やした衣類をまた減らすほどの暖かさだった。

 今日も昨日の続きを作画と制作。作画の工程は制作の一部でもあるわけだが、3Dデータの編集作業や画像ソフトによるエフェクトは作画の工程とは違うので自ずと思考回路もスイッチしているはずだ。

撮影:2011/10/09

 昨日描いたカットは一夜明けてみるとまた違った印象に見える。あれほど歪みを修正したはずなのに別の歪みが見えるので再度修正に取り掛かる。ある程度バランスが取れたところで今度は別のカットだ。以前描いてあったカットは今見ると修正なしでは使いたくないレベル。歪みを修正したり中途半端になっている線を描き直したりと地道な作業が続く。それから彩色の工程だ。これまで彩色してあった複数のレイヤーは色が淡くて力が足りないと感じたので改めて彩色し直す。
 彩色の後は画像編集ソフトへスイッチしてエフェクトを施す。様々な効果が用意されているので普段からある程度使っていないと適当な機能を探すだけでも大変なのだ。Macやソフトを覚えるには普段からよく使って試していることが大切なのはこういうことがあるからだ。いろいろ試して遊ぶと覚えられるとアドバイスすることがたまにあるが、趣旨が伝わっているかどうかは怪しいものだ。何故なら窮地に陥ったことがなければおそらく遊ぶことの大切さもわからない。遊ぶことがいつか自らを窮地から救う可能性があるなどと想像するのは簡単ではないかもしれない。「芸は身を助ける」とはそういう意味も含まれているのかもしれない。

 ある程度キリの良いところまで進んだので買い物ついでに自転車で外出した。よく晴れた空には微かに刷毛で撫でたような雲が浮かんでいる。もう日が暮れようとしていた。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:107回
2回目:108回

2017年10月7日土曜日

角度

 雨のち曇り。外出しなかったせいか寒さはあまり気にならなかった。

 土日と振り替え休日が重なるという事で三連休になる。こういう時は気持ちが緩みがちなのでペンも握らない方が良いのかもしれない。そうは言ってもテレビはボイコット中だし、天候も良くないので時間がもったいないといえばもったいない…などと贅沢な事を言っている場合ではないのだ。描きかけのカットを少しでも進めれば良い事だ。

撮影:2015/10/08

 昨日修正していたカットのページの別カットが気になっていたので修正を加えてみたらどうも気に入らない。人物を下から見上げるカットで迫力を強調するときなどに使われるアオリと言われる角度だ。男性の上半身を右下から見上げる構図でいつも悩むのが顎の下の部分。見たまま描けば良いのかもしれないが、モデルを見て描いているわけではないので脳内で補完しながら描き進めることになる。その際、立体的なモデルがイメージできていないと歪んで見える形しか描けない。そのためこれまでも何度か描き直したカットなのだ。
 修正しつつ何とか補正を試みたもののやはり根本的な所から描き直しの必要性を感じて下絵から描き直してみた。下絵に合わせてこれまでのカットを描き直せればという構想だった。結果、期待は見事に打ち砕かれた。そればかりか下絵の段階でも歪んでしまうのでラフに描いてペン入れという工程に進めない。しばらく下絵を描き込むことになった。こうなるとペン入れした際にイメージにズレが生じ落胆する公算高い。止めるわけにもいかないのでしばらく下絵を描いてからペン入れに移ってみると案の定まるで違うカットのような趣になってしまった。角度はなんとか補正できているはずなのでペン入れをアタリと考え、下絵を見ないようにしてペン入れで描き込むようにしてみた。しばらく描いてみるとイメージは変わってしまったものの何とか歪みはとれたような気がする。

 さらに別のカットに作業を移る。以前にラフを描いてあったものをそのまま使えるつもりでいたら背景に3Dのカットを使いたくなった。そこで3Dソフトを起動して該当するデータの必要な角度を2Dで書き出しコマに配置してみる。現時点では写真ソフトによるエフェクトをかけていないにも関わらず構成は悪くない気がした。何れにしてもこれを全ページに適用するのであればかなりの時間と労力が必要になるだろう。気が遠くなる。

 気がつけば日はとっぷりと暮れていた。最近、親子丼の真似事をするのが気に入っている。店で出されるような「とろふわ」にならなくてもそこそこのものは出来るとわかったのだ。味噌汁があれば他におかずはいらないし意外と手間もかからない。今夜の夕食は親子丼で空腹を満たすことにした。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:122回

2017年10月6日金曜日

切羽

 曇り。やや肌寒い。

 昼食は蕎麦にしようと思い準備している時、キッチンの引き出しの中にあるものを整理したつもりで閉めたらふと嫌な予感がした。もしやと思い開けようとしたら中にあるものがしっかりつっかえ棒状態になってホンの隙間程度しか開かなくなってしまった。小さな一大事である。切羽詰まるとはこのことか。このまま開かずの引き出しになってしまったら引越しする時に壊すしかない。幸いなことにキッチン下のスペースから引き出しの裏に手が届きそうだった。おかしな体制になりながらつっかえ棒になっていたものを何とか取り外すことができた。

 トイレなどのスペースに入った後で外にあったものが倒れで出られなくなるということがあるらしい。日頃の何気ない仕草で窮地に陥るわけだ。


撮影:2007/10/07


 それにしても自炊が出来るということは武器なのかもしれないと思う。今はスーパーのお惣菜やお弁当も充実しているしインスタントや冷凍食品などを上手に利用すれば難しい料理を覚える必要はない。問題は健康管理だろう。自炊しない場合は塩分や糖分、油などのコントロールがより難しくなる。添加物や化学調味料も無防備に摂取することになるだろう。大した難しいことはできなくてもそういう部分に心配りが可能というだけでもかなりのメリットなのではないだろうかとふと思う。
 特に料理教室へ通ったわけでもなく料理することに抵抗が少なかったのは、共働きだった母の手伝いのつもりで簡単なことをやっていたせいだろうと思う。手の込んだ料理を教わることはなかった気がするが、味はもちろん母の手料理が参考になっている。あまり好きではないので揚げ物系はほとんどやらないので簡単な炒め物や煮物の手順さえ覚えればあとは応用次第だと思う。
 自分のために毎食作るのは確かに面倒だとは言え、それも武器だと思えば少しはやる気が出るというものだ。

 天候がイマイチなので制作日和とばかりに漫画用のソフトを起動した。いつものように描きかけのカットに加筆修正。今日はここからさらに書き出しして写真用のソフトで加工を試みた。どれだけ細部にこだわっても仕上げの作業で無駄になる可能性もなくはない。足りないカットがあったのでクラウドスペース経由でダウンロードしようとしたら低速回線なのでやたらに時間がかかってしまった。

 曇りの日は夕方ともなれば日が短いこともあってあっさり暗くなる。ショッピングモールーへ自転車を走らせるにも帰りにはライトが必要な暗さになっていた。スーパーへ立ち寄って帰宅するとダウンロードが終了して自動的な起動したソフトと時間設定してあるソフトがぶつかってフリーズすれすれになっていた。相変わらずやりくりの難しいスペックなのだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:115回

2017年10月5日木曜日

埋没

 晴れ。急に寒くなった印象。衣類に迷う。朝はゴミ出しがあった。早寝にシフトしつつあるとは言え、やはりリズムが狂う。

 ここの所、若干写真の作業に寄り道した印象があるので作画の方へ舵を戻したいと思いつつ気になったことがあったので古いMacを起動した。昨日、作業している時に以前のHDDトラブルの際に喪失したと思っていた写真のデータを見かけたような気がしたからだ。

撮影:2009/10/06

 検索をかけつつ探してみると見事に残っていた。恐らくトラブルの際に逃げる場所がなくて普段使っていないエリアに避難させたためだ。見られないと思うと素晴らしい作品を失ったような気分になる。実際には最近の写真と大差なく、むしろ機材が古かったお陰で解像度も発色も良くない。当時はまだデジカメが普及し始めた頃でフィルム代がかからないということで記録の意識もあってシャッターを切っていた気がする。今となっては意味不明の写真も少なくない。こうなるとフィルムカメラ時代のネガやポジが気になる。時間をかけてスキャニングしたところで蓋を開けてみればデジカメのデータ同様に大したことないということになりかねないしフィルムだけに劣化も予想できる。つまり労力をかけるほどのことはないのではないかという結論に至るのだ。埋没してしまったものは埋没させてしまっているだけの理由があるのかもしれない。

 気を取り直して作画の方へシフトする。手慣らしにラクガキをしてから描きかけになっていたカットに加筆修正。相変わらず集中力が続かないから大して進まない。それでも早寝しているせいか体調のどんよりした感じは少ない気がする。テレビを見ないというだけで有効に時間を使えている気がするのだ。敗けることにも慣れ怒りも悔しさも忘れ痛みも感じないように成り果てていても人生はまだ続いている。髪の毛の重さすらないような人生だとしても終わりまで歩かなくてはならない。
 今日という日もいつか過去の中へ埋没してしまうかもしれない。二度と思い出すこともない日々だとしても地中に埋める基礎のようにしっかりしたものになって欲しいものだと思う。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:106回

2017年10月4日水曜日

再開

 晴れのち曇り時々雨。気温がまた下がって寒く感じられる日だった。

 買い物ついでに身体を動かしておこうと思い着衣を一枚多く着込んで自転車を出した。秋の日は釣瓶落としというのではなかったろうか。気温もまた極端に下がる。天気予報では昼頃に雨が降るようだったので雲の動きを眺めてみると西の方に雨雲があるようだった。それでも1時間くらいは大丈夫ではないだろうかと思いとりあえずショッピングモールへ行った。最近、携帯ショップでのwi-fiの調子が悪いのでショッピングモールの方が気兼ねなく試せるという魂胆なのだ。気兼ねなくと言いつつも途中で隣の席に来た若い人が食事を始めたので若干気になった。案の定、なかなか繋がらなかったが、なんとか用件を済ませることができた。

撮影:2012/10/05

 外に出ると陽射しすらあるようなので雨は回避できたと思ったら自転車を走らせた途端小雨が降り始めた。最近、こういうタイミングで外出することが多い気がする。巡り合わせというものだろうか。避けようもないのだろう。
 晴れたり降ったりするこんな日は虹が出やすい気候でもある。こんな時期が年に2~3度はあったはずだ。カメラを持っていてタイミング良い場所にいればシャッターチャンスとなる。

 昨日、久しぶりにクラウドソーシングのサイトを眺めていた。最近の雰囲気はどうなのかわからないが、箸にも棒にもかからずに挫折感を味わった3年前のことを思うと再挑戦は怖い気もする。イラストや漫画は著作権の問題があるのでDTP関連ならできるだろうかと思いつつネットが低速回線であることを思い出した。DTPはデータサイズが大きく特にスピードを求められる業務だと認識しているので今すぐ再開するには無理がありそうだ。マイペースでできることというと限られてくる。
 保身ばかりでリスクから逃げてばかりでは解決しないこともあることは承知しているつもりではあっても無謀に挑むばかりでも解決はしないものだ。

 そういえば、PowerMacの画面をIntelMacの画面で共有できないだろうかと思いついた。それと言うのもPowerMacのモニタが変色してしまっていて色の確認に不都合があるのだ。PowerMacのイラレをIntelMacでも使えれば良いのだが、これまた色々手がかかりそう。それで画面共有できれば色の確認だけIntelMacですれば良いということになるかもしれない。
 なんとなく出来そうな気がしていても必要がなければ利用する機会もないものだ。
 帰宅してネットで調べつつあれこれしてみると画面共有できた。動作がぎこちないのは仕方ないことかもしれない。ファイアウォールがひっかかったのでこれまたネットで調べて設定した。果たして正しくできたかどうかわからない。他にネットワーク管理者がいるわけではないので慎重かつ大胆に試してみる方ない。
 これでしばらく出番のなかったPowerMacを再活用する道が拓けただろうか。何しろこの時期のPoweMacは暖房替わりにもちょうどいい。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:115回
2回目:118回

2017年10月3日火曜日

着想

 曇り。少し久しぶりに写真の投稿をしてみた。リクエスト形式の募集では凄腕のカメラマンが応募しているのだから敵うわけがない。そうは言ってもお蔵入りにしても意味はないのだ。買い手がつかないにしても見てもらえるようにしておけばいくらかでも撮った甲斐があるというものではないだろうか。

撮影:2011/10/04

 それにしてもこれまで撮影した写真を見返してみてもありきたりのつまらない写真ばかりが並んでいる。フリーカメラマンとはどういう人なんだろうと子供の頃に思っていた。写真の仕事は様々な分類が可能だと思うが、町の写真館のような存在は営業写真と呼ばれ、広告やカタログなどの撮影に関わる存在を商業写真と呼ぶようだ。フリーカメラマンはフリーだけに組織に属していないことなんだろうと思う。きっとそれだけでは十分ではないのだ。
 思うに着想が違うような気がする。面白いとか美しいという感動を提供出来る作品はただシャッターを切っただけでは撮れないのだ。近年、AIの発達やディープラーニングといった技術の進歩により見違えるような写真に修正することが可能になってきたという。ドローンの普及にも目を見張るものがあるからそのうち過酷な環境の場所へもドローンが飛んで行って撮影してくることも珍しくなくなるかもしれない。しかし、個人の人生経験といったものが今のAIにもドローンに搭載されていないだろう。何を見て何が心を動かしたかと言う想いがシャッターを切らせなくてはならないだろう。それには今しばらく時が必要ではないかと思う。

 撮りためたつまらない写真に心が動かされないのは「もの」を撮っているからかもしれないと思う。ピント、露出、構図…様々なことに気を配っているつもりではいてもそこに感動がなければならないのだろう。
 端的に言って光が撮れていないのだなという感想を持つ。光がなければ写真は写らないので真っ暗ということはないのだが、光を掴まえる意識が必要なのではないだろうか。フラットで遠近感もない退屈な画面構成の写真は記録にはなっても作品と呼ぶにはあまりに薄っぺらい気がする。

 感動するような作品を撮影するには遠くに行ったり朝晩のドラマチックな時間帯に撮影することが必要だと思っていたが、実は着想の問題であり心の中に感動を見つけることが先決なのではないかと思った。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:106回
2回目:118回

2017年10月2日月曜日

方針

 曇り。夕方に歯医者の予約を取れたので先に所用を済ませるため自転車を出した。晴れるでもなく雨が降るでもなく穏やかといえば穏やかな日和。

 昨夜は病院で迷子になり具合が悪くなる夢を見た。親切に対応してくれた看護師さんが印象的だった。その後ではないかと思うが、何匹かの猫が登場した。その中に青い猫がいた。夢に色を認識することは珍しくないにしても印象的な青だった。

撮影:2009/10/03

 職場や環境の変化によってそれまでの経験が役に立たないことがある。
 順風満帆とは言い難いにしてもこれまでの経験が活かせる状況にあるような気がしている。もしかしたら応用だったり更新といったことが必要なのかもしれない。白紙にする必要はないのだ。

 どこかに会社や組織に属していると配置転換などでせっかく慣れた業務や環境から離れなくてはならないこともある。仕方ないとはいえ個人のスキルとして深みを得られない場合もあるのではないだろうか。逆に新しい職場に馴染むスキルというものが身につくものかもしれない。良くも悪くも角が取れて磨かれていくものなのだろうか。ただし、何らかの出来事で組織から離れる必要が生じる場合、深みのないスキルがどこまで役に立つかということになる。新しい環境に馴染むスキルももちろん意義のあることではあっても代わりの利く存在ということになると個性を費用化してもらうのが難しいのではないかということだ。逆に言えばそういう人の方が選択肢は多いのかもしれないからどちらがいいとも言えない。

 個人的には、もっと深みのある仕事をしたいと思ったことが何度もある。会社のためにと工夫したことが評価されず突然の配置転換により部屋の隅の暗がりで黙々とコピーをしていたことがあった。その時は残念ながらコピーの技を磨こうという発想にはならなかった。
 会社に認められないことは無意味なことだったのだろうか。それは別の職場に移るとやっぱり知る人ぞ知るスキルだった。応用したり活用したりする機会がもっとあればと思うこともある。いずれにしろ方針が違ったのだから仕方ない。

 描くことは会社や組織に属さないからこそ意味があるのかもしれないとも思う。積み上げた経験は個人のものであるし本人次第で方針も決められる。今の所、フリーでなくなった場合の活かし方がわからない。

 夕方になって歯医者に行こうと自転車で自宅を出ると雨が降り始めた。最近どうも外出のタイミングが良くない気がする。何とか歯医者に駆け込んで治療が終わる頃にはすっかり暗くなり雨は上がっていたようだ。何事も方針通り思うように行く事ばかりではない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:116回

2017年10月1日日曜日

楽器

 今日から10月。涼しく晴れた。衣替えのように生活パターンを見直そうとしている。
 先日来、テレビをつけない生活にシフトしているのは手始めというところだろうか。就寝時間が2時間ほど早くできることに驚いている。早く寝た分だけ早く起きられれば言うことないだろう。今の所は睡眠時間が長くなっているだけではある。

撮影:2010/10/02

 思えば、インターネットが普及する前は何をしていただろう。面白いことはないかと車を走らせていたような気がする。最初の頃は楽しくて行動範囲も広がってもしばらくすると慣れてしまう。感受性の問題だろうか。新鮮さを失うと遠出するのも意味がない。ただ疲れて帰ってくるのが関の山だ。せっかくの機会だからとインターネットの利用も限定的にしてみたら制作時間が増えるばかりではなく集中力を維持することも自然にできるようになった気がする。空白を埋めるために詰め込んできた結果、余白のない日々になっていたのかもしれない。

 午後、洗剤の買い置きを調達するために自転車を出した。晴れていたはずの空はいつの間にか灰色の雲が覆っていた。最近、外出のタイミングで雨が降るような気がする。ホームセンターでは洗濯洗剤が丁度セールになっていた。雲行きは相変わらずで細かい雨がぱらついているような気がするのだスーパーに立ち寄って帰宅。
 昨夜、奥歯に被せてあった銀歯が取れてしまったので来週にも歯医者に行かなくてはならないだろう。寒くなると暖房費が嵩むので出費は可能な限り抑えたい。

 これまで色々なことをやってきたからこそ時には取捨選択もいいだろう。その状況に応じてできることとできないこと必要なこととそうでないことがある。冷静になるには静かな時間と思索が必要なのかもしれない。長く夢中になっていると無条件に継続してしまいがちだ。もちろん継続を否定するわけではない。

 例えば、自分が楽器だったらどうだろう。どんな曲を奏でるかによって楽譜が違うし奏法も違う。曲の合間には次はどんな曲にするか考える間があってもいい。それが表現につながっていくのではないだろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:110回

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...