2015年7月4日土曜日

坂道

 梅雨の時期、天候も不安定なのにどこか遠くへ出かけたいと思い自転車で自宅を出た。

 予報では晴れると言っていたはずなのに空はどんよりと曇り、何より湿度が高くて風が重い。西に走り始めていた自転車の方向転換、電車にしようかと思案しつつペダルを踏み込む。もう午後になっていたから電車やバスで出かけるには時間が遅い。乗り継ぎが上手く行かないと帰りが夜になってしまうだろう。
 自転車で走りつつ、近所のギャラリーの前を通りかかると今日は展覧会をしているため閉店とのこと。そういえば、案内ハガキをもらったんだったと思い出す。展覧会の会場はそんなに遠くない。坂が多いので自転車で出かけるにはちょっと踏ん張らなくてはならない。それでもせっかくの機会だし出て来たついでもあるので少し足を延ばそうと考えた。
 スーパーに立ち寄って昼食用のおにぎりと飲み物を購入し自転車を東へ走らせると間もなく山沿いの坂道に差し掛かる。毎日通った通学路のことを思い出した。自転車は6段ギアだから高校時代に乗っていた通学自転車に比べれば随分楽なはずだ。軽いギアにして立ちこぎすれば自転車を降りなくても何とか坂を上ることが出来た。
 山や畑の緑は濃くなりすっかり夏の表情を見せている。道沿いの野草の中に馴染みの植物を認めつつ自転車を走らせる。その道は車で何度も走っているはずなのに山沿いの畑の中に展覧会が出来るような施設があったのか記憶がない。展覧会の案内のノボリが立てられていたので道に間違いはないようだ。しばらく走ると道沿いの畑の前に店を出しているのが見えた。無人販売所かと思ったらちゃんと畑の方がいらっしゃった。店頭にはサクランボ・スモモなどが並べられている。どういうわけか品種名も価格も記載がない。サクランボは明るい赤と濃い赤の2種類。明るい赤のサクランボはナポレオンで濃い赤の方はアメリカンチェリーかと思ったら地元の品種だとか。値段はナポレオンが4パックで1,000円とのこと。4パックで1,000円…つまり1パックなら250円なので高くはない。どうして4パックで説明したのかが解らなかった。自転車ということもあり、まだ目的があるので4パック購入することは難しい気がした。何よりそんな予算はない。品種はナポレオンなのでどちらかというと加工用に向いているだろうか。スモモは1パック200円とのこと。
 店の方は畑がやりたくて長年勤めた会社を退職して趣味でやっているとか。サクランボの後はモモにブドウにラ・フランスにリンゴと様々な果樹を手がけているそうだ。まるで絵に描いたようなスローライフのような気がした。
 展覧会に来たという話をすると、なんとボクは会場を通り過ぎていたらしい。お礼の意味もあってスモモを購入。無農薬だから洗わなくても皮ごと食べられるという。このご時世、声を大にしてPRしても良さそうなことに黙って取り組んでいるのだ。お礼を言って元来た道を戻ることにした。

 しばらく走ると、道路より低くなっている左手の畑の中に建物が見えた。ブドウ棚の下には木製のテーブルが並べられていて気持ち良さそうに見えた。傾斜のある空きスペースに倒れないよう自転車を停めて中の様子を伺うと作家さんらしき人の姿とお客さんの姿が見えた。中へ入ると右手に子供のような彫刻が立っていて少し驚く。作家さんのひとりが接客をして下さってので自己紹介を兼ねて作品を印刷したカードと名刺を手渡しているともうひとりの作家さんが先日ギャラリーでお会いした方だと気がつくいた。展覧会とあって先日と様子が違うので別人かと思ったが、相手の方もボクのことはうろ覚えだったらしい。それからしばらく作品の解説をしていただいた。冬場には農機具を置いている小屋にしては作りもしっかりしているし壁や床もきれいに見えた。
 お話を伺っていると子供が駆け寄って来てサクランボをひとつ手渡して行った。解説して下さった方が「孫。」と言って笑う。
「孫?失礼ですがおいくつですか?」
 同世代だと思っていたので驚いて訊ねるとボクより一回り以上の年上の方だった。それにしてはお若くみえる。
「仕事以外にもやり甲斐を持ってると若く見えるんでしょうか。」
 そう言って笑うと興味深い話をして下さった。
「腰痛って言うのは寝返りをうたない人がかかりやすいらしいよ。」
「そうなんですか?」
「その話をしていたら笑い話になったんだけど、仕事一本よりあれこれ寝返りをうった方が腰痛にもなりにくいんじゃないかなぁって。」
 この場合の腰痛はもちろん身体的なことだけを意味しているのではない。にこやかな笑顔を含蓄のあるお話をして下さったのだ。
 解説して下さった作家の方は彫刻の方ということで、木彫の作品を中心に見せていただいた。聞けば木工で知られる企業にお勤めだったということで木の性質も良くご存じなのだろうと思う。驚いたのはコラボ作品だ。彫刻の作品を組み合わせることで作品にしている。本来なら独立させた作品として成立するはずの作品をひとつの作品として組み合わせているのだ。お互いの理解と尊重がなくては出来ないことだと思う。アーティストは、試行錯誤の中で複雑な世界観を構築し、作品としての結果に結びつけるため哲学とも言えるような計算を繰り返すものではないだろうか。それは他の要素が干渉することを計算に入れる場合もあるかもしれないとはいえ、作品同士を組み合わせるとなると個性の衝突によって予期せぬ結果に繋がることもあるだろうし、狙いを外してしまうことにもなりかねない。しかも2つの作品を組み合わせるために木彫の作品は部分的に彫り込まれていた。つまり、受け容れるための加工を施してあるのだ。寛容さと潔さが必要ではないだろうか。
 今回の作品展は5名ほどの作家の方の作品を持ち寄っていて油彩や書も展示されていて集まった仲間の協力関係によって成立しているようだった。
 新たなお客さんがいらっしゃったようなのでお礼を言って外に出た。すると作家さんのような方とすれ違ったので自己紹介用の作品カードと名刺をお渡ししようとお声をかけた。その方はモダンな洋画を描かれる方でピカソの技法を使ったという秘話を披露していただいた。執筆の方もされているということでコピーした作品をいただいて別れた。
 いつかまた何か機会があるだろうか。

 苦労して上って来た道は戻る時に下りになる。
 爽快な気分で坂道を下った。
 天候がまた変わるらしい。
 風が強くなり始めていた。




漂泊

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