2016年9月30日金曜日

希求

 晴れ。冷んやり涼しい朝。
 挑戦というにはいささか大げさだが、新しい試みには良い気候。

 小さなスケッチブックを持って自転車を出すことにした。
 気温は低めであっても寒いほどではないので自転車を走らせるのは快適だ。陽射しも強くない。あちこちで稲刈りが始まっていた。
 片道約20km。自転車で移動する目的地のうちでは遠距離の部類に入る。地方の道は道を選べば交通量も少ないのでコンビニやスーパーや公園のトイレなど休憩スポットの地図があれば便利だろうなと思う。普段から自転車で移動することが多ければ、自分で作ってもいいだろう。

 収穫期の田園風景は金色の絨毯のようである。所によっては収穫がまだ少し先の田んぼもあるようだ。夏が過ぎて少し秋雨の時期があったので雨が降っていない時期に収穫してしまいたいという人情もあるだろう。台風でなぎ倒された様子もないので今年の米も美味しくなっているのではないだろうか。


撮影:2010/10/01

 金色の田園風景は正に季節限定と言えるだろう。自転車で走っていると何度もカメラのシャッターを切りたい衝動に駆られる。移りゆく季節。移りゆく時代。少しずつではあるが田舎の風景も変わっている。遠くまで見通せた田園風景の中に自動車専用道路が造られている。出来てしまえば利用することもあるだろう。そしていつしか失われてしまった風景のことを忘れてしまうのだ。そんなことを思いながら適当なところで自転車を止めて写真を撮る。季節限定の美しさは時代限定でもあるのだ。
 閉店したスーパーの解体工事が始まっていた。そしてすぐ前には新しいドラッグストアがオープンを待っている。

 写真を撮りながらこれまで何度も通った道をいつもより時間をかけて目的地へたどり着く。そこもまた変化の中にある。子供の頃の風景はもうなくなってゆく。そして変化した風景がまた変化するのだ。おびただしい数の蚊にたかられたが、大して刺されもしなかった。何匹ものアマガエルがいたのできっと彼らの食料になることだろう。
 一時間足らずで軽く草刈りと毎年出てくる竹の伐採をして帰路につくことにした。

 以前はツリーハウスだったり小屋だったりを建てる夢があった。コツコツやっていたら今頃できていたかもしれない。けれど、それができなかったのは何もかもが中途半端だったからだ。いっその事自分の気に入った土地を購入した方が自由になるのではないだろうか。ただ状況を見回っているだけで管理しているとも言えない状況。打開するための方法は、ただひたすら描くこと。

 手つかずになっているいくつもの問題の答えは描くことの先にしかないのだ。無謀な試みに家族も先祖も賛成しようはずもない。それでもわずかに残された子供の頃の記憶を握りしめて描くしか方法がないのだ。

 結果的に今日のところはスケッチブックは出る幕なし。目的がなくゆとりを持っている状態でないと時間を確保するのが難しいのかもしれない。道端に自転車を止めてササっと写真を撮った方が早い気がしてしまう。スケッチしながら風景を描き留めることも大切なことではないだろうか。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:120回

2016年9月29日木曜日

曖昧

 雨模様。

 曖昧さとは正確さがあってこそ活きるものではないだろうかと考える。そして性格さは曖昧さがあってこそ活きる。

 例えば写真撮影の場合、ボケ味というものがとても重要だ。
 風景写真の場合は隅々までシャープにピントが合っていることが重要なことが多いが、人物撮影や接写など主題にピントを合わせ背景をボカしたたり時には手前にあるものをボカして意図を鮮明にすることを目的とする場合もある。

 写真ではボケ味を利用する際に被写界深度を利用する。
 被写界深度をどこまで取れ入れられるかはレンズの開放値と密接に関係しているのでレンズを選ぶ際には開放値(f値)が重要になる。f値は数値が小さい方が明るいレンズであるためズームレンズよりはレンズ構成が少ない単眼レンズの方が有利であるが、得てしてf値の小さい単眼レンズは高価であったりする。


撮影:2010/09/30

 作画におけるボケ味とはどんな場面が考えられるだろう。
 近年、スーパーリアリズムの表現を追求した作品を見かける機会が多くなった気がする。人物の顔や目のクローズアップなど克明に描写されている。他にも動物を描いた作品もあるだろうか。写真通りに模写しては描くことの意義が見出せなくなるだろう。主題をきっちり描き込んだら背景はざっくり描いたりぼんやりボカしたりすることで写真の被写界深度のボカし効果を取り入れることが可能だろう。もちろんこうでなくてはならないということではない。それは表現スタイルのひとつであり他の考え方もあるだろう。少なくてもモネの遠近表現には驚嘆した。作家それぞれが独自表現の中で模索すべきものなのだ。

 漫画ではデジタル表現の発展もあり克明な描写の背景を取り入れることが可能になった。場合によっては、背景を専門の外注先へ依頼する場合もあるようだ。それで物語のテーマが揺るがないのならそれも良いだろう。
 一方で背景がほとんど描いてない作品も見かける。要点のコマの背景をきっちり描き込めば、後は読者の想像力が世界観を補うことになる。これが意外と重要かもしれない。要点のコマにピントを合わせ他をボカすことで正確さと曖昧さが主題を引き立てるということだろう。
 ボカしとは少し意味が違うが、漫画ではブレによって動きを表現することがある。絵画においては動きをブレで表現している局面は少ないのではないだろうか。漫画は写真の表現を取り入れているのかもしれない。これもまた静止しているものと動いているものの正確さと曖昧さを表現しているのだ。

 漫画では流れの中で正確さと曖昧さを効果的に配置する必要があるということになる。ゆえに一枚のカットをパーフェクトに描き込むことより全体のバランスを見ながら完成させる必要があるということになるのかも知れない



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:116回

2016年9月28日水曜日

心酔

 雨。
 珍しく朝からアイディアが降りてきた。

 考えてみると腕立て伏せのノルマを意識するあまり肝心な朝のアイディアが降りてくるタイミングを逃してしまっていたかもしれない。そう思って忘れないうちにプロットしておこうと1セットだけやってMacに向かう。朝食をとってからまた手探り。
 今回のアイディアはまた新しい切り口。そうは言っても全体のことを考えれば、一部に過ぎないのかもしれない。大切なのは今やっていることが全体をイメージすることにつながっているということ。全体というのは作品のことではなく「漫画を描く」という行為そのものであり、おそらくそれすらも「描く」ことの一部分なのだろう。

 Macでの制作はほどほどにして手描きの制作をしようと机に向かって腕立て伏せをすっかり忘れてしまっていることに気がついた。慌ててノルマをこなしたが、1セット目から時間が経ちすぎていると2セット目が辛い。


撮影:2011/09/29


 体調が芳しくないのはいつものことなのでさておいて作画のほうの調子は悪くない。涼しくなってから腕立て伏せの方もまずまずなのでやはり気候の影響が大きいのだろう。

 それにしても…作画の調子が悪くないのに最近自分の絵が好きではない気がしてしまう。毎日多くの魅力ある作品を見る機会があるためかもしれない。もっと自分の絵を好きになりたい。自分が楽しめていないからだろうか。日々上達のために作画に取り組むため嫌という程自分の絵を見ることになる。慣れなくてはいけないし矯正する必要もある。そんなことの繰り返しの中でただ好きなだけでは続けられないことにも気づいている。それでも続ける。続けるしかない。それが意志でもあったし諦観に似た感覚もある。

 問題は簡単であって難しくもある。
 要するにボク自身が心酔するほど惚れ込む作品を描けば良いのだ。

 短くなった鉛筆を並べて写真を撮ってみた。
 時は流れ、鉛筆が短くなった分だけ力はついているはずだと信じたい。





プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:110回

2016年9月27日火曜日

性格

 曇り。いつもより少しばかり早く起床。今日も蒸し暑い。雨は降っていなかった。

 作品には価値観や人生観が投影されると常々考えていた。それは絵画やイラストのみならず漫画においてもそうだろう。
 朝、昨日描いていたカットを見て思った。
「なんとつまらないカットなんだろう。」
 ただ、正確に描こうとしているだけなのにクセが出てしまっている。昨日はそれほど悪いとは思っていなかったので、一夜明けて冷静になったということだろう。
 正確であろうとして何か肝心なことを忘れている気がする。
 わざわざ個性的であろうとしなくても嫌になるほどの個性が主張している。
 個性を消そうとすることで個性は際立つものなのだろうか。


撮影:2009/09/28

 反省を踏まえて作画に取り掛かる。
 正確さよりも雰囲気やイメージを大切にする。
 いつもはGペンで描くことが多いが、髪に筆のタッチを活かせるだろうかと考えたはずみで全体的に筆描きになってしまった。
 相変わらずコピー用紙に描いているので彩色はデジタルで。改めて見るとデッサンはやっぱり狂っている。ラフな感じにしようという目的は達成しているのではないだろうか。



 それからまた別のカット。
 鉛筆→筆→Gペン→デジタル彩色の流れである。先に雰囲気を優先したカットを描いたので今度はまたデッサンに狂いがないように配慮して描く。ただ、雰囲気も忘れないようにしたい。描いてからスキャニングしてイラレに配置し、彩色してセリフを入れてみる。それから何気なく過去作品に目を移してみると…そこにはキャラクターも背景もセリフも違いながら構図が全く同じ作品に気づいてしまった。

 正確と言っても構図が同じなのはつまらない。
 変化や躍動感、もしかしたら曖昧さまでもが魅力なのかもしれない。
 臨機応変で柔軟に対応できるよう少しばかり性格改造が必要だろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:110回

2016年9月26日月曜日

再起

 曇り。昨日よりは少し低めの気温ながら蒸し暑い日。
 昨夜はなかなか寝つけず、気がついたら朝になっていたせいか一日中眠気につきまとわれた。

 この暑さはまた台風の影響ではないだろうか。
 先日、北海道に上陸した台風の影響が農産物の価格に出ているようだ。今の所、ジャガイモとタマネギはいつもと同様の価格で手に入るが、ニンジンが高くなっている。カレーを作ろうとした時にニンジンがないというのは寂しすぎる。

 そして今日は週に一度のカレーの日である。

 昨日、ニンジン以外の食材は準備してあったもののニンジンは高かったので一日見送ってみた。スーパーへ出かけてみると今日になっても安くなっていないばかりか3本セットになっている。高値の時にわざわざ3本ラットで買うこともないだろう。そこで違う店に行ってみるといつもの倍以上の値段が付いているものの一応バラで販売それていた。考えてみるとそれでもペットボトルの清涼飲料水より安いわけであり喫茶店のコーヒーの1/3程度の価格なわけだ。ところが、いつもより高いということは心理的な飢餓感を刺激されるのだろう。サイズ的にはいつもより小さいくらいのニンジンなのに来店客が次々に手に取っていく。
 ジャガイモが高値の時にはカボチャやサツマイモで代用することもある。ニンジンは代用品を思いつかない。ニンジンは貴重な存在なのだということに改めて気づかされる。辛うじて一本手に入れて帰宅した。



撮影:2009/09/27

 描きたい欲求は高まっているのに蒸し暑さと眠気に捉われて思うように描き進められない。作画そのものの調子が悪くないだけにもどかしい。
 ここ何日か描き損じた紙の裏に作画しているのだが、裏紙だと思うと練習に終始してしまって作品として完成させるという目的に辿り着かない。考えてみると過去に縛られてしまっているのだろうか。
 新しい真っ白な紙に向かう時、新鮮な気持ちになっている気がする。何もない紙面に何を想い描くのか。裏紙に描いている時は、以前に描き損じた絵をリメイクするような心境になっている。リメイク作業も必要なことである。ただ、それに終始してしまうと前に進めなくなることも確かだろう。

 過去を振り返ることは必要。
 そして新しい明日を描くことも大切なのだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:106回
2回目:117回

2016年9月25日日曜日

実態

 晴れ。予想外に気温が上がった。

 ブームが去ったかと思っていた仮想現実ゲームはまだ熱が冷めていないらしい。良いこともあるが、マナーが良くないとテレビ番組が報じている。これまでになかった社会現象なので折り合いをつけるのが難しいのかもしれない。

 IT革命と言われた時代からしばらく時が流れた。その影響は必ずしも目に見えるものばかりではなかった。むしろ目に見えない仮想空間での浸透が顕著だったと言えるだろう。それが一気に現実社会に溢れ出したかのようだ。
 当初、情報を検索するだけの機能に大した意味があるとは思えなかった。ところが、検索はあらゆる分野に進出した。そして検索から得られた情報を利用することが始まった。地図のサービスは公共サービスだという固定観念すら覆された。様々に情報やツールは無償で提供されたため浸透スピードも早かったのだろう。今やそれが当たり前になり公共機関の業務とてそうしたサービスを無視するわけにはいかない。後追いで利用することになっているのではないかと思う。

撮影:2009/09/26

 公共サービスとは一体何だったろう。再定義する必要が生じるのではないだろうか。世界を席巻する企業に対して税金を納めているわけでもない。それなのに日々便利なサービスが提供され社会や生活に根を下ろしている。もちろん今はまだ無関係という人も少なくないだろう。けれど、人工知能の発達も取り沙汰される昨今である。あと数十年もすれば無視できないレベルになるだろう。
 つまり仮想空間のゲームもまた想像のつかない可能性を秘めているのだ。

 これまでの経済発展は物欲とともにあったのかもしれない。
 家電、自家用車、家…。
 しかし、形のないものに対する欲求も常にあったはずなのだ。
 所有したい欲求は仮想空間とて同じこと。便利なもの、楽しいもの、感動できること…そういうことを感じられるのはむしろ現実世界より身近かもしれない。
  笑うこと、泣くこと、頑張ること、逃げること、幸せ、愛…物欲はそういう欲求を実感するための間接的な器のようなものであって実態ではない。
 そう考えると仮想世界で満たされる実体のない事象の方がより欲求の実態に近いものなのかもしれない。

 欲しいものは何だ。
 その欲求の実態は何だ。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:110回

2016年9月24日土曜日

多芸

 晴れのち曇り。

 昨日少し無理してしまったせいか疲れも残っているようだ。それでもキノコや栗の処理をしたおかなくてはならない。

 キノコは塩水に浸けてあったので水を捨てようとすると白いキノコなのに水が赤っぽくなっている。胞子だろうか?毒が抜けたわけでもないと思うが、塩水に浸けておいた効果のようにも見える。

 栗は茹でてあったので皮剥き開始。まだ温かいうちに剥いておけば楽なのに面倒臭さが勝ってしまった。
 春の山菜を採っても秋のキノコ類を採ってもその後の手間が結構大変なので必要なものだけ採取するようにして現場で枯葉や土などのゴミを落として取ったりする。それは後工程の労力を軽減するのだ。
 以前、スローライフという言葉が流行ったことがある。田舎へのロマンや憧れを掻き立てるのにちょうど良い言葉だった。けれど、実際には手間のかかることがとても多いのだと聞いている。その手間がかかることのホンの真似事程度を面倒がっているのだから田舎暮らしには向かないのだろうか。

撮影:2011/09/25


 結局、栗の皮剥きは一時間以上かかってしまった。毎年、手を怪我するのではないかとヒヤヒヤしながら皮剥きしているので今年も無事でとりあえずは安堵する。栗を固定させる左手と皮の部分だけクルリと切り込みを入れる右手が痛くなってしまった。
 そんな中ふと思ったのは、手先や手首の使い方の訓練になるのではないかということ。
 先日、ペン入れの際に自分でも思いがけない手の使い方を垣間見た。手先や手首を柔軟にコントロールを出来るようになれば作画の際に活かせるかもしれない。そう考えると料理だけでなく掃除洗濯にだって訓練の要素はあるかもしれない。音楽やスポーツのように感覚と身体能力を研ぎ澄ます必要のあるジャンルならさらに高い能力が鍛えられるかもしれない。

 肝心な作画はというと例によって机に向かったり休んだり。作画の調子そのものは悪くない気がする。ただ、長く椅子に座っていられない。

 昨日の疲れがあるのだから今日は割り切ってオフにすれば良かったと夕方になってから思った。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:110回

2016年9月23日金曜日

収穫

 曇り。雨の予報だと思っていたので予報を確認すると夕方まで曇りの様子。
 そうなると気になるのが山の様子だ。写真を確認すると昨年の今頃はもう山栗を拾いに行っていたようだ。今年は天候の都合でなかなかタイミング良く出かけられずにいた。
 週末ともなれば、近所の山は栗拾いの人が出かけるだろう。ボクのようにノソノソ午後から出かけたのでは残り物かおこぼれを拾うしかなくなる。

 思い立ったが吉日。善は急げと自転車を出す。
 雨は降らない予報のはずなのに行く手の山の雲行きが怪しい。
 思いつきなのでとりあえずスーバーに寄っておにぎりとパンと飲み物を調達。店から出るとあろうことか雨がぱらつき始めた。


撮影:2010/09/24

 無理を通しても仕方ない。明日は晴れる予報だから出直した方が良いかもしれないと思い一旦は帰りかけたものの大降りになる雰囲気でもない…そこで意を決して行けるところまで行ってみようと思い直した。
 そんな思いを知ってか知らずか小雨は断続的に降り続く。しかし相変わらず大降りにならない。山の麓に着く頃には少し強くなっていたが、山間の道に走ると頭上に覆い被さった樹々のお陰で大して濡れない。
 その山道を上るのはこの季節だけになってしまった。正直言って自転車で上るにはきつい坂だ。きついことがわかっているので無理もしない。ゆっくり写真を撮ったりしながら上る。しとしとと降り続く雨。草木の葉に当たる雨音が細やかに続いている。時折、鳥の声が響き渡っている。
 伏流水の流れる川の側を通り、栃の実や山胡桃や山栗のイガが転がる道を行く。汗は滲み微かな雨粒が色褪せた紺色のシャツに滲みて行く。
 明日ぐらいカーブを曲がって明るく眺めの良い所に出る。麓を見下ろせば遠い町が雨に霞んでいた。

 昨年、キノコを見つけた場所までたどり着く。まだ様々な植物が青々としていて秋の風情を感じられる様子ではない。今年の夏は暑かった。少し時期が遅れているのだろうか…と思いつつ眺めていると見慣れたキノコの姿が見て取れた。足元を確認しつつ目的の所にたどり着くとあちこちに出ているのが目に入る。嬉々として採って袋に入れて行くと予想以上の量になった。

 それからまた栗拾いの為トボトボと道を上り始める。
…まだ午後3時過ぎだったが、雲が立ち込めて薄暗い。少し登ったところでまたキノコ。もう十分採ったと思い、どしたものかと思案しているところへ車で友人が到着。実は何年か前にこの山で知り合った友人に連絡していたのだ。用があるので遅くなるということだったが、ボクのペースが遅すぎて追いつかれてしまったのだ。
 そこからは車に乗せてもらって山栗拾いに向かった。山はもう暗くなりかけていた。いつもの道を入っていくと拾いきれないほどの山栗が散らばっている。コツコツ拾っては袋に入れていたが、暗くなりすぎて危険を感じ始めたので撤収することにした。クマに鉢合わせするにはちょっと怖すぎる雰囲気だったのだ。

 友人と別れて帰宅すると鍋いっぱいの山栗と大量のキノコとなっていた。キノコは塩水に浸けて毒抜きしつつ虫やゴミを取るのが習わし。もっとも本当に毒が抜けるのかどうかは定かではない。それまで食べられていたキノコが近年突然毒キノコ認定されているので手軽に採ることのできる野生キノコが少なくなっているのは寂しいことだ。

 毎年、春と秋は山の幸の季節なのでソワソワする。海が近ければもっと違った楽しみもあるのだろう。自然と関わる機会があることは幸せだと思う。
 これでまた明日から集中できるというものだ。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:109回
2回目:112回

2016年9月22日木曜日

渇望

 曇りのち雨。
 机に向かってひたすら描いたり休んだり…紙の表に描いたり裏に描いたり…。

 思い立ったことがあって一枚は新しい紙に鉛筆で描いてみた。完成ではないが髪を塊として表現することに面白味を感じた。塊として描いた髪が立体感や奥行きの表現となる。描き続けてきたからこそ掴むことができる感覚だろうか。それはまだ霞のようで明日になったらかき消えてしまいそうなものだ。

 何枚か鉛筆で描いてた後、ペン入れを始めてみる。

 過去作品があるということは、振り返ることができるということなんだと思う。振り返って稚拙な作品を目の当たりにすると「今ならもっと描ける」という意欲がムクムクと湧き上がる。

 疲れても描く。飽きても描く。苦しくても描く。
 思う存分描くことの向こう側に何が待っているのだろう。

 ペンの扱いは誰に教わったわけではないので所謂我流ということになるだろう。これまで下絵をなぞるだけだったペン入れから力まずに描くように心がけるようになっている。現時点ではまだ下絵の鉛筆が完成形に見えてしまう。本来はペン入れして完成であるべきなのだ。いや、その先のまだ彩色やレイアウトの工程がある。完成形はまだまだ先にあるわけだ。


撮影:2006/09/23


 そして今日、それは突然の出来事だった。
 授業中、意図せずして不意に鉛筆を回転させてしまったような感覚。
 気がつくとペンを持ち替えて向きを変化させて描いていた。

「あれ?今、何が起きた?」

 その感覚のまま描けたのはほんのわずかな間だった。そしてやがていつもの状態に戻ってしまった。

 ほんのわずかでも良いのだ。
 一度でもその感覚を知ることが次への手がかりとなり渇望となる。

 器用な人ならもっと早く獲得することができるかもしれない。しかし、苦労して手にいれたからこそこれから大切にするだろうし特別感が持続するのではないだろうか。

 言うまでもなく今日のことは全体から考えればごく一部のことである。
 ただ、それがどんな分野であっても新しい技法や感覚を手に入れるということは何もにも代えがたい喜びとなる。

 震えるほどの魂の歓喜。

 そしてその感覚を確実なものにするため明日からの修行が続くのだ。




プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:106回
2回目:113回

2016年9月21日水曜日

快楽

 晴れ。雨の予報だと思っていたのでちょっと拍子抜け。毎日の日課になっていることを一通りこなした頃には昼を過ぎている。買い物もあるので自転車で外出した。
 風は涼しく、どういうわけか人出が多めに感じた。連休の人が多いのだろうか。広場にはスマホを片手に集まった人たちが思い思いに過ごしている。夏場なら噴水の公園には多くの子供達が遊んでいる。涼しくなったので子供の代わりに大人がゆっくり過ごせるということだろう。
 それにしても誰に強要されたわけでもなく楽しみのために見ず知らずの人が一つの場所に集まるというのは興味深い。観光であれば、同じ場所であってもそれぞれが違う楽しみ方をしているだろう。ところが、これまで仮想であった世界観を現実世界に持ち込んだ結果、見えなかったつながりが姿を現した。これまでなかったことなのでいささか奇異に見えなくもない。ただ、釣りや写真などの共通の趣味の人が集まる場所では同様の光景が見られていたということに思い至る。もしかするとコンサートやスポーツ観戦などもそうだろうか。楽しむために集まった人が言葉を交わし、時に知人や友人になったりすることもあるかもしれない。これまでは特定の場所だった趣味の場所が世界中に出現したということなのだ。

 買い物をしながらしばらく自転車を走らせているうちに雲が多くなり始めた。明日はまた雨だろうか。


撮影:2007/09/22

 頑張ることというのは快楽の一種ではないかという考えが浮かんだ。
 集中することは他の煩わしいことから解放されることでもある。結果を出すことで達成感という報酬を得ることができる。それぞれは良いことのようでありながら目標を間違うと徒労に終わったり好ましくない結果につながることもある。それでも頑張らないことよりは頑張ることの方が評価を得られるためともかく頑張ろうとしてしまうのだ。

 例えば、山に登ろうとした時、事前に登山道すら調べずにひたすら頑張れば遭難の危険があるどころか登ることすらできないかもしれない。つまり頑張ることには冷静な判断が不可欠なのだ。

 行き詰まって迷った時、端で見ている立場からすると「頑張っている姿」が確認できないことに不安を感じ苛立ちを思えてしまう。そこで何の根拠もなく「頑張ること」を強要してしまいがちだ。ところが、登山口さえ見えない場所にいて闇雲に頑張ったところでいくらも進めない。藪の中で傷だらけになって二度と山に登りたくなくなるかも知れない。

 誰にも強要されていないのに夢中になってしまうことがある。快楽という報酬を得られるなら人は歩き廻ったりするし出費も厭わないこともある。
 結果を必要とすることも結果を必要としないことも快楽という同じ報酬を求めているのなら、目標設定を間違わないことが大切ということではないだろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:106回
2回目:120回

2016年9月20日火曜日

根気

 雨模様。
 燃やせるゴミ出しをしようと思っていたら早く目が覚めたのに雨音を聞いていて二度寝してしまった。

 外出しなくてはならないので様子を見ていた。一時的に雨が上がる予報だったものの午後1時すぎになってもなかなか上がる様子がない。しびれを切らして外出することにした。
 今シーズンはそろそろ靴を買い換えなくてはならないと思いつつ夏は過ぎ秋雨の季節になってしまった。これまたもう何年目かわからない秋冬用の靴を引っ張り出す。水が染み込むようになったので防水スプレーを使ったのは昨年だったろうか。まだ効いている様子。

 普段、自転車で移動することが多いのでたまには歩くのも悪くないだろう。毎日のように歩き回っていたのは4年以上前の話になっただろうか。這い上がるなどと意気込んでいたのはいつのことだったろう。いつからか先の見えない繰り返しの中をクルクルと回っているようだ。現状維持で精一杯である。こうしてボクは朽ちていくのだろうか。

 投げ出してしまえば簡単だろうか。
 逃げ出してしまえば楽だろうか。

 出来るなら最後まで目の光は失いたくない。
 それとももうボクの心は死んでしまっているのだろうか。


撮影:2010/09/21


 近所の郵便局に立ち寄ったりして歩いていると赤やピンクの花が雨に濡れているのが目に止まる。雨の降り続く地方の町角。花は近所の人が手入れしているだろうか。気がつけば植え込みのサツキもきれいに刈り込まれて新芽が出揃っている。揃って雨粒を弾いていた。肌寒く感じたので長袖のシャツを着て出かけたのだったが、歩いていると暑いとすら感じるようになった。
 用があって出かけたのに必要なものを忘れたことに気がついてUターンしかけたものの気を取り直して何とか用件だけ済ませた。帰りにスーパーを回って帰宅すると大した距離ではないのにぐったり。

 少し休んでから昨日やろうと思って出来なかった作画に取り掛かってみる。相変わらず迷いがあってなかなか思うように描けない。ここ最近のテーマを思い浮かべながら根気よく描いてみる。今日は鉛筆の下絵だけで結構時間がかかってしまった。

…根気。言葉にするのは簡単なのに実践するには根気がいる。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:120回

2016年9月19日月曜日

流転

 雨のち曇り。

 人生は選択なのか運命なのか。
 そんな問いを繰り返し考える。
 時に答えにたどり着いたように感じることもあるが、時が経つと「本当にそうなのか?」という疑問が頭ををもたげ始める。
 運命は決まっていると考えるとやるせないことがとても多い気がする。

 漫画家や絵描き問いう仕事を思い描いた時、大作に取り組んで額に汗する様子や優雅な暮らしのイメージとは裏腹に厳しい生活や日の当たらない日々に不安を覚えた。現実にはその不安の方が的中した形になったのだが、確率論から考えれば現在の状況は99%以上の確率ではなかったろうか。

 1%以下の確率の夢を追ってしまったのはなぜだろう。
 少なくても他の選択肢を試さなかったわけでもない。平和で平凡な家庭が欲しくなかったわけではない…にも関わらず、苦労すると予想できる道を選択してしまった。

撮影:2009/09/20

 立ち入り禁止や一方通行のような交通標識があれば進まなかったのだろうか。その役割を親や教師が担ってくれていたのではなかったか。それらを無視したわけではないが、結局志した道を進んでしまっている気がするのは何故だろう。そして既に他の選択肢は消え去ってしまったばかりか険しい道はまだ終わらない。

 選択肢が100あろうが1000あろうが選べるのは1つである。どの道を選択するにしても一つの道を進むことができる確率は大差ないのかもしれない。故に多くの人が容易ならざる道に思いを込めて進むのだろう。

 頑張ったから理想の暮らしにたどり着けるとは限らない。
 頑張らなかったからといって苦労するとは限らない。
 川に浮かべた笹舟のように逆らわずありのまま流れ下る方がより遠くまで行くことができる場合もあるだろう。

 その先にある答えにたどり着いて満足できる人もいるかも知れない。しかし、一方では想いを遂げられずに涙を飲む人は少なくないだろう。ボクが涙を飲む側だったとしても何ら不思議はないのだ。
 そうであれば、その人生を受け容れねばならないだろう。出来るだけのことをしたら後は天命に従う他ない。

 ただ、できるだけのことはやったと言えるようになりたい。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:115回

2016年9月18日日曜日

明滅

 雨天。小雨ながら一日降っていた様子。

 キャラクターと背景を描くことで物語を成立させようとする意識は間違っているのかもしれない。読者は絵を見たいのではなく世界観を見たいのではないだろうか。卓越した技術で克明に描いても世界観が描けていなければ面白味に欠けるのではないだろうか。
 そう考えるとキャラクターと同じくらい背景も重要なのである。これまでキャラクターと背景を別に分けて描くこともあったが、統合して一体的に描くことが必要だということになる。分業する場合は計算してよくよく考える必要があるのかもしれない。


撮影:2011/09/19

 気圧が低いためかはたまた魚の効力が切れたのか一日中眠気が続いていた。それでもラクガキ程度の作画を続けていると陽が射さないせいか肌寒く感じる。脳内スイッチは漫画モードになったりならなかったり切れかかった蛍光灯のような明滅を繰り返していた。

 一度描いた作画練習のための使用した紙の裏にまた作画練習するので延々作画練習をすることになる。新しい紙は用意してあるのだが、もったいないという気持ちもあるし前より上達していることを確認しているような気もする。そのせいで新しい作品のことが後回しになってしまっている。
 描きかけのネームのカットが思い浮かんだので描いてみる。前より良くなっているだろうか…と思ってやっとネームを引っ張り出した。せっかくだからデジタルでレイアウトしてみようと思い制作へ流れ込む。その流れがスムーズになると煮詰まることも少なくなるのかもしれない。しばらく描いてから別のイラストに取り掛かる。ペン先を彫刻刀のような感覚でコントロールするようイメージして描く。
 ここの所、描く度にテーマ設定をするから何を一番重要に考えるべきだったのかわからなくなりそうだ。今日は世界観を描写するための背景の重要性をテーマにしていた。

 夕方になって買い物に出ようとすると小雨が降っていたので徒歩でスーパーへ向かう。スーパーでは白菜やおでんなどが安売りになっていた。気温が下がってきたのでうってつけの食材だろう。

 帰宅して制作続行。しばらくnoteへのイラストや漫画の投稿が出来ずにいたのでイラレでデジタル作画してアップした。





プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:106回

2016年9月17日土曜日

化身

 曇りから雨。

 昨夜は夢に巨人と魔人が登場した。巨人は身長数百メートルあろうかという巨体で街を闊歩する。木陰に入ると巨人からは見えなくなるのに逃げ惑う人々は恐怖に駆られてじっとしていられない。魔人は黒装束で高速移動する。手には大きな斧を持っていた。もしかすると魔人ではなく死神の類だったかもしれない。朝は涼しいはずだったのに目覚めると汗をかいていた。
 子供の頃、寝ていたはずの父が大きな声を上げて起き上がったことがあった。翌日、何の夢を見たのか尋ねてみると崖からぶら下がったゴミのような塊が落ちてきて追いかけてきたのだという。お化けや幽霊の類を信じない父にしては珍しい話だった。しばらく後、父は病に倒れた。無関係かもしれないが、強く印象に残っている。
 ボクの夢はどうなのだろう。何かの予兆なのではないだろうか。父が病と戦ったようにボクも戦わなくてはならないのだろうか。

 魚効果が持続しているのかコンディションは悪くない。思い立って乾燥したドクダミとオトギリソウとヤーコンを煮出してお茶にしてみた。気休めに過ぎなくてもいいのだ。


撮影:2009/09/18


 以前、会社勤めをしていた頃に何度か体調を崩したことがある。もしかすると会社員をすると身体を壊す体質なのかもしれない。
 ある時、腹痛で病院に行くと「十二指腸潰瘍の治った痕がある」と言われた。自然治癒することもあるらしい。ただその痕が季節の変化などでつっぱったりして痛むらしい。太れば良くなるかもしれないとも言われた。当時は食べてもなかなか太れなかった。職業病だと言われたから同じような経験者が少なくないのだろう。だからと言って仕方ないことと片付けてしまいがちなのはどうかと思う。健康に生きるために仕事をするのだとすれば、相反しているではないか。
 生まれ故郷に移住してからどういうわけか緩やかに太り始めた。年齢のせいもあったのかもしれない。今では痩せるのに苦労している。そしてあの頃の腹痛はもう随分長い間再発していない。一体何が原因だったのだろう。言うまでもなく二度と同じ痛みを味わいたくはない。病院では治療して薬を出してはくれても移住を勧められることはまずないだろう。

 インターネットの低速回線にも少し慣れてきたような気がする。メールなどのデータの送受信は急を要しないので高速回線である必要はない。もちろんサイト閲覧に関しては不便がないわけでもない。高速回線の方が快適であることに違いはない。ただ、快適な環境に甘んじて際限なく使っていたことも否めないのだ。これは時間の無駄遣いにもつながるだろう。

 今日も机に向かって作画。これまでに描いてあった下絵の修正が中心。少しずつ繰り返し修正しているので紙面が荒れているかもしれない。そうなるとペン入れの際にインクが滲んでしまうので都合が悪い…とは言え、修正の必要がほとんどないように描くためにはまだしばらく修行が必要だろう。
 結局外出せずに自宅で作画。こういう時はとかく雑用が舞い込んだりするもの。時間と気持ちを削がれつつ気がつけば夜になっていた。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:115回

2016年9月16日金曜日

要素

 晴れ。何の加減か眠気の少ない日。
 思い当たる事といえば、昨夜アジの塩焼きを食べた事くらいだ。
 普段から魚を食べると翌日の頭の回転が良いような気はしているのだが、魚は日持ちが良くない事とか値段の事とか食べた後始末の事とか…おそらく世間で魚を敬遠している理由と同様のことで鮮魚コーナーを眺めるだけで通り過ぎてしまうのが日常になっている。決して魚が嫌いなのではない。

 日本的朝食に登場する魚介類はやはり意味のあることなのかもしれない。鮭でもメザシでもイワシでもシシャモでも…手間がかかるから朝から準備するのは大変かもしれないが、それが一日の脳活性エネルギーになるとすればあながち無視できない。そういえば、しばらく鮭を食べていない。朝食をパンにしているため組み合わせが難しい気がする。惣菜パン風にしてみたら良いだろうか。
 折しも秋のせいか食欲も増しているようだ。

 制作の方はコントラストとトーンに気を配りつつ作画の練習。ペン入れから始めて鉛筆で何枚か下絵を描いてみた。いつもより休憩が少なくても集中力が維持できるのは嬉しい。


撮影:2011/09/17

 数日前から気になっていた冷凍庫の霜取りをすることにした。冷凍庫内は霜が大きくなっているお陰で洞窟かかまくらのようになっている。今時の冷蔵庫は霜取りなど必要なくなっているのだろうかと頭を過る。それほど今使っている冷蔵庫は長く使っている。奥になっていたものが霜の中に埋没しているのでスイッチを切ってしばらくしてから中のものを取り出す。そして扉を少し開けて放置。

 制作に戻って描いているうちに汗ばんできたのでおかしいと思ったら室温が30℃になろうとしていた。最近涼しかったのですっかり油断していた。今日は気温が上がっていたようだ。お陰で霜取り作業は順調に終了。

 夕方になって買い物に出ると夕暮れの空にうろこ雲が広がっている。自転車で走っていたら虹色の幻日が出ていることに気がついた。早速見通しの良い場所へ移動すると間もなく幻日は薄れて消えてしまった。太陽の高度に関係しているのだろう。

 言うまでもなくスーパーでは魚をチェック。
 これから魚が美味しい季節になるだろう。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:112回

2016年9月15日木曜日

起点

 気持ちよく晴れて過ごしやすい気候。

 途中までにしていたソフトのダウンロードを続行。ブラウザでダウンロードすると途中で接続が切断されても再開することができる…とは言っても相変わらずバシバシ切断される。サーバー側に接続のタイムリミットが設定されているのは仕方ないとしても高速回線が前提となってしまうとネット環境格差が明確になるのではないだろうか。これまではADSLがある程度間を埋めていたのではないかと思う。

 パソコンやインターネットを使っているのに言うのもどうかと思うが、安易に便利なものに飛びつかないようにすれば十分なパフォーマンスを発揮できない点は否めないだろう。ただ、最新の機器を使用するからといって活かせるかどうかは本人次第だ。宝の持ち腐れにならないものを見極める必要があるのではないかと思う。

撮影:2009/09/16


 昨日、買い物の目的が達成できなかったので今日も外出。雲はあるものの陽射しにはまだ夏の名残があった。自転車を走らせたら汗ばんでしまったのでタオルを持って出るべきだったと少し後悔した。それでも秋の風情は漂い始めていて空の青にすら秋を見る気がした。
 買い物以外にも目的があったのだが、残念ながら空振りの模様。現代社会には名前ばかりで役に立たないものがあるらしい。

 若干意気消沈して帰宅すると酷く眠い。涼しくて過ごしやすくなったので夏の間の疲れが出てきているような感覚。
 少し休んでから起き上がってダウンロードの再開。こうなるとサーバーとの戦いである。そんな気持ちを知ってか知らずかあと15MB程度になってから接続の切断が頻発。そして夜になってやっとダウンロード完了。早速インストールしてみると…何が変わったのかわからない。苦労した意味があったのだろうか。しつこいほどの挑戦を支えたのは未知への興味だったろう。大して違わないとわかっていたら放置していたかもしれないのに結論を把握するまで気が済まないのだ。
 物欲とか名誉欲のようなものはあまり持ち合わせていないような気がする。幸か不幸か探究心はあるようだ。

 夏の暑さに抗っている間にも時は流れ早くも秋の風。気を取り直してまた始めなくてはならない。
 始まりはいつだってここから。
 始まりはいつだって「今」なのだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:107回
2回目:116回

2016年9月14日水曜日

旧知

 比較的涼しく雲は多いが青空も見える朝。
 昨夜見た夢には大きく岩のような水晶の塊が登場した。大学の講堂のような場所で人はたくさんいるのに誰もその塊に気がつかない。表面がキラキラと輝いていて中の様子を伝えていた。宝物は身近なところにあるのだという象徴のようだった。

 Macを起動すると「アップデートのお知らせ」が表示された。
 早くも来たかと確認すると2つのMac用のソフトがアップデート待ちになっていた。敢えて低速回線を使い続けているのは、ソフトのダウンロードで高速回線を利用しようと考えていたからだ。高速回線には使用量に制限がかかる。試しに低速回線で一つのソフトをダウンロードしようとしてギョッとなった。高速回線で利用できるデータ量よりダウンロードのデータ量のほうが大きい。そうなると低速回線のままじわじわダウンロードしたほうが高速回線の使用量を消費せずに済むのではないだろうか。そこでじわじわ戦法を採用したのだが、どういうわけかダウンロードが少し進んだところで予告なく終了してしまう。何度試しても結果は同じ。どうやらタイムアウトのようだ。これはちょっと予想していない事態だ。何度試してもダメなので高速モードに切り替えて試してみることにして取りあえず買い物を兼ねて外出することにした。

撮影:2011/09/15


 近所のショッピングモールに立ち寄っていつものコースを歩いていたら見覚えのある女性二人連れが歩いていた。何食わぬ顔で隣に悩んで歩いたらボクに気がついて驚いていた。その二人とは知り合いで最近会う機会もなかった。ボクがメールの返事をしなかったりするので多分無礼な奴なのである。
「え〜〜〜!?どうしたの〜〜〜!?」
「どうしたの?」と言われても全くの偶然である。しばらく立ち話をしたが、昼食のために立ち寄ったとのことでフードコートへ移動して四方山話となった。
  旧知の仲なので懐かしい人の名前も出てくる。驚いたことに顔が浮かんでも名前が出て来ない人も少なくない。若い頃は一体何人の名前を憶えられるのだろうと思ったものだったのに思い出せなくなるものらしい。
 そもそも目的があって集まったわけでもない。話はいつまでも尽きそうにないので中座することにした。またそのうち会う機会もあるだろう。ボクとしては普段一人で悶々としていることが多いので良い刺激になった。
 長く話し込んでしまったため買い物は中止。近所のスーパーだけ立ち寄って帰宅。定例業務に取り掛かった。

 夜になって再度ソフトのダウンロードを試みる。低速モードでダメなら高速モードに挑戦するしかあるまい。そこで高速モードに切り替えてみる。モバイル回線にして初めての高速回線となる。切り替えるなりダウンロード開始…確かに速くなったものの一定ではない。目標は268MB。ダウンロードは比較的スーズに進んだ。高速回線のリミットは230MBなので38MB程度足りない。やがて残り15MB程度に迫ったので何とかなったかと思った矢先、ちょっと目を離した隙にタイムアウト。高速回線に使用した230MBが無駄になってしまった。
 その後、再度低速モードでダウンロードを試みるもやっぱりダメ。Macの場合、やはり光回線しか選択肢がないということになるのだろうか。

 そういえば、App store経由ではなく直接ダウンロードを試していなかったので調べて試してみることにした。光回線でないということは言うなれば高速道路が使えないようなものだ。目的地へ達するためには工夫が必要となるかもしれない。

 窮地に立たされている感がなくもない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:115回

2016年9月13日火曜日

習作

 曇り。夜のうちに雨が降った。

 天候が良くないので涼しいものの体調はイマイチ。どうにもこうにも疲れやすい。少し前に調子の良い時期があったようななかったような…。

 それでもせっかくだからまずは机に向かう。時間が無限にあるわけではない。これからのボクの人生に花がなくも種を蒔いて育てて…出来ることをしていくしかないのだ。描いては休み、また描いては休む。

 久しぶりに紅茶を入れてみた。

 ペン入れはできるだけGペンを使うようにしている。線の太さをコントロールできるのが利点なのだ。では自在にペン先をコントロール出来るかと言うとむしろ持て余しているわけで、終端で線がブレるのは力の抜き方が良くないからだろうか。本来ならマクロレンズで線を追いたいくらいだ。いや、そういう心境で描く境地にたどり着きたい。
 最近、Gペンではなくミリペンで描くことを少し試している。鉛筆に近い感覚で描けるので早いしコントロールもしやすい。イメージを再現しやすいのでGペンによる作画とミリペンによる作画を並行して取り組むのがいいかもしれない。

 同じ角度の絵を描きがちなので違った角度を描きたいと考えることが度々ある。考えてみればペン入れの線とはおびただしい数の習作の果てに辿り着く線である。それはそれまでの習作の結果であり次の絵の習作だとすれば捉え方も変わってくる。同じ角度や同じポーズも臆せず描くべきなのかもしれない。

撮影:2009/09/14

 ずっと身が入らずに困っているのが背景画だ。避けては通れないし描き始めれば没頭できることもわかっているのに入口で右往左往している。絵画であれば、人物と背景は同時進行でバランスを見ながら描いていく必要がある。漫画やイラストとて同様に違いない。今は失敗が多いのでパーツ別に制作していることが躊躇する原因になっているのかもしれない。写真を使うわけでもなくオリジナルの背景を描くためにはストーリー展開や設定が必要になる。キャラクターは角度を変えたりポーズを変えたりして作画練習することは可能でも、背景に関しては人物以上に目的意識が必要なのだろう。
 踏み込み甘さは作品の弱さにつながるだろう。ゆえにいきなり大作でなくとも密度の高い作品を描いてみたい。

 少し前ならラクガキを繰り返しているうちにストーリーが浮かんでいた。最近はそれがとんとご無沙汰でなかなかストーリーの発想に繋がらない。猛暑の夏も過ぎたようなのでそろそろ勘を取り戻したい。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:120回

2016年9月12日月曜日

仕様

 夏の暑さのせいにして立ち止まってしまっていた気がする。
 目的とはなんだったろう。
 情熱とはなんだったろう。
 秋を思わせる涼風が吹き始める頃、陽炎のような季節がかき消えるように去ってゆく。

 日中の気温が下がっているので夜は早めに就寝して朝起きる時間を早める計画。早めに寝るというのがなかなか厄介だ。少し努力して早めに目覚めても今度は身体がついてこない。しばらくはこんな日が続くのだろうか。

 午前中はこのブログのための写真を整理。回線速度が遅いとは言ってもアップロードは自動なので画像のトリミングや補正をしたら後は意識しなくてもアップロードしてくれる。ところが、そこから作画の方になかなか集中できない。調子がいいと食事さえ忘れて取り組めるはずだなのにそわそわして落ち着かない。  インターネット依存症の禁断症状だろうか。
 ADSLのレンタル機器返却の準備だけしておくことにした。

撮影:2010/09/13


 子供の頃から調べ物は辞典や図鑑を使って自分で調べることが習慣になっていた。休みになれば、とりあえず書店や図書館へ出かけていた。今はインターネットさえあれば際限なく調べ物ができる。SNSの更新チェックだけが利用目的ではない。そればかりか下書きや準備などしなくとも直接作業に集中し編集や投稿などできることも利点でもある。依存度が高まるのは当然というものだ。
 きっと生活もインターネットありきの仕様になっているのだと思う。何気ないはずみでつい調べ物をしたくなる。モバイルルーターの電池残量が気になるので電源を切っていることを思い出してグッと踏みとどまる。今までだってMacを起動しなければならなかったので似たようなものなのだが、モバイルルーターのバッテリーに寿命があるとわかってしまうとできるだけ長く使える方法を考えてしまう。まぁ、そのうち気にしなくなるだろう。

 今回は自由度を高めることも目的の一つである。敢えて図書館や書店へ出かけるのもいいかも知れない。そこで新たな出会いや刺激を得て発想の基盤を増強できればと思うのだ。

 人が変わることは難しい。

 環境を変えることが一番なのかもしれないが、それも容易ではない。それに比べるば生活スタイルを変化させることは比較的容易なのかもしれない。それとてどう変化させるかが問題なわけだから試行錯誤の繰り返しになるのだろう。

 自分の仕様を変えることは脳の神経伝達構造を変化させることなのかもしれない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:120回

2016年9月11日日曜日

依存

 朝は爽やかに晴れていたようだが、天候は下り坂。

 回線を切り替えたことにより、生活に若干の混乱がある。
 インターネットに繋いでも表示が遅いので気持ちが萎える。
「そこまでしてチェックする必要ないのでは?」
 幾つものSNSに登録して情報はチェックしていても基本的には良い作品を見たり聴いたりして目や耳を肥やすのが目的のようなものだ。
 動画も一応は見られるもののISDN回線より少し早い程度なのでちょくちょく止まる。そもそも動画はあまり観ないので特に気にならない。

 考えてみれば昔は今のように自由に作品に触れることができなかったわけである。展覧会や映画館に足を運ばなければならなかったからこそ画廊や映画館、あるいはレコード・CDショップや書店が文化的な活動を支えていたのだろう。
 現代は自宅に居ながらにして様々な作品を鑑賞することができるし、その気になれば公開も可能になった。

撮影:2012/09/12

 時代の変遷の中で何を得て何を失ってきたのだろう。

 画廊もレコード・ CDショップも書店も個人経営の小さな店が多かった。それが少しずつ大型化し系列店化したのは生き残りのための経営戦略の一環だったはずだ。パソコンやインターネットが普及するまでそれは確かに功を奏してきたはずだ。
 依存症が疑われるほどのインターネット中心の生活に少し距離を置くためには、敢えて低速モードの回線は悪くないのかもれないと今は思う。まだ少し混乱はしているものの考える時間や創作活動には有効なのではないだろうか。

 答えはもちろんまだ見えない。
 何かを得るために何かを失うことは世の必然。
 ひとつひとつ選んで確かめていくしかないのだ。


プランク:60カウント
背筋運動:10回
腹筋運動(Vシット):30回
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:120回





2016年9月10日土曜日

回線

 爽やかに晴れた日。日々は刻々と過ぎ去る。

 ルーターが届いたので少し前から準備を進めていたネット回線の移行作業をした。
 解説書はついているが例によってわかりにくい。イライラしつつネットで調べなんとか設定を完了した。サポートもしてもらえるとのことで連絡先を書いてあるものの実際みんなこの解説書でわかるのだろうか。


撮影:2008/09/11

 早速ネット回線につないでチェックしてみる。あえて高速回線を使わず低速回線での接続。覚悟していたもののモデム時代を思い出すような表示速度。画像中心としたSNSはフリーズしてしまったかと心配になるほど待てど暮らせど画像が表示されない。
 それでもメールと主要なサイトをチェックできればそれで良いような気もする。意外とこのブログの編集画面が早いので助かった。

 幸か不幸か使用していたMacが結構前の型なので回線速度が遅いことが幾らか緩和されているような気がする。

近頃、ネットをチェックする時間が多いような気がしていたのでこれで少しセーブできるだろうか。ネットを制限することが、別の自由を獲得することになるかもしれないのだ。制作時間か活動時間か…それはまだわからないながら時間の使い方という流れを変えることになるかもしれない。
 回線の切り替えは生活パターンの切り替えにつながるのではないかと期待しているのだ。

 一通り設定を済ませて買い物に出る頃には暗くなっていた。確実に日が短くなっている。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:115回

2016年9月9日金曜日

呼吸

 曇りから晴れ。少し風のある穏やかな日。

 息を止めたままではいられない。吸い続けることも履き続けることもできない。吸ったり吐いたり繰り返すことで生命が維持される。

 頑張ることも似ているかもしれないと思う。頑張り続けるとやがて息が切れる。頑張るだけでなく頑張らないこと…気持ちを緩めることも必要なのだろう。

撮影:2010/09/10

 面白いことに頑張ろうと思うより肩の力を抜こうとする方がアイディアが浮かんだりスムーズに作画に取り組めたりする。気負いが行動を限定的にし柔軟性を奪っているのかも知れない。
 息を吸う前に吐いた方がより多くの空気を吸い込むことができる。いきなり頑張るのではなくまずリラックスした方が力を入れやすくなるのかもしれない。

 元来、多趣味な方ではないかと思う。

 サイクリングは今や趣味ではなく生活の一部だが、仲間を必要としない趣味…たとえば登山や釣りやドライブ、音楽や読書や映画鑑賞などたくさんあったはずだ。仲間がいた方が何かと楽しいのかもしれない。ただ、仲間がいればいたで気を使ったりスケジュールを合わせなれるばならなかったりするので気楽さが失われる気がするのだ。

 多趣味であるがゆえ、集中するためには取り組むべきことを限定することが必要ではないだろうかと考える。自分を律しているつもりなのではないかと思う。

 最近は描くことと書くこと、それから撮ることを中心に活動するようになっているのは気が散らないようにするためでもある。ただ、多趣味であるということは、頭の切り替えと同時に様々な分野で刺激やヒントを得る機会があるということだ。活動を限定的にすることは視野を狭くする可能性があるのではないだろうか。

 固定観念でがんじがらめになりがちな発想を柔軟で豊かなものにしたい。
 それには少し気持ちを緩め肩の力を抜く必要があるのかもしれない。


腕立て伏せ
1回目:102回
2回目:110回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年9月8日木曜日

自由

 曇り。気温は涼しいが、蒸す感じがするのは湿度が高いのだろうか。
 暑いよりはマシだろう。雨も降って比較的過ごしやすい日となった。

 条件が良いのだからと机に向かう。
 最近、作画に取り組む時間を計測して目安にしていたが、それをやめてみることにした。何かとルールを作ったりして自分に制限をかける癖がある。自分を律していると言えば聞こえはいいが、外骨格のようなものではないだろうか。やる気も持続力も形のないものだから外から支えないと霧散してしまいそうなのだ。

 本来なら自由に描けばいいのだ。

撮影:2006/09/09

 朝の時点で描こうと思ったイメージが3カットほどあった。描き始めたものの2カット描いたところで時間切れ。できるだけ手間を省いてミリペンとマーカーを使ってみた。やってみると彩色の手間が省けても紙の色が残るため仕上がりが美しくない。下絵の線を消す前にマーカーを使ってしまったため汚れになって残ってしまった。
 線画だけ抽出してデジタル彩色した方が仕上がりが良い。
 やっぱり現時点では鉛筆の下絵にペン入れをしてスキャニング後にデジタル処理という工程が最良ということだろう。手間を惜しめば良いものはできないということだ。

 最近、ペン入れはカリカリ描くよりサラサラ描く感覚を大切にしたいと思っている。カリカリ描いてきたからこそそう思うのかもしれないし、そもそも根底ではそうありたいと思い続けてきたのかもしれない。力強く描くよりは優しく繊細な線が欲しい。それでいて存在感が求められる。その画風が熟成されてきた頃に作品のアイディアとマッチングすることが理想的だ。

 鳥は自由であるために羽ばたく。時には嵐の日もあれば雪の日だってあるかもしれない。風に乗ってどこまでも遠く旅することが出来るかもしれない。

 そんな日のために翼を養い鍛えるのだ。


腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:110回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年9月7日水曜日

継続

 涼しい朝。
 時折、陽が射す薄曇りの日。

 今日はゆっくりしようと思った。
 暑さが一段落したこともあるし、思うように結果が出ていないのは無意識に自分を追い詰めているからではないかと思ったこともある。

 3年目について考えていた。
 1年目、ある程度は勢いで踏ん張れたとしても2年目は失速しがち。不調の波に悩むことになる。3年目は慣れによる慢心や気負いによる考えすぎで思うように力が出せない。自分自身の過去のパターンを考えるとそんな傾向がある気がする。それで3年目は気合を入れようとするものの結果的には空回りになりやすい。

撮影:2011/09/08

 最近、過去の作品を見ることがある。

 時を経て内容に遜色がないだろうか。
 イラストは追加できないだろうか。

 現代社会を反映するように作品までもが消費され過去の記事は目の届かないところに埋没しがちである。自らが過去のものであると片付けてしまいがちではないだろうか。しかし、作品は時を得て意味を持つことがある。たった数年の時を超えられずして今後数十年の時を超えることは難しいだろう。可能な限り追加修正するなどして再び光を当てるための何らかの工夫が必要ではないだろうか。

 蒔いた種を育てるかどうかということだ。

 買い物があったので例によって自転車で外出。
 雲が多くなっていたため涼しい。走り始めた時は寒さを感じるくらいだった。ちょっと走るつもりで結構あちこち立ち寄った。産直の店は季節の移り変わりを感じさせる。今年は桃もトウモロコシも食べる機会がなかったなぁと思いつつ好物の一つである和梨「八雲」を購入した。

 気持ちを緩めると思いがけず新しい発想ができたり、いつもと違った角度から考えられるようになったりする。
 今日は幾つかのアイディアと新たな目標をイメージすることができた。


腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年9月6日火曜日

仕事

 晴れ。予報に反し、しかしまた予想通り暑い日。
 電気使用量も上がっているらしい。こういう日はソーラー発電も順調ではないのだろうか。再生可能エネルギーの時間ごとの発電量は可視化されていないようだ。
 少し雨がぱらついたお陰で昨日のような暑さには届かなかったものの室温は夕方になったも高かった。明日こそは涼しくなるだろうか。

撮影:2009/09/07

 人生もそこそこ長く生きてきた。
 暑さによる体調不良もさることながら、疲れやすい気がするのは年齢のせいもあるだろう。少し描くと眠くなる。単に眠いというより脳内の循環が滞る感じがする。15分も眠ればスッキリするとは言っても時間がもったいないことこの上ない。

 父は職人だった。暑い夏の日も仕事場で汗を流していた。真面目で一本気であったため、そのまっすぐさ故に行き過ぎることもあったが、仕事はきっちりしていた。

 楽とは言えない生活は、子供心に何にもない生活のような気がしていた。しかし、仕事はお客さんのお宅の生活に活かされ、狭い部屋で家族が身を寄せ合っていた。今にして思えば、当たり前の幸せがあったのかも知れない。父は家族という大きな仕事をしていたんだろうと思う。

 その意味でボクは何も持っていない気がする。
 これから何を残せるのだろう。

 朝目覚めるということ。
 制作の合間に仮眠して目覚めるということ。
 それは当たり前ではないということが意味を持ち始めるのかもしれない。


腕立て伏せ
1回目:95回
2回目:110回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年9月5日月曜日

環境

 晴れ。今日も厳しい暑さ。湿度が高かったせいもあるかもしれない。

 外出できない用があったので蒸し暑い部屋でラクガキの裏紙にラクガキしつつ作画練習。作画だけでなくストーリー展開できる発想を待っているのだが、暑さに耐えるので精一杯な気がする。室温は34.9℃を記録。
 夕方、一旦水風呂に入ってエアコンのスイッチオン。カレー作りに取り掛かった。

撮影:2008/09/06

 住む場所を選んだところで夏は日本国中どこでも暑いだろう。身体が土地に順応すると暑さ寒さの感じ方も変わる気がする。今住んでいる土地に引っ越してきた時は涼しいとすら感じたはずだ。ところが16年も経つと暑いものは暑い。温暖化の影響もあることだろうから16年前と単純に比較することもできないだろう。しかし、以前住んでいたところは今住んでいるところより夏は暑かったはずだし冬は雪がないから乾燥して寒かったはずだ。

 改めて住まいの構造の大切さを考える。何度かの引っ越しの経験の中では間取りとしては3DKの部屋がちょうど良かった。物が多いので部屋数が多いと助かる。ただ、鉄筋コンクリートだったせいで夏は暑かった印象がある。ロフトのある部屋は部屋数は少なかったが、冬は温かく眠れた気がする。

 住みやすい土地から土地へ移動するのも憧れる。住まいにしても移住にしても経済的余裕があれば可能ではある。その夢を追ったところで「描くため」という本来の目的が達成できなければ意味がない。仮にこれから経済事情が好転したとしてそれらを満足させられる条件の住まいに意味があるだろうか。

 例えば、ボクがこの世を去った後、記念館や工房として多くの人に親しんでもらえる施設を建てられるなら悪くないかもしれない。しかし、それはあまりにご都合主義だろう。著名な作家だけに許されることなのだ。

 天気予報では、今日が暑さのピークだったようだ。
 8月の初旬にも同様のことを言った気がするから果たしてどうなることか。ともかく制作できる状態になって欲しいものだ。


腕立て伏せ
1回目:101回
2回目:103回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年9月4日日曜日

虚像

 晴れ。暑い日が続いているせいか体調が良くない。それでもなんとか努めて机に座るも捗るわけはない。
 以前住んでいた部屋でこれほど暑さを苦にしなったのは南向きの窓が大きくなかったからか、エアコンの効きやすい間取りだったせいか。もちろん気候の変化もあるだろう。

 人生設計をする上で、まずは勉強して進学し優良企業の正社員を目指すのが一般的なのだろうか。バブルの頃ならそれも悪くなかったかもしれない。もっともバブルの頃は一生フリーターでもなんとか生きられそうな雰囲気すらあった気がする。時代は変わった。ともすれば希望の会社で正社員として働くことだって容易ではない時代があり、そもそも正社員という立場が夢や希望のように語られる時代になろうとしている。

 少子化だから人手不足になりそうなものだ。人材の使い捨てスタイルは変えようとしても簡単に変えられるものでもないのだろう。何しろ「頑張る」とか「努力」という人の想いを利用している。
 頑張った先が崖っぷちだと知っていれば努力するだろうか。
 奈落の底に落ちて初めて気がつく頃には時既に遅し。後戻りしようにも崖っぷちは遥か頭上にある。

 どうすれば良かったのだろう。
 頑張ったはず。一生懸命やったはず。
 それが間違っていないとすれば、一心不乱に崖っぷちへ走ってしまったことになる。


撮影:2006/09/05

 現代の教育機関は少しでも早く安定した職業に就くために効率良く出来ているのではないだろうか。勉強を頑張ってスポーツを頑張って競争に勝ったものが次の競争に参加する権利を持つ。
 競争を嫌い、穏やかな人生を過ごしたいと願うことは企業にとっても社会にとっても不都合なのだ。
 何故生きるのかと疑問を持つことも不自然ではない。社会に適合するためだけに生まれてきたのではないのだから。それでも多くの人は順応するために努力し心をすり減らすことで生きる。

 社会構造についてボヤいてみたところで何ら変わりはしないだろう。
 ただ、これから人生設計を考える立場にある人は虚像を見破る目を持って欲しい。そして力をつけて欲しい。やりたいことが見えていないなら探して欲しい。
 やり甲斐を見出し頑張る時は、踏み止まる意志と撤退する勇気を持って欲しい。

 生きていれば色んなことがある。
 正解だと信じていたことが誤解だったりもする。
 生きているからこそ虚像が現れては消えるだろう。

 もしかしたら崖から落ちて初めて理解することかもしれない。虚像を見破る目を持つために崖から落ちるのかもしれない。しかし、崖が高ければ高いほど立ち直るのは容易ではないだろう。高い所へ向かわないのが正解だとしてもそれは叶わないことだろう。

 大切なことは何なのか考え続けて欲しい。


腕立て伏せ
1回目:87回
2回目:114回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年9月3日土曜日

変遷

 晴れ。気温上昇。
 どうやらまた台風の影響のようだ。

 今日はデジタル制作をしてみた。イラストをデジタル化し線画を抽出。そしてデジタル彩色。あまり使い慣れていないソフトなので操作方法で一々迷う。ただ、結果としてやりたいことはどのソフトも大きくは違わない。
 しばらく取り組んでいたが、部屋が暑いような気がして具合が良くない。もしやと思い室温を確認すると案の定33℃を超えていた。朝晩は涼しくなっても日中はまだ夏だ。


撮影:2009/09/04

 買い物やリサイクル出しなどのために部屋を脱出…いや外出。

 ショッピングモールに向かうとやはり人出が多い。衣料品は秋物にシフトしている様子。
 丁度、陶器市を開催していた。以前は陶器を好きだった。もちろん今でも嫌いではない。ただ、日々の必要な食器はたくさんあっても使うものは限られている。百均でも丈夫でデザインを工夫したものがあるので陶芸を生業にして生活できるのか心配にもなる。
 人工知能の登場により様々な職業が将来姿を消すと言われている。芸術家は残るだろうという話もあった気がするが、そもそも芸術家人口は多くないだろう。それさえも今日は出かける時間が遅かったのでいつものコースの半分で終了。

 今年は本当に暑さの厳しい夏だった。梅雨の頃には涼しくなるのではないかと予想すらしていた。台風の発生位置が北上したせいか迷子のような動きをした台風もあった。建築物や建造物は過去のデータを元に計算し設計されているから、変化に対応することはそもそも想定されていないのではないだろうか。そして様々の制度設計もまた同様なのかもしれない。地球温暖化という言葉で片付ければ済む問題ではなく、変化に対応しなくては生き残れないのではないだろうか。


腕立て伏せ
1回目:98回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年9月2日金曜日

愉快


 晴れ。

 ユーモアが足りない。
…そんなことを思った。辛いことも苦しいことも笑いに変えられるような…そんなユーモア。もしかしたら漫画の持つひとつの使命かもしれない。

 そんなことを考えていてラクガキしてみた。


 どうもイメージと違う。
 自嘲というかブラックというか…ほっこりした朗らかな笑いとは違う。
 真面目であること。真剣であることを美徳とするのは日本人の持つ美徳かもしれない。それは誰かを追い詰めたり自分を追い詰めたりすることではない。

 苦しいこと。辛いこと。悲しいこと…。

 朗らかな笑いに変えられたらどんなにいいだろう。
 ボクの作品にはそれが足りない気がする。

 買い物があったので自転車で外出した。
 暑さもいくらか和らいでいる様子。


撮影:2011/09/03

 書店に立ち寄っていつも歩くコーナーを練り歩いていてふと思い浮かんだのは「落差」。
 オチというものは、泣き笑いの感情の落差が鍵を握っているのではないだろうか。深刻な状況を笑ってしまうような落語のようにほっこりした朗らかな笑いが欲しい。つい、設定でそれをやってしまいがちだが、そういうことではないのだろう。
 名作として語り継がれる古典落語は時代の流れにも耐える力がある。それは泣いたり笑ったりの構成がしっかりしていることはもちろんだが、落語家の語り手としての力量も問われてきた。

 設定が如何にしっかりしていても、伝えるべき作家としての漫画家の力量不足では伝えるべき感情や思考の高低差を伝えきれない。
 画力だったりコマ割りだったりコントラストだったりリズムだったり…必要な条件はいくらでもあるだろう。その工夫の結果として大切なことが伝わるか否かが問題なのだ。


腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:103回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回

2016年9月1日木曜日

旅路

 晴れ。夜は寒いくらいだった。
 おかしな夢を見たのはそのせいだろうか。

 乗り合いバスのようなジェットボートで旅に出た。チケットがあってどこか目的地があったようだ。そのジェットボートは水陸両用で山のようなところも波を越えるようにジャンプして走ることができる。他にも客が乗っていて旅は和気あいあいとした雰囲気だった。途中、立ち寄るところがあって下船。そこは「書」という地名の山里だった。
 実在しそうな地名だと思ったが、調べてみてもそれらしい地名はヒットしなかった。

 もしも脳内に世界があって書とか描とか読というような地名があったらどんな町や村だろう。ちょっとした物語になりそうな気がする。

撮影:2012/09/02

 残暑が厳しい。日中の室温が33℃を超えていて驚いた。
 ここ数日、外出していないような気がして夕方になって買い物に出た。

 空は晴れて青空が広がっている。刷毛で撫でたような雲が秋の気配を感じさせた。今年は室温の高い部屋にいると具合が悪くなる気がする。当たり前のような話ではあるが、これまでは暑くてもそんな風に感じたことはなかったのではないだろうか。体調の変化でなければいいのだが…と少し心配になる。
 夕暮れ近い空に浮かんだ芸術的な雲はまだ強い陽射しに照らされて燃えているように見える。

 この世界にもまだ見ぬ旅路が待っているのか。


腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:106回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回


漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...