2017年1月31日火曜日

転換

 晴れてはいても寒い一日。昨夜のうちに降った雪が少し積もっていた。

 1ページにかかっている時間が長すぎる。たった1カットがなかなか描けずに煮詰まっている。問題になっているカットを当初のイメージに近づけようとするとストーリーとのズレが生じ歪んでしまう感じがする。イラストとして完成させるイメージと漫画の作中に相応しいイメージが同じではないということなのだろう。いずれにしてもこのままでは完成どころか進行すら怪しい。
 朝、布団から出る前に思案する。
 試験問題の最初で躓いてしまった感じだ。こういう場合はできる問題から解決していくのが定石だろう。そう考えて他のコマを手がけたりしていたが、結局そのカットが気になって戻ってしまう。
 ここはそのページをボツにして仕切り直すべきかもしれない。
 振り出しに戻ってしまうことになるので出来れば避けたい決断である。


撮影:2013/02/01

 この問題は「思うように描けないこと」に起因している。では、描ければ問題ないということで取り組んでたはずなのだ。もう一つの問題はネームが固まっていないということ。元々解説を兼ねたエピソードのつもりだったのでさらりと描ければ良いと甘く見ていた。それではあまりにつまらないだろうと欲張ったからアイディアそのものを変更しなくてはならなくなったのだ。そのこと自体は悪くないと思っている。しかし、それならば新しいアイディアでストーリーを再構築しなくてはならない。不安定なまま始めてしまったから明確なイメージが得られないのかもしれない。



 方針転換をしようと考えたせいか目的を見失ってオロオロしてしまった。目的の喪失感のようなもので支配されてしまっている。あれこれ描きかけのカットを描き進めたりしているうちにPaperというアプリで気楽に描いてみようと考えた。多少は使ってみていたもののイマイチ使い勝手がわからない感じがしていた。普段使っているアプリは比較的詳細な設定ができるのに対してPaperはデジタルなのにアナログ感がある。普段は詳細に設定したがる方なのかもしれない。細かいことに気を取られない良さはあるかもしれない。



 作画に気を取られるあまり迷路に入って煮詰まるのが恒例になってしまっているから手軽に描けるツールを探していたことも確かだ。ネームにしてもざっくりプロットして個々に深めていくことが必要だろう。

 浮かんだアイディアをリアルタイムで発信できるのも良い点だろう。


 出来るだけ細かいことを気にせず、ざっくり描くことで作画感をリセットすることができるかもしれない。
 立て直しを図ることが必要だ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:105回

2017年1月30日月曜日

定番

 雨のち晴れのち雨。比較的暖かい日。

 昨日、買い物に忘れたものがあったので外出したくて空模様を見る。細かい雨が降っている様子なのでまずは作画に取り組むことにした。
 前回描いていた背景カットのタッチを変えようと考えていた。デジタル定規で直線描く作業はフリーハンドとは少し違うのでまだコツが掴めないでいる。昨日はインクのような濃いタッチで描いていた線を鉛筆タッチへ変更する。デジタル定規を使っているのに精度がイマイチ。定規の位置と実際に線が描ける位置とにわずかなズレがあるように感じるのだ。高校時代、設計の授業があった。定規を使って線を引くのだが、シャープペンシルの傾きのせいか太さのせいか意図した位置からわずかにズレていた気がする。烏口を使ってインクで描く場合に至っては図面を汚さずに描けたことがなかったのではないだろうか。


撮影:2010/01/31


 しばらく描いているうちに陽が射してきたので自転車を出した。近所のスーパーをはしご。月曜日の日中ということで来店客も少ないようでお弁当関係が売れ残って値下げになっていたようだ。買い忘れたものを買って帰宅。

 そういえば、昨夜の夢に随分前にアルバイト先で一緒だった人が登場した。当時は大学生の他に海外から働きに来ている人もいる多国籍な職場だった。夕方から夜遅くまで働いて残業になると夜食に牛丼が提供されていた。どれくらいの期間働いたか記憶が定かではないが、それなりに喜怒哀楽があって良い経験をさせてもらったと思う。高校を出てすぐ就職してしまい世間知らずなまま社会に出てしまった感は否めない。
 せっかく就職した会社を退職してからアルバイトや正社員などいくつもの職場を経験してきた。そんな経験なんてなくても波風なく生きていけたらその方が幸せなのかも知れない。
 夢に出てきた人は外国籍の人だったようだし連絡先の交換もしなかった。映画俳優のようなイケメンで気の優しい人だったことを憶えている。なぜ今頃急に夢に登場したのかわからない。人生の中でただすれ違っただけのような関係でも記憶の中に生きているのだ。

 今日はカレーを作る日だった。買い忘れたものとはカレーに使う予定のヨーグルトだ。よく確認せずに買ってきてしまっい「脂肪0」と言うものでいつもよりあっさりな味になった気がする。カレーはこってり系の方が好きだ。

 明日からまた寒くなるらしい。

プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:101回
2回目:106回

2017年1月29日日曜日

適正

 晴れたり曇ったり。まずは買い物のため外出。今日は鶏肉が安いはずだ。空は薄い雲に覆われていて陽射しが遮られていた。

 最近、近所のスーパーにペットボトルの自動回収機が設置された。ゆっくり投入しなくてはならないし、ペットボトルを回収して潰されるまでの時間や一人ずつの順番待ちの時間を考えれば、普通に大きなカゴや袋などで回収しているものの方がいいに決まっている。自動回収機は電気代だってかかるわけだから果たしてどこまで環境負荷の軽減に貢献しているか疑問も残る。自治体のペットボトル回収にはゴミ袋代がかかってしまうので自動回収によって買い物のポイントが溜まるとあれば順番待ちする動機になることはわかる。
 ボクはポイントカードを持っていないのでわざわざ順番待ちに並ぶ必要はない。ちょっと遠回りすればリカーショップでも回収しているのだ。それなのになぜ並ぶのかというと機械っぽい動きが昔ながらのゲーム機を連想させるからだろうか。

撮影:2012/01/30

 最近のゲームはCG全盛でともすればVR技術まで導入されている。UFOキャッチャーはスーパーのゲームコーナーやショッピングモールで見ることができる。昔見かけたゲームに傾斜をコントロールしながらボールを転がすゲームはまだ健在だろうか。最近はゲームセンターにも行かないのでタバコ臭い小さなゲームセンターが懐かしい気がしないでもない。
 そういえば、子供の頃に家族と出かけたデパートの最上階のゲームコーナーが好きだった。電光掲示式のルーレットのようなゲームがあった。ルーレットと言っても回転す光を当たりのところで止めるゲームだったと思う。ワケもわからずやっていてたまたま当ててしまったことがあった。景品でお菓子か何かが出てきたような気がするが、子供ながらに興奮したことを憶えている。

 寄り道したい気分に誘われつつ買い物を済ませて帰宅。

 今日は制作中の漫画の背景から着手。3Dソフトを使わず描けるかどうか試してみる。デジタルなので直線を描くことはできるが、イラレのベジェ曲線のように個別のオブジェクトとしてコントロールできないのが難点。線と線の交点が正確でなかったり、はみ出した線を修正したりするのに手間がかかる。
 少し描いてみたところでこれまで描いてあったキャラのカットを重ねてみると意外と悪くない印象。これまではそのまま彩色に取り掛かっていた手順をモノクロで構成することにしてみた。彩色を後回しにすることでページ全体の配色バランスを見ながら彩色することにしてみようと考えたのだ。
 他の人の制作光景や手順を参考にしているわけではないので、何が最も適正な工程なのか試行錯誤は続く。こうしているうちにシンプルな手法に落ち着いていくだろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:107回

2017年1月28日土曜日

始点

 曇りのち晴れ。少し風あり。
 昨夜の餃子は形は良くなくても生姜とニンニクをしっかり効かせたので食べる時は美味しいと思って食べた。ところが、布団に入ってからも胃にもたれるような感じが続いてなかなか寝付けないばかりか早めに目が覚めるというおまけつき。こういう時に早めに布団から出てしまうと身体の方が寝不足状態になるので我慢していつもの時間まで布団の中で待機。

 2年や3年という時間はあっという間に過ぎ去る。今の活動に切り替えた頃のことを振り返ってみるとあの時は本当の意味で出発点だったのかもしれないと過去の作品を見ていて思う。描けるつもりでいたのに時が経ってみると稚拙さばかりが目につく。そして悩んだり苦しんだりしてきたことこそが次へのステップに通じていたようだ。
 そのことに気づいた今はまた新たな始点なのだろうか。取り組んでいることが無駄なのか無意味なのか時を経てみないと解らないものなのだ。

撮影:2006/01/29


 今日は買い物の必要もないので作画に取り組むことにした。

 起床時にいつもと違う発想を得た。新しいアイディアではなく寝かせてあったアイディアが今なら着手できるかもしれないというもの。技術や経験が足りなかったため頭の片隅にありつつ手をつけていなかったのだ。

「急いてはことを仕損じる」という諺もあるくらいなのでまずは足場固めのためクロッキー的なラクガキで様子を見る。最近描いているタッチとはまた違うので様子を見ながらクオリティーを上げていくことにしよう。

 描ける時は描く…ということで描けるだけ描く。作画タッチをスイッチして別のカットに取り組んだ。いつもなら1カットで数日悩むこともあるのに今日は何カットも描き進めることができる。もっとも相変わらずデッサンが狂っていたりする。
 餃子効果が続いているのか集中力がいつもより持続できる気がする。それとも今日が新月だったせいだろうか。

 一日が終わる頃、眼精疲労を伴ってしばらく動けなくなった。小さな新しいアイディアを幾つか試すことができたので悪くない日だったのではないだろうか。
 今日は奇しくも陰暦の元旦だそうだ。今日という日がまた新しい始点になることを願いつつ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:102回
2回目:105回

2017年1月27日金曜日

修正

 晴れ。まずは買い物ついでに外出。歩道には雪がしっかり残っているところが多い。車道脇には雪が残っていて自転車では走りにくい。走れなくはないので注意しつつ自転車を走らせる。買い物だけで帰ろうと出発したものの天候が安定しているようだったので少し足を延ばした。冬でなければ普通に走っている馴染みのコースでも運動不足をジワジワ感じる。

撮影:2007/01/28
久しぶりに書店に入ってみた。ネットで見かけたいた新刊をチェックしたりして店内を廻る。目新しいものを見て回っているうちだけでも脳が刺激を受けている感じがした。ふと書店と併設のコーヒーショップが以前と別の店になっている気がした。後で調べてみると以前と変わっていないようだ。看板が新しくなっていただろうか。記憶などあてにならないものである。もしかすると記憶の方が正しいかもしれないと考えると新しい物語の入り口に立てるだろうか。

 それから産直の店やスーパーを回っているうちに天候が変化して雨がぱらつき始めた。ついさっきまで晴れていたので少しばかり慌てつつ帰路に就く。上空では雪なのではないかと思う降り方だった。

 帰宅して作画に取り掛かる。昨日手がけていたカットの気になっていた歪みを修正することにした。ちょっとのつもりで修正を始めたのに実は思っていたより歪んでいたようだ。服のシワを修正したり肩の位置を修正したら他にその影響が出てしまった。今日やろうとしてのはそういうことではなかった気がしつつ途中で止めるコトができない。結局、夕方まで修正に終始してしまった。

 今日は餃子の予定で昨日食材を買ってあった。毎回のように焼き加減で悩むのだが、ある程度コツを掴みかけているつもりだったのに軽く失敗。焦げるほどではないのに形が崩れてしまった。原因は皮がフライパンに焼きついたためだが、もう一息焼くべきだったのかどうか加減がわからない。思い当たることといえば、皮も昨日購入したものであるということ。冷蔵庫内とはいえ一日寝かせてしまったことが問題かもしれない…せっかく作るならその日に調理するか皮も自分で作る方が良いのかもしれない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:101回
2回目:116回

2017年1月26日木曜日

手順

 晴れ。久しぶりに一日中晴れていたので雪融けも進んだ…とはいえ、まだ一月なので油断は禁物。これからまた雪が降り積もることを覚悟しておく必要がある。
 正月が明けてから寒い時期になると一年のスタートダッシュでつまずく感じがしなくもない。せっかく一年の計を立て気合いを入れたはずなのにいきなり寒さにつまずいてしまう。そう考えると日本人はやっぱり太陰暦の方が風土に合っているのではないかと思える。もっとも冬至が12月なので年が明ける頃には徐々に日が長くなっているから太陽歴であっても気持ちが少しずつ明るくなる感じはあるかもしれない。
 今日は陽射しに力強さを感じられる日だった。

撮影:2007/01/27


 昨日、手書きのカットをデジタル化して手直しする方法を取ってみた所、悪くない感じだったので今日も同様の手順を踏んでみた。破棄せずに取ってあった手描きのカットをデジタル化してみる。カットによってはデジタルでの手直しが必要ないくらいだったりするが、破棄せずに取ってあったカットというのは何かしら納得のいかない点があるのだ。そこで手描きのカットを下絵にしてデジタルで新たに描き直す。すると思った以上に良い感じになった。おそらくこれまでの寄り道や遠回りの過程で気づかないうちに技術や手法を身につけて来たのかもしれない。そのことを認めることで迷うことへの苛立ちや恐怖を緩和できるかもしれない。

 昨夜、背景について少し考え事をしていた。現在は3Dソフトで制作してロケーションを確認したり背景に使用することを考えている。当然ながら作画感の表現はできない。
 それでいいのだろうか。背景も物語を演出する大切な要素であるはずだ。
 背景はデジタルで作画すると線のコントロールがとても難しい。アナログで手描きする場合はデジタルデータへ変換する際のディテールの扱いが難しい。しかもやり直しができないのでリスクが高い。では、3Dデータを2Dデータの下絵にしてデジタルのフリーハンドで描き直したらどうだろう。
  物は試しと思いこれまでのデータを使って試し描きしてみた。すると意図に反して面白くない絵になってしまった。ただ、試しの時点で見切りをつけるのが早すぎるらしいということに最近気づいた。寄り道や遠回りが多いのは見切りをつけるのが早すぎるためではないだろうか。試行錯誤した挙句に元の方法に戻っていたりするのだ。

 天候が良いので少し身体を動かしておくことにした。雪が降っても雪かきで身体を動かすわけだから結局気分転換の言い訳に過ぎない。例によってショッピングモールを歩いて思考を巡らせ買い物をして帰宅した。夕暮れ時の陽射しは夕陽というほど赤くはなかったが、久しぶりに見る気がした。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:114回

2017年1月25日水曜日

感性

 晴れ。いくらか昨日の雪かきの筋肉痛が残っている。気温が低く布団から出るのが辛い。

 外出の予定もないので制作に専念することにした。
 正面のカットにもうどれくらいかかっているだろう。キャラクターを起ち上げる時は嫌という程描き込まないと安定しない。それはこれまでにも何度か経験している。どんなキャラクターでも難しいのはやはり正面のカットだ。まず鼻の描き方が難しい。顔の輪郭に影響を受けるようだ。よく見ると歪みがあることが多い。そして肝心なのは目の配置である。
 何しろ正解はボクにしか解らない。誰か代わりに描いてくれるならボクは必要ないのだ。

撮影:2010/01/26


 しばらく描いてみたもののどうもバランスが取れない感じがする。そこでアナログで描いてみたらどうなのだろうと思った。デジタル作画が続いたのでしばらくぶりのような気がする。試しに描き損じの裏紙に鉛筆で描いてみた。デジタルとサイズ感が違う。しかも窓際に置いてあったせいか紙が湿気を吸っていて鉛筆が走らない。描き始めてみて描き方を忘れていることに気がつく。ただ、デジタルで描いていたおかげか線のイメージは浮かんでいる感覚がある。
 鉛筆で手描きの後でペン入れしてデジタルデータにする。そして比率を合わせながらこれまで描いていたカットに重ねてみた。すると自分でも驚くほど一致した。一体何が違和感だったのかと確認してみたところ、ほんの少しの肩のラインのズレのようだった。顔はデジタルデータの方が良かったので、手描きの線画を下絵にしてデジタルで描き直してみることで何とかバランスは修正できたようだ。

 作画する時には感性で描く場合と理性で描く場合がある。クロッキーとデッサンの違いと似ているかもしれない。どちらの感覚で描いても最終的には両方の感覚で描き上げなくてはならないが、感性で描いた場合の方が身体の動きや重心の位置などを掴まえやすい気がする。ただ、そのままだと手足の長さなどが狂っていることがあるので、デッサン感覚で修正する。

 前回描いたお気に入りのカットを参考にしたりして一応線画の体裁を整えた。それから彩色作業に移ると今度はカラーバランスがおかしい。色の選択が1カットずつ違うのも問題ではある。今は特定してしまうより感性を錬成したい気持ちを優先させているためだ。
…しかし、出来上がったカットのなんとダサいことだろう。太陽光を意識しすぎなのかもしれない。一度きらんに立ち返る必要がありそうだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:113回

2017年1月24日火曜日

競争

 雪。ドンドン降り続く雪はズンズン積って大雪の気配。これは雪かきを回避できそうもない。予報を確認すると夕方には一旦雪が止むようだ。夜になってまた雪になるなら止んでいる間に雪かきをしておけば、明日の積雪量は軽減できるかもしれない。

 雪かきや雪下ろしの際に寒いからと言って厚着して取り掛かるとあっという間に汗ぐっしょりになるのでいくらか薄着になった方が作業中は快適である。ところが薄着になった時点では寒いのでなかなか行動に移せない。
 小降りになったタイミングを見計らって雪かきに取り掛かる。思ったほどではないのと気温が低いために雪が比較的軽いのがせめてもの救いである。今日は一人作業になるので焦らずマイペースで進める。

撮影:2006/01/25


 ボクは不器用な方なので、時折ウサギとカメの童話を引き合いに出す。

 例えば、カメがノロノロと雪かきをしている設定だったらどうだろう。黙々と雪かきをするカメだったが、元々力持ちなのでマイペースで作業するのは得意だろう。そこへやってくるのはもちろんウサギだ。何かにつけて俊敏なウサギは、軽い気持ちでカメをからかうのだ。
「ボクだったらこの程度の雪かきなんてあっという間さ。」
 そして言葉通りあっという間に雪かきを済ませてしまうだろう。その様子を見ている者があればウサギの仕事の早さを称賛するかもしれない。カメもそんな仕事見せられたらぐうの音も出ない。一緒になってウサギの素晴らしさを褒め称えるのだ。
 ところが、翌日になっても雪は降り積もる。ウサギは「そんな仕事、さっさと終わらせちゃえよ~。」という言葉を残して軽快な足取りで別の仕事に出かけてしまうのだ。そう。ウサギは器用で俊敏だからあちこちで引く手数多。有名人で英雄だから地味な仕事なんて関わってられない。
 カメは雪の降りしきる空を見上げながらため息をつくかもしれない。劣等感に苛まれながらマイペースの雪かきを始めるだろうか。あまりにゆっくりした仕事ぶりなので見物人も飽きるだろう。有名人じゃない。英雄でもない。
 でも…カメは雪かきが好きかもしれない。誰に褒め称えられるわけでもなくても自分のペースで自分の仕事ができる。雪かきの合間に飲む炭酸飲料が美味しい。フルーツだったら言うことない。雪かきの後のシャワーの気持ち良さも知っている。なんだったら積み上げられた雪の山に甲羅で模様を残したいくらいかも知れない。

 隣のアパートでは雪の降る中で工事する人がいた。
 資格や経験、そして技術を持って作業しているだろう。ボクは技術も経験も大したことないし雪かきの資格なんて持ってるわけでもない。でも、同じ時間身体を使って働いていても報酬を得ている働き方と無報酬の働き方がある。さらに言えば、生きていることの価値に差はあるのだろうか。

 いつか遠い未来。人生が平等に評価される時代は来るだろうか。
 既に人工知能の発達が多くの職を奪うことが予見されている。残された職が、疎まれるような人気のない職であっても高い競争率が生まれるだろうか。
 人工知能は職を奪うばかりか資本主義社会を破壊する可能性もあるのかもしれない。働いて報酬を得る必要のない時代は競争も必要ないかもしれない。競争のない時代は幸せだろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:107回
2回目:120回

2017年1月23日月曜日

勇気

 雪。朝から細かい雪がしんしんと降り続いていた。雪かきを覚悟したものの日中陽射しがあっていくらか融けたので今日は見送ることにした。

 朝、なかなかエンジンのかからない身体をなんとか動かそうといつもの体操を始める。小中学校の部活でやっていたような簡単な準備体操だ。それから腕立て伏せに取りかかる手順になっても気持ちがついてこない。予定数をクリアできそうもないと思いながらなんとか始めてみた。
 やっぱり力が入らないと思いながらも続けていると何故か後頭部辺りが「ポゥ」っと温かく感じた。原因は分からないが、いつもはそんな風に感じたことがない。何だろうと思っているうちに予定数をクリア。自分で少し驚いた。寒さによって体調は芳しくないはずだった。少し時間をおいて2セット目。1セット目の時のように後頭部が温かく感じることもなく回数を重ねていく。いつものようにだんだん辛くなっていることに変わりはない…なのに予定数をクリアしたばかりか体調の良い時でないとこなせない回数に達してしまった。いつものようにギリギリまで頑張って終了。
…一体何だろうと不思議に思う。
 体調などというものは日によって様々であるし気分でも変わるものだ。特に気に留めることもないのかも知れない。


撮影:2010/01/24


 ところが、好調なのは腕立て伏せばかりではなかった。
 作画の方に取り掛かっててみるといつになくペンが走る。迷いも少なく描いては消すことの繰り返しで徐々に絵が出来上がっていく。気分が置き去りになりつつ身体の方が自動運転のような感覚なのである。
 気持がついて行けてないということは、ブレーキも効かなければ、ハンドル操作も利かない。言ってみれば、自己催眠にかかっているような感じである。こうなると調子が悪いと言ってられない。描ける時には描くしかない。
 とにかく描いて描き続けているうちに気がつけば夕方になっていた。エンジンがかかるのが遅かったから大した時間は経っていないとはいえ、不調に悩まされながら苦悶している時間とは大違いである。

 カレーの準備をして月曜恒例のカレーが出来る頃にはかなり疲れていた。
 好調の時はエネルギー消費も著しいようだ。

 子供の頃から20代くらいまでは不思議なことがあったような気がする。不思議なことというくらいだから原因は分からない。偶然のように思えなくもないから論理的に解説できるものではない。ただ、そういうことに時々助けられていたような気がしていた。
 今回のことも一時的なものなのかも知れない。それでも助けてくれる存在がいるのかも知れないと感じられるのは、見失いかけていた道を進む勇気を思い出させてくれるような気がする。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:121回

2017年1月22日日曜日

大義

 曇りのち晴れたり雪が降ったり。
 気温が低いため例によってなかなかエンジンがかからない。やっと動けるようになったのは昼過ぎだったろうか。鶏肉が安いはずなので買い物ついでに外出することにした。

 外に出ると晴れて陽射しがあるのに雪が舞っている。こういう天候は嫌いじゃない。雪の残る道に手こずりつつショッピングモールまで自転車を走らせた。
 日曜日のショッピングモールは来店客も多くいて当然ながらゆっくりできる雰囲気ではないい。コーヒー屋さんにも長蛇の列ができていた。

 歩きながら考え事をする。
 不安に苛まれて「出来ることはなんでもやろう」としていた時期がある。事態が好転するように感じた時期もあったからそのままその世界に打ち込もうとしてことも確かだ。ところが、細くても続いているように思えた道は突然途絶えた。誰が悪いわけでない。実力のないことまでやろうとして背伸びしたりしていたから当然ながら無理があったのだろう。敢えて元凶を特定するならボク自身の判断が間違っていたと思うしかない。
 打つ手を無くした挙句に詰んだ。
 人生において幸も不幸も等しくあるものだと言われるが、果たして本当にそうだろうか。そうでない人だっている気がするしボク自身が苦労する期間も終わったとは限らない。ただ、不安の原因を直視しないようにしているにすぎないからだ。

 幾つかの選択肢がある時、多くの人が向かう道は楽で安全だと考えがちであるように思う。しかし、人それぞれの資質は千差万別であるから選択肢も千差万別であって然るべきである。
 社会には千差万別に対応出来る柔軟性や包容力があるのだろうか。義務教育から高校、大学と選別を繰り返し就職でまた選別する。型枠に嵌められるようにして組織人として専業化され、そこでまた時間によって選別される。
 日本社会のこのルールにどれくらいの歴史があるのだろう。江戸時代からすでにそうだったのだろうか。それとも明治維新だろうか。戦後であるならまだ100年に満たないことになる。成熟しているように見えて実はまだ未熟な社会ではないのか。

 直視しないように目を逸らしていた不安の原因をちらり横目で見てしまったようだ。大義名分もない夢にしがみつき大海を漂流していることを思い出せば恐怖で正気を保てないかもしれない。せめて大義があればと考えてみる。働いて報酬を得ている立場であれば、生活や家族が大義名分になるだろう。少しくらいの苦労なら一緒に働く仲間のために汗を流すことだってできるだろう。ボクが漫画を描くことにそういう大義は見当たらない。
 では、なぜ描くのだ?
 初めから意味などない。
 ただ、生きることと描くことが同義だっただけのことではないのか。理解されることを期待してはいけないのだろう。

 しがみついていた夢が幻想であることを思い出しそうになった。もし夢を失えば、ボク自身が闇の藻屑に帰すだろう。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:102回
2回目:105回

2017年1月21日土曜日

雄弁

 曇り。制作優先。
 最近、朝の食欲がない傾向なので紅茶とクッキーを胃に流し込んだだけで済ませてしまうせいか腕立て伏せもなかなか復調しないようだ。大して時間がかかるわけでもないのに簡単な体操と腕立て伏せが一日のオープニングイベントになっている。

 昨日の抜刀の精神をイメージしながら肩の力を抜いて作画に取り掛かる。

 ここしばらく苦戦している「歩く」ポーズのカット。
 描きかけた下絵を調整しながら描き進めてみる。悪戦苦闘の原因になっているのは首と肩の骨格及び筋肉の構成だ。手足の動きや身体のラインなどは着衣のシワによって表現される。的確にシワを描かないと不自然なポーズになってしまう。もちろんシワを描くことは凸凹を描くことだから明暗ま表現が大切である…と理屈はいくらでも言えるわけだ。どれだけ雄弁に語っても描くことで表現できていなければ無意味に等しいだろう。そういう意味でも描くことは厳しいことなのだ。


 3Dソフトでの背景も検討しているが、今回はフリーハンドで描いてみた。線は鉛筆タッチで彩色は水彩タッチを使用する。3Dで制作している公園のイメージがある程度頭にあるため迷いは少ない。ただ、データと矛盾がないかという心配はつきまとう。
 調整して公開することにした。作品中で使用することを目的にして描いてあった作品も一緒に公開。前に描いてあったカットは調子が良い時だった。現在の状態ではまだコンディションの調整が足りない。

 集中できている時は時間の経過がわからなくなることは喜ぶべきかもしれない。ただ、あっという間に一日が終わる。作品として何か残っている場合はまだ納得がいくとはいえ、不調で結果が残せなかった場合は無駄に生きてしまった気分になる。

 公開後、本来の目的のカットに取り掛かってみる。正面の半身だ。そもそも正面という設定に問題があるのではないかと思い始めていたりする。正面はこれまでにも描いてきているはずだからやっぱり調子の問題だろうか。
 背景も決定しなくてはならないので何とか描き上げなくてはならない。
 過去の作品も納得行くまで描いてきたつもりでも時間が経って見てみるとやはり未熟さに落胆する。それだけ成長したということかもしれないが、読んでいただく方に申し訳なくなる。少しでも良いものを描いて公開できるようにしたいのだ。

プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:101回

2017年1月20日金曜日

抜刀

 曇り。薄陽が射していたので自転車を走らせることができそうだと思った。ショッピングモールを歩いて少し頭を刺激しようということで外出。

 車道は車が走れる分くらいは除雪されていても路肩には雪が残っているので自転車では少しばかり走りにくい。自転車の通行も許可されている歩道は数センチくらいの雪が残っていてさらに走りにくい。一本裏道に入った方が結果的に走りやすそうだ。

 携帯ショップに立ち寄ってからいつものショッピングモールへ行くと混んではいないものの来店客の姿は予想以上だった。いつものコースを歩きながら「歩くポーズ」とはどんな感じだったかとチェックする。
 漫画で描く決めポーズは重要だ。しかし、さりげなく自然なポーズが意外と難しい。モデルさんをお願いしてデッサンをするわけではないので日頃の観察眼が重要だ。
 いつものコースをぶらぶら歩いて約40分。スーパーに立ち寄って帰宅。遅い昼食を済ませ昨日の続きに取り掛かる。


「力を抜く」と「刀を抜く」ではちょっとの違いが大違い。そもそも全く意味が違う単なる言葉遊びに過ぎないものの言い得て妙とでも言うべきか。
 刀を抜く時、力んでいてはいけないのではないだろうか。心を落ち着け研ぎ澄まし静かな闘志で立ち向かうべきではないのだろうか。刀はペンを意味するならば作画には心を鎮めて取り組むべきかもしれない。力んで暴れて描き散らかすなんてもう何度も繰り返してきた過ちを懲りずにまた繰り返していたかもしれない。

 昨日苦しんでいたカットを見返してみたら何を悩んでいたのかがわからなくなっていた。だからと言ってそれでOKというわけではないことはわかっている。
 「歩く」ポーズのイメージを掴まえるため、新たに1カット描き起こすことにした。本来、背景との整合性を優先すべきだが、「歩く」を見失っているのでそこからやり直す必要があると考えたのだ。
 少し力を抜いて描き始めると形を掴まえるのが楽になった気がした。

 手足のバランスが不自然だし、着ている服のシワの入り方にもまだ迷いがある。そして背景との整合性を後回しにしてしまったので背景を決めてからまた描き直す必要があるだろう。

 刀を抜く意識で…忘れないでいられるだろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:96回
2回目:112回

2017年1月19日木曜日

馴化

 晴れ。屋根の雪融けが進んだようで時折雨垂れの音と落雪の音が聞こえていた。

 今日は制作に取り組むことにした。最近、3Dソフトにうつつを抜かしていたので若干の不安があり、時間を置いたことで感覚をリセット出来ているかもしれないという期待もある。
 不安を緩和するために目的とは違うカットを手がけてみた。そしてあろうことか不安を増幅させてしまった。そうなのだ。こういう時は往々にして期待に反して不安が勝る。そして目的のカットに取り組むも案の定デッサンが狂って収拾がつかない。3Dソフトに取り掛かる前に描けなかったカットがやっぱり描けない。

撮影:2013/01/20

 空腹感だけが時間の経緯を知らせてくれる。インスタントラーメンを食べたりコーヒーを飲んだりしつつコンディションを取り戻す努力をする。

 描いても描いても描いても…思うように描けないので投げ出したくなる。それでも投げ出さないのだから我ながらなんと自虐的なのかと思う。すでに頭の中は加熱しすぎてブレーキも効かない状態なのだ。

 加熱に耐えること。加熱に慣れることも必要なのかもしれない。

 買ってきた金魚を新しい水槽に入れる時には、まずは新しい環境の水槽の水温に馴らす必要がある。それとは少し違うかもしれないが、生温くなってしまっている脳内を活性状態にすることでアイディアや感覚を覚醒させることが可能なのかもしれない。
 しかし、無情にも時間だけが刻々と過ぎ去り結局収拾がつかないまま夕方になった。悪戦苦闘する日にも一日が終わる頃に何かを掴んだような気持ちになることがある。それを掴みたくてもがいたものの結局今日は何も掴めなかった気がする。たった1カットに何日かかっているのだろう。まぁ、今に始まった事ではない。いつものことだ…。
 出来るなら足踏みすることに慣れることは避けたいものだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:101回
2回目:108回

2017年1月18日水曜日

猶予

 晴れ。先日未達成だった用件を済ませるため外出。自転車で走れるくらい雪融けが進んでいることを期待して窓から外を覗いてみる。すると融けかかった雪で道がぬかるんでいる様子が見て取れた。これは長靴で出かけるしかなさそうだ。

撮影:2010/01/19

 すっきりとした青空で穏やかな日和。今日は雪の予報だったように思う。防寒対策で着膨れていたので歩いているうちに暑く感じるほどだった。滞りなく用件をクリアしてついでに買い物のため少し遠めのスーパーへ歩く。予想はしていたものの長靴で長距離を歩くと靴擦れができる。まだ行程の1/3程度だったのでスーパーを回ることをちょっと躊躇した。
 所々雪で行く手を阻まれつつ目的のスーパーを周りすぐそばのホームセンターに立ち寄った。
 ウチが寒い原因の一つが一枚ガラスに丈の足りないカーテンやブラインドのせいではないかと思う。ブラインドの代わりに厚手のカーテンに交換したり丈のしっかりあるカーテンに交換したりすれば、暑さ寒さは緩和されるのではないだろうか。
 以前住んでいた部屋にはロフトがあったので冬はロフトで寝れば快適だった。布団の下にマットを敷いていたので尚のことだったかもしれない。今は畳の上に防寒用のアルミシートを利用して布団を敷いている。しかし、これではまだ寒い。室温が下がらないような工夫ができれば暮らしやすくなるだろうか。ホームセンターではそんな風に防寒用品や作業スペースを改善できる方法がないか見て回る。カセットコンロ用のガスボンペを利用した暖房器具はどうなのだろう。あまり鍋物をしていないせいかガスボンベが残っている。暖房器具で使用した場合、ボンベの空き缶のゴミばかりが増えることになってしまうような気もする。
 最後にもう一軒スーパーに立ち寄って帰宅する頃には踵の靴擦れのため右足を引きずるような歩き方になっていた。靴擦れしない長靴ってあるのだろうか。

 帰宅してからまた少し3Dソフトに取り組もうかと思いつつ情報チェックしていたら新しいサービスの紹介記事があった。検証を兼ねて少し利用してみる。



 これまでのサービスと大きく異なる点は登録の必要がない点だろうか。再編集するには投稿したブラウザと同じブラウザを使用する必要がある。現時点で記事の内容を消去することはできても記事そのものの削除ができない仕様になっている気がする。OSのバージョンアップやマシン乗り換えの際に編集を継続できなくなる可能性があるのではないだろうか。著作権の心配もある。開発途上の実験的なサービスといった印象だがシンプルさに好感が持てた。

 そうこうしているうちに今日も一日が終わろうとしている。人生は長い…とは言え、いつまでも猶予があるわけではない。焦らずとも一歩ずつ進もう。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:108回

2017年1月17日火曜日

寒冷

 晴れたためか寒さも一層厳しいようだ。小さめのファンヒーターを温度設定15℃で運転していると室温が上がるまで随分時間がかかる。上がっているはずなのに寒い気がする。雪は降っていないようなので制作を進めることにした。
 考えてみれば、大して時間がかからないとはいえ炊事洗濯に買い物も一人でやっているわけだから制作が遅々として進まないのも当然だと自分を慰めてみる。当然ながら弱音を吐いても結果は出ない。

撮影:2006/01/18

 室温がなかなか上がらなくても外気よりはマシなのでMacに向かって3Dソフトを起動する。昨今の3Dソフトはとてもよく出来ていて直感的な操作が可能な工夫が施されている。昔、簡単な立体図形を作るにも延々悩んでいた。そのソフトは数値入力ができなかったのではなかったかと思う。簡易にしたことが逆効果になっていたような気がする。

 現在制作しているのは漫画の舞台となる街並だ。全体的に作っているわけではなくざっくり作ってあったビル群の中で必要な部分について作り込んでいる。今日は、道路に歩道橋を作ろうとして道幅を確定しなくてはならないと思った。そこで尺度の参考にするための自動車を簡単に作って配置してみた。すると道幅を広く取り過ぎていることに気がついた。修正するために道幅を狭くすめことによってビルを移動しなくてはならなかったりする。ちょっとした修正が全体に影響するのだ。  気になっていた方位を訂正することにした。街の1ブロックをぐるりと90度回転させる。作中には出てこない予定の駅が舞台になる公園の北側に位置することになった。線路を南北に走らせる予定だったのに東西に走っている格好になった。方位を変更すると太陽光線の角度が変化するため作品の設定との整合性が必要となる。

 問題は3Dソフトで制作した背景は奥行きがあるため遠景まで制作する必要があることだ。遠景までを制作しようとすると当然時間と手間がかかる。出来上がった3Dの背景にフリーハンドで描き込みを施せば3D画像の無機質さを改善できるだろうか…とまた手間が増えることを考えていたりする。新しい試みは慣例から脱却することでもあるはずだ。

 最初から手描きの方が効率も良く完成度も高いのかもしれないと思わなくもない。

プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:100回

2017年1月16日月曜日

表現

 晴れ。昨夜の間に結構降ったようだ。それでも積雪量は50cmくらいだろうか。
 所用のため徒歩で外出した。雪の眩しさで目をやられてしまうのでサングラスを装着。路面は圧雪で真っ白で車は安全のためゆっくりと走っている。

 突然の雪のせいか道路脇の壁面や植え込みに積もった雪がせり出している。所によっては重みで崩れて歩道を塞ぐ格好になっていた。例年と比べれば積雪量が多いわけではない気がする。ここまでの雪が少なすぎたのかもしれない。平日ということもあってか雪かきをしているのはご高齢の方が多いようだ。雪国に住む以上、避けては通れない生活の一部には違いないが、いずれボクもそういう立場になるのだろう。

撮影:2008/01/17

 空は晴れて気持ちがいい。所用を済ませながら歩きつつあれこれと考え事をする。

 いくつかの用件のうち一番の目的だった立ち寄り先が予想外の留守だった。近くの人に声をかけてみたら遠出していてまだ戻っていないらしい。そこではたと雪が原因ではないかと思い至る。仕方ない。ボクの方も急用ではなく気になることを早めに解消しておきたかっただけだ。
 ついでと言ってはなんだが、年に1~2回立ち寄る店に入って食事することにした。以前はラーメンと小丼セットのランチが500円で食べられたので時々立ち寄っていた。今は値段が上がっているものの味は変わらず美味しい。ラーメンを食べながらずっと食べ続けたいと思ってしまう。
 近所にはそんな美味しい店が結構たくさんある。財布に余裕があれば日替わりで食べ歩きしたいくらいだ。あまり宣伝したりすることを好まないせいか旅行雑誌などで有名になる店より地元の生活に根ざしたお店の方が親しみやすく美味しい気がしてしまうのはボクだけだろうか。

 1時間ほど雪道を歩き回って帰宅するとどっと疲れが出た。今日はカレーを作る予定だったので仕込みをしつつ3Dソフトを起動して昨日の続きに取り組んだ。

 そういえば、食事した店でなんとなく手に取った漫画雑誌の表現が過激すぎて不快になった。今の流行なのだろうか。表現の自由は大切にすべきだが、競って過激さをウリにするのは違うような気がする。ウケるからという理由だけで節度なく過激さが暴走すればマンネリ化してデリケートな表現が理解できなくなるのではないだろうか。
 若い頃、当時流行っていたロボットアニメが「戦争を美化している」と言われていたから同様の目で見られていたのかもしれないとも思う。ボク自身の理解力や感性が追いつけなくなっている可能性の方が高いのだ。

 ただ…そういう時代ならばこそ描かなくてはならない作品があるのかもしれない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:110回

2017年1月15日日曜日

黙々

 朝から雪が降り続いていた。予報では昨日と今日辺りが今回の降雪のピークとは言え、少しは雪かきしておかないと大変になるばかりだ。

 気象衛星の画像や予報を参考にして状況を確認するとやはりピークにかかっているようだ。ただし、雲がムラになっているので断続的に降ると考えられる。雪が降り続く中で雪かきをするということは、除雪したところにまた雪が積もるということだからキリのない作業にやる気も削がれてしまう。
 今日は、買い物の必要があったので先に外出して帰ってから雪かきすることにした。

撮影:2010/01/16
雪が降り続く道を傘さして歩いているとあちこちで雪かきしている人がいる。挨拶したり声をかけたりしながら歩く。自宅前と駐車場を綺麗さっぱり雪かきしている人がいれば、地下水を流して融かしている人もいる。各家庭の性格や方針が見えるようだ。
 スーパーに着くとイワシが目に入った。久しぶりにイワシの梅煮でもしてみようかと思い購入。それから豚肉が安売りだったので寒さ対策で豚汁はどうだろう。目的だった明日のカレーの鶏肉などを購入して帰宅。

 昼食後に雪かきを開始した。

 ピークは過ぎる頃だと思ったのに雪はまだ降り続く。急いでもバテるだけなのでマイペースでコツコツやることにする。もちろんコツコツやってもバテるものはバテる。少しやっていたら同じアパートの住人が出てきてくれた。作業も楽になるが、気分的に楽になる。逆に言えばサボりにくくなる。しばらく雪かきしていたら青空が広がった。やっと雲の切れ間になったかと少し安堵した。後半になると息も絶え絶えで咳が止まらなくなって慌てた。無理は禁物なのでスーパーで買ってきたビタミンC飲料をで時々水分補給しながら休憩しつつなんとか予定をクリアした。

 部屋に戻って外を確認するとまた雪が降り始めていた。明日も雪かきかな。

 雑用の少ない貴重な日曜日のはずなのに疲労のため作画に向かう気力が湧かない。それでも3Dソフトを少し触っておこうと思い何とかMacに向かった。使っている2つの3Dソフトのうち設定が大変なソフトの方を起動。あれこれ試しているうちにまた一つの理解不能な部分を見つけてしまった。もはや解決方法を探す気力はない。つまり何も進歩しなかったことになる。

 雪かきも漫画の制作も黙々と修行しているような気のすることがある。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:112回

2017年1月14日土曜日

柚子

 雪。思ったほどではないものの雪はしんしんと降り続いていた。
 案の定、昨日の雪かきの疲れが残っていて身体の節々が重苦しい。

 昨日、作画の調子が出なかったので今日は何とか取り戻したかった。描きかけの作品をチェックしてどこまで描いてあったか確認。キャラを描くのに手こずっていたのだった。背景がない場合、漫画のコマ割りで使用しない場合なら自由に描けるキャラでもベージ内の配置によって顔や体の向きが決定したり背景との関係でパースや光線の向きが限定されるとキャラのポーズにも影響する。
 逆にそのルールを壊せば躍動的な画面構成が可能なのだろうか。

撮影:2012/01/15

 正面向きのポーズで手こずったので横顔のカットに手を入れてみた。するとどうもバランスがおかしい。どうやらまだ調子が掴めていないようだ。参考にしようと思って手持ちのポーズ集を引っ張り出してみる。思うような角度がなくてそのまま閉じてしまうのはいつものこと。模写することが目的ではないのでそれでいいのかもしれないとも思う。肝心なのは脳内に3Dのイメージを形成することなのかもしれない。そうすることで自由にポーズを決めることができるようになるのだろう。

 夕方になって気分転換を兼ねて買い物に出た。雪はしんしんと降り続き歩道も車道も真っ白だ。車道の雪は除雪車のお陰で綺麗に除雪されているのでスリップに気をつければ自転車でも走れたかもしれない。無理をする必要はないだろうと徒歩で出かけた。さすがに車もゆっくり走っている様子。もそもそと近所のスーパーまで行くと柚子が1個100円だった。いくらか小ぶりではあるもののちょうど副腎機能の活性に必要なビタミンCが豊富という番組を見たばかりだったので購入することにした。柚子塩という調理が紹介されていたが、塩分はどうなんだろうという疑問は残る。副腎機能の低下が確かな場合は塩分補給は有効ということだった。しかし、自己判断の場合はどうなのだろう?柚子塩ではなくジャムの方が良い場合だってあるのではないだろうか…?
 雪が続いて外出回数が減ることを見越してインスタントラーメンなどを買い込む。夏の一ヶ月と冬はこれから一ヶ月が我慢のしどころだろう。

 帰宅して3Dソフトを起動。歩いているうちに背景カットのロケーションの変更を思いついたのだ。登場するキャラが舞台になる公園へ向かうために電車を使うなら駅から歩く必要がある。そうするとこれまでの設定では背景に利用する場所に矛盾が生まれてしまうのだ。
 変更することで別の意味が生じる。それは物語のヒントにも繋がっていた。
 かくして3Dの背景を再制作する必要が生じたのだった。

プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:108回

2017年1月13日金曜日

除雪

 小雪。珍しく早めに目が覚めた。ゴミ出ししてまた二度寝しようかと思ったが意外と起きていられそうなのでそのまま起床。ところが、腕立て伏せの最中に不意に集中力が途切れて1セット目を80回でパタリと止めてしまった。意識は起きていても身体は起きていないということだろうか。1セット目で100回に届かなかった場合、2セット目との合計で200回を越えれば良しということにしているものの100回そこそこしかできないのに2セット目に120回をこなすのは調子のいいときでないと無理だ。結局、ずいぶん久しぶりに3セットこなすことになった。

 小雪とは言えど、ここ数日降り続いているのでそろそろ一度雪かきをしておくべきだろうか。車を所持していないので知らん顔を決め込んでもいいのかもしれないと思いつつ郵便配達や来客があった場合に除雪していないのは不都合である。アパートの中で日中除雪ができるのはボクだけというとになれば少しだけでもやっておかなくてはならないという気分になる。都合の良い時間に自分勝手にやることなので感謝されるわけでもなく目的意識を維持しにくい作業だ。

 考えてみれば、そういうことが多いのかもしれないと雪かきしながら考える。
 良かれと思ってしたことでも自分勝手にやっているから結局余計なお世話となり場合によっては迷惑にさえなりかねない。他の人を巻き込まないから仲間やグループもできにくいのかもしれない。仮に誰かを頼んだとしてもボクの方が応えられる用意がないのであれば安易に声をかけるのも申し訳ないというもの。現代は少なからずそういう遠慮が人と人の距離を隔てているのかもしれないと思ったりする。
 昔だったらどうだったのだろう。乗り気ではなくとも近所の行事に駆り出されたりしているうちに人とのつながりが出来ていたのではないだろうか。もっとも、今のボクが地域社会に溶け込んでいないだけで古くから住んでいる人たちの間では見えないつながりがあるのかもしれない。

 考え事をしながら2度ほど休憩を挟んで今季初雪かきをを終えることにした。もともと体力はないので雪かきの度に息が上がる。毎朝の背筋運動が効いているやらいないやら。いつもなら1/3くらいでやめてしまうのに最後までやってしまった。
 すぐにでも休みたかったが、小さめの雪だるまを作ることにした。球体を作るのが意外と難しい。そうこうしているうちに体温も下がり始めた。もたもたしていると風邪をひいてしまいかねない。顔の表情をどうしようか迷った挙句、子供の頃に遊んだビー玉を使うことにした。口もある方がいいのかもしれないと思いつつ適当なパーツが思いつかなかったのでそのままにした。想像力で補ってもらうことにしよう。
…腰痛はしっかり残っている。



 3時間ほどの睡眠不足状態で雪かきをしてしまったので疲労もたまっているらしい。その自覚が曖昧なまま昼食後にうたた寝してしまっていた。
 当然ながら作画も不安定で描いているうちになんだかわからなくなる。そして夜になってまたうたた寝。一日をすっかり台無しにしてしまった印象だ。

 雪国で暮らす以上、避けては通れないし雪あってこその醍醐味だろう。これでも今季は雪が少ない印象だ。春まで雪かきに取り組むことになるのだ。身体を壊さない程度に頑張ることにしよう。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:80回
2回目:104回
3回目:103回

2017年1月12日木曜日

限界

 粉雪。気温が低い。海辺にいたら唾液が塩っぱくなるというおかしな夢を見た。

 雪があるためいくらか過ごしやすいものの身体は温まっていないようでいつものように腕立て伏せをこなすのが難しい。毎日100回超えたら限界までと思ってやっているが、その日の調子によってずいぶん違う。以前に肩を痛めているので無理しない範囲でと思うからだろうか。

 限界は超えるまでが限界。
 決して超えてはいけないのだ。

 三日ほどひきこもってしまったようなので今日は買い物ついでに自転車を出すことにした。粉雪が降っていたが、雨ではないので自転車でも大丈夫だろう。ウインドブレーカーを着ていれば、雪はサラサラと落ちてくれる。
 道にはいくらか雪があった。走れないほどではなくても自転車の車輪に絡みつく。前輪ブレーキに詰まってしまうので油断するとブレーキが効かなくなる。平地をまっすぐ走る分には意外とスリップしないものだ。それでも慎重にゆっくり走る。

 携帯ショップに立ち寄ると雪だからといって来店客が少ないということでもなさそうだ。それから散歩しようとショッピングモールへ向かう。来店客はいくらか少ないようだった。散歩以外は特に目的もないのだが、来店客が少ないということで珍しく喫茶店に入ってみることにした。今や知らない人はないかと思うほどの有名店だが、いつも行列を作っているので横目で眺めつつ通り過ぎていたのだ。気になるのはWi-fi環境とノマド的使い方が可能かどうかである。

 以前にもどこかで入ったような気がしていたが、どうやら勝手が違う気がするので初めてなのかもしれない。コーヒーが高いとそれでもうアウトだなぁと思ったら一番小さいサイズでも一般的なコーヒーより多いようだ。しかも味もしっかりしているのでケーキなどをセットするか甘い系のメニューがいいのかもしれない。何より一杯が多いということはゆっくりしていいという心持ちになる。試食を兼ねて添えてくれたケーキがとても美味しかった。

 早速Wi-fi環境をチェックするとかなり多くのプロバイダが参入している様子。回線速度も充分だった。問題は作業環境だが、窓辺に並んだ一人用の席はありがたいのだが、集中できるというには背後が無防備な感じである。席数も多くはないようなので混んでいる時に利用することは避ける必要があるだろう。

 一人より誰かと一緒の方が楽しいだろうと思っていたが、落ち着けないのであればそれも考え直す必要があるだろう。感覚的にはコンビニの飲食スペースの方が集中できるかもしれない。
 自宅のネット環境を整備せずに他所で作業環境を探そうというのだから土台虫のいい話だ。

 探索を終えて帰途に就く帰途に就く頃になっても雪は降り続いていた。

 帰宅して少しばかり作画に取り組む…とは言っても描いてあった下絵を消してしまうだけのことだった。運動不足もいくらか解消できたのではないかと思うので明日からまたひきこもることにしよう。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:101回

2017年1月11日水曜日

背景

 小雪がサラサラ降り続いていた。気温も下がっている。一日中室内にいると暖房費もバカにならない。逆に言うと外出せずにじっくり取り組めるということだ。
  Macで使っていたスピーカーが調子良くないようなので別のスピーカーに接続したら調子が良くて気分も良くなった。
 
 朝、思いついたアイディアがあったので3Dで制作した背景に重ねてみようと考えた。そこで早速3Dソフトの起動である。背景として使用したかったデータは最近使用していた3Dソフトとは別のソフトで制作していた。当然ながら使い勝手が違う。勝手が違うばかりではなく設定項目が多いこともあり操作がなかなか覚えられない。

 予想通り悪戦苦闘することになった。
 誰かと競争したり勝負したりということは好きではない。勝っても負けても後味が良くない。しかし、ソフトは使いやすく考えられているはずだからやりたいことができないのは悔しい。しかもベースは以前に作ってあったものだから必要なのはレンダリングと2Dデータへの書き出しのみのはずだった。2Dデータに書き出したら漫画用のソフトでセリフを合わせて公開する。簡単にできるつもりだったので甘く見ていた節がある。予想以上に手間取った原因はやっぱり自分自身にあった。以前に理解していたはずのことをすっかり忘れていたのだ。原因がわかってからも次の工程でまた手間取る。そんなことを繰り返しているうちに夕方になった。
 やっと漫画用ソフトに切り替えたら今度は漫画用のソフトの使い方を忘れている始末。すぐに調べればいいのに調べることに頼ると覚えられないと思い意地になったりする。結局調べてみると思いつかないほど簡単だった。できるはずのことができなくてできないはずのことができる。発想の転換が必要なのに意地になっているから思い込みを手放せなくなるのだ。



 やっと公開する頃にはもう日暮れ。
 こういうことが次へ繋がるとわかっていてもなんだかやるせない。一度やったことを忘れてしまうののはどうにかならないものだろうか。そういえば、被写界深度の設定を見つけて驚いた。悪戦苦闘もあながち無駄ではなかったのかもしれない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:102回
2回目:113回

2017年1月10日火曜日

周回

 晴れのち雨。明日からさらに冬型が強まるらしい。

 今日も制作。
 ボクが読みたい作品にするにはどう描けばいいだろうという切り口。いろいろまどろっこしいので割愛したり省略したりしている部分がなくもないので面倒な部分にも意識を向けてみる。少なくても煩わしいと思っていたアプリの連携作業に慣れてきているので食わず嫌いではなく、まずは取り組んでみて悩んでみるのが結果的に早いような気がする。

撮影:2013/01/11

 まずは舞台となる背景について考えてみる。音楽で言えばイントロ。作品の雰囲気を醸し出す導入部分を割愛しがちになっている。以前の作品と同じロケーションなので3Dソフトで制作したデータに手を加える事で使えるだろう。1から作るかベースが出来ているかによって気持ちのスイッチの入り方が大きく違う。3Dデータの場合は加筆修正出来るようになっていることで敷居が低く感じる。
 いつものように今回の作品も3Dデータで統一する予定はない。むしろ水彩タッチを活かしたいとさえ考えている。そこで一旦イメージをラフで起こしてみることにした。ビルの谷間を俯瞰するカット。以前、仕事で通っていた街のビル群を思い出してイメージを描き起こしてみる。結局、直線的な作画になるのでフリーハンドは手数ばかりが多くなる。労多くしてなんとやら…必要な成果が得られない気がする。面白い効果が得られても漫画の作品の中で効果的でなければ意味がない。イラストとして仕上げるのであれば悪くないのかもしれない。

 夕方になって3Dソフトを起動してみる。
 マシンスペックが高いとは言えないのであまり作り込み過ぎると動作が重くなったりクラッシュしやすくなったりする。すでに結構作りこんでいるので街をブロックごとに分割した方が良いだろうか。
 作りこんでいたらズレが見つかった。ビルが微妙に傾いている。本当の建設だったら大問題である。手軽に出来るがゆえにどこがでミスタッチがあったのだろう。原因がわからないのでビル一棟を建て直した。
 以前作った時に陽射しの方向も考慮したはずだが、思っていた方向性と違う気がする。建て直したビルが正午の陽射しを遮ってしまう。再度検討し直した方が良いだろうか。

 ちょっとした寄り道がこんな風に遠回りになる。

プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:116回

2017年1月9日月曜日

待望

小雪。
 昨日自転車で走り回った疲れがいくらか残っている模様。毎朝背筋運動をしているものの自転車で使う筋肉とは違うようだ。自宅での作業が多いので腰の筋肉はどうしても鈍ってしまうようだ。そして今日も自宅で制作。

 この世の中で最も頼りなく最も信頼できないのがボク自身だ。決めたことも長続きせず、間違った選択を繰り返す。そればかりか一歩進んでは躓いて立ち止まる。
 行動原理が欲求よりも義務感を優先するようになったのは欲求のままに動いてしまったがために失敗ばかりしてきたからかもしれない。




 漫画を描くようになってからも「描かなくてはならない」と言う義務感が優先してきたのかも知れない。確かに若い頃は「描きたいから描いていた」はずなのにいつの間に義務感になってしまったのだろう。

 ボク自身が読みたいと思う漫画は描けているだろうか。
 新しい作品は、作品全体の筋道がもう少し明確になってから公開しようと思っていたが、もう少し緩くしてボク自身が読みたいて展開を考えてみたらどうだろうと思った。昨日まで手こずっていたカットは意外なほどの微調整でなんとか形になったので他のカットにも手を加えてページに構成してみる。パズルを組み立てるように少しずつ進めてきたことなのでいつの間にか出来ていく感覚になりつつある。

 読みたい漫画を描くことをテーマにして描くことにして1ページ目を公開することにした。随時更新することをボク自身が楽しみにできるようにしたい。

 公開のための準備で少し手間取った。
 インターネットをモバイル回線にしてからしばらく経ったが、データサイズが大きいとやはり時間がかかるしソフトの反応も良くない。大きなサイズで制作しているのでアップロードする際にリサイズする必要もある。そのためのアプリの連携プロセスがまだ出来上がっていないためだ。やっとアップロードできる状態になったと思ったら唐突にMacが不調に陥って自動再起動。実は少し前にも同様のことがあったのだが、原因がわからなかった。今回も原因不明ながら再起動後に何とか公開できた。
 制作中から気になっていたが、少しフォントサイズが小さすぎたかもしれない。あとで調整する必要があるかもしれない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:111回
2回目:114回

2017年1月8日日曜日

接点

 晴れ。
 買い物もあるしせっかくの晴れ間なので自転車で外出。ほんの数日外出していないだけなのに身体が鈍った感じがする。

 道路の雪はあらかた消えていた。近所の川ではカモが戯れている。寒いのに…といつも感心する。田んぼの雪もずいぶん融けたのかもしれないが、またしっかり残っていて何故か安心した。雪のない地方で育ったが、やはり雪は冬の象徴のような気がする。
 自転車で走ることでアイディアが降りてくることもあるので期待していたりもする。何故か今日は思考がネガティブで良いアイディアが浮かばない。比較的暖かい日なので自転車を走らせると身体もいい感じで温まった。

撮影:2007/01/09

 横目に雪景色を眺めつつ電機店へ向かう。接点復活剤が欲しかったのだが、見つからないので店員さんに尋ねたら「知らないし聞いたこともない」という。インターネットが普及する世の中だし来店客の方が知識が豊富だということもあるかもしれないが、知っているスタッフに引き継ぐでもなく器具の交換を提案された。商売と言えばその通りかもしれない。ただ、信頼は得られないだろう。実はその店では他の店員さんの対応にも疑問を持ったことがある。みんながみんなそうなのではなく丁寧に対応してくれた店員さんもいたので個人の裁量に任されているのだろうか。デジカメの電池なども置いてあったので品数は豊富のようだ。帰ろうとしたら接触不良が疑われるケーブルが販売されているのを見つけた。欲しいものは自力で探すしかないのかもしれない。少なくとも店員さんとの関係も接触不良な感じだ。

 その後はショッピングモールへ向かった。日曜日ということで来店客は多い。会話から想像力を働かせようと思ったが、ザワザワとした声は反響したり淀んだりしてほとんど聞き取れない。テレパシーが使えて人の考えが読み取れたとしても大勢の人の中では同じような感覚になるだろうか。いつものコースの半分を歩いて外へ出た。

 ホームセンターを経由して目的のスーパーで買い物。晴れていた空はいつの間にか曇っていて気温も下がり始めているようなので寄り道しつつ帰路に着いた。
 帰宅して少し作画をしておこうと思い昨日上手く描けなかったカットに取り組んだら昨日にも増して調子が悪い。完全に迷路に迷い込んだ。運動不足がいくらか解消された代わりに若干疲れが出たらしい。脳内の接点復活が必要だ。明日仕切り直す事にしよう。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:115回

2017年1月7日土曜日

道筋

 晴れ。残雪あり。

 やる気のエンジンのかかりが良くなかったものの今日も制作及び作画。
 1カットに固執してしまうのはあいからわず。しかも展開が以前の設定をなぞっているようで面白くない気がする。描いているうちに何か思いつくかもしれないと思い、まずは描き進める。1カット目は主線が描けていたカットで彩色してレイアウトする予定だった。そこで彩色から始めてみると主線が気に入らないので修正開始。工程をひとつ戻ったことになる。気に入らないものは気に入らないので仕方ないのだ。印刷物の予定はないので公開後でも気に入らなければ修正すれば良いようなものだが、実際は一度公開したカットを修正するには気力のエネルギーを再度高める必要がある。それでなかなか手をかけられない。当然ながら一番良いのは後悔のない作品を公開することだ。

撮影:2009/01/08

 しばらく修正してもなかなかしっくりこないので他のカットに着手した。
 先日、3Dソフトで舞台になるロケーションを確認していたおかげで新しい設定を思いついていた。新たな設定に沿ってキャラクターを描いてみると主線が思いの外スムーズに描ける。それから3Dソフトのロケーションを脳内再生しつつフリーハンドで背景を描いてみた。悪くはないものの適宜3Dソフトの背景を採用する方が良いかもしれない。

 もう1カットのイメージ画の背景にも着手してみると納得のいく着地点がなかなか見つからない。いっそのことシンプルに単色にした方が良いのかもしれない。ページ全体の構成から考えると濃淡やリズム、それから流れやキャラクターのカットのズーム、コマの大小のアクセント、文字のジャンプ率も重要だろう。試行錯誤して最適と思われる解を求める必要がある。

 作画しながら徐々にストーリー構成を進めつつレイアウトする。セリフを配置したり仮のカットから少しずつパズルのようにはめこんていく。デジタルなので全体や流れを見渡しながら描くことができるためストーリーの組み立てや色のトーンにも気を配ることができる。
 まだぼんやりと霞んでいる作品の道筋を明確にするために有効な気がしている。

プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:115回

2017年1月6日金曜日

専心

 晴れ。積雪あり。

 昨夜は早めに床に就こうと思っていたのに以前制作していた3Dデータを開いたら続きを始めてしまった。お陰で就寝時刻がいつも通り遅くなってしまった。
 そして今日も作画に取り掛かる。調子は悪くないはずと思いつつ作画に取り掛かったら見事に迷路へ入り込んだ。慢心か気負いか先走りか…うっかり正面顔を描いたらバランスを見失ったのだ。

 休憩を入れて少し角度をつけて描くことにすると今度は悪くない感じ。レイアウトを同時進行することにした。

撮影:2008/01/07

 レイアウトの制作はネームを兼ねているので時系列を考慮する必要がある。
 いつものことだが、アイディアの種は小さくて紙を固く丸めたようになっている。だから思いついた時は過小評価してしまうのだ。すぐ描けると思ったアイディアの種を紐解いていくと予想を大きく上回る作業量が必要であることがわかる。キャラクター、背景、それから場合によっては3Dソフトによる制作。当然必要な時間も膨張する。
 最初に閃いたアイディアは、クライマックスになるべきシーンに過ぎないことに気がつく頃には予定ページ数も大きくなり、まとめられるかどうかという状況になる。これまでだと描きながらアイディアが出るのを待ったりしていた。全体の骨子ができていれば自らを追い込むことで思いもかけない発想にたどり着けるだろうという見通しを立てていた。自分に対して期待をかけている部分もあるし一種の賭けでもあるだろう。今回もその手法でと考えていたのだが、その手法を採用にするにしても骨子がまだ弱い気がする。苦しむのは仕方ないとしても頓挫することは避けたい。

 アプリの操作にも慣れてきたせいかレイアウト構成に迷いが少ない。仮の絵を描いてその都度挿入することも可能なのでアナログとデジタルを連携させていた時と比較すれば格段の効率アップをしているはずある。相変わらずもたもたしているので実感はない。
 ネーム兼レイアウト作業ではストーリーに気を配ることになるので感覚的にいくらか執筆に近いかもしれない。先にイメージした作画に取り組んでいると描けたものを漫画で使う感覚なので描き込みすぎてしまいがちだったり配置する時になって顔や身体の向きが逆の方が良かったと後悔したりしていた。レイアウト先行の場合はそのコマに相応しいカットを描くことが前提になるため結果としてブレが少なくなるだろう。

 漫画として仕上げるのだから作画先行よりレイアウト先行の方が効率も仕上がりも良いのだろう。何より物語に専心できるので道を外れたり迷子になることも少なくなりそうだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:109回
2回目:117回

2017年1月5日木曜日

手本

 雪時々晴れ。積雪あり。
 比較的暖かい気候で推移していた今季の冬もいよいよ本番だろうか。

 今日も作画に取り組む。
 たまたまそういう時期なのだろうか。作画に関しては調子がいいようだ。それはやっとアプリの使い方に慣れてきたということもあるかもしれないし、試行錯誤がひと段落ついたということかもしれない。ずっと調子を探りながら取り組んでいたから一日の工程の中でロスも少なくない。本描き前の腕慣らしというよりは、むしろ一日中素振りを繰り返していたようなものだったかもしれない。カリキュラムがあるわけでもなく手本があるわけでもないから回り道をすることもあれば煮詰まって頓挫することもある。そう考えると先輩や上司、あるいは先生や師匠といった存在がいかにありがたいことだろうかと思う。自らが歩いた道であれば、つまずくポイントや解決法についても心当たりがあるはずだ。そういう局面を避けるためのアドバイスも可能だろう。

 漫画は手本となる多くの作品が世に出ている。言うまでないことだが、作品をトレースしただけでは自分のものにはならない。表現したい世界にふさわしい構成を自分で探し、相応しいキャラクターや世界観を構築する必要がある。真似や模写が苦手であれば尚のこと。いかにオリジナリティを構築するのかを問われるだろう。
 刺激や影響を受けないことはできないだろう。少なくても漫画というジャンルに惹かれ、取り組もうとするならきっかけとなった作品があったはずだ。そのきっかけを新たな作品として昇華することがオリジナリティとなるはずだ。

 地図も案内人もなく旅するようなものなのかもしれない。
 それでも夜になって目指す星が見えるなら進む以外に方法があるだろうか。

 夕方になって予定していたカレーの調理に取り掛かった。
 2017年カレー初めである。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:106回
2回目:107回

2017年1月4日水曜日

明快

 雪のち雨そしてまた雪のち雨。

 そろそろお正月も終わりということで大して食べてもいないのにお餅にも飽きてきた。少なめに食べていたせいか胃の負担はそれほどでもないようだ。この調子なら食べきるまで大丈夫かもしれない。

 天候が不安定ということもあり作画に専念することにした。
 作画は模索していた手法の一つを試すことにする。使用するアプリは4つ。主線の作画・彩色・トリミング・レイアウトという工程だ。1つのアプリで完結できないのが難点とはいえ専用ソフトではないので致し方ない。それぞれの特徴を把握すれば、アプリを自分なりに自由な構成で使用することが可能だ。

撮影:2012/01/05

 中でも主線を作画するアプリが最も重要かもしれない。これまでは彩色するアプリで主線を描いていた。アプリを切り替える手間が少なかったり線に味があったりしてそれはそれで悪くなかった。ただ、やさしいタッチになってしまうのでインパクトとか力強さに足りない気がしていたのだ。今日、主線の作画に使用したアプリはイラレのようなタッチになるのでコントラストが高くシャープな線を描くことができる。
 言ってみれば、木炭で描いていたデッサンを墨汁でクロッキーに切り替えるようなもの。ボンヤリと描いて雰囲気を出していたものを明瞭な線で表現する必要がある。デジタルなので何度でも修正可能とはいえ、より的確な線を描かなくてはならないことになる。

 アプリの操作感は何度か試していたので感覚を掴みつつある。直感的に描くことができるのが利点だ。まずは一筆描きのように全体のバランスを捉える。そこから細部を描いていく。今まで使っていたアプリでもできることなのに何が違うのかわからない。感覚的に描きやすいのだ。
 取り掛かったのは作品の一コマ。カットとしてはバストアップ程度なので全身を描く必要はない。ただ、背景や体重のバランスを見るために全身を描くことにする。全身のカットを単体のイラストとして仕上げられるという可能性もある。例によって若干手間取りつつなんとか線画を描いて彩色に移行した。これまでは主線にも濃淡があったためやわらかい印象になっていたようだ。今回は主戦に濃淡がなくフラットなのでより明快な印象になった。彩色については若干やわらかい方が良いと思っていたので意図通りの表現になったのではないだろうか。トリミングしてレイアウトしてみると今までで最も納得のいく仕上がりになった気がする。
 しばらくこの方法を追求することにしよう。

プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:106回
2回目:114回

2017年1月3日火曜日

才掘

 晴れたり曇ったり時に小雨。

 郵便物を発送しようと近所の簡易郵便局へ足を運んでみると閉まっていた。想定内とは言えなかなかの脱力感。その足で本局へ向かう。本局では、若干名の人が列を作っていた。どうやらクレーム対応のため局員の一人が対応に苦慮している様子。聞くとはなしに話を聞いていると機械的な処理がイレギュラーに対応できなかった様子。
 様々なケースを想定して組まれたプログラムであっても全ての場合に対応できるわけではない。それは結果的に人間が対応であっても苦慮する内容かもしれないが、クレームを持ち込んだ側としては訴えたい事を聞いてもらえたということで納得することもあるかもしれない。

 郵便物を発送したついでにスーパーとホームセンターを回った。ホームセンターではお正月セールをしていたようでセールの品の幾つかは既に売り切れになっていた。子供の頃はホームセンターの福袋を買いに行くのが家族のイベントのようになっていたことを思い出す。
 ホームセンターを出るといくらか雨がぱらついていた。

撮影:2009/01/04


 自転車を走らせながら考えた。
 漫画を描くとかイラストを描くとかと言う事は温泉を採掘することに似ているだろうか。そんなところを掘っても温泉が出るわけないと言われつつ自分の感覚を信じて振り続けるしかない。堀り続ければ穴は深くなるだろう。中途半端に掘ってやめてしまえばただの墓穴である。採掘ならぬ才堀なのだ。

 才能とは生きることそのものなのかもしれない。だから才能がないなどと言う事はなくて掘り進んだ結果、何を見つけるかが重要なのだろう。そう考えると二十歳前後で人生を決定しなくてはならない社会のなんと生きづらいことか。20年そこそこで才能が発掘できるなら苦労はないのだ。

 帰宅して弁当で食事を済ませ作画に取り掛かる。
 頭の中では替え歌が流れている。
「今年の〜ボク〜は〜ちょっと違う〜♪」
 ちょっとしか違わないので大差ないかもしれないし、ちょっとの差が1年後には大きな差になっているかもしれない。調子がいいと擬音が口を突いて出る。音楽をかけてもラジオを聴いても集中しきれないので自分を鼓舞するような鼻歌があればいいのにと思う。幾つかのカットを渡り歩いているうちに夕方になった。

 今日はどれくらい掘り進められただろう。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:107回
2回目:111回

2017年1月2日月曜日

初夢

 曇り。いくらか暖かい。

 1月2日は初夢とされ「一富士二鷹三茄子」は縁起が良いとされる。
 2017年の初夢は何かと思ったら暴れる夢だった。
 新人研修で何度も冷たくあしらわれたためだ。嫌な人を5~6回投げ飛ばし、それでも飽き足りずにオフィスにいた40~50人の社員に向かってミュージカルばりに大声で歌った。
 考えてみると投げ飛ばしたのはネガティブな自分自身だったかもしれない。オフィスにいた40~50人の社員もボク自身の様々な感情や想いなのではないか。

撮影:2014/01/03


 青虫が空を飛びたいと願ったとしてもせいぜい歩き回って一生懸命食べることしかできない。それは将来必要なこと。食べて動いて力を蓄えるのだ。
 昨日、初詣の際に厄年の解説に「八方塞がり」とあった。もしかすると厄年の時代というのは蝶で言うところのサナギに相当するのかもしれない。サナギの時代であるなら八方塞がりで当然だ。ただ力を温存しじっと冬が過ぎるのを待つのが肝要だ。
 人間は蝶ほど明確に身体の構造が変化するわけではない。継続的に動くことも可能なので社 サナギのような時期に関する会的な制度が整っているわけでもないのだ。そう考えると厄払いでは足りないことになる。社会的な構造として人間の生命活動の変化に対応する必要がある。
 いつかそういう研究が進んで少しは生きやすい社会になるだろうか。

 過去からの脱却。絶望から希望。蝶は羽化する時に蜜を吸う器官や空を飛ぶための羽を持つ。それは青虫の時代にひたすら食べた成果であるはずだ。少なくても青虫自身は将来花の蜜を吸ったり風に舞うことなど予想もしていないのではないだろうか。そんな未来を思い描くことにどれほどの意味があるのだろう。そんなことを考えさせられる。

 夢とは脳が寝ている間に記憶を整理する際に見るものらしい。
 ゆえに何の脈絡もないストーリーが展開することも珍しくないわけだ。それだけだろうか。何かしらの意味や暗示があるような気のすることもある。
 人間は自分の意思で行動決定をしているようで実は行動決定するより前に指示が出ているという。そう考えると夢が何かしらの暗示をしているとしても不思議はないのではないだろうか。

 新展という目標を掲げたことが影響しているような気がする。
 その目標すらあらかじめ予定されていたものかもしれないとさえ思える。サナギが蝶へと羽化するように…


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:115回

2017年1月1日日曜日

新展

 2017年元旦。薄曇り、陽射しあり。穏やかな年明けとなった。
 一年の計は元旦にありという。昨年末の掃除中にたまには部屋のレイアウト変更するのもいいかもしれないと考えた。そう。変革、改革はある意味で転じること。転ぶのはお得意なのでここらで進展、新転…いや、新展と行きたいもの。
 はじめの一歩とか心機一転とか意思決定したつもりでも少しすれば忘れてしまうものだったから今回の新展も長く続くかどうかわからない。ただ、一年の始まりには悪くないような気がする。
…とは言っても元旦くらいは気持ちをゆっくりと思っていくらかのんびりと時間を過ごす。


撮影:2017/01/01

 天気予報を確認すると明日から天候がはっきりしないようだ。薄曇りの今日のうちに初詣に行っておくとすっきりするかもしれない。準備して外に出ようとしたら小雨が降り始めた様子。ほんの霧雨のような雨だ。傘を手に徒歩で出かけることにした。
 雨の心配がなければ自転車で出かけるところ。たまには徒歩もいいだろう。住宅地から駅を抜けると町には人影も少なくて正月の静けさが支配していた。賑わいが恋しければショッピングモールへ行く方が良いだろう。市街地を通って小さな山の中腹にある神社へ坂道を登っていくと予想外に参拝客の行列ができていた。普段なら行列は極力避ける。目的を達するためには並ばないわけにはいかない。そんなに急いでいるわけでもなし急いでも仕方ないということで最後尾に並んだ。並んでさえいれば順番は回ってくる。平日に立ち寄るときのようにゆっくり参拝するわけにもいかないので流れ作業のようにそそくさと参拝を終えた。せっかくなのでと思いお神酒をいただいたら思いの外酔いが回ったようだ。

 良い気分になって近くにある展望台へ向かってみる。霧雨のような雨は傘を使うほどではない様子。ちょっとした休憩スペースに人影はなかった。年によっては雪で歩くのも大変な場所にほとんど雪はなく、緑の草の葉がただ寒さに耐えている。春になれば満開の花を楽しませてくれる桜の花芽も春の準備を始めている様子。このままの気温で推移すれば、間違ってふきのとうでも顔を出してしまうのではないだろうかとさえ思う。展望台からの眺めでは遠くの景色がボンヤリ霞んでいた。雪か雨かは定かでない。ただ、徐々に近づいているようなので帰宅することにした。

 帰りに立ち寄ったスーパーにたらの芽の天ぷらが並んでいて驚いた。本来なら何ヶ月も先の春の味覚が新年が明けると同時に味わえることになる。

 何はともあれ変化と進展。新展の年の幕は開けた。

プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:118回

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...