2016年8月31日水曜日

劣化

 よく晴れた朝。気温も上がった。
 台風が過ぎたおかげで少し涼しくなったような気がしていたため、ちょっと油断したかも知れない。
 調べ物で見つけたプログラム的なものを試してみたが、どうやら反応がない。やっぱりちゃんと勉強しないとダメなのだろう。

 目的を達成するために必要なことは様々あるが、その中でも締切は重要な位置にあるのではないだろうか。締切があるからこそ効率を考え、完成度を高めるために集中する。
 子供の頃は、どうしても夏休みの宿題が残ってしまい最終日を泣きながら過ごすのが恒例になっていた。その経験が良かったのかどうかわからないが、仕事における締切の意味は格別のような気がする。


撮影:2012/09/01

 火事場の馬鹿力のような底力を発揮するきっかけにもなると考えられるから「締切」が大切だという意識を持っている人は少なくないのではないかと思う。

 一方で「締切に間に合いすればいい。」という意識はないだろうか。

 工業製品であれば納期に合わせて材料や設備や人員を手配し経験や計算基づいて計画を立てるだろう。
 農作物はどうだろう。気候や温度、播種の時期や生育状態を確認しつつ出荷に向けて準備するわけだが、その計画に自然が関与するため計画通りに完熟になるとは限らない。締切だからと未熟な作物を出荷すれば値がつかないばかりか評判を落とすのが関の山だ。締め切りより早く熟してしまうことだってあるだろう。

 人間の成長はどうだろう。
 工業製品のように扱っていないだろうか。

 計画通り行かないからと自分のことを見限ってはいないだろうか。

 効率を上げることは重要であるかもしれない。しかし、だからと言って完成を急いではいけない。効率を上げるために技術や準備を周到にすることが大切であって締切だけを守ろうとすのは本末転倒。成長どころか劣化を招きかねないのだ。


腕立て伏せ
1回目:101回
2回目:110回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月30日火曜日

進路

 迷子になっていた台風が進路を決めたらしい。
 体調が優れないのは、台風の影響だろうか。

 今日は少し手描きに取り組んでみたが、多分暑さのせいで落ち着かない。外出しなかったせいだろうか。焦燥感がたまっているようなイライラが続いている。

 Webの更新状況をチェックするための良い方法がないかずっと探している。良いものがあっちと思ってもなかなか納得の行くサービスやアプリが見つからないのだ。今日も少し調べ物をしていたらプログラム的なものを利用することで希望の機能を実現出来そうな記述が見つかった。そんなに難しいことではないようなのだが、全くの素人から始めて思うように行くわけがないだろうと思う。Applescriptであれば少しなら解るつもりなのだが、それ以外はからっきし解らない。正しくはプログラムではなく関数の応用ということになるだろうか。その違いも今ひとつ理解できていない。


撮影:2006/08/31


 出来ることと出来ないことの間には、まるで見えない壁があるようだ。

 行ける場所と行けない場所。距離的な問題か費用の問題か…あるいは労力の問題か。
 地球は丸くて陸地は海でつながっているから前人未踏の地は少なくないのではないかという印象を持つ。しかし、個人のレベルを考えれば、町から出たことがない人だっているだろう。便利になったからこそ遠くに出かける必要もなくなりつつある。見えない壁の中で暮らすようなものだ。

 田舎暮らしは車がなければ成立しないと言われるが、自転車があれば行動範囲が広がる。そればかりか昔の人の徒歩の行動範囲を聞いて驚嘆することがある。つまり、便利さ故に出来ることも出来ないことと考えて見えない壁にしてしまっているかもしれないのだ。

 人類の叡智を結集した技術もまた日々進歩発展し可能なことは拡大してきた。それもまた個人単位を考えれば、出来ることは限定的である。便利なものが普及すればするほど努力の必要はなくなる。従属していれば、楽に生活することが可能かもしれない。
 ところが、本当に欲しいものが手に入るかというとそうでもない。
 何しろ個人のレベルは千差満別。多様性の時代であればこそ、本当に必要なものは一律ではない。オーダーメイドすることなどで手に入れることは可能だとしてもそれすら費用の問題が発生する。

 出来ないことを出来ることにするための選択肢に残されているのが「労力」だとすれば、まだ可能性があるのではないだろうか。労力でどこまで見えない壁を乗り越えられるか。あるいは壊すことができるか。

 世界は可能なことの中で限定され完結する。その世界が大きくても小さくても優劣はないだろう。充実していてもいなくても納得できていればいい。ただ、それが無意識のうちに進路を決めているのではないだろうか。
…と、自分のやる気を焚きつけてみても、頭脳労働はやっぱり億劫だったりする。



腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:110回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月29日月曜日

調整

 晴れたり曇ったりの蒸し暑い日。
 今日は、定例業務が忙しい日だった。黙々と作業していたら空腹感を感じてやっと食事を忘れていることに気がつく始末。パソコンでの作業なのだが、久しぶりということもあって指がつりそうになる。こうならないようにと毎日小まめにやっているつもりでいてもたまる時はたまるようだ。気がつけば日が暮れていて外の様子もほとんどわからない。ちょうどネットの設定の移行作業を並行して進めている。この定例業務の設定が少しばかり厄介なのだ。


撮影:2014/08/30

 ここ数日、手描きの制作ができていない。
 しかし、例えば毎日描くだけの日々だったらどうだろう。今でさえすぐに行き詰まってしまうボクなのだからきっと煮詰まるのも今より早いだろう。流れに任せてただ流れ去ってしまわないように重石のようであり錨のようでもあるのかもしれない。

 竹のようなしなやかさには節が必要だ。
 堂々とした巨樹には緻密な年輪が必要だ。

 夜になってどっと疲れが出た。
 栄養ドリンクを飲んでみたのは昨日だったろうか。夜更かしも続いているので調整が必要だろう。 

腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

日常

 晴れ。就寝時間が遅かったため起きたら昼前だった。
 仕事に追われる夢を見た気がする。ずいぶん前の断片的な記憶をつなぎ合わせたオリジナルな夢ではあるが、責任と締め切りと焦燥感に追われていることは同じ。冷静さを保とうと努めて平静を保とうとする感覚が蘇る。永遠に続くかと思われた時間は、今にして思えばあっという間の出来事だった。

 買い物のため外出。風があって気持ちが良い。
 通りかかった近所の川で二人の少年が泳いでいた。魚も泳いだり水鳥がくつろいだりしている川なので汚いというほどではないにしても町中を流れてくる川なのできれいとは言い難い。ゴミが捨てられていたり流されてきたものが引っかかったりしているのを見かけることがある。彼らはTシャツと短パンを履いている。サンダルか靴を履いているようだったから何かを踏みつけて怪我することはないかもしれない。いつもより水量も多いようだったが、川幅は狭く水深も浅いので溺れることはないかもしれない。むしろ淀んだ水が流されていつもよりはきれいなのかもしれなかった。あろうことかバタフライの練習をしている様子さえ見られて驚いた。しばらく見ていたが、危険はなさそうなので自転車を出した。

撮影:2009/08/29

 起きるのが遅かったためいつものコースを回っていてもあっという間に日暮れになる。東の山の方は雨が降っているようで、田んぼに虹を見ることができた。

 パンとジュースを買って公園で食べようとしたら若者を中心に多くの人がいた。いつもなら子供達が水浴びをしたり家族連れが集まっているような公園なのでいつもとちょっと雰囲気が違う。それぞれがスマホ片手に…あ、ポケモンGOですか。最近、話題に上らなくなったのでブームが去ったと思っていた。

 書店に寄って外に出ると雲が夕焼けに染まっていた。もう当たり前になってしまっている日常の風景が以前は素晴らしい情景に見えていたのではなかったか。幸せが当たり前になり、ともすれば忘れそうになっている。素晴らしい光景を残したいと思っていた頃も当たり前になって忘れかけている今も何も変わってはいないのだ。変わってしまっているのはボク自身の心情。改めて残すことはできるだろうか…そんなことを思いながら走った。

 スーパーに立ち寄ると安売りをしていたのでいつもより多く買ってしまつたようだ。米の安売りを我慢したもののスーパーから帰る自転車はちょっと大変だった。


腕立て伏せ
1回目:107回
2回目:120回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月28日日曜日

継承

 曇り。涼しい朝。
 今まで南風を呼び込んでいた台風の北東に低気圧が発生したため、今度は北の空気を呼び込んでいるようだ。

 久しぶりに涼しい一日になったのでインターネット等の移行準備作業。日々のSNSだけでも結構な数になってしまうので、IDやパスワードだけでも管理するのが大変だ。

撮影:2013/08/28

 気がつけば夜。
 外に出なかったのでどんな一日だったのかわからない。

 これまで何度もMacの移行作業をしてきた。その度に過去のデータの管理の必要が生じている。日々進化発展していく時代にあって現状維持は退化を意味しているのかもしれない。新しい環境を目の当たりにするとそう思う。かと言って、追い続けるにも条件があるから思う存分というわけにも行かないだろう。少なくても必要最低限な選択をして気を伺うしかないのだ。
 そして、データの問題である。場所をとらない、嵩張らないと言っても電源を入れなければ確認すらできないという作品の存在は、本当は儚く脆いものではないのだろうか。公開したりすることで閲覧してもらうことが可能になり、束の間の電気信号が印象として届いたとして、それはどれくらい印象として残るのだろう。

 花が咲いたり、鳥がさえずり、虫が鳴く…そんな風に流れる季節の中でホンのかすかな輝きを魅せて消え去ってしまうものなのかもしれない。

 それでも良いのかも知れないし、そう言うものなのかも知れない。
 しかし、花も鳥も虫たちも…後世に残す生命がある。
 それがボクにはあるだろうか。

 描くことが頭になかった日は久しぶりかもしれない。
…後で少し描こうかな。


腕立て伏せ
1回目:97回
2回目:110回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月26日金曜日

空間

 曇っているので涼しいかと思ったら気温は上昇。湿度が高いせいもあって蒸し暑い。

 なぜ描くのか。
 意味するところは多々あれど、描かないためだとしたらどうだろう。
 光を描くために影を描くように何もない空間を描くために描いているのだとしたら…空間を描(えが)く…つまり描かないことである。元々、言葉やデザイン、写真や絵画、そして音楽は形のないものを伝えようとしている。描くことによって描(か)いていないものを描(えが)こうとしている。
 そう考えると、画面構成における空間・空白・余白の意味が俄かに重要に思えて来る。


撮影:2006/08/27

 ボクは確かに絵を描いたりイラストを描いたり漫画を描いたりしたいと思って描いてきた。もしかするとその答えが「描かないこと」なのだろうか。

 気候のせいかバイオリズムのせいかわからないが、体調が良くない。
 作画もかなり調子が悪い。目・鼻・口のバランスが取れない。脳内にあるキャラクターのイメージを模写するようなものだから脳内のイメージが明確でないと作画による確定ができない。つまり体調や精神状態の影響を受けやすいのだ。
 空間を描こうとしていたのにまたキャラクターを描くことに集中してしまった。しかも結果は出ていない。
 この2年、同じような愚痴を並べながら描いてきた。

 この先、何があっても描くことを手放さずに居られるだろうか。
 ふと、そんなことを思った。

 20代の終わりに筆を置いてから長いブランクに甘んじてしまった。必要な経験をするためだったかも知れない。しかし、コンディションを取り戻すには長い時間が必要となった。もしまた描くことを手放せば、この人生で描くことを取り戻すだけの時間は残されていないかもしれない。ただ、生きていれば様々な出来事がある。そんな中で二度と描くことを手放さずに生きられるだろうか。正直なところ、甚だ自信がない。

 光を描くために影を描き、描くことは描かないことだとすれば…この自信のなさこそが武器だというのだろうか。


腕立て伏せ
1回目:101回
2回目:109回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月25日木曜日

転機

 晴れ。昨年はもうTシャツでは寒いくらいの涼しさだったようだ。今年は連日の猛暑。太平洋で迷子になっている台風が暖かい空気を呼び込んでいる模様。雲は多めながら今日も暑い日となった。

 懸案になっていたことを一歩進めることにした。
 少しずつ準備していたことなので焦る必要はない。ただ事務的に手続きすることが大切。吉と出るか凶と出るか前に出てみないとわからないし、そんな大層なことではないかもしれない。人が一人でできることなどたかが知れている。時代が動くなら遅れてでもついて行かなくてはならないこともある。

 これで生活パターンが変われば、少しは未来に明るい兆しが見えるだろうか。

 もっともこれは序章に過ぎない。しばらく後に本来の目的に取り掛かることになる。それまで数ヶ月か半年くらいの間は準備期間。その間に別の出来事があってまた計画変更ということになる可能性も残されている。  

撮影:2012/08/26



 Macとの付き合いが始まったのは、かれこれ20年くらい前になるだろうか。どこかで計算違いしているのではないかと思うほど長く使っていることになる。

 最初は印刷会社のDTPの仕事だった。当時は一般にもパソコンが普及し始めた頃だったと思うが、勤務先には業務用の様々なパソコンが導入されていた。
 テクニカルイラストレーターの募集枠で採用されたはずだったが、入社してから話が二転三転しパソコンでの業務に従事することになったのだ。ワープロしか触ったことがなかったのでパソコンを触れるとあって楽しみにもしていた気がする。WindowsでもMacでもどちらでも好きな方を選ぶように言われて直感的にMacを選んだのだったが、よもや20年ものつきあいの始まりになろうとは思いもしなかった。

 会社には専用線と言われるインターネット回線が導入されていてプロバイダ業務にも手をかけていた。海外とのインターネット電話の実験をすることもあった。会話の遅延があったり唐突に切れたりしたりしていたのでデータの伝達に関する品質は良くなかったのかもしれない。

 それからDTPの仕事が多忙となり、自宅でもインターネット契約をすることになった。最初は56kのモデムを利用していたと思う。ピーコロピーコロ…ギンギンギン…と、今思えば本当にまどろっこしかった。インターネットでのデータのやり取りが重要なのに使えなくなることもしばしばあったので複数のプロバイダと契約したりケーブルTVとも契約した。
 その後、ISDNやADSLと切り替えてきたが、光回線の前でつまづいた。再度、光回線への切り替えのタイミングとなった今、モバイル回戦へ移行しようとしている。それはMacでインターネットを利用しようとした場合、やや勇気の必要なこととなった。
 Macでインターネット接続しないとすると利用頻度は激減するかもしれない。現在使用しているMac miniはインターネット用に使っていて制作はPowerMacG4を使用している。そのG4もアナログでの制作が増えてから起動回数も稼働時間も少なくなっている。

 ネット回線の変更が生活パターンに影響し一つの転機になるかもしれないと思えてしまうのだ。

 夜になって雨音。
 明日はいくらか涼しくなってくれるだろうか。


腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月24日水曜日

旅心

 晴れ。残暑厳しい日。
…とは言っても、夕方までは比較的涼しかった。呑気にしているとすぐ夕方になってしまうので机に向かう。

 昨日公開した作品の続きのアイディアがゾロゾロ出てきたので描き損じの紙にネームを描いたり余白に繰り返し作画練習。描きつつ「これでいいのか?」という疑問が頭をもたげる。いつものことだ。設定だけで話を進めると動機を見失う。描きたいという衝動は感動が原動力になる気がする。つまりは感動が動機なのだろう。

 インターネット回線切り替えについての電話があってまた少し動揺。
 先日気がついたのだが、実はkbとKBの単位について勘違いしていた。kbはキロビットでKBはキロバイトらしい。遠い昔にそんな話を聞いたことがあったような気もするが、普段気にすることもないので同じものと思い込んでしまっていた。改めて調べてみると1bit=0.125byteということのようだ。回線速度の単位はkbpsであるのに対して、現在使用している回線の参考にしていた数値の単位がKBであるため、単位を換算して考えなくてはならなかった。その結果、モバイル回線の低速の回線速度が一層不安を掻き立てる。早く切り替えて仕舞えば気分的には楽なのだが、回線速度が遅くなるかと思うとやっぱり億劫なのだ。


撮影:2009/08/25

 夕方になって室温が上昇。例によって気分が悪くなった。買い物もあったので外出したが、エアコンを入れたらデジタル作業をもっとできたかもしれないと自転車を走らせながら思う。カレー用の食材を調達したので明日はそうしようか。それにしても暑い日が続きすぎる。

 暑さにも寒さにも強いとは言えない体質だから旅をしながら過ごしやすい土地を旅して歩くのが良いのかも知れないと考えてみる。絵を描いたり写真を撮ったり…現代ならレポートを書いて公開する事だって可能かも知れない。昔は旅の絵描きがいたというからそんなライフスタイルだったのだろうか。
 日本は台風や地震などと無縁ではいられない。日本を旅して歩くことは知らない土地とのつき合いが必要になる。危険な環境と知らずに身を置いてしまう事もあるかも知れないし、思いかげず長居したくなるような土地に巡り合うかも知れない。
 以前は、時々車を走らせて知らない土地を訪ねていたが、最近はめっきり遠出しなくなった。こんな暑い日が続くと涼しくて過ごしやすい土地はないだろうかと想いを馳せてしまう。


腕立て伏せ
1回目:99回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月23日火曜日

現人

 台風一過。爽やかな朝だった。
 秋の気配すら感じるほどとはいえ、晴れたら気温は上がる。室温はみるみる上がって32℃を超えた。そういえば、涼しかったので窓を開けるのを忘れていた。

 天候が安定していたので買い物に出た。ついでに書店も回ったが、スルスルと歩いてきてしまった。もう少しゆっくりしてくれば良かったろうかと思うほど。書店にはカフェが併設されている。タブレット端末を持ち込んで原稿の制作なんて憧れる。現実には度胸がなくて店内が混み始めようものならソワソワ落ち着きがなくなり店を出るのが関の山だろう。
 隣の産直コーナーに立ち寄ると毎年楽しみにしている和梨「八雲」が並んでいた。少し小ぶりで軸が長い。瑞々しく優しい甘味が特徴だ。旬が短いせいか生産者が少ないためかすぐに見かけなくなる。残念ながら長い軸はカットされていたが、購入することにした。出会いが大切なのだ。

 不意にアイディアが浮かんだので自宅へメール。こういうことも思いついたついでに描くようになったらアイディアが新鮮なうちに料理することが可能になるかも知れない。


撮影:2009/08/24


 外出中に少し雲が多くなって来た。いつものスーパーに立ち寄ると産直コーナーに「八雲」が並んでいるではないか。産直の店より個数が多く、軸もカットされていない。先に立ち寄った産直の店は観光客向けなのでスーパーより手間がかけられていて価格もいくらか高いということだろうか。悔しいが仕方がない。

 帰宅すると意外に室温が上がっていなかった。33℃以上になっていたらエアコンを入れようと心に決めていただけに32℃の表示に拍子抜け。恒例の水風呂に入ると凌げない暑さではなくなった。

 ここ数日、制作していた漫画「現人類21〜imaginerui〜」のペン入れがしてあったのでスキャニングして配置。ネームの段階で彩色のアタリをつけてあったので微調整しつつイラレでの制作パートを追加。ハードルのような直線的で遠近感の必要な作画は3Dソフトの方が良いのかもしれないと毎回思う。制作過程からすれば、アナログの時点で描いておく方が整合性は取りやすいのは間違い無いだろう。ただ、アナログでの直線は線の太さの問題や消失点の問題があるのでどうも苦手意識が拭えない。コマ割りもイラレで制作しているのでイラレ上で描くのが良いだろうという判断をした。



 描きながら思ったのは、ハードルの周囲に机やオフィスなどを描き加えたほうがリアリティが出るのではないかということ。今回はキャラがギャグタッチなのでリアリティが必要かどうかは一考の余地がある。

 タイトルの現人類にimagine+ruiを採用するには、他の候補も検討した。
 imagineという名曲もあるため日本語のローマ字っぽくimajinruiならストレートである。また「現人」には「うつしおみ」という読み方があることを知ったので「うつしおみ」を採用することも考えたが、それはギャグタッチの漫画よりストーリー漫画の方がふさわしいような気がした。しかし、imagineの翻訳に「想像する」というものがあったのでimagineruiという造語を採用した。


 試行錯誤しつつ第一話。改善点も多々あろうかと思うが、方向性を模索しつつも面白い作品にしていきたい。


腕立て伏せ
1回目:96回
2回目:110回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月22日月曜日

寒暖

 台風の影響がそろそろと思っていたら起きる頃には晴れて気温が上昇。室温は既に32℃あってウンザリ。これも台風の影響には違いないようだ。
 観念してエアコンのスイッチを入れると身体の負担が少ないせいか漫画の方が驚くほどスムーズ。7月の下旬から約一ヶ月。暑さに抵抗していたお陰で描けなくなっていたとすればもったいない話だが、それを嘆いたところで仕方がない。

 アイディアをネームにしてスキャニング。イラレで配置しているうちに夢中になっていた。いつもなら暑くて部屋にいられない時間になっても作業が続けられる。やがて雨が降り始め、風も強く吹き始めた。


2009/08/23

 漫画として作品を制作する場合、集中して一気に完成させるのが望ましい場合もあるが、内容によってはコツコツ進めた方が良い場合もあると考えている。
 イラスト的な一コマ漫画の場合は、下絵→ペン入れ→スキャニング→構成→彩色という流れなので完成まで一連の作業で進められる。しかし、コマ数が多かったり複数ページになっている場合は、構成の際のデザイン要素が増えたりアナログとデジタルを行き来したりする必要が生じる。それが作業の流れを混乱させたり効率を落としてしまったりしているのではないかと思う。
 最近は下絵は下絵、スキャニングはスキャニングとまとめられないかと考えている。少なくてもアナログとデジタルをまとめられたら集中して作業できるような気がする。それが功を奏していないように感じるのは、アナログからデジタルへスイッチすることを後回しにして下絵やペン入れを描き続けてしまうせいもあるだろうし、それぞれの作品の進捗状況にズレが生じるせいもあるだろう。

 いずれにして暑さや寒さに左右されない作業環境が理想的だ。

 エアコンの使用を抑えているのは、電気代の心配もさることながら発電システムの環境負荷の心配もある。地中熱をエアコンに利用するシステムがあるが、実際の効果はどうなのだろう。CO2を発生させるわけでもなく万一の危険もないのではないかという気がする。建物の設備になるからアパート住まいで真似することもできないとは言え、エネルギー収支がゼロになるような建築物に憧れてしまう。



腕立て伏せ
1回目:93回
2回目:108回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月21日日曜日

予報

 晴れ。太平洋側には台風が来ているというのに真っ青な空が広がって気温もグイグイ上がった。午後からは台風の影響で不安定になるとの予報だった。部屋の暑さを凌ぐために外出するのも考えものだ。

 まずは作画とばかりに机に向かうも気温の上昇に合わせて室温も上がる。休憩を挟んだり水分を摂ったりしながら描いていたが、気分が悪くなり始めたのでこのままでは良くないと判断した。最も気温の高い時間帯なのでそこでエアコンを入れようものならフル稼働ということになってしまう。それなら自分の身を避難させた方がいいだろう。


撮影:2013/08/22

 自転車に乗ってショッピングモールに向かう。生暖かいものの風があって室内にいるよりは幾らか楽のような気もする。気分が良くない感じは続いていた。
 考えていることはみんな同じなのかショッピングモールは多くの人で賑わっていた。ファストフードやカフェをあまり利用しないせいかちょっと立ち寄ってゆっくりするということができない。一人だと落ち着かない気がするのだ。気になっている映画がタイミング良くやっているわけでもなく、ただいつものように歩き続ける。そして1時間ほど歩いて外へ出た。買い物をして帰ると部屋は36℃になっていた。陽も沈む頃なのでエアコンのスイッチを入れて今日も2度目の水風呂。

 …そう言えば、雨は降らなかった。このまま温暖化が進めば将来の夏はどうなるのだろう。日常生活ばかりではなく農作物や生態系にも影響するだろう。それは少なからず社会にも影響し人生にも関与している。
 人生について計算するAIが登場したらどんな未来を予報するだろう。







腕立て伏せ
1回目:97回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月20日土曜日

共通

 陽が射しているのに雨。湿度が高く暑さがまといつくようだ。

 この世界を支配しているという物理法則。異次元や異世界があるとすれば、どんな法則で成立しているのだろう。
 この地球上には多様な大小さまざまな文化・文明が存在している。それぞれの生い立ちも言語も違い、互いの理解がなければ交流は為し得ない。生物もまた多様な環境に合わせて進化し多様な種となったという。しかし、いずれも地球上での出来事。他の惑星や衛星などでは違った環境が形成されている。
 地球とは違った環境でも通用する普遍的な法則を見出すため古今東西多くの科学者が宇宙の謎に取り組んできた。では、異世界や異次元にまで通用するような法則はあるのだろうか。現在発見されている現象とは別の角度からのアプローチは可能なのだろうか。


撮影:2013/08/21

 毎日暑い日が続いている。そもそも熱とは分子が不規則な運動をしている現象なのだという。その運動が少なければ涼しかったり寒かったりするわけだ。暖房にしても冷房にしても現在はその運動量を物理的に変化させようというものだが、他に分子の運動を変えられるような方法はないのだろうかと考えていたのだ。
 例えば、信号のようなもの。
 冷気や暖気を発生させるのではなく分子や原子に向かって直接命令をするような方法である。これは現在見つかっている物理法則では不可能なことではないか…。

 不可能なこと…それは漫画のネタになるということ。

 下絵を引っ張り出して加筆修正を始めたら仕事は際限なくある様子。
 汗を拭いたりタオルに保冷剤を巻いて頭に巻いたり水風呂に二度入ったりして暑さに抵抗しつつ机に向かった。買い物にも出かけず自宅にいたが、ちょっと具合が良くないようだ。無理もない。どうやらボクの頭も過熱気味。


腕立て伏せ
1回目:85回
2回目:105回
3回目:85回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月19日金曜日

濃淡

 晴れ。今日も気温が上昇し残暑厳しい日となった。まるで夏を燃やし尽くそうとするかの如し。
 Macの調子が良くないような気がしてディスクの修復。Mac miniは放熱機構があまり充実していない印象なので、暑さのせいではないかと思い起動回数を減らしてみた。お陰で作画に集中できる。
 いつもより捗っているような気がしたのに大して描けていない気がするのは、作品というより作画練習中心のせいかもしれない。



撮影:2007/08/20

 今は作画を続けて技術の向上とアイディアの抽出。断片的なシーンを繋ぎ合わせる試み。明確なゴールがあるわけではない。以前はペン入れして台無しになるのが怖くてひたすら鉛筆の下絵だけ描き続けていた。それが今は下絵を描いてすぐにペンを手に取るようになっている。ささやかだが、ボクにしてみれば大きな進歩。描きたいものが頭に浮かんだ時、躊躇いなく描き始められる状態にすること。写真を撮りたい時のために撮影技術を身につけておくことに似ているかもしれない。

 毎日、インターネットで様々な作品を目の当たりにする。濃密で深い味わいのある作品。淡く爽やかで軽やかな作品。どれも個性的で卓越した技術に裏打ちされている。

 ボク自身はどんな作品を描きたいのだろう。子供の頃からたくさんの漫画やイラストなどの作品から影響を受けてきた。同時に自分で描くこともしてきたので今さら画風をどうこうしようと考えることもない。しかし、描いていると正解がわからなくなることがある。どんな絵を描いたって「ボクらしさ」から逃れることはできないはずなのに迷いはつきまとう。その迷いを払拭するためにまた描き続けるのだろう。

 夕方、部屋の暑さに耐えきれなくなって買い物のために外出。やはり外の方が幾分涼しいようだった。
 空を見上げると青空を刷毛で軽く撫でたような雲。水彩絵の具が滲んだような秋の風情。それでも太陽は西の空で煌々と燃えている。
 いつものスーパー2軒とホームセンターを軽くはしご。卵の安売りを見て今日が金曜日だと気がついた。



腕立て伏せ
1回目:91回
2回目:101回
3回目:97回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月18日木曜日

動向

 朝は寒くて風邪を引きそうだったが、穏やかに晴れてセミも鳴いている。

 所用のため外出。

 自転車でインターネツト回線の切り替えのための情報収集を兼ねてあちこち立ち寄る。iPadにするなら保護フィルムやケースについても考慮する必要があるだろう。価格を確認すると店頭のケースはやはり安い印象。どれくらいの期間使えるかにもよると思う。Macはとても長く使えているので同等に考えたくなってしまう。OSのバージョンアップはそろそろ限界のようなのでMacの買い替え時も考えてチェックはしていたものの、やはり費用面で折り合いがつかない。
 iPad proでないとペンが使えないと勘違いしていたが、スタイラスペンが使えるようだ。使い勝手はわからないが、作画に使えるようなら外出先でのスケッチも可能になる。ただし、陳列されたスタイラスペンは作画に向いているようには見えない。価格とペン先の耐久性も気になるところだ。


2009/08/19

 iPadを導入することで毎日の定例業務の改善を見込むためには現在使っているソフトのiOS版が利用できるかも気になるところだ。調べてみると残念ながらまだ開発中の模様。代替え品が見つかったので環境を整えるための準備が必要になるだろう。この辺りは若干賭けのような綱渡り感が漂う。

 漫画がなかなか軌道に乗せられない状況で機材等へ投資することは控えていたが、今回はインターネット回線の切り替えという予定外の事情がある。現在取り組んでいることを整理し効率化しつつ経費も抑えて活動を活性化する方向で考えた時、必要最低限の環境整備ではないだろうか。光回線にすれば万事OKということにはならない現状なのだ。

 ついでに電機店で地デジのチューナーについて尋ねてみると、ここ数年入荷していないという話だった。ネット上では情報が見つかるので必要なら抑えた方がいいのかもしれない。

 時代は動いているらしい。

 買い物ついでにショッピングモールを散策すると店を出る頃にはへとへとになっていた。こんなに体力なかっただろうか…あったとも言えない。

 日中はあちこち動き回ったので、昨夜考えていた作画の取り組みがまだ実践できていない。車があればもう少し効率的になるのにと思う一方、雑用が増えて元の木阿弥になるような気もする。


腕立て伏せ
1回目:94回
2回目:108回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月17日水曜日

選択

 土砂降りの音で目が覚めた。台風の影響だろう。
 雨は間もなく上がったようだ。買い物が気になっていたが、今日はとりあえず机にかじりつく。
…それでも相変わらず雑念が飛び交って長続きしない。

 ADSL終了のため、インターネットの切り替えについて考えなくてはならない。この件に関して一体何ヶ月悩んでいるのだろう。光回線は以前乗り換えようとしてダメだったという経緯もあり今更感が強い。しかも、ネットで調べるとなからずしも快適とは言えない場合もあるらしい。パソコンのスペックにもよるため、光に切り替えたからといって体感はさほど変わらない可能性もある。体感が変わらなかったり、場合によっては良くないようなことになるなら何のために切り替えるのかわからない。モデムからISDNやADSLに切り替えた時ほどの必要性を感じないのは現状で不満がないせいだろう。

撮影:2009/08/18

 夕方になって買い物に出ると、すでに陽が沈んでいた。確実に昼間が短くなりつつある。東の空を見るとまんまるな月がぽっかりと浮かんでいた。今日は満月だっただろうか。美しい月が似合う季節になろうとしている。

 iPadにすれば…そんな考えが浮かぶ。現在はいわゆるガラケーを使用しているため、メールの送受信や外出先での活動に限界がある。スマホにすれば高額な通話料やデータ通信量が待っているが、データ通信専用のiPadであれば比較的費用が抑えられるばかりかインターネット使用料が今より抑えられるのではないだろうか。現在使用しているMac miniも必要な時だけWi-fiで通信すれば、起動する必要が少なくなるだろう。そもそもMac minは、インターネット閲覧の必要があって使用していることの方が多い。
 さらに毎日の定例業務にインターネットの必要があるため、朝と夕方には必ずチェックする必要がある。外出先でチェックできるなら拘束されている一日の行動パターンも緩和できるかもしれない。
 すぐにiPadを用意できないとしても、iPadを想定するかしないかで通信するためのルーターの選択肢が変わることになる。

 ずいぶん悩んできた気がするが、少し光が見えてきたかもしれない。
 あとはアイディアに落ち度がないか、計算違いはないか、どこまで検証できるかが問題だ。

腕立て伏せ
1回目:93回
2回目:103回
3回目:75回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月16日火曜日

目的

 晴れ。数日前には雨の予報だと思ったが、しっかり晴れて暑い日になった。
 雨の心配をしたため、いつもなら自転車で一度間ちょっとで出かけるところへ電車と徒歩で一時間ちょっとかけて出かけた。時間は大して変わらないのに電車だと自由が利かない。電車賃がかかることもあって自転車でかけることが多い。電車ででかけたおかけで熱中症は避けられたかもしれない。
 墓参のために寺でお水を分けて頂こうとすると、少年が一人で観音堂をスケッチしていた。小学生かと思ったら中学生とのこと。夏休みの宿題で観音堂を描いているらしい。将来の夢はまだ決まっていないという。しばらくすると描くことは既に飽きてしまっていたようなので「飽きちゃうから楽しんで描くといいよ」と声をかけた。いつかこの日のことを思い出すことがあるだろうか。

 青空に秋を思わせるような白い雲、緑の田園風景には案山子がいる。蟬しぐれもそろそろクライマックスだろう。

 電車で出かけたお陰で寄り道せずに帰宅。


撮影:2006/08/17

 写真を撮ること。
 フィルム写真の時代は、プリントを手にするまでいくつもの工程があった。撮影してもすぐに見ることはできなかった。カメラはもちろんのことフィルム代もかかったし現像代にプリント代も必要だった。当然、ピンボケや手ブレ、露出の失敗などは極力避けなくてはならなかったからシャッターの意味が今より重かったのではないだろうか。

 デジタルカメラ全盛の時代になった今はどうだろう。
 カメラは相変わらず高価だが、シャッターを切ればすぐに結果がわかるから気に入らなければその場で削除すればいい。ある程度の露出補正は後でもできるしプリントする必要もない。それでシャッターの意味が軽くなっていないだろうか。
 もちろん悪いことばかりではない。良いことの方が多いかもしれない。
 しかし、作品として考えた時はどうだろう。ただ無意味な魂のない写真になっていないだろうか。

 描くことはどうだろう。
 描かなければ始まらないからとにかく描く。描いて描いてまた描いて…それで?ふと我に還る。確かに目的もなく描くことが必要な側面がある。ただ、そればかりでは目的なくドライブしているようなものである。何も思わず何も残らない。自動運転のような時間。何かを伝えようとするならそればかりでは意味がないのではないか。

 目的地や着地点を見定めることが大切ではないか思う。

 夜になって雨。台風の影響のようだ。


腕立て伏せ
1回目:85回
2回目:85回
3回目:100回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月15日月曜日

浮沈

 晴れていたので洗濯したものの天候は下り坂。少しずつ雲が多くなり夕方には雨がパラついた。
 お盆ということもあってお墓参りと思っていたが、明日は雨の様子。ここ数年、同行する人がいたので連絡を待っていたのだが、今年は既に行ってきたとのこと。もっと早く行っておくべきだった。そして、自分一人でも実行できるよう予定を組むべきだったと反省。何事においてもそうなのだ。依存してしまうと踏み外す。

 曇り空ながら気温は上がったので例によって暑さを堪えつつ机に向かう。思考があちこち飛び回るから集中できていないことが自分でよくわかる。作画の調子は悪くない気がしつつもリズムが掴めていない。深い所へ潜りたいのに水面近くでもがいている感じ。無理したって良い結果が出ないことは周知の事実だが、描かなければ鈍るのは腕立て伏せも同様ではないだろうか。


撮影:2006/08/16

 夕方になって買い物のため外出。雨が降りそうだというのにコピー用紙がそろそろなくなることを思い出して500枚購入。最近、描き損じの紙に描くようになっている。それでも足りなくなろうとしている。
 これだけ描いて何を描こうとしているのだろう。夢は描けているのだろうか。
 年齢を重ねることで感情の起伏が穏やかになって来ている気がする。いや、喜怒哀楽で言えば、「怒」の反応だけが敏感になり喜哀楽が鈍くなっているのではないだろうか。つまらないことに憤慨したり苛立ったりすると抑えるのに苦労する。もっとも若い頃は持つと大変だったかもしれないから、やっぱり喜怒哀楽の全てが穏やかになりつつあるのだろう。

 それで面白い作品は描けるのだろうか。

 ご高齢になっても作品に向かう諸先輩方の事を思えば、むしろこれからなのだと考えてきたことは正しいのだろうか。
 どうすれば心に残る作品を描くことができるのだろう。
 




腕立て伏せ
1回目:85回
2回目:105回
3回目:80回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年8月14日日曜日

凌駕

 晴れ。朝は寒かったが、例によって日中の気温が上がった。
 予報通り雲が出て来れば少しは気温の上昇が抑えられるだろうかとささやかな期待。

 時折、殻を破りたいという言葉を聞くことがある。体内のエネルギーや爆発させて活躍するイメージ…わからなくはない。ボクもできればそうしたい。ただ、卵の事を考えてみると殻を破って孵化することは一つのステップであり始まりにすぎない。活躍どころが己の小ささを思い知ることになる。ヨチヨチ歩き始めたばかりのヒヨコに何ができるだろう。何も知らないし何もできないのだ。しかし、それが始まりであることに違いはない。活躍のための機会が与えられ、可能性に挑戦するだけの基本的な条件は備わっている。


撮影:2008/08/15

 新しい自分になるためには過去の自分を凌駕する必要がある。殻を破るということは過去の自分を凌駕するということではないだろうか。そこが完成ではない。そこから始まるために準備をしなくてはならないのだ。

 幸い作画の調子は悪くない感じ。アイディアとのリンクがまだできていない。たくさん描いて無理のない活き活きとしたキャラクターを描きたい。

 これまで撮りためた写真をレイアウト加工して公開。詩や記事と組み合わせれば、面白いものになるような気がする。こんな風に無意識に蓄積してきた作品を新たな作品として再構成する。

 必要なのはたぶん…魂だ。



腕立て伏せ
1回目:85回
2回目:101回
3回目:50回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月13日土曜日

額縁

 晴れ。朝方は寒くて毛布が必要。日中は暑くなった。

 絵画などの作品を展示する時、額縁に入れると見栄えが変わる。
 一眼レフカメラでファインダーを覗くと見え方が変わる。
 フレーム効果。雄大に広がる風景であっても切り撮ることで意味が生まれる。

 絵画や写真に限ったことではないかもしれない。日常生活や人生観においても無意識に枠を決めていることがある。ルールや秩序、あるいは場の空気であったりすることもあるかもしれない。人によって違う価値観もまたフレーム効果によるものだろうか。

 額縁は大きければいいというものではない。雄大な風景を楽しむことはできても小さなことが見えなくなるからだ。カメラのレンズのようにズームすることができれば少しはカバーできるだろうか。しかし、ズームレンズに頼ってばかりいるとリアルを忘れてしまうことがある。遠くから眺めるばかりではなく実際に体験して見方を変えることでものの形を捉えることが必要になのだ。


撮影:2007/08/14

 今日も作画。とにかく描き続けるのだが、作品としての目標地点がないまま描き続けるのはなかなか難しい。室温が高くなってぼんやりしてきたので一旦濡れタオルや保冷剤で頭を冷やしてみたもののやっぱり集中力が維持できなくなった。買い物に出て気分転換。帰宅後にシャワーで汗を流した。

 ずっと利用させていただいているnote.muのデザインが新しくなった。以前もシンプルで落ち着きのあるデザインだと感じていたが、さらにスッキリとしたデザインになった。イメージノートがエッジの効いたシャープな印象になり、トークノートの画像には角丸が適用され、親しみを感じさせる。
 そこで写真のレイアウト配置できるソフトを調べてみるとFotorというソフトが見つかった。ボクがこれまで知らなかっただけで結構知られているようだ。オンラインでの編集も可能のようだ。早速、少し使ってみようと思いインストールしてレイアウトしてみるとなかなか良い感じだった。フレームが自由に変更できるといいような気がするが、新たに作成しなくてはならないのだろうか。まだ使い方がよく理解できていない。他にもテキストが縦書きできれば…とか欲が出てしまう。気に入った証拠だろうか。少し使い込んでみたくなるソフトだ。
 フレームの使い方によっては漫画やイラストにも応用できるのではないだろうか。期待も高まる。



腕立て伏せ
1回目:80回
2回目:105回
3回目:71回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月12日金曜日

整頓

 晴れ。7時前に寒さで目覚める。
 日中の気温は高くなっても朝晩は涼しくなってきたようだ。

 脳内に散らばっていた意味を持たない記憶や想いが一つの作品のアイディアに出会って整頓されるような感覚になることがある。
「あぁ、そうそう。そういうことあるよね。」
 時にはひっくり返されて驚く。
「え?なんでそうなるの?」
 そして結末に至る頃に満足感や納得や感動の余韻を味わうことになる。


撮影:2011/08/13

 作品というのはそんな風に頭の中を整理整頓することなのかもしれない。
 作品そのものはナンセンスだったりありえないことだったりしても、結果的に何らかの作用を及ぼす。筋道を立て、思考パターンに一定の影響を与えるのだ。

 今必要としているアイディアとは点と点を結ぶ線のことなのかもしれない。
 アイディアの点と点を筋道、筋書きによって結ぶことで意味が生まれる。

 調子が出なくてアイディアが出て来ないと思っていたのにいくつもの種が見つかった。種まきは幾度となく繰り返してきていたからだ。何のことはなく種まきにばかり夢中になってその先を見ていなかったのだろう。ここからさらに種と種を結ぶためのアイディアが必要になる。

 ストップウォッチで時間を計りながら作画していると、どうやら調子が乗って来るまで起床してからの作画時間が累積で2時間くらいかかるようだ。休憩をはさんだり他のことをしたりするから2時間経つ頃には既に夕方近くなっている。夕方になれば、定時業務や夕飯の支度などがあるから調子が出る頃には終了となってしまうわけだ。
 そこで深夜モードと称して夜になってまた描き始めると翌日の起床が遅くなるというデメリットがある。
 修練を重ねればウォーミングアップの時間を短縮することが可能だろうか。あとは今以上に身の回りのことを疎かにすることくらいしか思いつかない。
 整頓どころか散らかる一方だ。


腕立て伏せ
1回目:80回
2回目:100回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月11日木曜日

魅力

 晴れ。少しずつではあるが気温が下がりつつある印象。

 作画しながら想うことがある。
 正確で克明に描写することが正解なら写真で良いではないか。
 では、なぜ描くのだ。正確で克明に描くだけでは表現できない何かがあるからではないだろうか。それは漫画のように誇張することかもしれない。あるいは絶妙な筆さばきかもしれない。

撮影:2009/08/12

 何に魅力を感じるか。
 透明感、空気感、爽快感…あるいは、美しいという言葉だけでは表現できないものもたくさんある。そういった様々な感覚の中からこれと思うものを抽出して咀嚼し新たな作品として再構成する。初めはお気に入りの画風を真似てみるのも悪くはないかもしれない。ただ、それはあくまでも魅力の要素を借りているに過ぎない。自分自身が何に魅力を感じ、どう伝えようとしているのか研ぎ澄ます必要がある。借り物の画風では伝えきれない何かがあるはずである。
 個性はいつしか才能と呼ばれるかもしれない。正確さよりも優先されることの中に魅力がある。

 千差万別。様々なものに様々な魅力があるはずなのに自分自身が伝えようとする魅力が何なのか見定めることが難しい。その難しさそのものがまた魅力なのかもしれない。


腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月10日水曜日

動機

 晴れ。珍しく早く起きたせいもあって気温がまだ低く涼しかった。

 子供の頃から朝に弱い。
 寝る前ギリギリまで何かしているせいだとは思うのだが、エネルギーを使い果たして布団へ滑り込むスタイルでないとなかなか寝付けなくて悶々としてしまう。
 今は寝る前に作画に取り組んでいたりして就寝時間が遅いから当然ではあるのだが、起きる時は身体を鉛のように重く感じる。見えない糸で布団に縫い付けられているのではないかと思えるほどである。
「起きよう」ではなく「起きなきゃ」となって初めて布団から体を引き剥がす。


撮影:2011/08/11

「描こう」という気持ちと「描きたい」という想いと「描かなきゃ」という意思はそれぞれ脳の違う部位で考えているような気がする。
「描かなきゃ」という時は義務感や使命感に因るところが大きい。
「描きたい」という場合は描く時間が取れなかったりしてエネルギーが溜まっている状態。
「描こう」というのは、自然に取り組むことが出来る場合。
 非常に稀なことだが「描ける」と感じられる場合もある。

 理想としては「描ける」という状態から「描こう」に至ることなのだが、現実には「描かなきゃ」から「描けない」状態に陥ることの方が多い。
 必要なのは自然に「描ける」と感じ「描こう」と思える環境やコンディションを整えることだ。
 調子が良くてもそうでなくても描き続けようとするのは「描ける」という感覚の起爆剤に点火し「描こう」というエネルギーを燃焼させることを目的としているような気がする。点火することがなかなか難しい点火方法が原始的であるせいだろうか。

 雨は空から大地へと降り注ぎ、高みから低きへと自然に流れる。小川が大河へとなって海へ流れるように感情や思考の流れも自然に流れるようにするにはどうすれば良いのだろう。


腕立て伏せ
1回目:91回
2回目:103回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月9日火曜日

陰影

 光射すところに影がある。つまりは影を描くことは光を現すことでもある。
 心の中のダークサイドが嫌いだった。見ないようにすることで逃げていたのかもしれない。
 影に執着すれば光を見失う。しかし、目を閉じれば闇があり闇の中には夢がある。
 光と影は合わせて一つであり片方だけで形を捉えることはできない。

 ふと気がつくと闇がつぶやいていた。忌嫌い疎んじてきた影の言葉だ。しかし、何となくその言葉の意味を追っていると、それは決して影ではなくむしろ光を意味する言葉と知る。


撮影:2015/08/10

 敵視してきた影の存在は、敵ではなく強力な味方なのかもしれない。バラバラに分断されていた光と影を統合することで曖昧になっていた形を浮き彫りにし存在感を明確にすることが可能になるだろうか。それは作品にとってどんな意味を持つのだろう。

 闇の中で眠っていた可能性が光を浴びた時、それはどんな輝きを放つのだろう。


腕立て伏せ
1回目:92回
2回目:103回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月8日月曜日

不足

 晴れ。太平洋側の台風の影響で少し雲が出てきたようだ。
 午後、買い物に出ると突然の雨。太平洋側の台風の影響だろう。地元の夏まつりの準備が進められていたが、夕方になってまた本格的な雨になった。夜には上がったようだ。

 地方は人口流出や過疎が問題になっている。少子化の影響もあるだろう。原因は地場産業の不足にあるのではないかと思う。そこで工場誘致などが進められるのだとは思うが、これが根本的な解決に繋がらないのは何故だろう。農業の担い手となるべく若い世代が安定収入を求めて工場勤務するようになれば、当然ながら農業は衰退する。農業経営が機械化されているとは言え人手がいらなくなったわけではないし、毎年の気象条件に合わせた工夫は経験に裏打ちされている。頭数が揃えば良いというものではないのだ。
 そして、工場勤務をしつつも実家の農作業を手伝ったり地元の消防団活動に参加したりと忙しい毎日を送ることになるようだ。


撮影:2011/08/09

 経済的な問題はいくらか解消されたとしてそれで良いのだろうか。では、なぜ人口流失や過疎化の問題が解消されないのだ。
 農業や観光、工場誘致などは地元の生活にとって経済的な効果はあっても夢や希望に繋がっていないのではないだろうか。
 例えば、農業経営の家に生まれたとして実家を継ぐか否かの選択をする。少なからず土地を手放す選択は容易ではないだろう。かといって労働条件や収入を考えれば農業を続けるのも容易ではない…となれば、工場勤務しつつ実家を手伝うというのは現実的なのかと思う。では、そのまた子供の世代はどうだろう。農業を継ぐことが選択肢になくなれば、あえて工場勤務を選択する必要かあるだろうか。かと言って他にやりたい仕事もないとなれば、都会へ出ようと思うのも自然なことのように思える。

 ここからは手前味噌な話になる。
 そもそも思考の出発点は「漫画を描く人手が足りない」ということだった。ボク自身の無能に因るところではあるが、実際、職業漫画家と言われる人にはアシスタントがいる。作品を制作するスピード感や厚みや緻密さを上げるために必要な協力者なのだ。一人で自転車を走らせるようなことをしていれば、行動範囲も生産性も高が知れている。
 その協力者を得るために是非とも作品が必要なのだ。
 そう、結局ボクの問題。

 今や一つの作品のキャラクターが世界中に出現し、社会現象にまでなる時代なのだ。
 もし、地元にコンテンツ産業の基盤ができれば…夢や希望、集客などに繋がるのではないだろうか。

 言うまでもなく夢想に過ぎない。
 しかし、何事も始まりはこんな風に足りないところから始まるのかもしれない。

 小さな家庭菜園を試してみた時は、いくらか手応えを感じられるまで土作りだけで3年かかった。その間も種を播き失敗を繰り返し成果につなげようとしていた。

 同様に今が土を作って種を播く時期ならまだ希望がないわけではない。

 足りないところには、きっと必要がある。


腕立て伏せ
1回目:90回
2回目:103回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月7日日曜日

心眼

 晴れ。今日も暑いが暦の上では立秋らしい。
 昨年も今日あたりがピークだったようだからこれから徐々に涼しくなっていくのだろう。季節も実りの季節へと向かうことになる。暑さに耐え、少しずつ描いてきた成果が出せるだろうか。

 描くことにおいて見ることは非常に重要な意味持つことは言うまでもない。しかし、デッサン力を磨くためには見ないで描くことも意味があるのではないかとふと思った。視覚には錯覚がつきものであり間違った認識が間違った答えを導き出している可能性もあるのではないか。
 例えば楽器を演奏する時、譜面を見ないで演奏する。楽器を正しく演奏できるようになることは重要である。

 つまり視覚に頼らずに描く訓練の必要性を感じたのである。

撮影:2011/08/08

 試しに目を閉じていつものように人物を描いてみる。当然ながらメチャクチャな線画になる。幼稚園の頃だってもう少しましな絵を描いていたのではないだろうか。何度かトライしてみるも安定しない。当然だ。趣向を変えて丸を描いてみる。目を閉じてグルグルと描く。意外と位置がズレないので目を閉じたまま顔を左右に振ってみたりしてみると丸の位置がズレる。つまり頭の向いている向きで描いている位置を把握しているということだろうか。何度か繰り返してから目を開けていつも通り描いてみた。するとなんだか以前と感覚が違った。
「見なくても描ける」というのはどれくらいの訓練が必要だろう。この場合は脳内のイメージを見て手元を見ないことを意味する。
 眼は大切にしてきたつもりだったが、年齢による視力の低下や疲労などの影響を考えると視覚に頼りすぎないようにすることも必要ではないだろうか。また脳内イメージを直接描画できるようにすることは、逆に言えば脳内にしっかりとしたイメージを確立する必要がある。

 そういえば、以前は時々アコースティックギターを弾いていた。指の痛みを我慢して幾つかのコードを覚えると今度はコードを繋いでリレーすることで曲にすることができるようになる。やがて指の方が勝手に動くようになり考えなくてもギターを弾くことができるようになるのだ。ところが、ギターを弾けるという心地良さに溺れてしまいがちになるのだ。そうなると先に曲のイメージを固める必要が生じると感じた。

 同様のことを描くことについても言えるのではないだろうか。描くことに抵抗がなくなって手の方が先に動いてくれるようになりつつある。そこに溺れてイメージが固まらないまま描き続けてしまうとその先へ進めなくなるのではないだろうか。



腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:103回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月6日土曜日

関係

 晴れ。連日の猛暑に身体が慣れてきているのか起きた直後は涼しいと涼しいとすら思う。昼前に気温を確認すると33℃になっていた。少し後でもう一度確認すると28℃。そんなわけはないだろうと思うのでどちらかのデータが間違っていたのだろう。今日の気温の推移を別のサイトで確認すると最高気温が33.7℃だった模様。

 急な来客のためリズムが狂った。予定を入れてないから暇なのではなく制作を最優先するために予定を入れないのだということを理解してもらうことは難しい。久しぶりということもあるので毎日恒例の腕立て伏せもそこそこに外出して朝食兼昼食を食べながら少し話をして別れた。
 帰宅しても部屋が暑いことは容易に想像できるのでそのままショッピングモールへ向かった。確かに人出は多めだったが、想像したほどではない。涼しくて快適なので長居してしまったかもしれない。そのあと電器店に立ち寄ると携帯コーナーの店員さんにつかまった。ネット回線の事ではずいぶん悩んでいるので結論が出ないことはわかっている。それでも説明したがっているようなので話を聞いてみる。そして、思った通りの結末になった。

「客にならなかった」となった時の別れ際が苦手だ。
 出会わない方が正解なのか。
 そうは思いたくない。どんな関係性にしても何か影響しあう。それを無駄だとは思いたくない。お互いの未来に生きる糧になればと思う。

撮影:2010/08/07


 帰宅してみると部屋は蒸し風呂のようになっていた。室温は35℃。昨日は36℃になったので自宅にいない方が室温はいくらか低いということだろうか。それでも暑いことには変わりない。腕立て伏せ2回目を…と思ったら98回しか出来なかった。やはり連続してやらないとダメなのだろう。窓を開け放って水風呂へ。水温は31℃あった。
 また腕立て伏せをしてみると今度は92回。1日の疲れか、水風呂の影響か。悔しいので後で再挑戦してやっと101回。

 一つのボタンをかけ違うと関係性は変わるしとても間違わないことなどできない。それは必要なことだったと思えるように生きるしかないのだろう。



腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:98回
3回目:92回
3回目:101回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月5日金曜日

内在

 晴れ。猛暑の予報。

 滅多にないことだが、調子が良い時はアイディアが出すぎて困ることもある。湧き上がる積乱雲のような衝動。芋づる式にアイディアが出てきてしまって書きとめたりひとつひとつを展開したりということは追いつかない。本来ならそれぞれのアイディアの種を丁寧に播いて芽出しをさせたりゆっくり育てることが必要なのにそれが間に合わないのだ。時が経てばアイディアの種は輝きを失い意味を失くす。新鮮なうちにどこまで形にできるかが勝負なのだ。
 子供の頃は空っぽだったはずの世界観が人生経験の中で構築され意味を持つ。それはボクにとって当たり前のことではあるが、他の人にとってどうなのかということは解らない。作品にするということは内在する世界観を形にして共有するということなのかもしれない。


撮影:2011/08/06

 今日も暑い日で室温は36℃に達した。制作していたのでMacの熱が拍車をかけていたのかもしれない。おまけにイラレとフォトショ間で原因不明のエラーに悩まされた。実は小一時間で制作を終えて外出した方が涼しいと思っていたのになかなか出られない。結局、室温が36℃を超えてしまったのだ。実際、気温は31℃くらいだった模様。室内の方が圧倒的に暑い。
 エラーの原因がわからないままなんとかデータを書き出した。

 梅雨が明けるもでは冷夏になるのではないかと思っていたのにとんでもない。明日はさらに気温が上がる予報。




腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:101回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月4日木曜日

捻出

 晴れ。起きると室温は既に30℃。汗ばむほどではないというのは、身体が順応しているせいだろう。それにしても気温が34℃まで上がるという予報。

 時にアイディアがとめどなく溢れてくることがある。
 そういう時に溢れたアイディアはおそらく大したものではなくて時が経てばつまらないものに変化してしまう。そう考えるとアイディアが溢れる感覚というものは一種の快楽であって役に立つものではないのかもしれない。それでもしばらくその感覚がないとアイディアの泉が枯渇してしまっているのではないかとか才能がないからではないかとか自分を責める材料となってしまう。


撮影:2010/08/05

 最近少し絵が安定しつつあるのでそろそろアイディアが欲しいと思う。これまでに描きかけている作品を進めるためにもアイディアが必要なのだ。ところが欲しい時に限ってアイディアは出てこない。若い頃だったら「世界はアイディアに満ちている」とさえ感じていた。世界が変わったのではなく変わったのはボク自身だろう。
 雑巾を絞るようなことをしても出て来ないのはそもそものインプットや刺激が足りないからかもしれない。時々何も考えずにひたすら時を過ごすことも必要なのだろうか。

 夕方近くなって室温はあっさり35℃に達した。さすがに少し具合が悪いような気がするので風呂の残り湯で水風呂に入る。いくらか楽になった気がした。それからタンクトップを水で濡らして着る。一瞬寒いような気がするもののすぐに体温に馴染んでしまった。
 日没近くなって買い物に出ると風があって実に気持ち良かった。何をわざわざ蒸し暑い部屋にいたのだろうと思えてくる。

 部屋の暑さを堪えつつ制作したイラストを公開。


 この暑さはしばらく続くらしい。


腕立て伏せ
1回目:91回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月3日水曜日

描画

 晴れたり曇ったり。気温は上がったが比較的過ごしやすい日。

 ペン入れの調子が良い時、描くというより彫っているような気がする。彫刻刀で造形しているような感覚である。もしかすると描くということそのものを誤解していただろうか。
 デジタル機器が急速に普及しクリアな原稿を完成させるための便利なツールも次々に登場している。パソコンでは美しいベジェ曲線を描画することも可能になった。実際に使ったことはないが、ペンもまたデザイル化が進んでかなりの高機能になったと聞いている。カリグラフィに見るような線のコントロールもデジタルで再現出来るようになった。
 ただ、実際にインクをつけたペン先をコントロールする感覚とは別物ではないだろうか。
 紙質に合わせて力を強弱させ、時にはペン先を回転させつつ線の太さをコントロールすること。それはデジタルに不要ではないだろうか。便利で快適であることがデジタル化の使命の一つとも言えるだろう。技術の習得が煩わしくまどろっこしいものであり長い時間と修練を必要とするならデドタルで可能な限り省略できた方が良い。

 そこにアナログで得られる精神的な感覚があるとしてもだ。

撮影:2010/08/04


 今はその手間がかかるアナログの修練を積んでいる。ペン先は横滑りしたり紙の繊維に引っかかったりとなかなか思うようにいかない。しかし、そんな風に描画された線の中に味わいや親しみのような感覚が見え隠れしている。先人の残した彫刻や陶芸に見出すような手の跡とも言うべき軌跡である。まだ稚拙ではあるけれど、その延長線上に作品があるとするなら…と想いを馳せることで明日の光を見出すことができるような気がしている。


 買い物のために外出。
 あちこちで蟬時雨。自転車で走りながら考えを巡らせた。



腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月2日火曜日

識層

 曇り空。湿度が高く蒸し暑い。

 音と音を重ね合わせ美しく響く関係性を和音という。コード名がAからGと設定され、それに加えてメジャーやマイナーなど明るく聴こえる響きや重く聴こえる響きなど様々な組み合わせがある。アコースティックギターをやっていたことがあるので少しは解るつもりでいても実際に弾いたことがあるのは本当にごく一部。それで充分だと思っていた。

 絵画で言えば、色の三原色(減法混色:イエロー・マゼンタ・シアン)とブラックがあれば、概ね全ての色を表現できるとされている。最近はデジタル彩色の光の三原色(加法混色:レッド・グリーン・ブルー)を意識する機会が増えたとはいえ、基本になる七色を覚えておけば事足りることになる。その七色には相性が良いと言われる関係性や反発しやすい関係性があり、組み合わせることによって意図を伝えたり表現したりすることを可能にしている。

 いずれにしても美しく響きあう関係を追求するための指標にすることができる。


撮影:2010/08/03

 しかし、表現は自由であり可能性は無限大である。
 いわゆる不協和音は美しく聞こえないからダメということではないだろう。むしろさらに掘り下げて関係性を追求することも可能なのかもしれない。

 例えば、コードに沿ったある旋律と別のコードに沿った旋律を重ね合わせたとする。一見したところ美しく響かない二つの旋律が層になって奥行きを醸し出すことが可能なのかもしれない。
 それはおそらく音楽に限らない。色の関係性においても一つのバランスのとれた関係性を別のバランスを持った色の関係性と重ね合わせた時、奥行きとなって空間を表現することが可能なのではないか。

 もしかするとその重ね合わせにも相性があるのかもしれない。そのためには高度で緻密な計算が必要であるように思う。

 最近、色の基準をグレーに置いている。グレーは三原色を均等に混色することでできる。言うなれば、美しく濁った色だ。この方法だと色と色の関係性が破綻しにくいような気がしている。もし重ね合わせの手法を適用するとすれはどんな表現になるだろう。

 降り出しそうな空を窓から眺めつつ外出しようか迷っていたら案の定雨が降り始めた。
 外出は中止。

 机に向かって作画の練習をしていたら夕方近くなってペン入れの感覚を掴みかけたような気がする。湯気のように頼りない感覚なので取り逃がしてしまったかもしれない。少なくてもペン入れが面白いと感じられるようになりたい。


腕立て伏せ
1回目:90回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月1日月曜日

盛夏

 朝方は寒いと思うほど涼しく感じたのは気のせいだったらしい。起きて室温を確認すると既に30℃だった。曇り空なのでいくらか過ごしやすくなるだろうかと思っていると突然の雨。どうやら通り雨だったようだ。間も無くして雨は上がり蝉の声が聞こえ始めている。西の方には青空が見えていた。
 昨日少し無茶をしたせいか腕立て伏せに力が入らなかった。太腿に筋肉痛がいくらか残っているせいだろうか。腕だけの運動のつもりでも全身のバランスが大切なのかもしれない。それと引き換えなのかどうかわからないが暑さへの耐性が少し上がっているだろうか。32℃という室温が気にならなくなっている。

 昨夜、コーヒー用に使っていたマグカップを落としてしまったためヒビが入ってしまった。今朝は新しいマグカップでコーヒー。何かの変化の予兆だろうか。

撮影:2009/08/02


 午後、室温33℃。カレーを作る。
 カレーはちゃんと保存しないと傷むことがあるので暑い時期は避けたいような気がしてしまうが、よく考えたら元々インドの料理なのだから暑い夏こそカレーが良いのかもしれない。腐敗防止のためにいつもより少し大きめの唐辛子を刻んで入れた。同じ目的で味噌汁にも七味唐辛子を入れてしている。そうこうしているうちに室温35℃。36℃までは大丈夫のような気がしてきた。無理しない方がいいかもしれない。

 汗だくになったのでシャワーでも浴びたら水が思いの外冷たかった。
 夏だ。まだスイカ食べてない。


腕立て伏せ
1回目:88回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...