2016年2月29日月曜日

萌芽

 今日は確定申告のため外出の予定をしていた。この時期、頭を抱える人も少なくないだろう。何しろ事務処理は苦手である。やらないわけには行かないので少しずつ準備は進めている。プリントもしてあったから添付書類を貼り付けて日付を記入し押印すれば完成ということになる。電車の時間を確認したが、何しろ1時間に一本程度しか電車がないので出来れば一本でも早い電車に乗りたい。それでいつもの日課をスキップしつつバタバタする。
 曇り空だったが、嫌な予感がしたので傘を持って駅へ向かった。
 電車は定刻通りにやって来た。雪が降っていないからスムーズに確定申告会場までたどり着く。書類を提出後に写真展をやっているはずと美術館まで足を延ばした。途中、雨が降り始めた。傘を持ってきていて良かったと思いつつ美術館までたどり着いてみたら月曜日のため休館日だった。意気消沈してしまいそのまま帰宅することにする。時間が中途半端だったので途中で牛飯を食べると電車の時間もちょうどよく予定よりずっと早く帰宅出来てしまった。

撮影:2012/03/01

 帰宅するとどっと疲れが出た。少しばかり3Dソフトをグリグリやってから夕飯のためにカレーを作った。
 このブログのために以前の写真をチェックしていたら以前の写真の中に白鳥の写真を見つけた。そう言えば以前にカレンダーつきデザインカードを作ったことがあった。ちょうど明日から3月なので白鳥の写真で3月のデザインカードを作ろうと思い立った。
 デザインの手法としては珍しくないと思う。春風と雪融けのイメージを重ねてみた。前回制作した7月のデザインよりおとなしいだろうか。かっこいいデザインは難しい。


  この2年、いくつもの種を播いて来たはずなのにそのままになってしまっていることがどれくらいあるだろう。 育てることも必要なはずだ。春に向けて創作意欲を萌芽させるべくせっせと世話をする。
 
 寒が戻ってくるらしい。
 勘も戻ってくるだろうか。


 腕立て伏せ:100回

2016年2月28日日曜日

初心

 昨日、ブログを書きながらnoteの2年前の記事を読んで当時のことを思い返していた。今は漫画に注力すべく出来る限り漫画以外のことをしないようにしているが、以前はもっと色んなことをしようとしていた。写真・イラスト・漫画・デザイン・随想…とにかく出来ることはなんでもやろうとしていた。それがいつしか漫画に専念するようになったのは長年の念願だったからだ。
 ボクはどういうわけか2年目の調子が良くない。実際には気持ちの問題だけなのかもしれないが、2年目のジンクスというものを警戒している。今年はnoteを始めてから2年目に当たるので不調の波があるだろうことを予想していた。その予想が当たったかどうかはわからないが、思うほど制作が進まず悶々としたまま2年目を終えようとしているのだ。

 昨夜、3Dソフトをグリグリやっていたせいか、今朝はしっかり寝坊した。それでも予定したコンビニでのプリントを済ませる。最近は国税庁のサイトでもコンビニでのネットプリントを案内しているようだ。確定申告にマイナンバーが必要になるのは来年からということのようだが、個人情報やセキュリティという部分への問題も出てくるのかもしれない。

 コンビニまで出かけてみると穏やかな日和だったので少し自転車で走ってみることにした。春は見つかるだろうか。

 通りかかった道の「通行止」の看板を見て思わずニヤリとする。すでに雪の融けた道が田んぼの中をまっすぐに続いている。4月になっても雪が降ることがあるから3月31日まで通行止めというのは不思議なことではない。ましてや農道ということであれば、一般車両の通行を制限する必要もあるのだろう。暖冬で雪融けが早いとは言え、早く開ければいいというものでもないのだろう。

 そんな風に人生の春も焦っても仕方ないものなのかもしれない。



 自転車で走りながら白鳥の姿を探したが、見つからなかった。今季は寒空を飛ぶ様子を一度も見かけたっきりのような気がする。自転車で30分ほど走ったところに野鳥が集まる沼があるので見に行ってみることにする。道すがらスズメやカラスやムクドリの姿を見かけた。暖かな日和を楽しんでいる様子だ。オオイヌノフグリの花が青い星のように田んぼのあぜ道を飾っている。タンポポが一輪だけ咲き始めていた。いつもの年より早い気がする。通りがかりの梅の木の花もほころび始めているようだった。
 田畑の中の住宅地をすり抜けて目的の沼に辿り着くと公園整備の工事をしているようだった。いつものようにカモなどの野鳥が群れて遊んでいる。残念ながら白鳥の姿はなく多くの釣り客が糸を垂れたり談笑したりしている。沼の周りを一周しながらカモの写真を撮っていると一眼レフを手にしたボクよりずっと年上の様子の男性に出会った。「ご年配の方」と表現するには若々しく朗らかなご様子だ。こういう時、カメラを持っているだけで共通の話題があるから自然に仲間意識が生まれる。いつもはこの沼でヘラブナ釣りを楽しんでいるそうだが、腰が痛くてどうも…と苦笑する。18-250mmのズームレンズを装着してこれから撮影とのこと。釣りに写真…ボクが言うのもなんだが、ちょっと羨ましい。

 陽が傾きつつあるので買い物をして帰宅することにした。
 自転車を走らせながら思う。ボクは真剣味が足りなくなっているのではないだろうか。集中が難しいならとマメに切り換えることで初心に還ることも必要なのではないか。漫画・イラスト・写真・デザイン…優先順位は以前と違っていても、漫画一本で制作が進まないと煮詰まっているよりは出来ることを順次スイッチして出来ることをやった方が良いのではないか。

 そろそろ活動に適した気候になりつつあるので自然に湧いてきた想いなのかもしれない。


 腕立て伏せ:103回

2016年2月27日土曜日

切換

 ふと…noteでやろうとしていたことのイメージを思い出す。
 今は漫画だけでも手に余っているが、写真とかデザインとか文筆とか…やりたいことはたくさんあったはずだ。それがうまく回っていないから漫画だけで煮詰まってしまっている可能性がある。



 今はあの頃よりデジタルではなくアナログを重視するようになっている。

 ズルズル先延ばしにしていた事務処理に手をつけたが、こういうときに限ってまたMacの機嫌が悪い。もうワンランク上のスペックが欲しいとつくづく思う。最新型を10年使うのと中古を数年使うのとではどっちが経済的なんだろう。最新機種はたしかに処理速度などの面で優れているはずだが、現行ソフトや周辺機器との整合性が問題になることがある。不具合が報告されるのも珍しいことではないから安定性を考えれば往々にして中古の方が良い場合もあるだろう。今回の不具合はMacそのものの不具合ではなく、OpenOfficeのデータベースの不調である。今に始まった事ではないから驚くことでもないが、どこからやり直したら良いかと考えると面倒であることに違いはない。以前のOSを起動すると不具合は見当たらないのでOSとの整合性が取れていないのだろうか。今回は少しクエリーに関することをいじってみた。ボクがやりたいことに関してどうすればいいかということは、Webで勉強すれば良いのだろうと思いつつ調べる時間がかかってしまうので自分で悩む方を選択するのが常だ。相変わらず予想と違う動きをするので四苦八苦してほんの少しやり方を覚える。もしかしたら遠回りしているのかもしれないという気がしないでもない。
 食後に少し仮眠したら全く無駄なことをしていたことに気がついた。そもそもデータペースソフトを使うまでもなかったのだ。無駄な遠回りをして少しだけ勉強したことになる。
 ネットで必要な書類を作成。明日コンビニでプリントする予定とした。

撮影:2009/02/28

 気がつけばまた夕方。
 今日はどんな天候だったろう。雪融けは進んだだろうか。

 止せばいいのに夜になって3Dソフトで車の作画に手をつけた。案の定、時間を忘れて没頭した。そろそろ入浴しなければと思う頃には目が充血して涙目である。これで明日の朝はまた起きるのが辛いだろう。
 集中できないならまめにスイッチしてみようと切換を意識した一日が終わる。


 腕立て伏せ:108回

2016年2月26日金曜日

熱量

 今日はやろうと思っていたことがいくつできただろうか。

 昨日思いついたアイディアをテキストに起こしてみた。案の定、深みに欠ける気がする。3つほどあった元のアイディアのうち1つを書き起こして後の二つは頭の中の引き出しに放り込んでしまった。
 それからとりあえず机には向う。作画の方は調子がいいようだ。少しずつではあるもののペン先のコントロールにも手応えを感じる。もちろんコンディションをチェックするのが目的ではない。本編を描かなくてははならない。それから鉛筆やペンのアナログ作画ではなく3Dソフトにも取り掛からなくてはならない。
 アナログ制作の調子がいいとデジタルへ移行するスイッチはますます重かった。

撮影:2013/02/27

 あっという間に夕方になったから暗くなる前にと思ってスーパーへ出かけた。
…風が冷たい。
 南の方から春の便りが聞こえてくる。
 もうすぐ3月だ。

 結局、今日も思うほど進まないまま日が暮れた。

 ふと気がつくと、MacのHDDの容量が3GBしか残っていなくて目を疑った。どうやらOSを移行した時にエクスポートしたデータをクリアすることを忘れてそのまま使っていたようだ。無性に動作が遅い原因はこれだったのだのだろうか。早々にデータを消去。無駄なバックアップもしていたことになるから少しは動作が快適になるだろう。

 可能性の欠片は時事刻々とやってきては音もなく過ぎ去っていく。
 火はまだ消えてないか。熱量は足りているか。


 腕立て伏せ:102回

2016年2月25日木曜日

解放

 朝、陽が射していたから暖かいかと思ったら甘かったらしい。
 腕立て伏せをしたら100回に達することができず夕方にリベンジすることに。初めてではないが、100回をノルマに設定しているので体力が落ちているのではないかと心配にもなる。
撮影:2007/02/25

 そういえば、外出する機会が少なくなっているせいかもしれない。雲行きは怪しいが雨に降られることはなさそうだ。丁度出かける用もあるので自転車を出すと予想以上に風が冷たい。
 所用を済ませて書店に立ち寄る。
 特に決めているわけでもないが、一応気になっている本や漫画のコーナーをチェックして回る。以前と違ってどうしても手に入れたいという本に出会うことが少なくなった。もっとも、これまで購入した本も時間が経っても愛着の持てる本は多くないのでそもそも選択眼が節穴なのだろう。もちろん購入した本が悪いわけではなく、いつか読むつもりで購入しても読んでいない本が多いのだ。
 書店を歩いているうちに頭の天辺あたりにあるアイディアの蓋が緩み始めた。あれよあれよと思う間もなく制作中の漫画の新しいエピソードが浮かび始める。
「いやいやいや…ただでさえ制作が進んでないのに新しいエピソード思いついてどうするんだよ。」
 自分にツッコミを入れてみるが、アイディアは芋づる式に浮かんできて何の脈絡もなく新しいストーリーが出てきたりもする。
「はて、テキストでまとめるのもいいかも知れない」とも思うが、帰るまでに忘れてしまったり時間が経ってよく考えると面白くない場合もあるから、しばし脳が解放される感覚の方を大切にすることにした。

 産直の店やドラッグストア、ホームセンターやスーパーをハシゴしてショッピングモールに滑り込む。いつもの回遊コースとは逆回転。時計回りコースである。ショッピングモールは平日なのに意外と人出が多かった。お馴染みの店を見ながらお馴染みのコースを走っただけのはずなのにどっと疲れが出て椅子に座り込んでしまった。休憩しながら見て歩いてショッピングモールを出た。最後に一軒スーパーに寄って帰宅。

 食事してから腕立て伏せのリベンジを試みるとギリギリの100回だった。
 できるなら脳の解放が快方に繋がって欲しいものだ。

 腕立て伏せ:午前96回 午後100回

2016年2月24日水曜日

岩戸

 寒さが戻ってきたようだ。
 体調を崩しがちなのは、気候の変化について行けてないからだろうか。朝の恒例になった腕立て伏せの時にも身体が温まっていないために力が入らない。
 今日も調子がつかめずにひたすら眠い日だった。だからと言ってやらなくてはならないことがあるから寝ているわけにもいかない。こんな時に午前中に終わっているはずの仕事のボリュームがいつもより大きかった。眠気と戦いながらこなしていたせいかズルズルと午後までずれ込むんだ。食後に少し眠ったら一時的に回復したような感覚になったから机に向かってみる。作画そのものの調子は悪くないようだ。集中力が持続できないから歯車が噛み合わないだけなのだろう。3Dの車の制作も進めなくてはならないと思いつつ、取りかかったが最後、息を止めたまま深く潜るような状態になり時間は瞬く間に過ぎ去るのだ。それを思うから躊躇ってしまうのだ。


 地方なら都会と違って気が散る要素は少ないのではないか。特に冬は雪のおかげで制作に集中するしかない。地方ならボク自身を緩やかな創作活動の缶詰にできると考えていた。元々人と関わるのは嫌いではないのだろうと思う。けれど、過ぎ去った時間の証が残せないのはボクにはとても虚しいことなのだ。
 何事も思うようには行かないようだ。様々な事情をやりくりして制作している人だっているのだからボクのは集中できない理由を探し回っているだけの戯言にすぎないのだろう。好きなことをやりたいようにやっていると思われるかもしれない。でも、好きでなければできないことでもあると思う。

 ボクはボクの持つ世界の扉にすぎない。姿も形も持たないまだ見ぬ物語やキャラクターや風景は解き放つことができるのはボクが存在していられる間だけなのだ。

 なかなか開かない岩戸のような扉を力任せにこじ開けようと自らを鼓舞するも開けられてなるものかと踏ん張っているのもボク自身なのかもしれない。


 腕立て伏せ:101回

2016年2月23日火曜日

腐朽


 昨夜、早めに就寝しようと床に就いたにも関わらず、なかなか寝付けなかった。その割にいつもより早く目が覚めてしまったせいか、何やらボンヤリ、眠気ズッシリな日だった。一応机に向かったものの描いている絵も何だか冴えない。まるでボク自身が朽ちていくようではないか。

撮影:2011/02/23

 食後に少し眠ったら楽になったようだ。調子が出ないながらもペン入れしてみる。鉛筆でザクザク描いたらペン入れは伝統工芸の職人の心持ちを想像しつつ慎重に描いてみる。
「うん。悪くない。」
 線に勢いはないかもしれないが、失敗も少ないのかもしれない。微かな手応えを感じた。今回は主線と若干の汚しのみでベタや中間トーンでの彩色をせずにスキャニングしても良さそうな1カットをピックアップして彩色工程へ移る。
 人物のカットは彩色のためのレイヤーや主線のレイヤーなどに分割。背景は以前描いてあったカットをボカシ処理して写真のようにレベル補正してみる。こんなところで写真の加工の知識が活かせるのだ。
 イラレに配置していたらキャラの髪型が以前描いたカットと随分違っていた。
「…また描き直しか。」
 若干の脱力感を味わった。そもそも髪型が納得いかないまま描き続けていたせいだ。キャラ練りが足りないとこういうことになる。


 夕方になって買い物に出た。自転車のペダルを踏み込みながらボクという存在が老朽化して思うように動けなくなっていく日を想った。父は早く亡くなったが、元気だった祖母や父祖を思う。ボクはいつまでも長く元気でいられるだろうか。叶うなら疎まれることなく愛される存在でありたい。

 そしていつかできることなら…この身が朽ちて果てようとも朽ちることなく愛されるような不朽の作品を遺したいのだ。

 腕立て伏せ:105回

2016年2月22日月曜日

回想

 最近、体重が増えている。
 寒いこともあって外出する機会が減っていることもあるだろう。でも、noteを始めた頃は夢中になるあまり体重が減っていたことを思うと少し熱量が足りないのかもしれない。

 noteをはじめて4月で丸2年ということになる。当時はクラウドソーシングで成果が出せず方向性に迷っている時期だった。もう何度目かの挫折を認めたくなくて一人で悶々としていたのだ。
 noteが始まった頃の沸騰するのような賑わいは孤独も挫折も霞ませてくれたばかりか新しい目的とやり甲斐を提供してくれた。色んなことがあった。生活のために何とか作品を販売しようと懸命な人もいた。新しい希望を見出し、見失ってしまう人もいた。2年なんて長いようであっという間だ。
 今では様々な機能が追加されているが、起ち上がった当初は実にシンプルだった。故に足りない部分をユーザー同士で協力し合い補い合って盛り上げていた。時に心配になることもあったり頑張りすぎてはみ出したこともあったかもしれない。システムは発展途上だったとしても目一杯楽しかった。その先に夢や希望があると信じられた。今にして思えば、そんな時期を経験させてもらえたことは本当に幸せなことだ。

撮影:2011/02/23

 制作に専念しようとしていたボクの前を時間は車窓から眺める景色のように瞬く間に過ぎ去り、同じ頃に始めた人の姿もひとりまたひとりと途中下車するかのように見かけなくなった。どこへ向かって走っているのかはわからない。もしかして同じところをグルグル回っているのだろうか。noteというプラットホームに集い、励ましあったり競い合ったりしてきたが、それぞれがそれぞれの人生を生きている。夢も希望もみんな違うのだ。

 noteに関わり続けていれば、きっとこれからも新しい出会いと別れがあるのだろう。
 作品でつながり、想いを共有することでお互いの人生に関わり合いながら。


 腕立て伏せ:101回

2016年2月21日日曜日

秘密

 変化の多い天候。午前10時過ぎ、布団から出る頃には陽が射しているのに雨音がしていた。今日は日曜日なのに日曜美術館を見逃してしまった。

撮影:2010/02/22


 午後になって気分転換を兼ねて買い物に出かけようと天候を伺っていたら雨が上がったようなので自転車を出した。スーパーを一軒回ってからホームセンターや書店に寄って帰ろうかと考えていたが、スーパーを出る頃には天候がまた怪しくなり雨が降り始めので慌てて帰宅する予定に切り替えた。もう一軒のいつもスーパーへ立ち寄ると店を出る頃には小降りになっていた。安売りのものも手に入ったからヨシとしよう。

 昨日ほどではないが、体調が芳しくない。そのことを再認識したのは夕方になってからだった。予想はしていたことなので無理しないようにしようと思う一方でこのまま一日を終えたくないという想いがせめぎ合う。
 何とか机に向かって鉛筆とペンを走らせる。作画の調子は悪くない気がする。しかし、集中力が維持できない。30分も描いただろうか。あえなく撃沈。

 考えてみると人生にも似ている。いつかわからなくてもいつかは終わるのが人生なのだ。無理しないように生きようと思う一方でこのまま人生を終えたくないと思う。一歩でも前に進みたいと悪あがきするのだ。
 どうして生まれてなぜ死ななくてはならないのかという謎について現代の日本は答えを持たないのではないだろうか。もっとも、仮に答えがあったとしてどうなのだろう。その答えに対して疑問を持ったり反発を覚えたりしないのだろうか。それはそれで窮屈なのかも知れないと思う。謎が謎のままであるからこそ人は生きるのかもしれない。
 謎も疑問も残されていないようなそぶりで時は流れ日々は過ぎていく…にも関わらず、人生は21世紀になった今もなお謎に満ちていて人生の目的を個人が自由に設定することが可能なのだ。その意味では問題だらけの世界情勢の中でもやっぱり日本は幸せなのかもしれない。

 夜になって日曜美術館の再放送をしていた。なんと尊敬するモネの特集だった。様々な角度からの解説があり、知らなかったこともあって興味深い。
 けれど、ボクがモネを尊敬するに至った理由に関する解説はなかった。もしかしたらボクにしかわからないことなんだろうか。それとも作品から受ける印象には個人差があるため技術的な解説などの最小限に留めるのだろうか。
 いずれにしてもボクの受けとった感動がモネの狙いだったのかどうかは永遠の謎でありボクとモネの秘密である。


 腕立て伏せ:103回

2016年2月20日土曜日

捜索

 Evernoteを使い始めたのはいつ頃からだったろう。
 試しに使う程度と思っていたはずなのにいつの間にか作品のアイディアや素案など重要な内容を書き込むようになっていた。ただし、オンライン上で保存した場合は何かと心配がつきまとうと考えでローカル保存していた。
 しばらく使っていなかったのだが、OSのバージョンフップをしたので一応挙動を確認しておこうと起動してみると…何やら違和感がある。その違和感の原因が分かるまでしばらくかかった。

撮影:2011/02/20

 その違和感はローカルに保存していたはずのデータが丸ごと見当たらないことが原因だった。起動時に一度クラッシュしたことがきっかけだろうか。オンライン上のデータは確認できるので重要と考えていたローカルのデータが見当たらないというのは皮肉なことである。
 そもそもEvernoteのローカルのデータはどこに保存してあるのかということだ。ネットで検索してユーザーアカウントのHOMEにあるライブラリ内であることはわかった。そういえば、最近ライブラリフォルダが見かけないと思っていた。調べてるうちに表示オプションに「"ライブラリ"フォルダを表示」する項目があることを見つけた。初期設定では不可視フォルダになっているのだ。
 何とかデータのあるフォルダを見つけ出した。どうやら以前と保存場所が変更されたらしい。バージョンアップの際に直接バージョンアップせずに別のパーテーションを使ったために以前のデータが引き継がれなかったようだ。ローカルディスクだからといくらか安心していたのだが、保存場所の分かりにくさや保存データが独自の形式であることを考えると自分のデータでありながら自分のものでないような錯覚を覚える。しかも、Macの場合の書き出し形式は独自のEvernote XML形式かHTMLしかない。ボクのようにテキストデータの管理用に利用するならわざわざHTMLである必要もないのだ。これはEvernoteにトラブルがあった場合に回避するための選択肢が少なくなることを意味するのではないだろうか。今に始まったことではないが、ソフト固有の形式が認知されるには長い時間と広く普及することが求められる。せめてリッチテキスト形式という選択肢が欲しいところだ。
 何とか以前のデータを探し出しローカルディスクのデータを見られるようになった。作業そのものはフォルダを入れ換えるだけだが、普段意識していないだけに適切なデータを探し出すのが難しいかもしれない。
 危機感を感じたのでテキストデータを引き上げて保存することにした。

 気がつけば日が暮れていた。
 気力が著しく低下している気がする。夕方あたりからずっと虚脱感が身体を支配している。やっぱりバイオリズムのせいにしておこう。
 明日も低下傾向のようだから諦めて一杯飲めば良かっただろうか。

 データの捜索活動をしているくらいなら作品の創作活動に時間を使いたい。
 

 腕立て伏せ:101回

経路

 人間は脳内のシナプスを介して電気信号をやりとりすることで思考や活動をしているらしい。
 日々考え、悩み、活動した結果、脳内には電気信号の小道ができる。繰り返し鍛錬し訓練することで道は太く強いものになっていく。逆に必要のなくなった活動に関する道は衰退し細くなっていく。

撮影:2011/02/19


 新しい活動の必要が生じた場合…未経験の出来事に遭遇した場合、脳はこれまでの経験を元にした対応を試みるだろう。つまり既存の道を利用して電気信号をやりとりするから遠回りしたり、寄り道したり、迷子になることもある。そのためなんとか対応できたとしてもギクシャクしたりぎこちなかったりする。そして思うのである。
「次はもっと上手にやろう。」
 求められたことに対応することで脳内の既存の道を上手に利用出来るようになるかもしれない。
 では、自発的に動いた場合はどうなのだろう。
 目的が遠かったり明確でなかったりすると脳内にある既存の道筋が利用できるかどうかすらわからない。
 脳内の経路を進化させていくことにすら思えてくる。
 求められることにばかり慣れしてまうと自発的な行動に移るのが億劫になったり、自発的に動くことを行動原理にしている場合は求められることに対応することが窮屈に思えたりするのはそのせいではないだろうか。

 今日は気温が高めだったのか夕方まで雨だった。
 アナログの作画は感覚をイマイチ掴みそこなったので夜になってから3Dソフトをグリグリやっていた。漫画の作中に車のシルエットを使いたかったので車そのものをデザインしてしまおうという流れである。ボディの作画を始めた時点で曲線の扱いがよくわからなかったのだが、天井やガラスを制作しているうちに少し感覚を掴みかけた。
 たぶん初めてのカーデザインである。
…とは言っても、イメージと違う形になってしまっているので改めてやり直すかもしれない。
制作中:2016/02/19


 これがまた脳内の新しい経路になるだろうか。


 腕立て伏せ:102回

2016年2月19日金曜日

維持

 今日は日中陽が射して気温が上がったおかげで制作も勢いづいた。
 制作中の漫画は週末のアップを考えていたが、追加のカットを描いて配置出来たのでその流れでアップすることにした。堪え性がないというか我慢できないというか熟慮が足りないというか…とは言え、本編は昨年末あたりから描いているので時間がかかりすぎである。1月末の漫画コンテストに応募することを考えていたのだから無計画も甚だしい。

撮影:2011/02/17

 今回は背景を3Dソフトで制作出来たので背景の処理に悩むことが少なかったかもしれない。もちろん3Dの工場を制作する時点で結構悩んでいるので、自覚はないが時間そのものはかかっているのだろう。これまで描いてきた作品と比較しても密度の高いページに出来たのではないかと思う。ただ、背景とセリフに頼った結果、ゴチャゴチャして混み入ったイメージになったとも言える。ボカシ効果などの採用で背景をシンプルにすることにも配慮が必要だろう。


 これまでに比べて良いものが描けているかという点についても自信を持って大丈夫と言えないのが正直なところだ。それは今回のページについて情感の類が表現できていないからだ。
 過去の自分に勝てないことは、これまでも出来る限り精一杯描いてきたことを意味する。悔しい一方で嬉しくもあり、やり甲斐にもつながる。
 視覚的に克明な描写に気を取られていると肝心な心の描写が置き去りになることがある。続く予定があるのでオチも弱い…と、言い訳を並べればキリがないのだが、週末に予定していたアップを今日にしたのには、追加で描いたカットが意外とスムーズに描けたからである。実は消しゴムをかけた時にインクが乾いていなくて汚れてしまったので諦めかけたのだ。しかし、スキャニングしてみるとデジタルの修正で対応できたのだ。これには次への可能性を感じさせられた。スキーのように転び方を知ってこそ次への挑戦に繋がることに似ているだろうか。常にパーフェクトを目指す気持ちは大切だ。けれど、転んでも大丈夫という安心が次の一歩を踏み出す自信になることもある。
 いつになっても思うように描けなくて悩むこともある。それでも水が一滴ずつ溜まるように時期が来たらコップから水が溢れ出すように描けるのかもしれない。
 意地があるからこそ維持できているのだろう。

 腕立て伏せ:103回

2016年2月17日水曜日

直線

 ほぼ1日制作。
 最近はまず鉛筆やペンなどでアナログから入るのが定番になっているが、今日は冷え込んでいたので暖房を一部屋に集中してMacに向かった。少し前から制作していた工場の背景を進める。細部が気になってしまうせいか全体のデザインが疎かになりがちのような気がする。3Dソフトで制作すると構造的な所に意識が向くので曖昧な部分は少なくなるかもしれないが、それゆえにつじつまが合わないと成立しない。欲を言えば環境光にも配慮したいくらいだ。もっとも、スーパーリアリズムを追求するのが目的ではない。

 実は直線が苦手だ。高校時代に設計の授業があって定規とカラス口で直線を描かなくてはならなかった。カラス口は将来漫画を描く際に必要があると思ったので高校の授業で手に入ったのはラッキーだと思った。ところがカラス口の先端で線の太さを調節し何本もの直線を引くのがひどく厄介な作業だった。おそらくボクが不器用なせいだろう。カラス口と定規の僅かな隙間にインクが入り込み瞬く間に定規下への染み込んでいく。かくして製図用紙は見るも無惨に汚れてしまうのだ。とても綺麗な図面を描く級友もいたからどうすれば美しい図面が描けるのか不思議だった。

 時代は流れ、カラス口ではなくロットリングを使うという話を聞いた。そして今やデジタルの時代である。直線はパソコンが描いてくれる。いや、描いてくれなくては困る。

 漫画はコマ割りからすでに直線が必要である。都会の風景やメカニカルなものを描く際にも必要な場合があるだろう。消失点が必要な画面であれば常に直線の方向を意識する必要がある。それがまた厄介に思えてしまう。それはアナログ制作に限らない。デジタルであっても2D用の描画ソフトであればやはり消失点が必要であり消失点を設定すれば、距離感も意識しなくてはならない。そこで3Dソフトの登場である。昔は六角大王という3Dソフトで感覚を掴もうとしていたが、予想に反してひどく難しい印象があった。それからなかなかこれというソフトに出会えなかった。満を持して登場したのはGoogleSketchUpである。画期的な発想と操作感だった。以前は無料で商用も可能ということだったから勉強するにはうってつけだったが、3D空間での制作は車酔いにも似た感覚があった。使い始めた頃は長時間続けられなかった記憶がある。

 そんなわけでやっと習得しかけている3Dソフトを使用して漫画の背景を制作。その中から1カットを「工場女子」というタイトルのイラストにした。「Factory girl」の方が良かっただろうか。




 人生も曲がりくねった道を選びがちなのは直線が苦手なせいかもしれない。

 腕立て伏せ:105回

翻弄

撮影:2011/02/16

 朝はそれほど寒いと感じなかったので寒の戻りというほどではないようだった。昨夜就寝が遅かったこともありスタートダッシュに出遅れた感じになってしまった。通常業務の後、所用をこなすために外出した。最初こそ調子よく自転車を走らせていたのだが、天候が下り坂であることを肌で感じる。そのせいかちょっと回り道しようとした時にふと嫌な感じがした。自転車で走り回っているせいか天候の変化に敏感になっている気がする。
「帰って漫画を描こう。」
 踵を返して予定通りスーパーに向かい買い物を終えたらそのまま自宅に戻ることにした。ボクにしては珍しいことだ。しかし、いざ帰宅してみると身体が怠く動く気になれない。急激に気温が低下したためだろうか。机に向かう気持ちもどこかへ行ってしまった。外出中に感じた嫌な感じはこうなることがわかっていたからなのかも知れない。

 朝の時点ではこれまでの方針を修正して少しずつでも公開していくことにしようかと意気込んでいたはずだ。そのためには制作を進めなくては話にならない。
 これまでスキャニングしたままになっているデータもたまっているのでデジタル制作を少し進めることにした。感覚が萎縮しているので彩色のイメージが湧かない。時間をかけている割にすっきりしない画面になっていく。描きたい、描かなくてはという想いとは裏腹に身体がついてこない。窓の外は雪混じりの雨になっていた。

 そんな中でも新しい描き方の可能性を見つけたりする。そもそも13年も前のソフトを使っている。必要な機能の使い方さえわかっていれば全機能を使用する必要はないから機能としては備わっているのに使わないまま気がつかずにいることがある。そこに気がつくのはあれこれ無駄なことをしている時だったりするので無駄も無駄ではないことになる。新バージョンのソフトを使わなくてはならないのは使用しているパソコンに対応しているどうかが問題であって新機能の問題ではないのかも知れない。
 今日は冬と春のせめぎ合いに翻弄されている感じだった。そんな中でも発見があったからヨシとしよう。

 風呂の温度を計るようになってから入浴時の精神状態が安定したような気がする。ハイテクの風呂なら温度設定は当然なのかも知れないが、最近まで温度計で湯温を計ることすらしていなかったので日によって当たり外れがあったのだ。
 今日はレモンを一個放り込んで入浴。柚子を浮かべる感覚に近い。
 身体も気持ちも楽になった気がする。

 腕立て伏せ:105回

2016年2月16日火曜日

復旧

 MacOSの移行に伴って必要になったメールデータの読み込みに時間がかかりそうだったのでMacに徹夜させて読み込み作業をさせた。予想はしていたが、朝になっても半分程度しか進んでいなかった。それでもプログレスバーはジワジワ動いているようなので出来るだけ負荷をかけないようにしていた。完了したのは昼ごろだったろうか。日常業務に間に合ったと思ったのもつかの間。Gmailのアカウントにアクセスではないという事象が発生した。昨日までアクセスできたし、ブラウザからのアクセスも可能となれば、原因はメールソフトの設定だろう。いろいろ調べてみたらどうやらGoogle側のセキュリティ設定の問題だった。Thunderbirdは問題ないのだが、ボクのMacのメールソフトがセキュリティが低いからということでブロックする設定になっていたのだ。自分で自分をブロックしているのだから情けない。設定を変更するとアクセスが可能になったものの今度はアーカイブされたメールデータをキャッシュに読み込んでいるようでまたフリーズ同然となった。

 Macの前に張り付いていても仕方ないので作画するため机に向かう。昨日は動きたくないほど調子が良くなかったのに今日は比較的スムーズだ。ちょいちょい離席してはMacの進捗を確認。
 寒の戻りがあると聞いていたので少し覚悟していたが、昨日に引き続き比較的暖かいようだった。暖かい日の翌日に冷え込む日には思い出す光景がある。県境にある大きな滝だ。車で30分くらいだろうか。坂道が続くのでさすがにこの時期に自転車で行く気にはならない。すぐそばに売店があって店員さんとも顔なじみになるほど通ったことがあった。気温が高ければ雪融けによって滝の水量が増えて轟々と山間を流れ下る。舞い上がる水滴は霧状になり急激な気温の低下によって木々の枝で氷結するのだ。その気象条件によって表情が違うので二度と同じ光景を見ることができないのではないだろうか。

撮影:2013/02/16

 今年はどんな表情を見せてくれるだろう。そんなことを思い巡らせるのはこの時期の楽しみの一つである。

 何とか読み込みは終わったが、毎回こんな調子ではたまらないのでGmailのアカウントはオフライン設定にしてThunderbirdでの管理を検討することにした。
 その後、情報チェックしていたら保存しておきたい記事があったのでpocketに入れておこうと思った。するとパスワードの入力の必要が生じたのでパスワードを管理しているデータを開いたところ…Macがクラッシュした。スキャニングのために古いOSを起動していたのでソフトだけでなくOSごとクラッシュしてしまった。OS9にはクラッシュに備えてMacsBugをインストールしてある。以前のMacはフリーズするとキーボード操作もマウス操作も受け付けなくなってしまうのだったが、MacsBugは簡単なコマンドの入力が可能になるというものだ。当時はフリーズが悩みの種だったので画期的なものに思えていた。もっとも再起動するくらいが関の山だったが、今回もMacsbugの出番になってしまうという事態に陥ってしまったわけだ。最近、大きなクラッシュがなかったので油断していたのも確かだ。しかも古いMacOSには現在のMacOSXのようにTime Machineというバックアップ機能がない。代わりにBuckupというソフトがあるが、セキュリティ面を考慮したつもりでバックアップ対象にしていなかった。
 MacOSを再起動し修復が完了し、データを開こうとしたらまたOSごとクラッシュ。またしてもMacsbugの登場である。それを何度か繰り返しているいるうちに徐々にヤバイと思い始めた。こんな時のために別途保存したデータもあるが、それもしばらく前だったはずだ。そうこうするうちにpocketについてはパスワードのリセットで何とかなった。しかし、利用しているWebサービスは他にもたくさんある。セキュリティを考慮してパスワードをバラバラに設定しているのだが、当然憶えきれないからリストにして保存していたのだ。
 久しぶりにデータ復旧ソフトを探し回ることになった。何とか見つけたデータ復旧ソフトは一万円以上する代物だったりする。試用モードで使ってみたが、残念ながら復旧できないらしい。昔はどうやっていたのか記憶を辿るとNorton先生が思い当たったが、データを削除してしまったわけではない。破損してしまったデータを復旧出来たかどうか記憶が定かではなかった。念のために別途保存したデータを確認すると2014年7月が最新になっていた。約1年半の空白がある。この期間はネットでの活動が活発だった時期と重なる。
 ふとMacのキーチェーンアクセスのことを思い出した。キーチェーンアクセスはMacOSXに標準でインストールされているユーティリティでインターネットなどで使用したパスワードを一括管理している。普段意識することがないのであっかり忘れていたのだ。
 キーチェーンアクセスを恐る恐る起動して確認した。すると欲しかったパスワードのいくつかが見つかった。こんなことがなければキーチェーンアクセスの重要性に気づくこともなかったかもしれない。

 実際にはパスワードが必要な局面にならないとどれくらいのパスワードが失われたのかわからないが、気になっていたいくつかは確認出来たのでホッとした。

 とりあえずボク自身は復旧の方向である。


 腕立て伏せ:101回



2016年2月15日月曜日

移行

 今日は朝から小雨模様だったようだ。春一番が吹き荒れたらしい。春を感じさせておいて急に冷え込む寒の戻りは毎年のことかも知れない。

撮影:2014/02/15

 OSのバージョンアップ作業は順調に終わったのに作業環境の移行で大きく手間取った。OSのバージョンアップ直後はバックグラウンドでシステムの最適化が行われていたりTime Machineがフルバックアップのために動いていたりするのでインストールなどを同時進行しようとすると非力なマシンでは途端にフリーズ同然となる。
 問題になったのはメールデータの移行だ。古いメールやメルマガの類は破棄してしまっていいのかも知れないが、それを選別するための時間がもったいない。したがって全体をバックアップするという事態になる。しかもバージョンアップの移行作業によって重複するメールも生じていたりするからどんどんボリュームが大きくなるのだ。これまでのメールの書き出しに時間がかかってしまって新しい環境でのメールの設定がまだ完了していない。以前と違ってメールサーバーの容量にも余裕があるのだからいちいちローカルに保存する意義も希薄になりつつあるのかもしれない。読み込みでまた時間がかかることやフォルダの解層が壊れたりする可能性があるのでまだ時間がかかるかもしれない。
 メインで使用しているSafariのブックマークの移行の必要もあったが、明日からの作業に備えてFirefoxのアドオンの再インストールや設定の移行もあった。加えてOpenOfficeである。新しいバージョンをインストールしたらJAVAが必要だとメッセージが出たので最新版をインストールした。すると必要なのは古いバージョンらしい。セキュリティ等は大丈夫なのかと躊躇しているとAppleから専用のバージョンが提供されていることがわかった。もしかしたら以前にも似たようなことをしたかも知れないがすっかり忘れてしまっているのだ。自分の必要に応じてカスタマイズできるのは利点でもあるがこうした移行の際は頭を悩ませることになる。
 どこが調子悪いとかいうことではないが、体調の活性が落ちている気がする。結局今日も机に向かわなかった。


腕立て伏せ:105回

2016年2月14日日曜日

勘合

 ご飯の炊ける匂いで目が覚めた。朝はずっとパン食だったが、昨日久しぶりにご飯にしてみたところ思がけず美味しく感じた。昨日は前日の残りご飯だったので起きる時間に合わせて炊飯タイマーを設定していたのだ。朝一番でコーヒーというのも定番になっていたので時間の噛み合わせはどうも良くないようだ。一つ変更すると他にも影響する。何かを変えたいと思ったら直接買えるより間接的に変えれば良いということもあるのかもしれない。
 買い物があったので外出。幸い穏やかな日和で青空も見えていたから自転車を走らせるには都合が良かった。目的はネギ。そろそろ無くなるところだったのだが、ネギがなくなると近所のスーパーを探し回るのは何回目だろう。この時期はどこのスーパーも産直の店も太くて立派なネギばかりである。鍋にするには好都合だが、ラーメンやチャーハンに散らす程度だからもったいないのだ。走りながら前回はどこで手に入れたか記憶を辿る。たしかスーパーの産直コーナーだったはずだ。だからといって置いてある保証もないし、ルートから外れた店だったので通り道に組み入れることができる店に立ち寄って無事購入できた。
 帰宅してネットをチェックしているとPicasaが終了するという情報が流れてきた。写真の管理に都合の良いソフトがなかなかないので便利に使っていたのだが、GooglePhotosの登場により移行を勧められていた。データをネット上へアップすることが前提になるということが気になっていてなかなか踏み切れずにいたのだ。時代の流れには逆らえないということでGooglePhotosをインストールしてみた。するとやっぱり画像データのアップロードが必要だった。Picasaはスタンドアローンでネットワーク内の画像を管理できたので色々考えるとGooglePhotosはやっぱり都合が悪い。では、Appleの画像ソフトはどうなのだろうということなのだが、これまたOSをバージョンアップする必要があった。旧OS環境を残しておきたかったのだが、実際にはほとんど使っていなかったので思い切ってOSのバージョンアップに踏み切った。
 OSのバージョンアップは順調だが、どうやら動作が重くなった気がする。このままバージョンアップしていいものか迷いが生じる。そして覚悟していたことだが、古い環境で使っていたソフトがいくつか使えなくなった。やはりマシンパワーが足りないのだろう。つまりはマシン本体から新品を揃えなければならないという結論に辿り着く訳だが、それができればこんなに四苦八苦する必要もないわけだ。

 結局今日は机に向かわなかった。
 とりあえず炊飯器をセットしてOSのバージョンアップを続行しつつ布団に入ることにしよう。

 腕立て伏せ:105回

2016年2月13日土曜日

沈殿

 いつからだったか朝はパン食にしていた。体重を気にかかっていたことや手軽さを考えたからだった。しかし体重は増加傾向なので体重への影響は考えなくて良いと思い、久しぶりにご飯に納豆卵で朝食にした。

 予定より灯油の消費が早い。この時期の光熱費は悩みの種だ。防寒着を着込むなどして我慢しているつもりでも在宅時間が長いので必然的に暖房のお世話になる。これでもコタツがないので電気代はいくらか節約出来ているはずだが、ファンヒーターの使用時間が長ければトータルではどうなのだろう。午前中に一度自転車で走れば身体が暖まるので暖房の使用時間も短く出来るのではないかと思いつつ、この時期はそれもなかなか難しく実行出来ないでいる。春はもうすぐだろうと思えば、気持ちはいくらか楽になる。

撮影:2009/02/14

 今日も机に向かった。しかし、鉛筆が走らない。ペンも走らない。
 こういう日が定期的にやって来る気がする。丁度バイオリズムが低調期。調子が悪い時にはバイオリズムか気圧のせいにしているのだ。最近はそれに加えて月との距離。月の影響については以前から関心があって月の引力がどういうタイミングで最大になるのか調べてみたものの残念ながらわからなかった。ただ、月は楕円軌道を描いていて新月と満月の日が最接近の日とは限らないらしい。満潮や干潮が月と太陽の引力の影響であることは知られているから月の最接近のタイミングと重なれば、影響が強くなるのではないかと想像した。また地球の自転により北極や南極と赤道付近では体重にも差が出るらしい。これは単純にわずかな体重の違いだけだろうか。わずかな差とは言え常に身体全体が影響を受けているのだ。
 結局の所、何の影響か特定は出来ない。毎日悶々としていた頃の事を思えば周期的な不調はまだ良い方かも知れない。逆に言えば、不調でない日があるということだ。

 何にもしない中高年サラリーマンが話題になることがある。何にもしないんじゃなくて何にも出来なくなるのではないだろうか。それで仕方なく過去の栄光を声高に自慢したり社会や組織批判…果ては個人攻撃に終始することになる。他人事ではないのである意味では自己防衛なのかもしれないと思ったりする。若い頃はそれがわからなかった。いくつになっても活動的な人がいるからかも知れない。できればボクもそうありたいものだ。

 車がある時は雪があっても気晴らしに車を走らせていた。お陰で少しは写真が残っていたりする。自転車でも少し頑張れば気晴らしくらいは可能だ。やはりある程度の準備と覚悟がないとリスクが高まる。気温が下がっているので路面が滑ることがあるし少しずつ長くなっているとは言え、まだ日が短いのだ。夕方にスーパーへ買い物に出たが、帰宅直前にコンクリートブロックを見落として衝突するところだった。

 子供の頃は新鮮だった季節の移ろいを何度も経験しているうちに繰り返される当たり前のものになってしまっていないだろうか。いつか愛おしくて別れがたい世界へとなっていくのだろうか。


 腕立て伏せ:102回

2016年2月12日金曜日

超然

 挑戦を当然にする。
 腕立て伏せをて始めてどれくらい経ったろう。回数を増やすことを目的にしていた頃も大変だったが、毎日を100回のノルマにしてからも楽になったわけではない。「維持すること」は、これほど大変なのかと思う。丁度100回を目標にすると目標数をこなすことすら難しくなるのだ。それで100回以上で何回出来るかを指標にしている。

 漫画もずっと描き続けていて「あ〜したい。こ〜したい。」という想いは尽きない。それでも考えずとも描けるようになることで次のステップが見える気がするのだ。
 2年…長いようだが、ボクにしては急速な成長期だった。「まだこの程度かよ」と思う一方で「ここまでよくやって来たよ」と想いもある。丁度登山に似ているかも知れない。高い山に登ることが目的ではない。愛する山に登るかどうかが大切なのだ。マイペースでも一歩ずつ。

 今日は外出することもなく制作の時間をとることが出来た。相変わらず思うような線が描けない。今日は眼の調子があまり良くなかったせいかも知れない。理想としては考えなくても当たり前に描ける状態なのだが、ペンの走りも良くない気がした。スキャニングして見ると粗が目立つ。日によって調子に浮き沈みがあるし、些細な出来事で精神状態が左右される。超然という心境に辿り着くにはまだまだらしい。
 描き直しの必要を感じつつ一応レイアウトしてみた。イラレ上で台詞を配置していたのでイラストに合わせて調整した。
 背景に工場を描かなくてはならないと思い「工場建てるのかぁ」と億劫な気持ちが頭をもたげる。始めてしまえば面白くなるだうとは思いつつ、実際は作品に使うというより曖昧なイメージを具体化する作業に近い。
 設定はクリーンルームであるため窓はない。照明と空調は必要だろう。謎の部品を製造しているのだが、この作品中では大きな意味を持たない。

謎の部品工場デザイン

 3Dソフトを使用して制作しているが、こうして見るとちっとも面白い絵になっていない。謎の部品を作っているならもっと不可思議なデザインにした方が愉快ではないか。それをやるとまた例によって脱線してしまう。今回はホントに少ししか使用する予定がないので程々にしなくてはならないのにクリールームなら更衣室が必要だとかトイレだとかタイムカードだとか見えていないものが気になってしまうのだ。

 この流れは小さなアイディアの種を大きくする過程に似ているのだが、まとめる力が足りないだけかも知れない。



 腕立て伏せ:104回

2016年2月11日木曜日

結晶

 明日は祝日らしい。例によって雑用は少ないはずだが、雪がまた降り始めているので雪かきの必要がないか心配だ。

撮影:2012/02/11

 今日は描きかけていた下絵に加筆修正などがメインだった。以前デジタル彩色にはイラレを使っていた。イラレは様々な局面で使用して来たから慣れているしフラットな彩色には向いているだろうと考えたのだった。しかし、アウトラインの抽出に時間がかかることもあってフォトショに切り換えた。懸念していた通りブラシの使い方でボンヤリしてしまいヌルっとした印象になる。印刷を前提として漫画であれば、スクリーントーンを使う所をデジタル彩色してしまうのでザラッとした要素を排除出来る代わりに力強さに欠ける気がする。適材適所使い分けるのが良いのだと思うが、まだイメージ先行になっていないため試行錯誤になってしまうのだ。
 先日制作したイラストでは水彩フィルタが功を奏したが、どんな場合でも通用するわけではないようだ。たぶんアニメっぽい表現を求めているわけではない。どちらかと言うと写真と漫画の間の表現を求めているような気がする。詳細に描けば良いというものではないし、だからといって描かないのでは楽しくない。順光、逆光、俯瞰、アップ、ロング、接写、望遠…これまでも漫画の表現の中に取り入れられて来たであろうし、また写真にも漫画の表現が取り入れられて来たかも知れない。
 ボクは縁あって写真を撮って来た。直接的にではないが、構図の取り方や発想などで絵画を参考にして来たと思う。おそらくこんな風に相互に影響し合いながら表現は人類と共にあったのだろう。

 ボクはボクの経験の中で得たことの中から出来ることをする。
 それ以外に何があるだろう。

  深夜になってこれまでのページを並べてみた。結構描けていたつもりでまだまだ足りない。描いているうちにページが増えるのだから当たり前だ。既に何度も挫けそうになっている。


 腕立て伏せ:104回

2016年2月9日火曜日

根底

 今日は買い物に出なくてはならない日だった。自転車を走らせていくらか運動不足を解消する日でもある。車道は自転車でも問題ない程度に雪が融けているので予定にはなかった書店にも立ち寄った。インターネットがあるわけだから書店に足を運ぶ理由も少なくなっている。併設のCDショップはゲームとカードのコーナーで保っているように見える。コーヒーショップには利用者がいるようだ。書籍とコーヒー。ネットでも物理的なモノではなく体験に対価を支払う動きがある。ゲームやカードもそうではないだろうか。そう考えるとコーヒーが飲める図書館のような空間での体験という流れも不自然ではないのかも知れない。ネットカフェのような閉鎖的空間利用ではなく飽くまでも書店やカフェのような開放的空間利用が前提だ。

撮影:2012/02/10

 隣の産直の店に真っ赤な紅玉が出ていた。紅玉の時期は過ぎているはずで春紅玉もそろそろ終わりではないかという時期なのに…昨年の紅玉の旬の時期にリンゴ酒を漬けられなかったので手を伸ばしてみる。小振りで色のいい紅玉だ。リンゴ酒を漬けるなら容器の準備やホワイトリカーが必要になる。出費が嵩んでしまうのでやはり断念。実は春紅玉がまだ2つ程残っている。

 目的の買い物を済ませ帰宅すると程々に疲れているのだが、焼そばを作ってタマゴとワカメのみそ汁で昼食にした。

 昨日スキャニングしたカットをイラレで配置してあったので彩色し背景を添えてみた。イラレで簡単に描いてボカシたためか全体的に重みが足りない感じがする。テーマが相変わらずで代わり映えしないが、最後のコマの台詞はいつかボク自身が言いたい言葉でもある。


 いつか終わる人生だとはわかっている。本当に苦しい時は生も死も価値の違いなどどうでもよくなってしまうものだ。今はまだ幕引きをしたくないと思うのは幸せだということなのだろうか。
 思えば、生まれた時は欲しいものなどなかっただろう。
 足りないものを知り、欲しいものを知った時、幸せが遠いものになる。欲を捨て望みを手放すことで幸せが身近なものになるのなら、幸せは生きることとは対極にあるということなのだろうか。あと何十年生きても答えは見つからないかも知れないが、折に触れて問いかけ続けて行くことになるんだろう。

 腕立て伏せ:103回

経過

 一年で一番気温の下がる時期。放射冷却のせいか今朝もよく冷え込んだ。
 この時期は無性に甘いものを食べたくなるのだが、バレンタインの時期ということもありチョコが買いにくい。先日もスーパーでチョコを買おうとしたらレジで馴染みのおばちゃんに冷やかされた。毎年のことなので正直ちょっとめんどくさい。甘いものを欲しているだけなのでバレンタインは関係ないのだ。
…とは言っても毎度お馴染みの冷やかしで深い意味はないのだろう。些細なことが気になるのは年齢のせいなのかと思ったりする。気をつけてはいるつもりだが、偏屈で口うるさいオジさんはいやだなぁと自分で思う。

撮影:2009/02/08

 相変わらずの毎日だが、夕方になって「今日は何をしてたんだ?」と思った。これまたいつものことだ。夜になって描いていたラクガキを拾い集めてスキャニングしてみる。裏紙に描いていて後悔することがあるのは調子が悪くないからなのだが、新しい紙に描こうとすると失敗するから困ったものだ。本番に弱いのだろう。そう言う意味ではやっぱりアナログより何度もやり直し出来るデジタル向きなのかも知れないと思う。それにしてもラクガキとは言え思った以上の点数があった。描くことが当たり前になっているのはいいコトだと思う。裏紙に描いたラクガキであってもデジタルデータ上で彩色するために下絵として使うなら問題ないようだ。こうして見ると眼の位置のズレを補正したつもりが逆効果になっているようだ。それとも明日になれば見え方が変わるだろうか。
 今日はA4コピー用紙で9枚程スキャニングした。



 腕立て伏せ:102回

2016年2月7日日曜日

迂回

 人生は迷い道。それは迂回するせいかも知れない。
 まっすぐ進みたくても道がない。崖があって進めない…仕方なく迂回する。そして迂回の道でまた迂回の必要があったりして迷子になるのではないか。気がつくと元いた場所に戻っていて時間だけが過ぎていたりする。しかし、迂回して道に迷ってこその出会いもある。そう考えれば無駄なことではないのだろう。道草ですら足りないものを探しているのかも知れない。

 食べたものを毎回写真に撮っているわけではないが、撮っておくと記録にはなる。2013年の今日は麻婆豆腐を作ったらしい。そういえば、最近作っていないかも知れない。折りをみてまた作ろうと思う。

撮影:2013/02/06

 土日は雑用が少ないので制作に打ち込むことができるはずなのにどうしても気が緩むらしい。生活を考えるとそんな暢気なことは言っていられないはずなのに。
 今日も机に向かって作画に取り組む。年齢のせいで近い所を見るのに苦労することがある。公的な場所でそう言う場面に遭遇すると困ってしまうことがある。漫画を描く際もそうなので一応100均で買ったシニアグラスを手元に置いてある。ただ、使ってしまうと負けるような気がして意地を張って裸眼で描くように努めていた。ところが、最近不思議なことに漫画を描く時だけ近くに目の焦点が合うような気がしていた。それでもペンで2本の線の先端を合わせようとするとズレてしまう。描いた線に隙間があると後の工程で手間が増えるので出来るだけ閉じておきたい。
 今日、ずっと使っていたGペンのペン先を交換した。予想はしていたが、Gペンとは思えない程に線が細い。しばらく描いて慣らさなくてはならないと思いつつ描いてみると…これまた不思議なことに余計な隙間が出来ず閉じたい線はぴったりと閉じる。これはどういうことかと考えてみた。要するにこれまで使っていたペン先に腰が無くなっていたためにペン先が意図しない線を描いていることに気がつかずにいたということだろう。それはペン先のせいではなく視力のせいだと思い込んでいた。これは描いている紙の下敷きのせいもある。机の天板は木製なのだが、カッターナイフで傷をつけたりしてしまうのでカッティングマットを敷いている。そのままでは表面のわずかな凹凸や固さの影響で描画感がしっくり来ないのでさらに厚手の紙を敷いている。厚手の紙は力をかけて描くと鉛筆の先やペン先がわずかに沈むのだ。しかし、この沈む感覚の誤差を把握出来ていないとペン先が泳いだり逃げたりするのだが、腰のなくなったペン先では誤差を修正するコントロールが利かず本来描きたい線からわずかに迂回していたということだろう。
 いずれにしても明日からは精度の上がった眼とペン先で作画することが出来るはずだと期待している。

 腕立て伏せ:108回

2016年2月6日土曜日

礎才

撮影:2006/02/06


 今日は珍しく朝から鼻歌を口ずさみたい気分になった。春の兆しだろうか?せっかくなので録音してみようと思い立ちMacの前で唄ってみる。手探りということもあるが、納得行かないので何度もやり直した。どうやら喉が錆ついている模様。ピッチを合わせるのが意外と難しい。重ねて録音したくなったのでピッチのズレが問題なのだ。


 20歳の頃はそれなりに熱心にギターを練習していたが、仕事が忙しくなったり近所迷惑を考えるようになって次第に弾かなくなってしまった。たぶん唄うことが好きなんだと思う。だから演奏出来るならギターでなくてもピアノでもいい。にも関わらず、あれやこれやと手を出した割には何一つモノになっていないというのが実情だ。

 才能があるとかないとか話題になることがある。個性という意味での才能は誰もが持っているのではないかと思う。まずは基礎になる才能。言うなれば礎才がある。そこに努力を積才していくことでより大きく強固な個性が構成されて行くのではないだろうか。もっともそれは容易なことではない。

 以前、やなせたかしさんのサイン会に出かけたことがある。「詩とメルヘン」という雑誌の企画だったろうか。会場は若い女性でいっぱいだったのでいささか身の置き場に困ったが、ボクは詩とメルヘンの読者であったしイラストコンテストに応募したりもしていた。やなせ先生は「手のひらを太陽に」の作詞者であり、アンパンマンの原作者でもあり、詩とメルヘンの編集長でもあった。そのやなせ先生が歌うコーナーがあった。何の曲だったか憶えていないが、堂々と、朗々と歌う様子が印象深かった。
 ボクは緊張しいなので初対面の人に囲まれて唄うほどの度胸はない。せめてMacの前でボソボソ唄うのが関の山なのだ。

 それでも鼻歌が出るような精神的なコンディションは悪くない。思えば、父も仕事をしながら鼻歌を唄ったり口笛を吹いたりしていた。子供の頃からその様子を見ていたからてっきり父はその仕事が好きなんだと思っていたら、特別好きなわけではないと言うので驚いたことがある。好きな仕事でなくても楽しんで仕事していたのかも知れない。実際、神経の使う職人の仕事は楽ではないし、春夏秋冬の厳しい環境で汗を流して働いていた。長男でありながら継がなかったのは、その仕事は真似出来ないと恐れを為したからである。

 そしてボクには何が出来るだろうと考える。
 いつもここから。いつもこれから。
 

 腕立て伏せ:110回

2016年2月5日金曜日

意欲

 昨夜は海辺へ引っ越す夢を見た。瀬戸内だったようで海流の流れが早い。その引越し先は若い頃の友人とのシェアハウスになっていて友人の相変わらずマイペースの振る舞いに辟易していた。しかも、大潮の時期になると海水面が上昇し海抜が−3cmになるという。老朽化した建物は雨漏りもしている。どうしてこんな所に引っ越したかと不満を抱えていた。玄関先に出ようとすると元気のない小猿が横たわっていたので拾い上げて介抱する。大きなクリクリした目をまばたきしたから大丈夫だろう。

撮影:2010/02/07

 朝起きて机の上に残された昨日のカットを見たら今日は作画意欲が高まっていることに気がついた。脳内にある扉が開いていくらでも描けそうな気がする。
 意欲が高まっている時は得てして軌道を外れてしまいがちである。用心はしていたつもりだったが、漫画以外の仕事で手間取ってしまったのでプログラムを改良したい衝動に駆られた。今これをやっておけば、この先が楽になるのではないかという見通しである。今日はちょっと様子見のつもりだったが、案の定、深みにはまり込んだ。どうせなら新しいソフトを使おうとしたのが間違いの元。そのまま転用出来ればという期待は脆くも崩れ去った。しばらく格闘して消耗してしまったのでこれまでのプログラムで仕事をこなそうとしたらこんな時に限って不具合が見つかる始末。付け焼き刃の知識でやりくりするからボロが出るのだ。

 机に向かうが朝の意欲とは裏腹に集中力が足りない。プログラムの不具合が気にかかっていたのかも知れない。

 午後になって置き薬の営業さんが来た。置き薬は置いているだけで使ってないのでチェックだけなのだが、ついでに四方山話をしたりする。その時に営業さんがおかしな事を言っていた。
「アオサギが立ってたんですよ。」
 その一言では意味が解らず「置物ですか?」と笑い返すのが精一杯だった。
 暗くなってから自転車で買い物に出た。T字路の交差点で一台の車が非常点滅表示灯を点滅させて停止している。後続の車が意味が解らず追い越そうとしてまた停止。何があるのだろうと回り込んで見たら…アオサギが突っ立っていた。
 通常なら数十メートルの距離に近づいても飛び去ってしまうような警戒心の強い鳥である。それが車との距離数メートルで微動だにしない。やっぱり置物じゃないかと思った程だ。ふと、その様子を見守っている人に気がついた。
「ウチの池の魚を獲ったヤツだわ。あちこちで獲って歩いてるの。」
 話によると近寄れば威嚇するらしいが、このままでは車が通れない。自転車を降りて近づいてみるとスタスタと歩いて反対車線側の歩道まで歩いて行ったので立ち往生していた車は通って行った。ボクとしてはハグしたいくらいの心持ちだった。どうやらふられたらしい。
 辺りはすっかり暗い。
「鳥目だからもう見えないですよねぇ?」
 見ていた人に声をかけてみる。それとも夜な夜な池の魚を獲って歩いているのだろうか。
 アオサギは写真に撮りたくてもなかなか撮れない鳥なので至近距離で見られたことにボクは少し興奮していたかも知れない。一方で飛び去ることもなくスタスタ歩くのでいささか拍子抜けしている感がある。やはり暗いから飛べないのだろうか。
「お巡りさんに届けた方がいいのかねぇ。」
 野鳥なので気ままに活動しているのだろう。交番に届けたからと言って解決するものではないだろう。それでも通行の妨げになるようなら警察でも把握しておいた方がいいのかも知れない。
 スーパーの帰りに近所の交番に寄って報告すると見回ってみますとのこと。そもそも事故の多い交差点なので巡回の回数が増えるのはいいコトではないだろうかと思った。
…アオサギの置物を置けば、事故は少なくなるだろうか。

 帰宅してしばらくすると桜島噴火のニュースが飛び込んで来た。
 昨日辺りからの不思議な出来事との関連性を感じてしまった。

 不具合がどうにも気になるため夜になってプログラムの改修を試みた。その前に不具合が起きた原因を調べる。基本的にはApplescriptでテキストの検索置換をしているわけだが、いつも問題ないのにどうして不具合が生じたのか不思議で仕方ない。それで元になったテキストを調べていたらあり得ない原因が見つかった。濁点つきのカタカナが通常の入力ではなかったのだ。書類にカタカナの濁点を一文字として書く必要のある場合があるが、意味もなくその方法で入力されていたのだ。たぶん文字コードも違うのだろう。どうやらそれが原因で文字数カウントが誤動作したらしい。間違いのないように何かのデータをコピペしたのだろうか。そうでなければこんな入力しないだろう。濁点の部分を一文字として認識させることが出来ないからプログラムの改修のしようがない。
…詰んだ。

 明日は描けるかな。描かなくちゃ。


 腕立て伏せ:108回

2016年2月4日木曜日

兆候

 朝、何かの気配を感じてふと目が覚めた。
 ひとり言とも咳払いともつかぬような男性の低くしゃがれたような声が聞こえた。
「・・・…」
 何を言っているのか聞き取れなかった。携帯の時計を見ると午前7時前。部屋の中も既に明るくなっている。すぐ外は駐車場になっているから誰かがいれば話し声くらいは聞こえても不思議はない。しかし、まるで枕元で誰かが何かを言ったような感覚だった。
 そう言えば、随分前に「あと三日」と声が聞こえたことを思い出した。随分はっきりした声だったから、もしかして三日後に死ぬんじゃないかと不安に思ったりもした。あれからもう何十年経ったろう。
 若い頃はそういう不思議な出来事がちょいちょいあったような気がする。最近はしばらくご無沙汰だったから少し懐かしい感覚のような気がする。

 そういえば、昨日は節分だった。
 以前に描いた鬼神のイラストがあったことを思い出した。


 天候は晴れ。今日は買い物に出なくてはならなかった。自転車のタイヤの空気が足りないようだったので詰めてから走り出す。近所の川沿いでは鴨が日向ぼっこに余念がない。近づけば逃げるだけなので見て見ぬ振りでペダルを踏み込んだ。2010年も暖冬だっただろうか。写真を確認したら今年より雪が少ない印象だ。

撮影:2010/02/05

 買い物ついでに立ち寄ったショッピングモールで自宅から持ち出した牛乳パックとアルミ缶をリサイクルに出し、ついでに散歩という運びだ。平日とあって客も週末よりぐっと少ない印象だった。生鮮食品のコーナーに早くもフキノトウやタラノメが並んでいるのに少し驚いた。太いコゴミもあった。栽培品だろうと思ったが、野山の地物が見られるのはまだ2ヶ月も先の話だと思うから春の風情が感じられて嬉しい。そうだ。2016年も1ヶ月が瞬く間に過ぎ去ったのだ。用もないのに飲食店の通りを歩き、ペットコーナーで遠巻きに眺める。犬は多いのに猫が少ないのはちょっとした不満だが、触るわけでもないしちょっと気になっている程度に過ぎない。それから衣料品の安売りをチェックして2階へ上がり、映画館の前に立って話題の映画も結局観ないまま終わるようだと考える。書店を覗いて靴や時計などの専門店を横目に眺めつつ、いつだってこうして歩いて通り過ぎるだけなのだ。今日はゆっくりしたい気持ちになったが、しばらく歩いたので防寒着のせいで暑くなってしまった。店の外に出るとヒンヤリした空気が心地いい。その後は例によってスーパーや産直の店をハシゴして必要なものを買いそろえた。
 やはり雪の残る歩道を走ったからか帰宅するとどっと疲れが出た。カップラーメンで昼食を済ませ漫画以外の要件に取り組んでいたらあっという間に夕方である。カレーを作る予定だったので鶏モモ肉にヨーグルトを絡めて下ごしらえ。
 このまま一日を終えるわけには行かないと思い机に向かった。自転車で走りながら思いついたエピソードを描き留めておかなくてくならない。ウマく行けば描いていたエピソードと繋げられるかも知れない。30分程度描けたろうか。歩いたり自転車で走ったりしたせいか描くことについての調子は良いようだ。走り描きしたネームは思ったように描けなくて少し落胆した。明日またやり直してみよう。
 カレーは週一のペースで作っているので同じも料理なのに意外と毎回出来が違うのは分量を適当にやってるせいだろう。今日のは少しとろみが足りなかったようだ。これまた明日になれば美味しくなっているだろう。

 腕立て伏せは、寒いせいか調子が良くない気がする。
 腕立て伏せ:103回

2016年2月3日水曜日

改造

 玄関の郵便受けにジャコウネコが潜り込んでいる夢を見た。ジャコウネコと言っても実物を見たことはない。テレビで見かけたことがある程度だろう。夢に出て来たジャコウネコは小さくて身のこなしはアナグマのようだった。もっともアナグマも実物を記憶が確かなわけではない。動物園で見たことがあったような気もするがやはりテレビで得た知識だろう。
 気温は低いがよく晴れているので野鳥を見に行きたい衝動に駆られた。自転車なら40分くらいで白鳥や鴨の集まる沼へ行くことが出来る。沼…池との違いは何だろう。

撮影:2012/02/03

 机に向かって昨日の続き。作画タッチを改造したいと考えていた。
 筆のタッチは好きだ。強くて柔らかい印象がある。それで良しとすることが出来ないのは、そのままの線の太さの比率で小さめのカットが描きにくいということがある。頭部の輪郭を描く際には筆の柔軟さが曲線を描くのに向いている気もするので適材適所に使い分けるのがいいのだろう。


 せっかくなら使っているGペンやスプーンペンの特性を活かしたらどうだろう。シャープで強い印象。そして繊細さも兼ね備えたい。イメージはあったのだが、それを如何に具体化するかということが問題だ。
 昨日と同様、描き損じの裏紙に描いて行く。描いていると少年時代に憧れた漫画のイメージが重なる気がして嬉しい。もちろん絵は似ても似つかないだろう。少年時代に読んでいた漫画の絵はまるで職人の業のようだった。話の面白さはもちろんのこと絵を眺めるのがとても好きだったのだ。
 漫画は絵だけでなく話の内容や構成によって成立することは承知している。だが、ボクはやっぱり絵にこだわりたい。極端なことを言えば「話はイマイチだし構成もなってないけど絵はいいね」と言われる作品にしたい。むろんそこに甘えてはいけないのだろう。

 個性は美しいとは限らない。美しいことが個性とも限らない。
 美しいからと言って面白いものであるとは限らないから、そこを取り違ってもいけないのだろう。
 ペンを捻ったり向きを変えたりしながら何枚も描いて行く。線の太さで面の角度を表現したいのだ。
 描いた絵はイメージとはほど遠いものだった。当たり前だ。そんなに簡単に改造出来るわけはないしそれでは面白くない。やっかいなのは他の誰でもないボク自身なのだ。



 腕立て伏せ:108回

2016年2月2日火曜日

軌道

 一日外出せずに机に向かっていたはずなのに結果が出ていない。
 漫画以外の案件をこなしていたからなのだが、机に向かっている時に目的もなく描いていたからということが大きいかも知れない。ラクガキレベルの作画の調子は悪くなかった。ただ、波に乗れなかった感じだろうか。気持ちを高めて一気に描く。それがウマく行かないと完成まで辿り着くことか出来ない。ラクガキをしているうちに集中力が高まることもあるので鉛筆を走らせたりペン入れしたりということを継続しているにすぎない。気がついたらこれまで描いた失敗の紙の裏を使って描いていた。要するに本番を描く気持ちが出来ていないということだ。

 漫画以外の案件はもう何年もやっていることなので少しずつ効率化しているつもりだが、それでも繁忙期は数時間を要してしまう。今日は3〜4時間はかかったろうか。漫画を描くための時間がそっくり持って行かれてしまいかねない。
 以前は正規表現を利用して文章の整形していた気がするが、やり方をすっかり忘れてしまった。現時点ではApplescriptで出来る範囲の自動化をしている。自動化というものは臨機応変な対応をさせようとするとプログラムが肥大化する。プログラムが肥大化すればメンテナンスも大変になるので必要最低限で対応しようとしている。故に効率化が限界となってしまうのだ。そもそもそんな複雑なプログラムなんて書けやしない。

 線路は2本のレールで軌道となる。電車の車両の重さに耐えるためにはしっかりした基礎と枕木も必要だろう。

撮影:2012/02/02

 今日は、風呂の湯が溜まるまで温度を見ていることにした。最初さすがにちょっと熱いなぁと思ったので温度を確認すると50℃だった。こりゃいかんと思い、調整していい湯加減と感じたのが48℃。入浴するのは少し後になるから45℃くらいまで下がればいい感じかも知れない。問題は浴室の室温が3℃くらいしかないということ。浴室は20〜23℃くらいがいいらしい。入浴前に蓋を外して浴室を温めればいいのだろうか。改めて数字にしてみてびっくりしたが、意外とそんな感じで入浴しているのかも知れない。

腕立て伏せ:103回

2016年2月1日月曜日

衝動

 夢に飼育小屋が出て来ることがある。小学校にあったような小さな飼育スペースに馬だのカラスだの猫だのウサギだの広い世界で自由に活動すべき動物たちが所狭しとひしめいている。しかもよく懐いている。昨日の夢でも飼育小屋が登場した。先日他訪ねた折りにはみんな元気だったが、白い馬の額の辺りが赤く皮膚炎になっていた。狭い所で飼育しているせいだろう。

 夢から覚めてふと思った。
 彼らはボク自身の衝動ではないのか。
 広い世界を自由に駆け回ることが出来るのに理性という飼育小屋に押し込んでしまっているのではないだろうか。飼いならしてしまっているとすれば、その方が問題なのかもしれない。野を山をそして空を自由に舞うために彼らの力が必要なのではないだろうか。

撮影:2012/02/01

 晴れていたので先に買い物を済ませようと自転車を出した。例によって歩道には雪が残っている。スーパーの駐輪スペースにも雪。こんな日に自転車で出かける人も少ないのだろう。閑散としたホームセンターで店員同士の会話を耳にした。
「もうちょっと…ホンの少しだけボリュームを下げてもらっていいですか?」
 一瞬、耳を疑った。言われた方は若干ムッとしているような気配を感じる。こんな静かな店の片隅で鳴っている音楽のボリュームをさらに下げろと?省エネが目的ではないだろう。以前はもっと活気のある店だった気がする。地元の魅力のひとつでもあったのではないだろうか。近所に出来たショッピングモールの活況のせいにしてしまうのは簡単だが、閑散とした雰囲気の店内では客足が遠のくのも無理からぬことに思えた。
 目的を忘れそうになりながら店内を歩く。
 最近、寒いこともあって入浴時の湯加減を熱めにしている。ただ、一体何度になっているのか計ったことがなかったので湯温計を探しに行ったのだ。事前にネットで検索した感じでは700円前後のようだった。ただ、デザインが子供向けな感じなので購入の動機に繋がらなかった。ホームセンターの入浴用品のコーナーを見てみるとネットで見かけたものが陳列されていた。価格も予習通り、デザインもまたかわいい感じ。この際かわいいものでもいいのかも知れないと思いつつさらに店内を見て歩くと温度計のコーナーがあって500円台の湯温計も見つかった。デザインは特にかわいいわけでもないので購入した。その後で用があったので100円ショップに立ち寄った際に念のため入浴用の湯温計を探したらなんと販売されているではないか。若干ショックを受けたが、かわいいクジラさんの湯温計だったので何とか気持ちに蓋をした。100円ショップでは防寒用のルームシューズに使用する靴の中敷などを購入。他に必要なものを揃えるために何軒かの店をハシゴして帰宅した。約2時間の行程だ。毎日これくらいは走った方がいいのだろうか。焼そばで昼食を済ませた。
 さて、夜になって浴槽にお湯を溜める。追い炊きが出来ないタイプで沸かしたお湯と水を合流させて1つの蛇口から出すのだが、付きっきりでいるのは時間がもったいないのでその間に布団を用意したり歯を磨いたりしている。そして良い頃を見計らって温度を調節するのだ。そろそろいいだろうと思ったらさっきの出方より勢いがある気がした。よくあることなのであまり気にせず手を入れて湯加減を確認して見ると案の定ぬるい気がする。そこで今日購入した湯温計で計ってみると…46℃「危険」と出た。
…いつも熱々の湯に肌を真っ赤にしながら入っていたので湯温計の精度の方に疑問を感じてしまう。もっとも、温泉に行くと他の人が熱いと言って入れない湯温が平気だったりするから思い当たる節がないわけではないのだ。要するに鈍感なんだろう。
 入浴時には44℃になっていたのでいつもの温度に比べれば躊躇いなく入れるレベル。長湯するにはいいかも知れないと思った。浴槽に出入りすると湯温も下がる。最終的には41℃まで下がった。ボクとしては湯冷めが心配になる温度なのだが、一般的にはこれが適温ということらしい。そういえば、子供の頃から熱い風呂が好きで後で入った母がよく驚いていた。せっかく湯温計を買ったことだから少し気にかけてみようと思う。

 今日の制作はあまり長い時間は取れなかったが、アイディアのラフを少々。描くことが世界観の設定にもなるのでちょっと描き始めたことが予想外なことに発展することもままある。それでまた横道に逸れてしまうのが困りものだ。


 腕立て伏せ:105回

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...