2017年9月30日土曜日

洗顔

 爽やかに晴れた。涼しい朝。

 起き出して顔を洗っている時ふと思い出した。漫画の作品には日常を反映させようと思っていたことを。最近は、日常の出来事を面白おかしく表現している随筆的な作品も少なくない。子供のいる家庭の話とか猫の話とか共感も得られるしネタも尽きないのかもしれない。「描く」という技術と「描きたい気持ち」を有効に活かせる気がする。

撮影:2010/10/01


 我が身を振り返ってみると日常は単調に流れ、たまにハプニングがあっても漫画に描くまでもないようなネガティブなことのような気がする。もちろんそんな日々を面白おかしく描くことが漫画家としての腕の見せ所なのかもしれないと思わなくもない。それで日記調の漫画を毎日描いてブログに載せたらと思うこともある。今は過去に撮った写真を掲載しているが、いずれは漫画を掲載したいと思っていた。それが出来ないのはおそらくまだ力が足りないのだろう。

 天気もいいようだしということで買い物ついでに自転車を出した。
 雲が和紙のちぎり絵ように青い空に貼りついている。公園の木の高い所の葉が赤く色づき始めていた。暑い暑いと言いながら過ごした夏を過ぎて今年も紅葉の季節を迎えようとしている。必要な買い物を済ませて回ると天候が怪しくなり始めた。西の空が暗くなり既に降っている様子。30分くらい持ってくれるだろうかと思っているうちにポツリポツリと降り始める。帰宅まで間に合わないかと心配しつつ走っていたらそれ以上降ることはなかった。ところが、帰宅してしばらくすると「バーーーン!」と大きな雷鳴が響き渡った。恐る恐る外を見ると晴れた南の方の空と対照的に北の方の空は暗くなっていた。

 日常を作品に反映させようと考えていたのは随筆的な日記調の作品ではなく比喩としても漫画である。それが技術的な面と根気が足りないおかげで全く手こずっているのだ。以前考えていたエピソードなど霞んでしまおうとしている。これでいいわけはない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:101回
2回目:115回

2017年9月29日金曜日

裸足

 曇り時々晴れ一時雨。気温が低く裸足では寒く感じる。気がつけば、数日間外出していないようだ。

 時々、押し寄せる情報が煩わしくなって全てを遮断したくなることがある。
 テレビをボイコットしてみたら寝る時間が早くなり睡眠時間も長くなった。心なしか脳内はすっきり済んでいるような気がする。
 誰に強制されているわけでもないのに取るに足りない予定を詰めんで息絶え絶えに時をやり過ごしている。短く感じる日々の中に必要な無駄と不必要な無駄はどれくらいあるのだろう。時間の使い分けがうまくコントロールできていないと一日は不必要な無駄に紛れていく。

 背負う必要のない荷物や急ぐ必要のないことが貴重な時間を少しずつ埋めていく。

撮影:2010/09/30

 せっかくの静かな時間なので制作中の作品を少しでも進めようと思った。ずいぶん手こずっているせいか描けば描くほど完成が見えなくなる感じがする。全部描き直した方がいいような気がしないでもない。それでも必要な箇所を描き進めた。

 天候が不安定のようだったので今日も外出は控えようかと思ったが、買い物ついでに所用を済ませたら明日の時間が確保できるような気がする。予報では夜まで晴れになっていたようなので自転車を出してみると西の空の雲行きが怪しい。既に雨が降っているようだ。風に流されて雨の飛沫が舞っている。直撃を受けないことを願いつつ自転車を走らせる。すると時々見かける女性を見かけた。行動範囲が決まっていて辿る道も似通っていたりすると遭遇する確率も上がるのだろう。金色の髪のその女性は海外の人だろうか。いつも自転車のようだ。そろそろ顔馴染みになりそうな遭遇率だ。

 携帯ショップに立ち寄っってみるとwi-fiが繋がらなかった。安いとは言えフリースポットではないので繋がらないのは文句の一つも言いたくなる。しかし、端末の問題という可能性もあるので仕方なく近くのショッピングモールへ移動。外は雨がぱらついていた。
 またカフェに入らなくてはならないかと思いつつ来店客が少ないようなのでフードコートへ行ってみた。するとwi-fiはあっさり繋がった。回線速度が心配だったもののなんとかなりそうだ。同じ設定なのに場所によって繋がらないというのはどういうことかわからない。
 用件も済んでショッピングモールから出る。通り雨が降ったらしく駐車場はすっかり濡れていた。日が短くなりライトを点灯する必要がある。
 買い物を済ませて帰宅。そろそろ腹巻が必要な季節かもしれない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:110回

2017年9月28日木曜日

素体

 雨のち曇り。草むしりによるかぶれは相変わらず痒い。腰痛や筋肉痛はやや落ち着いてきた模様。一週間も影響が残るようでは問題だ。もちろん問題だからといって動かないと錆びてしまうので難しい。

 もう何度目かわからないカットに挑戦。時間が経ってしまったせいでデータがなかなか見つからなかった。今では高いとは言えないマシンスペックでギリギリの作業をしていることがある。メモリを増設する必要を感じつつもなかなか取り組むことができないでいる。データが見つかって加筆・修正を開始。ペンがスラスラ走るとは言えないながら以前はなぜ手こずっていたのかわからない。遠回りも無駄ではなかったということだろうか。

撮影:2008/09/29

 最近は明るいイメージのカットを描いていたためか暗いオフィスのカットに気持ちが乗らない。逡巡していたところで先へ進むことはできないので手をかけられそうなところから取り組んでいった。これまでは斜めやや上から俯瞰になるキャラクターが何度描いても上手くいかなくて苦心していた。窓からの光を計算に入れると立体感を損なわないように描く必要がある。しかし微妙な角度なので歪みが出やすい。モデルなしで描くスタイルなので脳内で思考実験を繰り返す必要がある。あまり夢中になりすぎるとキャラクターが不安定になったり状況を悪化させてしまうことも珍しくない。いっそキャラクターも3Dソフトで作った方が楽ではないかと思ったりもする。それをやってしまうと描く意義を見失いかねない。

 下絵として基本的な素体を描いて本描きに入るという作画手法はまだ会得できたとは言えない。ただ、以前のカットを見る限り今の方が良い結果につながる気がする。逆に言えば、以前のカットは全部描き直したいくらいだ。それも手間がかかって大変だと思いちまちま描いてみても結局全部描き直すことになったりするものだ。

 昨日は蒸し暑かったのに今日は気温が低下している様子。相変わらず体調管理が難しい。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:110回

2017年9月27日水曜日

昔日

 晴れのち曇り。夜になって雨。やや蒸し暑い日になった。

 時折、過ぎ去った日のことを思い出す。大抵の場合は楽しいこととか懐かしいことを思い出すというより現在との関係性を見直し正当化しようと試みていることが多い気がする。振り返ってみたところで良い結論に至るわけではない。
 もし人生の出来事があらかじめ決まっていて災いも幸福も避けられないことだとすれば、一つ一つの出来事に執着する必要はあるのだろうか。いや、決まっているからこそ前向きに取り組むべきなのだろうか。追われるよりも追った方が気持ちが楽なのは締切ばかりではないだろう。

撮影:2006/09/28

 子供の頃に漫画家を夢に思い描いたことは間違っていなかったのではないかと今は思える。たくさんの人が狭き門を目指すのだから無理な話だと両親は思っていたようだ。もちろんそれは間違ってはいないだろう。今のように出版不況と言われる時代にWeb漫画が注目されるようになっても未だ凸凹道が続いているようだ。しかし、何度も転職して社会を経験したから漫画家だけが凸凹道はではないことを知っている。組織に属せば時間や規則に拘束され厳しい仕事をこなす日々だ。心や体が不調になる人が出ることだってあったし、ボク自身もまた何度かの不調に見舞われた。見えないから確認できないだけで心も無傷だったとは思えない。ゆえに漫画家という職業の大変さだけを特別視するのは当たっていないだろうと思う。

 漫画家は職人的な部分が多々あるのではないだろうか。様々な表現をするために道具や技法も多種多様になるだろう。仕事のスタイルも様々なのではないだろうか。従って、何が必要で何を省略するか見極める必要もある。孤独でありつつも研究や技術の向上を怠ってはいけない。

 子供の頃から高い山の頂上を目指すように少しずつ歩んできた。頂上に立つために過ぎ去った日々を含めた道程にこそ意義があるのではないかと思う。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:108回

2017年9月26日火曜日

先達

 晴れ。気温もやや高め。先日の草取りの疲れもあってか若干の腰痛がある。加えて腕を中心に植物によるかぶれが出ていてムズムズ痒い。子供の頃からおなじみの痒みだ。

 せっかく地方に住んでいるのだから自然のものを描くのもいいんじゃないかとふと思った。この季節ならキノコとかドングリとか紅葉とか…デジタルよりアナログがいいかもしれない。植物図鑑の挿絵画家になる気はないかと言われたのはずいぶん前のこと。その道に進んでいれば、今とは違った世界を見ていたかもしれない。

撮影:2009/09/27
商業誌で活躍されていた漫画家さんがイラストレーターや絵本作家としてご活躍されている様子を拝見していると人生のステップというかキャリア形成のあり方として一つのお手本を示されているような気がする。
 そもそも商業誌で活動できることが簡単なことじゃないので真似しようとしてできるものでもない。
 Web漫画家としてマイペースで活動できるなら生涯に渡って漫画家として活動することも可能だろうか。ただし生計を立てられるほどの作品を描ける必要があるので簡単な話ではない。
 日本人の寿命が長くなったからといって社会構成が大きく変化するわけではない。見えないところで椅子取りゲームのようなことが展開しているのではないだろうか。実力次第という面がありつつも漫画家として生活できる椅子は無限にあるわけではないだろう。

 先達の歩んだ道は登山のルートのように楽な道ばかりではないし天候の変化への対応も必要だ。それでも同じ山を登るならその足跡は大きな意味を持っているはずだ。

 夕方になって自転車で買い物に出ると遠く西の山へ夕陽が沈もうとしていた。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:115回
2回目:115回

2017年9月25日月曜日

予備

 晴れ。気温も上がった。昨日の疲れが残っていて動作がイチイチぎこちない。いつものこととは言え寝ているわけにもいかないのでのそのそと行動開始。

撮影:2009/09/26

 昨日、コンビニのwi-fiが繋がらなかったので不思議に思って携帯ショップに出かけてみる。ところがやはり繋がらない。しばらく格闘してみたが原因がわからないので店員さんに尋ねてみるとすぐにはわからないとのこと。携帯やスマホを紹介したり売ったりするのが仕事なのだから仕方ない話だとも言える。またしばらく調べてみたもののやっぱりわからないので近所の複数回線が使える喫茶店に移動した。
 時間的に混んでいるようだったが仕方ない。こういう時に複数回線が使えないとネットで調べる事すら出来ないからお手上げになる。取りあえずは窓辺の席をキープしてあれこれ試してみると何の加減かあっさり繋がった。原因不明で解決策も不明。釈然としないが結果オーライとするとかないだろう。

 さっさと買い物を済ませて制作に戻ろうとも考えていたので大幅に予定が狂ってしまった。空腹感を感じたのでスーパーで買い物ついでに軽く食事を済ませる。
 いつもだったらリユースショップと書店などに立ち寄るコースだ。今日はスキップしてスーパーに立ち寄って帰宅した。

 昨日の疲れが残っているのでやむをえないと思いつつ不完全燃焼な感じが残る。明日からの朝食に備えて鶏の肉じゃがを調理。予定の行動があれば準備しておくことでスムーズになる。問題はどれくらい先まで予定するかということだろう。予定しつつも臨機応変な行動を想定しておかないと段々窮屈になるかもしれない
 たぶん誰にも理解されないことだが、漫画家になる夢というのは「予定」だったのかもしれないと思う。その予定のために必要になる道具や環境を少しずつ準備し、絵画教室に通ったりして確実な予定にするための努力もしてきたのだ。

 予定は未定。準備したからといって実行するとも実現するとも限らない。それでもその準備する過程さえ楽しめたら良いのではないだろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:110回

2017年9月24日日曜日

格闘

 秋晴れ。
 暑すぎず草むしりの巡回には最適な天候だ。出来るだけ寄り道せずに自転車を走らせた。
 先日の台風の影響はほとんどなかったようで穏やかな田園風景は黄金色になりつつある。赤とんぼが連なって飛び交いあちこちからイナゴが飛び出してきていた。

撮影:2010/09/25

 順調に走って現場に到着。繁茂した植物群もそろそろ最盛期を越えた頃だろう。前回の草刈りから二週間程度だろうか。先日手に入れていた草むしり用の道具を取り出した。カマキリの鎌のような形状をしつつ引っ掛けてむしり取るように刃はない。どこから手をつけようかしばし思案。どこもかしこも繁茂しているのだからどこから始めてもいいのだ。まずは入り口からと意を決して草むしり開始。草刈りより姿勢も視点も低くなる。ここからは地道な作業だ。大したことはないが、まだ蚊もいる様子。アマガエルはあちこちで昼寝を決め込んでいた。
 初めて使う道具なので何が正しいのかわからない。草の根本部分の茎を引っ掛けて引っ張るくらいしか思いつかなかった。根が浅ければ抜けてくるが、深かったり土が固かったりするとむしり取る感じになる。しばらく使っているうちに何となくコツを掴んだ。力は必要だが、鎌を振り回していた時より着実に草取りできるような気がした。取った草を一箇所に集めていたら徐々に山が大きくなる。それが達成感にもなっていた。
 無心になって作業していたらふと右手の指に痛みを感じた。素手でやっていたのでいつの間にか出来ていたマメが破れたのだ。一気に戦意喪失。一時間程度は作業したようなので切り上げることにした。
 帰る前に手土産がないかチェックしてみる。いくつかミョウガが出ているようだったので持ち帰ろうと思ったら既に旬を過ぎているようなので止めにした。その代わりにアケビがなっているを発見。残念ながら五つ葉だったもののアケビには違いない。皮が食べられるのはミツバアケビだけだったろうか。
 このまま除草作業が上手くいくようなら以前のように家庭菜園のようなことが出来るかもしれない。放置しておけばどうせ野草が繁茂してしまうなら何らかの野菜を育てた方がいいというものだ。

 帰りに知人のところに立ち寄った後、昨日調べてあったゲストハウスを訪ねてみた。予約が必要なので思いつきで草むしりに出かけて一泊するのは難しいかもしれない。

 今年も残すところ約三ヶ月になった。厳しい冬を迎える前に実りの多い秋になって欲しいものだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:109回
2回目:116回

2017年9月23日土曜日

座標

 曇り時々晴れ。
 体調が良くないというより気力が低調。なかなか食事をする気になれなかったので作画を始めてみる。
 デジタル作画もややコツが掴めてきた。気をつけたいのは勢いに任せて描き続けることだ。実際、拡大してみると線の荒さが目につく。彩色のはみ出しや塗り残しも見落としがちだ。そういったアラが味になるならそれも悪くないとは思いつつ可能な限り完成度を高めたいとも思う。キャラクターと背景は線の質を変えた方が良いかもしれない。
 描き続けていると相変わらず下絵の段階で必要以上に描き込む癖がなかなか抜けない。ラフな線で雰囲気を掴まえたと思っても下絵に描き込んでいるうちに見失ってしまい下絵そのものをダメにしてしまったりする。
 その後、なんとか食事をして辛うじて腕立て伏せをこなした。一日くらい休んでもいいじゃないかと思いつつ休めない。

撮影:2011/09/24

 夕方になって体調がやや回復したので買い物に出てみた。風景を見ると自分がどこにいるのか再確認することができる気がする。

 そろそろまた除草のために巡回した方がいい気がする。いつものように自転車で出掛け、草刈りではなく草取りにすると時間がかかってしまうので民宿に一泊したらどうだろうと思いついた。レンタカーが2,500円で借りられる時代とは言え何やら手続きが煩わしい。一泊二日の民宿なら4,000〜5,000円くらいで泊まれるのではないだろうか。自転車で出かけて除草作業をして一泊し、翌日も続きをやって自転車で帰宅すればじっくり取り組むことができるはずだ。

 帰宅して調べてみると2,500円で泊まれるゲストハウスがあるようだ。ついでに近所の宿泊施設を調べてみると10,000円以下で温泉のある宿もあるようだ。除草作業で疲れた体を休めるには申し分ないだろう。
…効率的なことを考えれば一泊した方がいいと思えても現実的にはたぶんまた自転車で日帰りするのだろう。足りないのは財布と気持ちのゆとりだろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:102回
2回目:113回

2017年9月22日金曜日

拍車

 晴れ。秋らしい爽やかな天候。山では栗やキノコの季節だろう。

 涼しくなってきたこともあってか遅くまで描いていることが増えつつある。寝る直前まで描いていると翌日に疲れを持ち越すので避けた方が良いことではある。それでもせっかく意欲があってエンン回転が上がっているのだから上手に燃焼したいものだ。

撮影:2008/09/23

 拍車がかかると言うのは結果的にターボを意味することに相当するだろうか。
 描きたいという意志と技術とがデジタル作画で一致しつつある。その結果作画に拍車がかかっている感覚がある。スケッチブックに描いていた時は紙面をラクガキで埋めていくことに抵抗があった。スケッチブックも安くないし資源であるから浪費は避けたい。保存しておくほどの価値を見出せないのに描けば描くほどラクガキで埋め尽くされたスケッチブックが増えていく。

 デジタルにおいてはファイルとして増えていくだけなので物理的に場所をとるわけではない。しかし一覧で見ようとするとひと工夫が必要になる。
 調子が掴めない時期はそれでも良かったが、せっかく拍車がかかった意欲を減速しないように描き続けるためにファイル単位ではなくレイヤー単位で描くことにしてみた。
 ラクガキ用のファイルを用意してレイヤーをスケッチブックのページのように増やしていく。下絵のレイヤーから主線のペン入れのレイヤー、そして彩色のレイヤーなどに分類して次々に描いていく。ラクガキのつもりで描き始めてもそのまま本番へとシフトすることも可能だ。作品別に分けるためには新しいファイルへ移行してもいいだろう。
 利点はスケッチブックのページをめくるようにラクガキを眺めることが可能なこと。欠点としてはファイルサイズが徐々に大きくなることだ。あまりに大きくなるようなら目的別に分ける必要もあるだろう。いずれにしても回転数を落とさずにエンジンを回転させることに寄与してくれるのではないだろうか。

 夕方になって自転車にて外出。箒で撫でたような雲が空に広がっていた。日が短くなるとともに太陽の高度が下がり徐々に夕方の時間が長くなる気がする。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:118回

2017年9月21日木曜日

生涯

 曇りのち晴れ一時雨。

 今より若い頃は続けることに意義を見いだせていなかった気がする。それは昔のような熟練を必要とされる職場が少なくなりつつあり、企業としては誰にでもできる体制にすることが安定のために不可欠であるためではないだろうか。人材は消耗すれば交換可能な部品のような存在になり辞表の意味も軽くなっていないだろうか。
 一方で生涯かけて取り組もうとすることがあるなら継続が無意味などということはない気がする。与えられた仕事ではなく自らが決めたことを極めようとすればどれだけ時間があっても充分ということはないのではないだろうか。言うまでもなく若い頃にそのことに気がつかないでいれば残された時間はどんどん少なくなる。生き方は人それぞれなので一概には言えないにしても生涯をかけて取り組むべき目標を見つけるならば継続は必要なことだろうと思うのだ。

撮影:2009/09/22
背後に見えない存在があってサポートされている気がすることがある。ボクの身体よりやや大きくまるで二人羽織のようだ。それはこれまで育んできた無意識なのだろうか。描く時や自転車に乗っている時に実体を持たない無意識が包み込むような気配を感じるのだ。オーラと言えば聞こえはいいが、過剰な自信が生み出した幻影かも知れない。もっとも過剰なほどの自信は持ち合わせていないようにも思う。
 もちろん真実はわからない。幻影は実体を持たない不確かなもの。おそらくただの思い過ごしの類だろう。それでもその不確かな存在が実体を支えることもあるのだ。


 その甲斐あってか描くことに対しての敷居が少し低くなっている気がする。とにかく描かなくては始まらない。そして描き慣れたものが定型化し定着していくはずだ。今頃そんな段階かと思うとまた焦りを感じないわけではない。少なくてもタイムリミットが積み上げたものを無駄にするこのないように可能な限り続けるのが大切なのではないだろうか。カメにはカメの歩き方がある。笑いたい人には笑わせておけばいいのだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:120回

2017年9月20日水曜日

奪回

 曇りのち雨。昔実家で飼っていた猫が怪我をして帰ってくる夢を見ていつもより早く目が覚めた。良い気持ちはしないので寝直したら珍しく雰囲気の良い職場で仕事にやりがいを感じる夢を見た。気持ちの変化を反映しているのだろうか。

撮影:2009/09/21
今日も所用のため自転車にて外出しようか迷いつつまずはラクガキに取り掛かる。

 長いブランクの間に失いかけていた感覚をようやく取り戻せそうな気がしている。曲がりなりにも精一杯描くようにはしていたもののラクガキがラクガキにならないもどかしさのようにものがつきまとっていた。
 ブランクとは言ってもこれまで漫画らしい漫画を描いたことはなかった。ただ漠然と「描くこと」を仕事にしたいと思い油彩の通信教育を受けたりデッサン教室や絵画教室に通ったりしていたのだ。やがて仕事が忙しくなったことを機に描くことができなくなっていった。生まれ故郷へ移住したのは既に17年前だ。もう描くことはないかもしれないと思い始めていた。帰郷はそれほど大きな夢の一つだったからその夢が叶ってしまえは他のことはもう実現しなくても良いとさえ思えたのだ。長い時間が恐ろしいほどの速度で流れ去った。生活のために勤務した職場に馴染めず転職を繰り返した挙句に世界的な不況。そして直接的ではないにしても東日本大震災後の混乱はあった気がする。

 漫画に取り組むようになったのは3年ほど前になる。他の手は打ち尽くして最後の手段のつもりだった。最終奥義は本来出番がない方が良いのだろう。しかも錆びた刀剣のように切れ味も良くない。未熟なままで実用に耐え得るるものではなかったかも知れない。何度も何度も描き直して時折まぐれのように描ける絵にしがみついてきたのだ。

 3年という歳月が流れ去った。やっと描くという感覚を取り戻しつつある。もし始める頃に3年以上かかるとわかっていたら果たして取り組んでいただろうか。すぐにでも力を発揮できるなどという幻想があればこそ夢中になれた気がする。
 ブランクとて無駄ではなかっただろう。漫画を描くための根拠としてあるいは社会勉強としても意味があるのではないかと思う。ただ、漫画を描く以上「描けること」は大前提ではないだろうか。たとえヘタでも描けなくては始まらないのだ。

 忘れかけ失いかけた感覚を奪回できるならやっと一歩が踏み出せるのかも知れない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:120回

2017年9月19日火曜日

対策

 晴れて気温も上がった。所用のため自転車にて外出。

 見えているのに見えないもの。頑固だったり一途だったりすると大切なことを見落としがちではないだろうか。誰かが適切な助言をしてくれているのに聞く耳を持てないこともある。「これしかない」と思ったときは要注意だろうか。そんなことの繰り返しだ。

撮影:2009/09/20
自転車で走りながら作画のことをぼんやり考えていた。集中から解放されるときには見えないことに気がつくことがある。

 下絵から描き始めるとつい描き込みすぎてしまう。そこから本描きしようとしてもイメージが狂ってしまう。だからと言って下絵なしで描くほどの技術がないのでいきなり本描きに入れない。それはアナログの時も同様で鉛筆で描き込みすぎるのでペン入れして消しゴムをかけると全く違った雰囲気になってしまうのだ。
 よく考えてみるとデジタルならペン入れしても修正することが可能だ。ならばスケッチ用のフィギアのように骨格だけ下絵にしてそこからペン入れすればいいわけだ。
 ずっと続けてきた手法を急に変更できるわけもない。少しずつ慣らしていく必要があるだろう。そんなことを考えながら描いていたらペンタブの上に乗せていた厚手の紙マットが磨耗して凹みが出来始めた。紙の繊維が毛羽立ち始め綿状になる。

 何か対策しなくてはならないと思いながら電機店に立ち寄ってみた。以前にも代用のためにマウスパッドを検討したことがあった気がする。それでマウスパッドコーナーに行ってまた悩んでいると珍しく女性の店員さんに声をかけられた。いつもなら迷っていることがあって店員さんに声をかけても相談にならないような返事しかもらえないのでちょっと意外だった。
「めんどくさいこと言いますが、いいですか?」と念を押してみると「あ、研修中なので…」と初々しいので楽しくなってペンタブの話を始めると一生懸命メモを取り始めた。
「…で、マウスパットが使えるかどうか悩んでるんです。」と言うと今度は一緒に使えそうなマウスパッドの質感を検討してくれた。必要な知識はインターネットである程度得られる時代だ。昔ながらの人と人とのやり取りができる店は少なくなった気がする。初心を忘れないで欲しいと思った。

 ホームセンターに立ち寄ると窓際で外に出られなくなっている赤とんぼがいた。その数は50匹くらいはいただろう。羽がボロボロになっていてもまだ生きようとしている。まさか売り物というわけではないだろうと思い手に乗せて外へ20匹近くは解放しただろうか。キリがないのでサービスカウンターで話してみると若干うんざりした顔で「すみません。もう3回くらい処分してるんですけど…」と言う返事。大変だなぁとは思いつつ「処分」という言葉が引っかかった。虫が苦手な人なのかもしれない。
 店内を歩いてみると下敷きのコーナーで「硬筆書写ソフト下じき」という商品を見つけた。「そうそうこれこれ。こういうのを探してたんだよ!」と嬉しくて仕方ない。価格も手頃だ。念のため、もう一つ検討していたカッティングマットのコーナーを確認すると適当なサイズがなく価格も高かった。
 以前は同じ店でテーブルマットをカットしてもらっている。長く探し続けてきたからこその出会いだろうか。帰宅して試用してみると以前購入したテーブルマットより薄くて若干滑りがいい。そして直接ペンタブに描くより微妙な弾力がある。
 もしかしたら赤とんぼの恩返しだろうか。全部救ってあげられなかったのが心残りだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:115回

2017年9月18日月曜日

去来

 台風一過。今朝方に一時的な土砂降りを降らせた台風18号は日本海側を駆け上がっていったようだ。しばらくは風が強くやがて雲が切れ始め午後には気温も上がった。

撮影:2011/09/19

 意識と無意識について考えることがある。そして度々必要を感じるのは無意識の起動だ。
 例えば、人の名前が思い出せない時、言葉が出てこない時、憶えていたはずなのに必要な時に限って出て来ない。もちろん年齢のせいもあるだろう。そういう時は意識と無意識の連携がうまくいっていないのではないかと思う。
 アイディアが浮かばなくて悶々とする時もそうだ。生きてきた経験の中で何かしらのヒントだったりきっかけのようなものが浮かんでも良さそうなものなのに何も浮かんでこないことが少なくない。

 漫画の制作に関しては書き留めた原案と作画を重ね合わせ結晶化するために一々考え込んだり悩んだりしていては少しも作業が進まない。もうそろそろ直感的に制作出来るようになってもいいのではないだろうか。

 脳内の創作意欲エンジンの回転数がやや上がっているようなのでまたラクガキから取り組んでいる。背後にある無意識領域と歯車が上手く噛み合うようになれば迷わず描けるようになるのではないだろうか。今はまだバラバラで空回りを続けている気がする。

 絵が巧いだけではダメなのが漫画である。物語や構成、レイアウトなど様々な工夫よって成立する。頑張っても無駄なことをしているのではないかという想いが時折去来して悔しくなる。地位や名誉が欲しいわけではない。このままで終わりたくないのだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:118回

2017年9月17日日曜日

影響

 曇りのち雨。

 昨日、山道を入っていった所には不動尊が祀られていた。背後の山から細い滝が落ちて来ている。近所にいても知らない所は知らないものだ。自転車で坂道を上り、滝のそばにあった道を少し登ったので今日は若干疲れが残っていた。毎日なら少しは慣れるのだろうか。

撮影:2009/09/18
漫画家が描きたい。
 夜になって唐突にそう思った。具体的なことは何もわからない。こんな風に感じる時は脳内に何らかのホルモンが分泌されるのではないだろうか。そのきっかけになるのがストレッチだったり筋トレなのではないかと期待していたが、思うままに操ることができれば何も苦労はないだろう。
 無意味のようなこの衝動を待ちわびているのだ。
 答えは単純明快。
「描けば?」である。
 遠慮せずに描けばいいのだ。ところが、この後に及んで何をどう描くのかということがわからない。今描いている漫画を自分自身が描きたい漫画という認識に欠けているのだろうか。

 才能というものが誰にでもあって遺伝子の中に眠っているものなら、それは親子や家族間のみならず親族の枠さえ超えて日本人や人類という種にとって意味のあるものかもしれない。それが多種多様な経験により修正や書き換えが加えられ後の世代に伝えられるとしたら漫画を描きたいという意欲さえ何か意味があるような気がしてくる。

 日曜日だからオフにしようという気持ちと描きたい気持ちがせめぎあってついラクガキをしてしまった。そんな中途半端な気持ちで思うように描けるわけもない。

 南の方から台風が近づいているらしく各地に影響が出ているようだ。実りの秋でもあるだけに被害が大きくならないことを願うばかりだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:113回
2回目:115回

2017年9月16日土曜日

比重

 薄曇り。陽射しはありつつも涼しい。
 生きるために見果てぬ夢を見た結果どこに辿り着くのだろう。何を手にして何を遺すのだろう。今日はそんなことを考えてしまった。

 別に仕事をしつつ描くことを趣味として定年を迎えることはある意味で理想的な生き方だと思う。生活に不安は少ないだろうし温かい家庭に恵まれるかも知れない。社会的地位や信頼も得られるだろう。そして子供たちが成人して独り立ちするようになればいよいよ趣味に本腰を入れられるかも知れない。

 それが出来れば良かったのだと思う。そうなれるよう努力もしてきたつもりだ。
 言うまでもなく現実は思う通りに運ぶものではない。
 努力すれば夢は叶うかもしれない。しかし、夢が叶わなかった人が努力しなかったわけではないだろう。努力して夢が叶った人にはわからないことかも知れない。

撮影:2008/09/17

 残業や徹夜、今ならブラックと言われるような働き方にも進んで取り組んできた気がする。脳の表面が麻痺したようになって深く考える余裕がなくなっていた頃もある。これが一生続くなら身体が持たないかも知れないとぼんやり思っていた。そればかりではなく慣れない交代勤務の工場でロボットや薬品を扱ったこともある。年齢的なこともあったのか徐々に無理ができなくなった。そういう経験をしてきたからこそ理想論を聞かされると辛くなることもある。

 そして思う。定年まで勤め上げてどれくらいの作品が描けるだろうと。幸いにして絵を描くということは人生経験を反映すると思われる節がある。だから定年から始めても遅くはないのだろうと思う。ただ、仮に60歳まで健康に生きると言うことは簡単なことではない。家庭があれば他にも様々な事情で思うように描けないかもしれない。描くことの意味は人によって違うので趣味だから一点でも二点でも構わないのであればそれでいいのかも知れない。
 それで良くなかったら?描きたい想いが強くて抑えられなかったら?
 定年まで勤め上げてから趣味を楽しむというのは飽くまでも理想論だ。理想通りにいかなくても人生なのだ。

 描く事にずっと専念出来ていたら結果だって違うだろう。中途半端にブランクがあるがために取り戻すのが大変な感覚というものがある。

 人生を終える時、遺される作品は何を意味するだろう。金銭的な価値がないからとあっさり処分されてしまわないだろうか。あるいはそれでいいのかも知れないとも思う。生きている間、描いた本人の想いが満たされたら作品の役割として充分なのかも知れない。

 何も持たずに裸で生まれてきたのだから何も遺さずに去るのが本来の姿なのかも知れない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:112回
2回目:120回

2017年9月15日金曜日

自負

 曇り時々雨のち虹。天候が不安定な時はドラマチックでもある。
 早朝の電話で起こされて睡眠リズムが狂ったこともあり若干不調。それでも身体を動かしておこうと思い自転車を出す頃には霧雨が舞っていた。

 雨を避ける意味もあってショッピングモールへ行くと演歌歌手が歌っていた。普段演歌はあまり聴かないが、さすがの美声で感心する。散策ついでに入り用品コーナーへ行くとTシャツを中心に夏物を500円でセールをしていた。ふと一枚のシャツが目に止まる。サイズを確認すると「LLL」になっている。しかし3Lには見えないので店員さんに確認すると「スリムサイズの場合もあるので…」と曖昧な返事だった。そして「良かったら試着してみては?」と言われた。普段はLサイズなので3Lなら明らかに大きいはずだ。試着してみると大きいどころかぴったりである。ちょうど長袖が必要になるシーズンなので購入するとこにした。もしかしたらこの意味不明のサイズ表示のお陰で売れ残ったのかもしれない。スーパーに立ち寄って自転車を走らせていたら大きな虹が出ていた。

撮影:2016/09/16

 描くこと…というより制作を休んだのは一週間くらいだろうか。気のせいか脳内の渋滞がいくらか緩和された気がする。後回しになっていたことを少しずつ整理しいつの間にか大きくなってしまった全体に気を配ることができるようにデータを整理しつつある。古いラクガキのデータなどは削除してしまっても構わないのだが、今となっては再現しようにも再現できない雰囲気というか味のようなものがある。

 終わりの見えないことを続けているので途方に暮れることも珍しくはない。行き詰まっては気を取り直してまた取り組むことの繰り返しだ。これまで失敗したり挫折したりしてきたことが、少しは役に立っているのだろうか。これまで道なき道を歩んできたように思っていた。行き詰まった頃を見計らうように別の道が見つかったり救いの手を差し伸べてもらったりしていた。運がいいのか人に恵まれているのかと思うこともあったはずだ。
 道は少しずつ険しくなりやがて逃げ道はなくなった。いや、逃げたつもりはない。いつも新たな道への挑戦のつもりだったはずだ。

 色んな職場を経験して改めて思うのは、漫画を仕事にすることは今までの中で最も大変で最もやり甲斐のあることだということだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:115回

2017年9月14日木曜日

体得

  晴れのち曇り。用はなくとも日に一度は外出して自転車でで軽く身体を動かす方が良いと思う。もっとも天候の都合もあるので実行できる日ばかりではない。今日は外出できない日だった。天候の問題というよりこれまで描きかけていたカットを作品ごとに一覧で見られるようにしていたら思いの外時間がかかったためだ。制作そのもがは進んだとは言えないだろう。それでもストーリーの流れを確認しながら各ページを見ることができるのは大切ことだと思う。やらなくてはと思っていて後回しにしていたことだ。

撮影:2011/09/15

 決断力に欠け問題を先送りしがちなことと実行力がなく発案だけで企画力や実践力に欠けることは何か共通の根をもつのではないかと思う。

 思うに自分の作品に感動できることが一番なのだろう。ある意味では成功体験と同じような達成感を得ることができるだろう。それがなくては目的にも根拠にも欠けるのではないだろうか。基礎訓練においてもそれは同じで以前より良いものが描けたからと言う感覚が次への活力になる気がする。それがないままでは動機が弱くなりやがて書くことそのものを遠ざけるようになるのではないだろうか。

 そんなことを考えながら以前の作品を修正していたら見失っていたものを見つけたような気がした。エネルギーが足りなかったのか技術が必要レベルに達していなかったのかわからないが、100%の力を出し切ったと思っていたカットが今では30%程度に感じる。感動はまだその先にあったはずなのに足を止めてしまっていたと感じる。それはもちろん今だって同じことだろう。今できる100%はいつか将来の30%でなければならない。

 技術も感性も経験も目に見える形で体得しているわけではない。つまりは自分自身も気がつかないうちに身についていたりするものだ。その能力を発揮する機会がなければ気がつかないうちに退化して忘れてしまうかもしれない。そうしないためには時折磨きをかける必要があるだろう。
 せっかく掴みかけた感覚をどれほど失いかけているのだろう。

 気がつけば夕方。日の暮れが早くなった。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:116回
2回目:120回

2017年9月13日水曜日

見方

 晴れ。気温が上昇して汗ばむ感じだった。身体を動かすため自転車にて外出。滞っていた血液を強制的に循環させるイメージ。ショッピングモールを歩こうかとも考えたが、せっかく天気も良いので自転車で回遊した。いつの間にかどの道を選択してもお馴染みになっている。もちろん知らない道もまだあるはずだが、スーパーやホームセンターなど主要な店舗を見て回る道に迷うことはほとんどない。今日は少しコースを変えていつもより少し大きく回ってみた。やや涼しい日が続いていたので少し夏に戻ったかのような雰囲気だった。

撮影:2011/09/14
ずっと解決しなかったこともちょっと見方を変えると突然解決したように感じることがある。いつも草刈りパトロールをしているところの雑草の繁茂が著しく草刈りが追いつかないのが悩みのタネになっていた。だからと言って除草剤を撒くようなことはしたくない。
 考えてみると草刈りをするからいけないのではないかと思い当たった。草刈りではなく草は抜くべきなのではないかと。草刈りをしていたのは草丈の長くなる植物を選択的に除草することも目的だったのだが、蔓性の植物が這うように成長するので丈の高いものだけ切っても追いつかない。そんな当たり前のことに気づかずに苦悶していたのだ。
 祖父が暮らしていた頃はジャノヒゲを残して通路は綺麗に草むしりされていたように思う。そして同時に脳裏に過るのは美しい緑の絨毯を敷き詰めたような近所の公園で草むしりするおばちゃんの姿だ。

 短い時間で簡単に済ませてしまおうという考え方が結果的に植物の繁茂を許し制御できなくなりつつある。必要なのは地道な草むしりなのかもしれない。

 このご時世なので草むしり用の機械もあるのではないかと思い調べてみる。芝刈り機とは違う。その時点で草を引っ張って抜く機械を脳内でイメージする。するとやはり製品が見つかった。用途的には田畑の整備という感じだろうか。同時に草抜き道具も多く見つかった。農家に住み込みのアルバイトをした時、長い柄の先に半月板のような器具のついた道具があった。草かじりと呼ばれる作業で畑の草を削り取るのだった。
 必要としているのは繁茂する草を抜き取ることなので機械も長い柄の道具も役不足のような気がする。すると小さな鎌のような形状をした草抜き用の道具が見つかった。手でむしり取ることを考えればいくらか便利かもしれない。

 ホームセンターに出かけた時にチェックしてみると200円代で販売されていた。携帯して持ち歩けるサイズなので購入しておくことにした。他に目に留まったのはおばあちゃんが考えたという草抜き用の爪である。以前にサクランボの葉摘みに使用する爪をペットボトルを加工して作ってみたことがある。草抜き用の爪はステンレスで600円代だったようだ。サイズ的には小さなものなので価格的に高いような気がしたが、アイディア商品という付加価値と需要のバランスなのかもしれない。

 今年はもう秋になろうとしている。また以前のように土作りをしたりして家庭菜園のようなことが出来るようになるだろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:120回
2回目:123回

2017年9月12日火曜日

克服

 曇り時々雨。外出しようと思っているうちに夕方。

 相変わらず体調が芳しくない。少しでも制作しようとMacに向かう。
 ネームやコマ割りはどちらかというと苦手な作業だと思う。アイディアがあってキャラクターを描いたとしても効果的なコマ割りでないと活かしきれないだろう。淡々と話を進めるか躍動的で自由な構成にするか重要な鍵を握っている。

撮影:2011/09/13
苦手意識しいうものはとかく慣れていないからということもあるだろう。初めての仕事に取り組む時はどんな場合も同様ではないかと思う。初めから上手にできるようなら苦労はないのだ。この時点で向き不向きを判断する必要はない。慣れるためには繰り返し取り組むことが一番だろう。これまでは苦手意識もあってか敬遠してきたような気がする。もしかすると漫画家のアシスタントであれば否が応にも経験することなのかもしれない。

 とりあえず制作中の作品に取り組むため漫画用ソフトを起動。少し描いたら苦手を克服するためにアイディアの断片からネームを起こしコマ割りする作業を繰り返すのがいいかも知れないと思っていたのにしばらくかかりきりになってしまった。

 しばらくしてからアイディアを書き留めたテキストエディタを起動してみる。我ながらよくもここまで書き綴ったものだと思う。問題は総量の割に使えるものがそんなにないということだ。よく考えると使えるものがないというよりアイディアを育てる力や練り上げる力が足りないのかも知れない。気づかずにいたこれもまた克服すべきことなのだろう。
 見方や考え方を変えるためのきっかけに出会うまで繰り返し取り組むことが必要なのだ。

 書きかけの原案を修正。時間がかかっているので作品として公開できるのがいつになるのかわからない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:118回
2回目:120回

2017年9月11日月曜日

締切

 曇り。夜になって雨。
 予想通り一昨日の筋肉疲労のため動作緩慢。辛うじて少しばかりMacで写真の補正や漫画の制作を進めてみる…気がつけば外出すらしないまま夕方。ちょっと長距離を自転車で走ると数日は影響が残る。

撮影:2009/09/12

 締切について考えてみた。創作活動における締切は一長一短があるだろう。創作活動の締切にはクライアントの設定した締切の他、展覧会やイベント向けの制作の場合もあるだろう。納得行くまで作り込むためには時間が充分でないことも珍しくないかもしれない。その場合、時間内で可能な限り完成度を高めるのが最善策ということになる。

 締切が近づくと思う。
「もう少し早く始めていれば…」
 締切を設定した直後からなりふり構わず没頭していれば、締切間近になっても慌てる必要はなかったのではないかと。そう思っていると他から声がかかったりする。
「もっと早くやれば良かったのに。」
 わかっていることだけに焦燥感に拍車がかかり苛立ちや憤りを感じることもあるだろう。そして自分自身を責めることになる。

 しかし、締切が衝動を高めることに一役買っているのだとすれば、「まだ間に合う」とか「まだ大丈夫」という心境は、緊張の前の緩和として必要なことかも知れない。
 情熱を燃焼することが消費だとすれば、消費し続けることが消耗につながっても何ら不思議はないのではないだろうか。
 制作や創作は実質的な作業期間だけに着目されがちだが、実は締切前に燃焼のためのエネルギーを溜める期間が確保出来ていれば、より良い成果につながるのではないだろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:106回
2回目:117回

2017年9月10日日曜日

解釈

 晴れ。昨日の疲れが残っていた。スーパーで米がセールになっているはずなので出かける必要があるのにいつまでたっても動けない。夕方近くなってやっと出かけようと念のため別のスーパーのセール品を確認すると同じ値段で出ていた。セールの日を合わせてきたのだろうか。一方はペットボトルの回収をしているがもう一方はやってない。どうせ出かけるならペットボトルを出してしまおうといいう理由もあり目的を変更した。ところが出がけにペットボトルを持ち出すのを忘れてしまい米だけ買ってきてしまったので改めて別のスーパーへも出かけることにした。するとペットボトルの回収機に行列ができていた。こういう些細な巡り合わせで人生が織り上げられていく。

撮影:2009_09_11
いつの間にか「できない」と思っていることがある。確かに無謀な試みというものはあるし物理的に不可能な場合だってあるだろう。そればかりではなくそれまでの試行錯誤の中で経験的に失敗に終わったことや様々な知見から得られた判断もあるだろう。また体調がすぐれない場合は前向きに取り組むことが難しい場合もある。まずは体調を良好に維持することが必要だろう。

 直感的にできないと感じたことの中には「今すぐは無理」とか「頑張らなければ無理」とか「危険だから無理」と言った条件つきのものがあるのではないだろうか。そう言った条件つきの「できない」ことは条件が揃えば出来ることなのにできないと決めつけることによって時間を拘束されることや労力から気分的に解放される。そして他に出来ることがないか探し始めるのだ。

 誰にでも簡単に出来ることも無意味ではないかもしれない。そこに別の存在価値を見出すこともあるかも知れないからだ。規格化された製品を人の手によって大量生産する場合などは、誰にでも出来る作業になるまで単純化する必要がある。そういう仕事に就くのであれば誰に出来ることを華麗にこなすことが出来る方が重宝されるだろう。言うまでもなく出来るからと言って安泰ではない。誰にでも交替できるからだ。そこに優劣が生まれ長時間労働だったり交替勤務だったり人間関係などが関係して誰にでも出来ることが出来なくなると働くことが難しい場合もあるだろう。

 誰にでも出来ることではなく自分なりの出来ることを確立するために避けて通れないのがやはり困難な条件を満たすために取り組むことだろう。昔の日本であれば徒弟制度や師弟関係により伝統的な技術を継承することもできたかもしれない。現代日本では様々なサービスや技術を利用できるため工夫することで「不可能」を「可能」にすることができるかもしれない。

 直感的に「できない」と思えることもただ「面倒だからやりたくない」ことなのかも知れない。解釈次第で取り組むべきことが見えてくる。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:101回
2回目:125回

2017年9月9日土曜日

心棒

 晴れたので草刈りパトロールのため自転車を出した。
 風は爽やかなので秋の雰囲気と思っていたら陽射しには力があって気温が上がっていたようだ。通りかかった小学校では運動会をしていた。運動場を囲むようにお弁当を広げている光景を目にするのは久しぶりのような気がする。
 あまり力まないようにペダルを踏んでいたつもりでも少しずつ疲れがたまる。昼食を兼ねて時々立ち寄る池のある公園で休憩した。土曜日ということもあってか家族連れも見られた。

撮影:2010/09/10

 お盆のお墓参りであげられていた花が気になったので立ち寄って簡単に掃除をすることにした。枯れた花束を片付けるだけのつもりでいたら水が汚れているのが気になったりして結局水を汲んで来て水を交換。作業を終えた途端「ご苦労さん」と言わんばかりにひとひらの枯葉が落ちてきた。バケツを借りたお寺へ返却しに戻ると境内に何かの気配を感じる。仏像だったり桜の木の幹や根に存在感を感じるのだ。

 それからいつもの所へ立ち寄るとちょうど知り合いが二人で話をしている様子。割って入る形になってしまった。会話がやや空回りしている印象を感じるのが少し気になる。別れ際に「貰い物だけど…」と言いつつ大きな栗を手渡された。今年は山へ栗拾いに出かけるのを止めようと思っていた。お礼を言って別れた後、いよいよ草刈りパトロールのため目的地へ走る。

 今年は植物に勢いがある気がする。出かける時の予想より繁茂しているのだ。こんなことなら寄り道している場合ではなかったとやや後悔しつつ軽く草刈り開始。祖父が植えていた楓の木が枯れそうになっている。こういう時に樹木医の知識があればなぁと思う。葉の数が少なくなったことで他の植物に日光が多く当たるようになり成長が早くなっているのかもしれない。適度に日陰がある方が草刈りは楽なのだ。
 時期的に蚊が多いので30分程度で作業を切り上げた。そこそこ刺されているとは思うのに不思議なことにどこを刺されたのかよくわからない。アマガエルやシュレーゲルアオガエルの姿が見られたのでいくらか蚊を食べてくれるのではないだろうか。

 帰りの自転車を走らせながら思う。
「一体いつまで辛抱が続くんだろう。」
 きっといつか何もかも上手く行くと待ちわびて、もうどれくらい経っただろう。
 誰に強制されたわけでもない。むしろ制止されたことを自主的にやっているのだ。どうせ取り組なら楽しむべきだと思ってやってきた。端から見れば、勝手気ままに楽しんでいるように見えるだろう。むろん草刈りに限ったことではない。しかし、年齢を重ねるうちに以前なら容易に楽しめていたこともそうではなくなるようだ。今さら家族に協力を求めることも難しいだろう。高齢化により墓地の掃除すら容易ではないのだ。背負っている目に見えないものが年々重みを増していく気がする。

 もし楽しむ気持ちが負けなければ、いつか辛抱が強い心棒になるだろうか。
…いや、そんなことを期待するのはもう止そう。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:108回

2017年9月8日金曜日

潜在

 晴れ。
 今日も描かないで出来ることを進めてみる。写真を使って構成を考えてみた。イメージは浮かんでいたので思いつくままに配置してみたら面白くない。オチもないのに取り敢えず組んでみる悪い癖が出てしまった。

 買い物ついでに自転車を出した。オチがないから面白くないと思ったが、オチを導入にしてしまったから面白くないのかもしれない。些細なアイディアなのに詰め込みすぎた感もある。取りとめもないことを考えながら走ると気温は上昇しているようだった。

撮影:2008/09/09

 太陽フレアの影響が出るのではないかと報じられている。メキシコでは大きな地震があったようだ。巨大地震は連鎖する傾向にある気がする。場所を特定することはできないのでしばし用心が必要だろうか。

 スーパーの資源回収に立ち寄って溜まっていたものをリサイクルに出す。ペットボトルをためてしまいがちなのだが、スーパーによっては醤油や料理酒などの調味料の入っていたペットボトルを対象外にしていることがある。また透明なパックを回収していても卵パックは回収しないらしい。見た目に違いがよくわからないのでせっかく持ってきたからとそのまま回収ボックスへ入れる人もいるだろう。

 ショッピングモールでは敢えて卵パックを集めていたりする。小さなことかもしれないが、そういうことが集客につながるのだろう。そう思いながら透明容器の回収ボックスへ持参した卵パックを入れようとしたら先に数枚の食品トレーが投入されていた。食品トレーの回収ボックスは隣なのである。こういうことする一部の人が後を絶たないので回収を止めてしまう店舗も出るわけだ。
 時間が遅かったのでいつも立ち寄る店をスキップしつつ周回して帰宅した。

 思い返せば、描くことから離れていた期間をブランクと呼んで後悔の種にしてきた。考えてみるとブランクの間にも潜在的な鍛錬は続いていたはずだ。

 そう考えてみるとすでに身についているはずなのに使っていない感覚がある気がする。それは技とも言えるかもしれない。すると脳内に新たなイメージが広がる。描けなかったブランクの間に経験したことを眠られせたままにしていたのではないだろうか。不要なものとして切り捨ててしまうにはあまりにもったいない。既に錆びついて使い物にならないだろうか。少し磨けば輝きを取り戻すのではないだろうか。

 必ずしも意に沿わなかった社会人としての活動を負け惜しみではなく心から無駄ではなかったと言うことができるようになるだろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:125回
2回目:130回

2017年9月7日木曜日

工程

 小雨模様。

 描かない訓練を続けていたこの数日の間で想像力に余裕ができたらしい。この機会にやり方を変えてみようと思った。これまではキャラクター優先で制作を進めてきたこともあり作画力の向上を主題にしてきた。それだけでは前に進めないのかも知れない。
 最近気にかけていた後工程からの準備を当てはめてみるとコマ割りや背景の準備がクローズアップされる。これまでキャラクターを描いた後は泥縄式にコマ割りと背景を同時進行してきたのだ。

撮影:20006/09/08

 数日ぶりに3Dソフトと漫画用のソフトを起動して最終コマの背景とセリフを入れてみると背景に必要なカットが圧倒的に足りないことに気がつく。そして気がつかなかったストーリーや設定の矛盾が浮き彫りになった。

 描かないで進められる所まで制作してみると描くこと以外の作業が随分あるということがわかる。3Dソフトによる背景の準備はもちろのこと、コマ割りの構成だけでもかなりの時間を要する。キャラクターさえ描ければ出来たも同然と考えるのは明らかに間違いだった。そして皮肉なことに描くこと以上に作業に手応えを感じる。実際には準備段階だからピザの生地を用意したりデコレーションケーキのスポンジケーキを用意しているようなものだ。
 アシスタント経験もないので職業漫画家の方がどんな工程で作品にしているのかわからない。やっと見つけたヒントも業界では常識である可能性もあるが、やはり自分自身で発掘し開拓すべきものなのだろうとも思う。

 最終コマが決まることによって定まることになる目標へどんな道筋を辿るかが課題となる。既に公開した作品と接続する予定なので改めて見返してみると恥ずかしいくらいゆるい作品に見える。当初予定していたように少しずつでも修正や更新をしていかないと後から公開する作品との整合性が取れなくなる可能性も大いにありそうだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:122回
2回目:118回

2017年9月6日水曜日

姿勢

 曇り時々雨。

 描くことが義務感になり追い立てられるようにペンを握っていた気がする。それで寝る前ギリギリになって描き始めたりしていたのだ。言うまでもなく疲れは翌日に持ち越し。朝はなかなか起きられないと言う悪循環に陥るのだ。それは夜になってもなかなか気温が下がらない夏という季節柄ということもあるだろう。涼しくなったからこそ生活パターンを見直すことが可能かもしれない。


撮影:2011/09/07

 描かずにいる間も様々に想いを巡らせる。
 予てから「描(か)くことより描(えが)くこと」の必要性について考えていた。物語かも知れないし感情かも知れない。あるいはメッセージの場合もあるだろう。背景となる要素は作品の柱となるだろう。言葉で言うのは簡単でも具体的にどうすべきかということになると試行錯誤の手探りになる。
 描(か)かずにいる間、作品のため他にできることはないだろうか。ストーリーやネームを練ったり3DCGや写真の加工によって背景を準備すること。それはこれまでにもやってきたこと。直接描(か)いてはいないものの制作に携わっている。これまで以上に注力するということも一つの考え方だろう。考えてみると以前は時々写真を撮りに出かけていたことが頭の切り替えに一役買っていたのだろう。最近は写真を撮りに出かけることが激減していた。描くことを優先するためでもあった。

 そうして何かしら創作活動に関係することに時間を使おうとするのは貧乏性なのか欲張りなのか。

 例えば、しばらく釣りをしていない。旅をしていない。

 創作活動と直接関係ないことに意識が向くことを無意識に制限している気がする。偏った生活パターンが思考の循環を阻害するのではないだうか。

 考えてみると休息の使い方が上手くないのは国民性なのかもしれない。
 経験してきた企業や組織では誰かが休暇を取れば他にしわ寄せが生じるということで敬遠されがちだった。熱があったり体調不良でさえ出勤を求められたり早退を許されなかったことがある。

 一生を眠らずに過ごすことが出来ないように休まないことが日常活動に与える影響は少なくないのかも知れない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:121回
2回目:122回

2017年9月5日火曜日

足枷

 晴れ。
 一日中ペンを握らなかったらどうなるだろう。そんなことを思って実践してみた。ペンを握ったところで無意味にラクガキするのが関の山だろうとも思う。実際、そんな風に日々が過ぎているのだ。

撮影:2010/09/06

 ペンを握らなくとも他に何かしていることはあるわけからぼんやり過ごすのはなかなか容易ではない。瞑想が注目されるのもわかる気がする。そして描けるのに描かないという足枷が思った以上に堪える。ラクガキという行為は衝動を燃焼することで消費してしまっているのかもしれない。衝動を高めるためには欲求を抑え圧力を高める必要があるのだろうか。
 懸念しているのはペンと距離を置くことで感覚が鈍ることだ。いろんな説をつなぎ合わせて考えれば、ペンを握らずとも握ったつもりになって描いているつもりでさえいれば神経が衰えるのは予防できるのではないだろうか。

 日暮れの頃になって描かないことが存在意義を希薄にしていることに気がつく。
 漫画を描いていても社会貢献しているわけではないから無駄な存在ではないかと。そして描かないことは無駄にすらなれない。描かない自分は何者なのだと疑問が生まれる。無色透明になった気がする。そもそも存在意義というものが誰にとっての価値なのかわからない。ペンを握って描くことでやっと無駄に生きられる存在なのかもしれない。描くことが生きるための支えにもなっているのだ。

 期待するのは無意識下で描くという感覚が整備されることだ。起床時に意識したことが睡眠時に無意識下で整理整頓されるように作画の感覚もまた整理整頓されて鈍化どころか精錬されるのかもしれない。鐘乳石のように人知れず成長するものかもしれないから。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:120回
2回目:131回

2017年9月4日月曜日

緊張

 曇りのち晴れ。涼しい朝。いつもより早く目が覚めたので二度寝を決め込んだ。
 夢の中ですらもう何度目の転職かわからない。新しい職場に配属されたためということもあってか仕事が全くわからない。どうしていいかわからずにいた。これまでの経験を生かそうと上司らしき人に出来ることを話し始めたら「役立たず扱い」されたので今は漫画を描いているということを力説する夢をみた。あまり寝覚めがよくない。

撮影:2010/09/05

 昨夜、テレビ番組で一生懸命になるあまり大切なことを見失っていることがあるという話をしていた。脳が常に緊張した状態を維持することで休まる暇がないのだろう。時には緊張を緩めることも必要なのかもしれない。
 一方で筋力の低下は意識することである程度予防できるという話もある。実際に歩いていなくても歩いていると意識することが大切だそうだ。筋肉の衰えは意志を伝達する神経の衰えと関係しているらしく意識しないことで筋肉も役立たず扱いされてしまうのだろう。

 専門性が高まると広い知識とは別に深い知識や経験が必要となる。やがて周辺事情に無関心になったり敬遠したりするようになるのではないだろうか。
 組織内で共有すべき情報とそれぞれの専門部所内で共有すべき情報は違う。そして専門性の狭間にあって見過ごされていることをどうフォローするか配慮する必要があるだろう。

 描くことを意識し続けてきたお陰で見失っていることや見過ごしているはどれほどあるだろう。時には描くことを休んで季節の変化にでも心を傾けてみるのがいいかも知れない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:120回
2回目:126回

2017年9月3日日曜日

破片

 晴れ一時曇り。ここ数日気候の変化に対応しきれていないらしく身体がが重く感じる。毎日の腕立て伏せも気分的には億劫なのに100回超える辺りから一回でも回数を多くやりたいと思ってしまう。買い物の予定もあったので外出の必要を感じつつ腕立て伏せの後はなかなか動けなかった。

撮影:2009/09/04

 最近、カップや皿などを落として割ることが多い気がする。いつから使っているか定かではないが、10年くらいは使っているのかも知れない。大抵は百均で購入したものだったりするので金額より愛着の問題だろう。気に入るかどうかは価格の問題ではないのだ。
 今日もうっかりガラスのコップを取り落とした。落としたのは初めてではないと思うが、これまでは割れずに済んでいたものだった。食事の準備中だったので食事を済ませてから片付けて念のため掃除機をかけた。

 ラクガキのイメージで作画訓練をしようと思っていたので漫画用のソフトを起動。スケッチブックだとページを捲りながらイメージを想起しつつ描き始められるのにデジタルだとファイル別になってしまうのでイメージを膨らませるのが難しいのだろうかと思う。そこでレイヤーをスケッチブックのページに見立てて一つのファイルで管理してみてはどうかと考えた。データが重くなる可能性があるので飽くまでもラクガキ用ということにして簡単な表紙も作ってみた。これでイメージを逃さずに描き留めらるのではないだろうか。

 よく晴れていたはずの空がいつの間にか曇っていた。買い物をどうしようかと思っていたら西から晴れてきたので自転車で外出。やや風があって涼しい。
 スーパーでブリのアラが安くなっていたので購入。大根は買い置きがあるし涼しくなって来たからブリ大根も美味しいだろう。

 夕飯の準備中、何か硬いものを踏みつけたような気がした。足の裏を確認してみると血が滲んでいる。朝、割ったコップの破片が残っていたのだ。自分の不始末で罠を作っていたことになる。なんだか全てにおいてこういうことになっている気がしないでもない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:120回
2回目:130回

2017年9月2日土曜日

比較

 曇りのち晴れ。夏の間の疲労回復のためか起床時になかなか布団から出られない。描くことに集中出来ると体力をかなり消耗する。デジタル作画の場合はMacの画面と長時間向き合うことになるのでその影響もあるかもしれない。

撮影:2012/09/03

 昼過ぎにやっと活動できる気がしたので昨日作画していたイラストをプリントアウトするためコンビニへ出かけることにした。プリンターとインクを常備することに比べれは経済的で言え、無駄にプリントアウトするのは避けたい。また便利な反面、プリンターとしての発色や精度はインクの噴射式の方が高いと思われる。本格的にプリントアウトするのであれば、自前のプリンターを用意するか印刷会社に依頼とた方が良いということは言うまでもない。
 指定のデータからプリントアウトしてみると発色やグラデーションの再現性がやや足りないものの全体的に落ち着いた色調で悪くないような気がした。

 コンビニを出てしばらく走ると空腹感を感じたので別のコンビニに立ち寄った。おにぎりと野菜ジュースを買ってイートインで食べながら改めてプリントを眺める。すると気がつかなかった不要な線の消し残りや塗り残しが見つかった。今回は飾りたいと言ってもらえている作品なのでそのままでは心残りだ。しばらく思案したが、連絡して修正するまで待ってもらうことにした。

 帰宅して修正を施し再度ネットプリントに登録。依頼してくれた友達に連絡した。

 今回は記録用にプリントアウトしたので作品をファイルに収納。その際に過去のイラストを眺めてみた。以前のイラストはフルデジタルということでイラレを使用してベジェ曲線で制作していた。今日の作品もフルデジタルではあるもののほぼフリーハンドだ。比較してみるとクオリティが格段に違う。今だったらもっと良いものが描けるのではないだろうか。

 情熱や衝動に任せて走り出しても走り続けられるのは容易ではない。手応えがなかったり反応が良くなかったりすると諦めて他の道へ進むことに希望を感じてしまうものだ。考えてみると駆け出しで躓くのは当たり前なのだ。そこから別の道へ進むのも致し方ない。問題は実力をつけて再挑戦できるかどうかだ。むしろそのための回り道や寄り道なのかも知れない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:121回
2回目:120回

2017年9月1日金曜日

肖像

 晴れ。涼しくて過ごしやすい日。昨夜は寒くなりそうだったので久しぶりに布団を被って寝た。朝、思いがけず電話が入って予定より早く起きてしまった。睡眠リズムが乱れると調子がおかしくなるのはいつものことだ。世間はとうに動き始めているのだから遅くまで寝ている方が悪いということになるのだろう。一説には早起きしすぎない方が良いとする研究があるようだ。野生動物は夜行性のものや昼行性のものなど種によって違う。生活パターンは国や地域によっても異なるのでどれが最適なのかというより習慣なのかもしれない。

撮影:2012/09/02

 天気が良いので外出も考えたが、制作することにした。
 先日描いた漫画のオリジナルキャラクターを見返しながら壁紙サイズにすれば良いだろうかと考える。背景を変えてオリジナルグッズへの展開も楽しいかもしれない。もっとも、人気の作品のキャラクターではないから需要はないだろう。

 そういえば、オリジナルキャラクターを描く感覚と似顔絵を描く感覚は違う気がする。オリジナルキャラクターの正解は自分の中にしかないのに対して似顔絵や肖像画はモデルとなる人が正解だから全然似ていないようでは意味がないだろう。
 描くことの原動力は小学生くらいの頃に好きになった人を思い出しながら描き始めたことかも知れないと思う。思い出しながら似顔絵を描くことを基礎にしてきたのだ。ところが友達に好きな人の似顔絵を描いて欲しいと頼まれると事情が違った。自分の好きな人と友達が好きな人では見ているポイントが違うだろう。不快な印象を与えるようなことがあってはいけないとも思った。写真を借りて描いたこともあるが、本当に大変だったことを覚えている。高校時代の友達の間ではボクに好きな人の似顔絵を描いてもらうと恋愛が成就すると言われていたらしい。

 成人してからは知り合いの子供の絵を頼まれたことがあった。油彩かアクリルで描いたのだったろうか。額装してプレゼントするととても喜ばれた。子供が寝る時に絵を枕元に置いていたと聞いて嬉しかったことを覚えている。
 デッサン教室の仲間の自主活動でモデルさんを頼んで描いた時にはモデルさんが気に入ってくれた。出来上がったらプレゼントするつもりもあったが、結局完成しなかったのは実物を見ながら描くことができたのが1回きりだったからではなかったかと思う。

 最近は積極的に似顔絵や肖像画を描くことがなかった。なにしろ「似ていなくてはならない。不快であってはならない。」という命題をクリアするのが大変なのだ。デフォルメした似顔絵を得意とす漫画やイラストを描く作家さんの心中はいかがなものだろう。

 何れにしても似顔絵や肖像画は敷居が高く感じてしまう。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:120回
2回目:123回

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...