2015年5月25日月曜日

なぞる

 作品を制作する上で、何を大切にするのかという点はとても難しい。
 人によっては思うままに表現した結果が他を寄せ付けないオリジナリティを持っている場合もあるだろう。

…オリジナリティ。
 おそらく何者にも影響されなかった唯一無二の個性なんて存在しないだろう。何かと何かの組み合わせ。そのブレンドの結果、オリジナリティとして新しい価値観に繋がるかどうかなのだろうと思う。

 ストーリーを構想している時、これまで影響を受けて来たイメージが頭から離れなくて困ってしまうことがある。どうしてもそのシーンを再現したい。もちろん、真似るつもりもないし真似るほどの力量もない。出力された作品は別物になっているはずである。しかし、この結果は2つの意味で的を外している。ひとつは既にあるイメージをなぞっていること。もうひとつはイメージを再現出来ていないこと。作品としての独自性はあっても狙いが外れていればまがい物の作品ではないのか。キャラクターや背景画などを真似ていなくとも雰囲気を二次創作しているに過ぎない。それでいいのか?
 そんなことを考えながら、1ページ、また1ページと描いて行く。迷い、悩みながら描くからか無難でありふれた作品になってしまっている気がする。次のページこそは新しい何かを形にしたいと思いつつ結局は枠からはみ出さないように右往左往しているだけではないのか。初めて自転車に乗ったかのようだ。

 今回の作品は結末を決めている。既に12ページになっているが、本来は1ページのショートストーリーのつもりだった。しかし、それが予定に反して長くなりつつある。ほんの小さなアイディアにこれまで考えていた構想を繋げたからである。それは10代の頃に考えていた素案にその後の経験を加味し今回のアイディアを結合した。ただし、それは骨格に過ぎない。肉付けをしながら物語を構成して行く必要があるのだ。

 近所を自転車で走りながら、ショッピングモールを歩きながら物語の展開にあれこれ想いを巡らせる。少し設定を変えると道筋や枝葉に変化が生じる。ある意味ではプログラムを組む感覚に似ているのかもしれない。完成させてから公開する手法ではないため、意識が届かない所に気がつかないままでいることもある。

 焦りは禁物なのだ。

2015年5月18日月曜日

谷間

 昨夜なかなか寝つけなくていくらか腹痛のような感じがあった。何か悪いものを食べたかと思案してみたが、今朝起きてみたら喉に違和感がある。どうやら風邪気味らしい。そういえば、何かにむせたような咳が時々出ていた。
 折しもバイオリズムは低調期になるらしいから無理せず過ごすことにしよう。

 新キャラのデザイン中に設定変更の必要を感じたため、今日は漫画のストーリーを再構成。
 ストーリーを文字にして起こすということは、日々の中であれこれ想いを巡らせたアイディアを紡ぐ作業。断片的なアイディアは時に矛盾していたり二転三転と変更が加えられるためつかみ所がなくなりかけている。それを拾い集め流れの中に配置して行く。
 ストーリーが決まれば書き溜めてあったカットとの整合性をとりながら漫画として構成することになる。

 実は既に登場しているキャラの名前をまだ悩んでいたりする。

 今にも降り出しそうな空模様を気にしつつ自転車を出した。支払いや買い物、毎日出かける用事があるということは集中力を途切れさせる反面、気分転換や運動不足の解消に一役買っている。顔なじみの人が孫の相手をしていた。利発そう顔立ちで愛想もいい。時の流れは早いと改めて思う。
 何やら新しい施設を建てているようだった。スーパーとか病院といったスケール感。田舎町も時の流れの中で表情を変える。人の出入りが少なければ長期間の維持は難しいから必然的に入れ換えが行われることになる。新しいことを始める時、おそらく夢や展望を掲げていることだろう。けれど、どれほどの人が事業を継続できるだろう。その建築物の前が何だったのか思い出そうとしてみたら、レンタルビデオ・CDショップだったような気がする。時流に乗って華々しいスタートを切ってもやがてまた時流の中に姿を消すことになってしまうのか。
 通りがかりの床屋の窓辺に澄ました様子の二匹の猫が外を眺めていた。2つの窓に1匹ずつ。そういえば、猫カフェが流行り始めてからどれくらいになるだろう。普通の喫茶店に猫がいて和やかな気持ちになったことがある。衛生上の事情で本来は店に置いてはいけないのだとか。招き猫の職が奪われてしまうではないか。そういえば、犬を置いている床屋が近所にあった。自分でカットするのでボク自身はしばらく床屋に行っていないが、猫がいれば楽しみにして行くかも知れない。

 そんなことを思いつつ、鍋一杯分のみそ汁がなくなったのでスーパーでみそ汁の具を探す。野菜が高値なので店内をうろついた挙げ句に地物のニラを購入して帰宅。

2015年5月17日日曜日

一進一退

 少し調子をつかめて来たかと思えば、翌日は元の木阿弥。
 まるで一筆描きのような感覚で描けていた若い頃がウソのようだ。
…とはいえ、大した作品が残っていない所を見ると感覚的なものであって調子に乗っていただけかも知れない。
 描くことに専念する時間が欲しいとずっと願い続けていた。今は不本意な形ではあっても描ける時間があるというのに今度はその時間を持て余したりする。

 描いている漫画が休止状態になるのはストーリーが先行出来ていない場合のようだ。イラストや絵は作画を深めることで作品を完成させて行く。一方で漫画はまずストーリーを展開する必要がある。1コマや4コマ漫画が描けないのはそこに問題があるからだろう。

 煮詰まったので買い物ついでに自転車を出した。
 自転車を走らせながら思考を巡らせる。アイディアはこんな時に閃く。
 端境期なのか野菜の価格が軒並み高値になっている。鹿児島産の新ジャガ1個58円。ネギは1本で100円前後。小ネギが1束で198円だったので小ネギにシフトした。使うと言ってもラーメンやソバの薬味程度だから小ネギだって充分なのだ。地元産のものはほうれん草と山菜くらいだろうか。普段なら高く感じる魚介類の価格が手頃に思えてしまう。
 この時期になるとプランターに野菜の種を播いておくべきだったと毎年後悔している気がする。

 夜、机に向かっていくらか作画するもすぐに集中力が途切れた。
 何気なくこれまで描いて来たコピー紙の山を捲りながら整理しようと試みる。しかし、何とひどい絵ばかり描いて来たのだろう。ここ1年くらいの間、常に精一杯描けるものを描いて来たつもりだったのに全くラクガキレベルと言わざるを得ない。
 見方を変えれば、焦燥感に駆られながらも日々描き続けたことでいくらか前進して来たということだろうか。

 経験は必要だとしても反省や後悔はまだ見ぬ未来の役に立たないのではないか。
 自転車のペダルを踏み込みながらそんなことを考えていたことを思い出した。

2015年5月15日金曜日

タイムロス

何かとタイムロスが多く感じる日。
二日ほど前から気にかかっていることの解決策について思案。

情報収集とデータの分類、そしてメールの送信まで出来る限り自動化したい。
現状、FirefoxとSafariを使い、可能と考えられる部分にApplescriptを使用している。
SafariとApplescriptで完結出来れば良いが、Firefoxでないと出来ない処理があり、FirefoxはApplescriptが使えない。
いっそXcodeでプログラミングした方が良いと思うこともしばしばあれど、そこに注力する時間がない。
その時間があれば、絵や漫画が描きたいのだ。
やりたいこととやるべきことのバランスはいつも難しい。

雨の予報なのに夕方近くまで晴れていた。
夜になって雷鳴。降雨。

日記のような試みは久しぶり。

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...