2021年12月25日土曜日

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感じる。
 尤も、良いことがあったからこそ、そうでないことをやり過ごせたのかもしれない。
 様々な出来事に翻弄されて混迷の様相を呈している気がしたから、運気の流れが気になって某占いを紐解いてみた。すると「2021年は何事も中途半端になる」とのこと。思い当たることだらけで失笑してしまう。それはどうやら12月まで続いていて2022年になったからと言ってすぐに持ち直せるわけでもないらしい。それでも運気を俯瞰することができればやや寛容になれる。何事も上手く行かないのなら、思いがけないトラブルも「やっぱり来たか」と楽しむ余裕ができる。もしかするとこの心境はこれから先も役に立つかもしれない。
  人生には様々な表情がある。そんなに多くの人と会う機会もないが、人もそれぞれだ。
 一見頼りなく感じられる人がとても頼りになる人で、力を持つ人が頼りないことも少なくないんだろう。立場の違いや境遇の違いを超えて寄り添うことの出来る人は信頼に足る人格の持ち主だと思う。
 果たしてそれが自分に出来ていたかと言うと反省するしかないだろう。寄り添うつもりが力不足で負担をかけてしまうことが少なくなかった気がする。きっと寄り添うには懐の深さや包容力が必要なのだ。
  そんな信頼に足る人との出会いもいずれ別れを迎える。出会いの数だけ別れがあるのは必然だ。惜しみながらも見送るしか術はない。
  逆に裏切りや期待外れもいくつかあった。それらは悪意を持っての行動ではないかもしれないが、少なからず配慮に欠けると感じられる出来事だった。立場を弁えない発言と対応。役割を放棄するような振る舞い。普段であれば関わりを持ちたくないタイプだから勉強になったとも言える。 
 しかし、精神的な負担も大きかったのか全身に湿疹を発症した。元々アトピー症状はあるもののこれほどひどくなったことはない。

 こんな時に心の支えになってくれるのが創作活動だ。最近は山歩きも良い効果がある気がする。低山を登ることで湿疹の症状が緩和されるようだった。むろん登るだけでは飽き足りず、必ずカメラを携えている。少しずつ標高を上げて山頂まであと少しの所まで辿り着くことができた。そこに広がっていた光景が深く脳裏に染み込んだ。
 季節は秋。麓から細い稜線を辿って行くと、いくつかのピークの果てに山の樹々は黄葉し金色の空間を演出していた。これまで登頂を目的としていなかったから知らずにいたことが実にもったいなかった。何事も中途半端だった2021年でも辿り着けた成果の一つだろう。

 漂泊の日々の中で出会えた人や出来事を思い返しつつ年は暮れてゆく。

行方

 クリスマスの雰囲気を感じたいと思い、寒空の下自転車を走らせる。田んぼの雪はほとんど融けたようだ。ピンと張り詰めた空気が冷たい。

 今夜は雪になるのかな。

 曇った空を写真に撮る気にもなれず、ショッピングモールまで走ってみる。いくらか人は多いもののごった返すほどではなく、クリスマスの賑わいというには少し静かに感じる。一応、クリスマスツリーは飾られていたようだ。

 ふとファンヒーターのスイッチを切った記憶がないことに気づいて焦る。急いで帰る必要があるだろうかと記憶を探る。

 一定時間で自動消火されるはずだから、大事に至る可能性は低いだろう。それでも確認に戻る必要はあるだろうか。こういう時は大抵ちゃんと消火していて心配ないはずだとも思ったりする。

 ソワソワしつつ思い出したのは、出掛けにファンヒーターの近くを通るわけだから消火しないわけがないだろうということ。それすら確証はないのだけど、ひとまず安堵した。

 フリーのWi-fiスポットでアプリのアップデートを済ませ、ぶらぶら歩いていると携帯会社の勧誘に呼び止められる。どこの会社を使ってるのかプランは何かと定番の質問。長く使っていたガラケーが壊れて散々考えてスマホにしたばかりだから変えるつもりもない。彼らも仕事なんだからと少し付き合ったものの他の親子連れを視認するなりサラリとそちらへ移っていった。呼び止めたんだから別れ際に何かひとこと欲しいものだ。

 アウトドア用の安い靴は出ていないかとチェックしつつ食品コーナーへ向かった。そしてクリスマス向けの料理やケーキを横目に見つつ店内一周。

 そう言えば、以前はよく試食コーナーを利用していた。コロナ禍のご時世ですっかり見かけなくなってしまったが、並んだ食品の味がさっぱり想像できない。

 結局、何も買うことなく店を出た。クリスマスの雰囲気も味わえたというほどではない気がする。確認した…という感じだろうか。

 それからいつものコースになっているスーパーに立ち寄ると自転車駐輪のスペースに刃物研ぎの車がドン!と止まっていた。

 そこに止めたい気持ちはわかるけど、自転車利用者が無視されているような気分になる。雪が降る寒空だって自転車でやってくる人たちはいるのだ。

 そんなことを思いつつ少し空いたスペースに駐輪。店内を廻って見たものの特に思い当たるものもない。少し前によもぎ大福を買っていた店なのだけど、最近はアトピーが落ち着きつつあるので必要性を感じない。

 その後、あったかい膝掛け毛布のようなものがないかなぁと思いホームセンターに寄ってみる。大きなコタツ布団のようなものは暖かそうだったけど、大きすぎるので却下…というかそれなら持ってる。

 最後に立ち寄ったスーパーの駐輪場でちょっとびっくり。

 止まっていたのはシルバーの手作り感満載の自転車だった。流線型というほどではないが、太いタイヤと荷台にカゴ、フレームの溶接部分は量産したものとは違う感じがする。市販の自転車なんだろうか。それとも手作り?不思議に思いつつも店内へ。一応クリスマスの気分を味わおうと安いケーキなど買い求めた。

 帰ろうと思い外へ出ると件の自転車の持ち主がいたので思わず声を掛ける。

「かっこいい自転車ですね。」

 すると、照れ臭そうに、そして嬉しそうに返事が返ってきた。

「いやぁ、東京で買ってきたんですよ。」

 驚いて聞き返す。

「わざわざ東京から?仮面ライダーが乗りそうな自転車ですね。」

 仮面ライダーと言ったが、初代ウルトラマンの風情もある。その人は笑いながら答えてくれた。

「そろそろタイヤに亀裂が入ってるんで交換したいんですけど、こんな太いタイヤが手に入らないんですよ。」

 確かにタイヤが太く、少しくらい雪が積もっても安定して走りそうだ。

 それから少し言葉を交わして別れた。近所のスーパーなのでまた会うことがあるかもしれない。

 帰宅してみるとファンヒーターはちゃんとOFFになっていた。

 今年も色々あった。体調も自分史上最悪に悪かった気がする。

 ここがどん底かと初めて思ったのは20年以上前だろうか。そこからもう3段くらい落ちた気がする。一体どこまで落ちるんだろう。

 坂道を転げ落ちながらも2014年からはnoteが気持ちの拠り所となっている。どんなにダメになっても創作活動は不可侵の領域。生きることと同義なのだ。


 少しでも良くしたい。良くなりたい…ズルズルと落ちながらも次こそは、来年こそはと思うことでようやく踏み止まっている感じ。

 年末まではまだ少しあるけど、ひとり今年一年を振り返ってみたりするクリスマスイブである。

2021年の記録


2021年2月12日金曜日

意義

最近何かと生きている意味について考える。
今まで散々考えて来たのに何を今更…と思わなくもない。
けれど、意識は過去でも未来でもなく現在と言う瞬間の連続に固定されている以上、その連続が停止する時のことを想定すると思考は行き場をなくす。
とりとめもなくネガティブなことに想いを馳せてしまうのだ。

今日も画像整理のためのタグつけ作業をしつつ、何の意味があるのだろうと自問自答していた。
必要性を感じてやっていることでも残す意味はないだろう。
全てのことは今現在のために必要なのだ。

色々と想いを巡らせてから思った。

今は生きているんだから漫画を描こう…と。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:130回
2回目:100回

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...