2016年10月31日月曜日

炭火

 薄曇り。
 月曜日は一週間分のカレーを作る日である。
 鉛筆とインクを補充する必要性もあるので買い物ついでに外出。陽射しはあるものの気温は低い日だった。駅前を自転車で走ると見慣れない店がオープンしていた。健康志向のカフェという感じだろうか。野菜ジュースとかスムージー的なメニューを出しているようだ。店内は明るく落ち着ける雰囲気のようで気にはなるもののボクはこの店に似合わないんじゃないかと思えてしまう。考えすぎかもしれない。


撮影:2011/11/01

 書店へ自転車を走らせると街路樹は丁度紅葉の時期。桜の木の紅葉も悪くない。春は桜の花を眺めて走った道を紅葉を見ながら走る。植え込みのサツキの紅葉はこんなに鮮やかだったろうか。遠い山の標高が高い所は紅葉が進んでいるのに対して近い所の山はまだの様子。麓の街路樹の方が紅葉が進んでいるように見えるのは不思議だった。考えてみれば、10月ももう終わり。雪の報せもまもなくだろうか。

 時折、意味もなく悔しかったりすることがある。
 冷えた心に霜柱が立つように。
 なぜ何もかもうまく行かないのだろうか。
 どうすればいいのかと自問自答する。
 テーマもないのにただその感情だけが胸を突く。
 季節のせいだろうか。
 3年目。どんな仕事をしても正念場となる。会社に勤めていた頃は、ボクでなくてもできる仕事に不満を持っていたことがある。見方を変えれば誰にでもできる仕事なのに任せてもらえていたのかもしれない。ここが踏ん張りどころなのだと自分に言い聞かせる。自分のやりたいことを自分が投げ出して他の誰がやるというのだ。

 季節の変化や時の流れの中でボクだけが成長できていないような感覚。コツコツ続けるしかないとわかってはいるつもりでも焦りや苛立ちのあまり、急いだり余所見したりして挙句につまづいて転ぶのだ。
 勢いだけで体重が軽くなるほど打ち込んだ時期を過ごした。同じだけのエネルギーを燃やすことは難しいだろう。だからこそ炭火を燃やすようにジワジワ火を消さないようしなくてはならない。霜柱を融かし心の活力を取り戻すために。

 もう何度も通って見慣れた道の季節の変化を感じつつ自転車で走りながら想いを巡らせた。

 産直の店やスーパーを巡って帰宅。
 いつもの元気カレーと紅玉のコンボートを作った。
 鉛筆とインクも補充できたことだし霜柱を踏みしだき明日からまた一歩ずつ進むことにしよう。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:101回
2回目:110回

2016年10月30日日曜日

要因

 晴れ。穏やかな日和だと思ったら冷たい風がやや強い日だった。

 昨日引きこもってしまったのてで今日は自転車を出す。混んでいることはわかっていながら近所の電器店とショッピングモールを回った。

 最近、布団に入った時にやたら足が冷たいのだ。例年冬場には電気敷き毛布を使うのだが、まだ時期的に少し早い間のではないかと思い足だけでも温めようかと思った。
 電器店ではセールになっている電気アンカをチェックした。悪くはないが、安いものと高いものの価格が10倍近いのではないだろうか。高いものの方が消費電力が少ないようでもある…はて?と考えて結局電気敷き毛布を使えばいいかという結論にたどり着いた。


撮影:2009/10/31

 それから予想通り混雑しているショッピングモールを歩く。館内を一往復すると大体一時間くらい歩くことになる。ハロウィンのイベントもやっているようで仮装している人の姿もちらほら…スタッフだろうか。店内の装飾などもハロウィンを意識したものになっていた。
 いつものように歩きながら気になるものがあるとデザインや価格をチェックするのだが、衣類などは普段の買い物から考えると価格的にかなりの隔たりがある。では売れているのかといえば、店員さんは手持ち無沙汰にウロウロしている様子。材料費やデザイン料、人件費や運賃など様々な要因があって決定された価格ではあると思うが、売れなければ始まらない。それは衣料品に限らずどんな分野でも同じだろう。適正価格というものに地域性まで考慮する必要があるかもしれない。普段、あまり客の入らない地域だからこそ安くできないことがさらに買えない状況に拍車をかける。

 現代は、実店舗がなくても利益を生み出せる時代である。その仕組みには様々なものがあるが、得られた収益を次の事業に活かすことで新しいサービスを提供することが可能になる。そういうシステムを実店舗に応用できないものだろうか。「買ってください」と商品を並べただけでは売りにくい時代になっているのではないかと思う。商品を安くするだけの販売方法は自らの首を絞めているだけかもしれない。少なくてもできるだけ安いものを買い求める地域性で相場より高いものを販売するのであれば、全国一律のサービススタイルを通用させようとすることには無理があるような気がする。
 ICTとかVRとか様々な技術が進歩している時代にあってその技術の利活用に関してはまだまだ時間がかかるのかもしれない。

 ホームセンターとスーパーに立ち寄って帰宅。

 少し机に向かって落書きしたが、感覚を見失ってバラバラな感じだった。それでも臆せず弁入れまでして行く方がいいのかも知れない。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:110回

2016年10月29日土曜日

鈍化

 曇り。風強し。
 風が強いのは季節が移る合図だろう。一歩ずつ冬に向かっているのだ。

 ここ数日、アナログの制作から離れていたので今日は机に向かいたかった。昨日やりかけていた途中のままにすることになる。こうしてたくさんの作品の欠片が山積みになっていく。徐々に完成に近づけたいのだが、実際には描きかけのラクガキが紙ばかりではなくデータとしてもたまっている。しばらくデジタルの作画を封印していたせいかちょっと手をつけると止まらなくなる。アナログと違って何度でも修正できるので集中力が途切れないのかもしれない。


撮影:2009/10/30

 今日もデジタルの作品に少し手をかけたが、際限なく続けるわけにもいかないので机に向かう…ところが、鉛筆の手応えが上滑りしている気がする。そればかりか体調が鈍化している。気温が下がっているせいかもしれないと暖房を入れてみても中途半端に気温が低いためすぐに設定温度に達して自動停止。やがてまた室温が下がる。ファンヒーターは臭いが残るので入れたり切ったりを何度も繰り返したくない。仕方なくひざ掛けをしたりして作画を続けるもやはり集中しきれなかった。
 朝、いつものカレーを食べなかったせいだろうか…。小さな磁気嵐が発生しているらしいからそのせいかも知れないと考えてみたりもするが、原因がわかったところで描かないことには始まらない。積み重なった紙の山はどれも完成を待っているのだ。

 描きかけていた絵を見ていたらバランスが狂っているようだったので手直しを加えることにした。調子の良くない時は何をやっても良い結果につながらないものだ。それはもう重々わかっているつもりなのに描かずにはいられない。調子を取り戻すために藁をも掴む感覚に近いのだ。結局またさらにバランスを崩してしまい台無しにしてしまった。
 もっとも少し手直ししたくらいでバランスを取り戻せる程度ではなかったのかもしれない。

 夏暑く冬寒いのは当たり前。若い頃はそれを望んでいた気さえする。もしも夏も冬も春や秋のように過ごしやすかったら四季は失われ、それこそ活力が失われるかも知れない。

 鈍化に足を取られるような日々でも前へ前へ…



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:102回
2回目:107回

2016年10月28日金曜日

見本

 曇り。
 昨日プログラム的なことをしたせいか朝は頭に疲れが残っている感じだった。頭の疲れは全身に影響する。しかも活性が落ちていない感覚があったから今日も同じことをすればいくらか捗ったのかもしれない。
 昨夜はなんだか色んな夢を見たような気がする。思いがけない人から仕事をもらう夢を見たのは、思いがけない人から電話をもらったせいだろうか。

撮影:2011/10/29


 時々、自転車で遠征した折に会う人がいる。デザイナーさんでイラストを描くお仕事をしている方なので情報交換や近況報告をしているのだ。昨日電話があったのはその方だった。電話をもらったのは初めなので少し驚いたが、手渡したイラスト以外に作品はネットに繋がないと見られないのかという嬉しい問い合わせだった。
 そう言われてみれば、ポートフォリオのような作品サンプルがない。もうネット環境が社会に浸透し当たり前になっているというのは誰の常識だろう。世代によるネット環境の格差はないだろうか。光回線の普及は進んでいるとしても通信費として安くはない。スマホの小さな画面でどこまでネットサーフィンを楽しむことができるだろう。もしかするとネット環境は思ったより限定的なのではないだろうか。そう考えれば、見本やサンプルのようなポートフォリオが必要なのかもしれない。今はネットでの活動が中心なのでプリントアウトの必要がなかった。プリンターが故障して処分して以来プリンターも持っていない。必要があればネットプリントを使っていた。

 今日はネットプリントできるようにデータを整理することにした。
 気がつけば2年半の時間が流れている。コツコツと描きためた作品のデータが思っていた以上になっていた。まずは漫画からと思ってデータを開く。そのままネットプリントしては費用が嵩んでしまう。そこで少しでも費用を抑えるためにA4サイズを半分にして両面プリントしようと考えた。当然ながら手間がかかる。両面プリントということになれば、プリントの際に左右裏表を間違えばアウトである。安くするどころか高くついてしまう。簡単な折帳を作ってページを確認。この折帳を作る作業があまり好きになれないのはなぜだろう。デジタル作業をするためにアナログを用いているせいだろうか。

 これまでの作品を見ているうちに手直しをしたくなった。2年前に描いたデジタル作品の歪みが見える。それは繰り返し描いてきた成果の一つだろう。機は熟しているのか。それともまだ時期尚早か。ちっと手直しのつもりがネットプリントデータの準備をそっちのけにして制作に没頭してしまった。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:107回

2016年10月27日木曜日

構文

 布団が暖かいので出るのが辛い。絶好調とは言えないものの何日か前からの腰痛は随分軽減した様子。
 朝は晴れていたようだ。外出しなかったので外の様子がわからない。夕方になって冷えてきたので天候は下り坂だろうか。

 昨日少し身体を動かしたつもりなので今日は作画に取り組もうと考えていた。ところが気になることに手をつけたばかりに深みにはまり込んでしまった。


撮影:2011/10/28

 気になることというのは、毎日の定例業務の効率化に関することである。現在はブラウザの機能拡張などを利用しているが、これが外出先ではできない。また使っているMacのシステム環境で構築しているため他のマシンに移植することも難しい。一日に2回、午前と夕刻の在宅していれば良いことなので急ぐ必要はないと考えていたのだ。会社勤務であれば、毎日自分の机や持ち場に就くのは当たり前だからあまり深く考える必要もないのではないかとも思う。
 しかし、毎日の業務としてこなすには限界がないわけではない。Macの前に24時間座っているわけにはいかない。そのために今は一日に2回と決めているわけだ。

 やっていることは釣りに似ているかもしれない。じっと待つ。今はそれが重要なのだ。そこでその作業を自動化出来れば、確実性が上がった上に業務に拘束される時間が少なくできるのではないかと考えていた。
 もちろん事情はそんなに簡単ではない。
 プログラムに詳しい人に依頼するには費用の問題がある。そして自分でメンテナンスする必要を考えれば、自分で取り組む方が良いというものだろう。

 以前、DTPの仕事をしていた時にApplescriptの自動化に興味を持ったことがある。業務に取り入れることで作業を効率的にしたり反復作業による負担やエラーの軽減対策になると考えていた。ところが、ApplescriptはMacでしか使えないし知名度もあまりなかったのでその便利さや強力なツールであることを理解してもらうことは難しかった。そしてMacでしか使えないということは、24時間稼働させるためにMacを24時間稼働させる必要が生じてしまう。

 これまでにもMacで使っている機能拡張のようなものが他にないかと探していたが、機能拡張にしてもアプリにしても必要としている機能に物足りなかったり有料だったりしてなかなか適当なものが見つからないのが実情だった。潜在的な需要はあると思うのだが、アプリの開発者に個々の事情を汲み上げてもらうのは容易なことではないだろう。

 そんな日々の中でGoogle apps scpiptの存在を知った。どうやらjavascriptが基盤になっているらしい。そもそも javascriptもWebページに組み込めるという程度のことしか知らないので何ができるのかということもわからないばかりか構文規則もわからない。要するに超ド素人なのだ。手をこまねいているのは無知ゆえである。

 Google apps scpiptの特徴として大きいのはGoogleのサーバーで稼働させること出来る。少し前からサンプルを稼働させて様子を見ていた。24時間といっても利用目的を達成させるため実際に動作させるのは一日に2〜3回で充分だろう。それだけでもMacを起動させる必要が軽減できるし外出していても通知を受けられるようにすればいいのではないかと考えていた。
 問題はネットの情報を参考にして勉強するしかないということだった。

 重い腰を上げるような気持ちでサンプルスクリプトとにらめっこ。まるで新しい外国語を見るような気分だ。もちろん見ているだけではわからない。構文の中の数字や数式の意味を解読すべくあれこれ試してみる。Applescriptでも同様だったが、正しい構文でなければ正しい動作はしない。何度かのエラーで投げ出しそうになったが、まずはシンプルにしようと思いまた一歩深みにはまり込む。
 幸いにして試したことの結果がすぐわかる。何かのはずみで一度でも動作すればそれがヒントにもなる。利用していたサンプルスクリプトを少し書き換えることで様子を見る。そのうち部品の構成が見え始めるから不思議だ。
 夢中になって取り組んでいて気がつくと既に暗くなってキーボードが見えなくなっていた。数時間四苦八苦してホンの少しだけ便利になった。もちろんこれはまだまだ序の口でこれから本格的に構文を書いていかなくてはならない。そのヒントは掴めたような気がする。この調子で少しずつでも目的に近づけるしかないだろう。何しろわがままな要望の意味を知っているのは自分しかいないのだ。それはApplescriptの時と同じなのかもしれない。次回の予習をしておこうと調べ物をしたら「正規表現」という言葉が目に入る。正規表現はApplescriptでも少し扱った。昔やったことが役に立つかもしれない。

 もう3日目になるおでんを温めなおして夕食を終了。
 明日は描けるか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:110回

2016年10月26日水曜日

高揚

 晴れ。買い物などの所用を済ませるため外出。
 風も少なく自転車で走るとちょうどいい気候。ショッピングモールを歩くと暖房が効いていたのか汗ばむほどだった。
 食パンを切らしたのでまた自転車を走らせる。いつもはゆっくり走るのだが、少しばかり気合を入れて走ったら太ももがパンパンになってしまった。普段いかにのんびり走っているかということになる。スーパーで買い物を済ませて外に出ると青空が気持ちいい。銀杏並木が目と鼻の先なので少し足を延ばすとにした。先日は一眼レフを持ち出したのに生憎の天候で思うように撮れなかった。今日はコンデジしか持っていなかったが、撮らないよりはマシだろう。


撮影:2011/10/27


 水曜日なので人出が少ないと思ったら割と多くの人がいて趣味か仕事かわからないがカメラマンらしき姿もちらほら見える。苔を撮影している様子の人もいた。遠くて見えなかったが、紅葉が苔に落ちていたのだろうか。なかなか渋い被写体だと勝手に想像して感心した。他にも地面すれすれのローアングルで何度もシャッターを切っている人もいた。納得行くまでシャッターを切ろうということだろうか。デジタルならではだなぁと思う。

 散歩する人。ジョギングする人。一生懸命銀杏の実を拾う人…銀杏並木の黄葉もそろそろ盛りだろうか。まだ緑の葉が残っているところもあるが、先に黄葉した葉が順次散っていくだろう。比較的暖かな日和だった今日は銀杏並木も見頃だったのかもしれない。
 公園内はこれから紅葉する樹々もあるのでいよいよ秋本番ということになるだろう。最近お気に入りになっている場所に座ってしばし時を過ごす。日没が早くなっているので長居はできないものの他に人の姿もなくゆっくりするにはちょうどいい。足湯に入る気持ちのゆとりがまだ少し足りないようだ。

 暮れゆく秋の陽はホンのひと時だけ空を紅に染め、ほのかな高揚を残して西の空に去った。
 明日はまた机に向かうこととしよう。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:110回

2016年10月25日火曜日

架空

 晴れのち雨。
 寒くて布団から出るのがなかなか辛い。眠りから覚める直前に水彩で壁の絵を描いている夢を見た。自分では結構上手く描けた手応えがあって描く楽しさを思い出した気がした。
 それにしてもどうして壁なのだろう。扉や道の夢なら前に進めるだろうにと思う。好んで壁を描いて自画自賛しているとは愚の骨頂ではないか。


撮影:2010/11/26

 現実の問題も同様なのかもしれない。
 壁を描くのか扉を描くのか、あるいは道を描くのか。人によっては翼を描く人がいるかもしれない。それを無意識にやってしまっているのかもしれないのだ。
  何も問題のないところに壁を描いたり急な上り坂を描いたりする。それは元々存在しないもののはずだ。

 今日も例によって描き損じの裏紙を使って作画の練習。
 以前描いていた絵はヘンテコに歪んで見える。それゆえに描き損じとして分類していたわけだ。描いても描いても歪みを矯正できなくて苦悶を続けた痕跡が描き損じとして残っている。今でもやはり迷宮に入り込んでしまうことはある。ただ、以前ほど混迷を極めることは少なくなった気がする。


 いつの間に壁を越えたのだろう。いつの間に坂道を登ったのだろう。
 ただその日をどう乗り越えるかだけが課題だった。壁も坂道も延々続いているように感じていたはずだ。
 もちろん既に次の壁を描き始めているし坂道は続いている。
 たった一時間机に向かっていられないのはきっと思うように描けていないからだろう。期待を込めて言えば、面白いように描けるようになれば否が応でも描き続けることになるのではないだろうか。長時間座っていられるようにするためには、描けるようになることが前提なのではないかと思えたりする。もちろん面白いように描けることが楽であることではない。好きであることも続けることで見失う。それでも続けるのは他に道がないからだ。

 無意識に描いたであろう壁や坂道。それは架空のものであればこそ、まだ見ぬ未来の成長ための架け橋となる。

 壁を描こう。坂道を描こう。その向こうに明日があるなら。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:105回

2016年10月24日月曜日

純粋

 晴れ。
 先に身体を動かしておこうと思い外出する際、久しぶりに一眼レフを持ち出すことにした。使っていないと操作を忘れてしまう。自転車を出すと風が冷たい。
 通りかかった公園でカメラを取り出し紅葉を紅葉を撮ろうとしたらピントが合わない様子。オートフォーカスレンズなのでピントが合わないのはおかしい。試しにマニュアルフォーカスレンズに交換してピントを合わせてみると大丈夫のようだ。接触不良だろうか。使っていないとこういう調子の変化を見逃してしまいがちだ。
 大切にしていたフィルム一眼もしばらく使わない間に故障していた。保証期間はとうに過ぎているしメーカーの部品保管期間も過ぎているようで実質修理不能となっていた。もしかしたら個人で修理してくれる人が見つかるかもしれないが、費用の問題が生じるだろう。幸いレンズは後継機のデジタル一眼でも使える。

撮影:2008/10/25

 今年3度目くらいになる銀杏並木のある公園へ行くと月曜日なので人もまばらだった。狙い通りだ。何人かのカメラマンが見受けられる。もしかして同じ狙いの人たちだろうか。狙いが外れたのは天候だ。明日から下り坂という予報だったので晴れているうちに撮りたいと思っていたのに雲が多く陽射しを遮っていた。何度も撮っているので改めて撮りたい構図というのもなかなか見つからない。定番になっている構図でシャッターを切る。先刻ピントが合わなかったはずのレンズも問題なさそうだ。何が原因だったのだろう。やはりしばらく使っていなかったのせいで接触不良を起こしていたのかもしれない。

 何かのイベントがあるらしく集結している大型バスを横目に見ながらお気に入りの場所まで自転車を走らせる。そばに足湯もあるし暖かい日なら少しゆっくりするのにも良い。生憎今日は冷たい風が吹いていて長居するには少し寒かった。喫茶店に入ろうかと思うこともあるが、まだ実行したことはない。そのうちタイミングを見て入ろうかと思う。

 今日はカレーを作ろうと考えていたので一軒だけスーパーに立ち寄って帰宅。

 帰宅してから食事をして作画に取り掛かる。カレーの準備などを考えると時間的に長く描いていることもできなかった。それでもコンディションの確認は出来たような気がする。

 久しぶりに一眼レフを持ち出してファインダーを覗いたら「写真を撮る楽しさ」という純粋な気持ちを思い出しかけた気がする。コンパクトデジカメはファインダーがないせいか一眼レフとは感覚が違う。加えて写真を撮影した後にどう活かすかということに注力していたので純粋な楽しさを忘れかけていたのかもしれない。
 それは描くことにも同様なことを感じていた。上達するために苦しみながら描いてきたせいか楽しむことは後回しになっていた気がする。少し安定して描けるようになればストーリー構成などの時には遊び心も必要になるだろう。いくらか楽しめるだろうか。これまでの経緯を考えればそんなに甘くはないかもしれない。苦しみながら遊び心は生まれるだろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:105回

2016年10月23日日曜日

自転

 曇り時々晴れ。

 気温は低くても室内にいると寒いというほどでもない。今日は作画に集中することにした。
 集中すると言ってもやってることはいつもと大差ない。コンディションの確認をしながら鉛筆を走らせる。普段は2Bの鉛筆を使っている。1ダースの箱入りで買ったのはいつのことだったろう。箱の中には残り一本となった。そういえば、インクも減ってきたので補充しておく必要があるだろう。


撮影:2008/10/24


 それにしても過ぎた時間は馬鹿にならない。人の世を生きて何かを為すことにどれほどの意味があるかわからない。我ながらよくやってきたと思うが、何よりも支えてくれた人に感謝しなくてはならない。一つのことを追いかけることは容易なことではない。ひとりではできなかったことだ。

 自転車を走らせているといつの間にか閉店してしまった店を見かけることがある。おそらくは希望を胸にコツコツと準備してやる気満々で開店することだろう。しばらくは工夫しながら我慢強く続けても意図したように客が入らないという現実に直面すれば、やがて辛い選択を迫られることになる。
 それは現実社会の商売と限らない。ネットの世界であっても同様なのだ。
 サイトを作っても宣伝しなければ注目されることは難しい。SNSであっても発信しなければ存在に気づかれないのだ。インターネットが普及する頃は大手であっても個人であっても平等に思えた頃があった。時を経てみれば知名度が大きな差になっている気がする。その知名度の所以はやはりブランド名やテレビの露出だったり本を出版していたりするようだ。インターネットという同じフィールドであってもやはり同じではないのだ。だからといって大きな組織のような対応ができるわけではないから身の丈なのかもしれない。

 この数年で公開したものを見返していたらかなりの数になっていた。
 だからといって全てを見たいと誰か思うだろうか。必要なのは数ではなく質なのだと改めて思う。
 自転だけではなく公転が必要なのかもしれない。

 今日はそんなことを考えながら作画。何点かペン入れも試みた。少しずつ作画のペースが上がっている気がする。

 夕方になって書店まで出かけたら風が冷たくなり始めていた。秋の日は短い。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:114回

2016年10月22日土曜日

暖房

 晴れてはいても気温は低い。

 そろそろ暖房器具の試運転をしておくべきだろうかと思った。夏の間、電源を抜いて灯油タンクを外していただけなので電源を入れてタンクをセットし時間を合わせるだけで使えるようになる。問題は使い始めに煙が出るということだ。気温が下がっているとは言っても室温はまだ二桁なので長時間運転の必要はない。本格的な冬になる前に動作確認をするのが目的だ。
 かれこれ16年ほど使っているファンヒーターは臭いが気になり始めていてそろそろ買い替えの必要性を感じているのは事実だ。本格的な寒さにならないとトロ火運転になることも原因らしい。だからと言って必要以上に暖めることもないので様子を見ながら使っている。

撮影:2010/10/23

 暖房の様子を見ながら机に向かった。
 暖かい部屋で絵を描けるという状況は幸せなのかもしれない。鉛筆の走りも悪くなかった。
 先日、百均で見つけてきたアーモンドをかじりながらイラストと組み合わせてみようと思った。アーモンドは老化防止につながるということで毎日25粒食べるといいらしい。さすがに毎日食べることはできないが、最近特に視力の低下を感じているので悪あがきをしてみようということだ。無駄な抵抗かもしれないが、やはり裸眼で描く快適さは諦めがたい。


 それから鉛筆の調子を確かめつつ描き進める。以前なら部分から描き始めていたような気がする。今は全体から荒く描き始めて部分、そして細部へと描き進める。描き深めていく感じだ。最深部でペン入れになれば理想的だ。

 今日はフラッシュバックのように浮かんでいたイメージの断片を絵にしてみた。これまでは画力が伴わないためにつまづいてばかりいたカットが比較的スムーズに描ける。いや、まだ迷いがないわけではない。綿から糸をより出すようにボンヤリしたイメージから一本の線を紡ぎ出すようなものである。



 夕方になって買い物のため外出。
 山の向こうに陽が沈み雲の裂け目から陽光が噴き出していた。風は冷たく秋の深まりを感じる。素晴らしい夕焼けを予感したのでしばらく様子を見ていたものの期待してほどの変化は見られなかった。

 帰宅して再度ファンヒーターを使ってみる。運転中は問題なかったのでこれは大丈夫と思っていたら消化してからの臭いがひどい。やっぱり替え時だろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:108回

2016年10月21日金曜日

散乱

 冷んやり晴れた日。風が少し強い。
 昨日引きこもっていたので買い物も兼ねて外出。心配事もありつつ自転車を走らせると空は刷毛で撫でたような秋の空。写真を撮ろうかとふらふら走ると遠い山が1/3ほど紅葉に染まっていた。秋の風景を切り取ろうと走ったが、思うような構図が見つからなかった。
 しばらく行っていなかった書店へ立ち寄るとなんだか不思議と落ち着ける気がして何冊か手にとって眺めてみる。確かにこういう出会いはwebでは難しい。書棚の間を歩きながら無意識にかなりの情報を得ているのではないだろうか。いつものように絵画芸術関係からイラスト・デザイン・写真…それから家庭菜園関係やDIY、コンピューターなどと見て回る。文具コーナーで漫画関連用品を見つけて立ち止まった。そう言えば、ペン軸が錆びてきていた。今時のペン軸は錆びないようになっているようだ。そればかりかGペンも丸ペンも同じ軸に取り付けられるように工夫されているものもあった。結局購入するには至らなかったが、こういう時間も大切なのかもしれない。
 それからスーパーとホームセンターをハシゴした。ホームセンターでは作業用に良さそうな座椅子を見つけた。価格的に予算オーバーなのでしばらく様子を見ることにする。いっそ木で作ってしまえば早いのかも知れない。それには気持ちの熱量が少しばかり足りない。
 自転車で移動できる範囲に色々な店があるのはありがたい話だ。雪のシーズンになれば、歩いて行ける距離ということになるから所用時間を考えれば、そんなに遠くまでは行けないことになる。


撮影:2009/10/22

 帰宅するとまだ夕方前なので机に向かった。毎日このリズムなら良いのだろうか。鉛筆を走らせるといつもより調子が良い気がする。腕立て伏せをしていても調子の良い時は延々できるような気がすることがある。ところが実際にはいつもと同程度しかできないように作画も好調を長続きさせることが難しい。
  せっかくなので鉛筆で何枚も描いてみる。案の定、尻すぼみというか先細りな感じで調子が持続できない。それでも好調感というのが大切なのだ。
  例によってペン入れで台無しにしてしまうだろうからある程度描いたらスキャニングしておきたい気がする。スキャニングしたからといって後で見ることもないのだから無駄といえば無駄だろうか。

 デジタルとアナログの違いはここにもある。Webで本を探す場合と実際に書店に足を運ぶ場合が違うようにデジタルデータは場所を取らない代わりに積極的に見ようとしなければ目に触れる機会が少なくなるのではないだろうか。一方、手描きの紙の状態であれば山積みにしてあっても意図せず目にすることがある。それが残像となって印象に残れば、次のアクションへ繋がることもあるだろう。

 部屋が散らかっているのもそのせいか?と思ってみたりする。
 そう、きっと次のアクションのために部屋を散らかしてあるのだ。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:118回

2016年10月20日木曜日

愚直

 曇り時々晴れ。一時強風。
 今日は、外へ出なかったのでよく分からないが、天候の変化が著しかった様子。西の方は暑いと言っているに北海道では雪だとか。その間にあって気象の変化が大きかかったのかもしれない。

 2日ほど机に向かわなかっただろうか。鉛筆やペンを持たない日も大切なのかもしれないと言う意図もある。久しぶりにラクガキレベルから作画に取り組んでみるが、上達もしているわけはないしおかしなデッサンの狂いが抜けているわけもない。もっとも肩の力はいくらか抜けているかもしれない。先の見えない旅路は続いているのだなぁと思う。先が見えないから面白いなどと強がりを言う余裕もなくなりかけている。

 冷静に考えれは描かなくてはならないものはいくらでもあるはずだ。それを作画レベルの向上を建前にしていつまで引き延ばす気なのかと思う。
 描きかけていた下絵を取り出しては加筆修正するものの結局何らかの壁にぶつかって先へ進めなくなる。意思を妨げ、制限しているものは何だろう。つまらないプライドだろうか。


撮影:2009/10/21

 漫画というものは描かなくては話にならない。
 職業漫画家ともなれば生活するために描く必要性もあるだろう。結果的に定期的な発表が必要になりそれを楽しみに日々を過ごすファンもいるだろう。
 一方で小説家や絵本作家はどうだろう。連載を持っている作家がいるとしても文庫本や単行本として書店やWebで出会い、その一冊を読者が都合のいい時に繰り返し読むことになるのではないだろうか。
 もちろん漫画も単行本が出てから蔵書に加えて繰り返し読むこともあるとは思うが、作品の成り立ちが違うのではないかと考えてみる。

 これまで漫画は出版社のスケジュールに合わせた制作や執筆が必要だったのではないかと思う。そしてそのことによって締め切りの必要性が生じ、何が何でも描かなくてはならない状況を生んでいた。それはもちろん良い場合もあるしそうでない場合もある。
 それが今やWebで自由に公開できる時代である。出版社のスケジュールに合わせる必要もないわけだから締め切りも考えず練るだけ練って公開することが可能なのだ。
 ところが、その挙句に作品を抱え込むことになる。そして何とか自信作を描き上げたら誰も見ていない状態でドカンと公開。せっかくの力作が空振りのようになってしまう。

 打開策は色んな方法が考えられるだろう。
 先に大作を公開してからマメに小品を公開し、閲覧してもらえる機会を作ること。または小品を公開しながら同時進行で大作を制作すること。他にも小品を積み重ねて大作につなげる方法もあるだろう。どれが正解でどれが間違いということもないかもしれない。それぞれが制作しやすい方法を模索する必要があるのだ。
 個人的には小品を公開しつつ大作を準備する方法を取りたいと思っていた。その方が制作のモチベーションも維持できるような気がしたのだ。しかし、現実問題として小品だから手を抜けるというものでもない。つまり小品を描いている間は大作は進められないということになる。そればかりか小品を描いていて行き詰まる始末である。描きながら答えを探しているのが現実なのだ。

 長い時を経て雨粒が石に穴を穿つように…長い時を経て鍾乳石が成長するように…とても気の長い話に思えてしまう。
 目的を持たず、ただ愚直に描き続けることで果たしてどこに辿り着けるのだろう。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:107回
2回目:120回

2016年10月19日水曜日

生命

 秋晴れ。快晴。

 朝起きると腰痛は幾らか緩和している気がした。昨日の自転車が功を奏したのだろうか。あるいは単純に天候のせいかもしれない。それでも身体を動かしたからだろうと気を良くして今日も外出。銀杏並木の紅葉チェックだ。

 季節の移ろいは気づかぬうちに野山を染めて街の装いを染める。
 昨日は曇っていたので敢えて足を伸ばさなかった公園へ向かう。途中の公園の木々は緑が残っているものの赤や黄色が鮮やかに映えていた。


撮影:2011/10/20

 自転車を走らせていると壊れた蜘蛛の巣に引っかかっている赤トンボがいた。もしかしたらもう息絶えてしまっているかと思ったが、手に取ってみるとまだ動くばかりか指にしっかりと掴まった。蜘蛛の巣の主人は見当たらない様子だったので糸を取ってみると長い時間宙ぶらりんになっていたせいか頭が取れかかっている。残酷のように見えても恐らく自然の中では当たり前の出来事だ。昆虫は頭に脳があるわけではないということを読んだことがある。脳に相当する細長い神経系が身体の中に伸びているはずだ。つまり頭を失うことが直接的に死につながるわけではないのだろう。もっとも食べることも見ることも出来なければ飛ぶことも出来ないだろう。救うことの方が残酷かもしれない。しかし、指にしっかり掴まっている小さな赤トンボの足の感覚は本能的に生きることを望んでいるように感じた。少し離れたところに咲いているセイタカアワダチソウの黄色い花にとまらせて別れた。願わくば生命がある間は楽しい夢を見て欲しい。

 銀杏並木に着くとまだまだ緑も多いものの前回より紅葉は進んでいた。銀杏の実がたわわに実っている。今年も豊作のようだ。早速写真を撮ったりしていたらウェディングドレスとタキシードのカップルが目に入った。カメラマンやアシスタントと思しき人が周りを囲んでいる。銀杏の木々を通した木漏れ日が降り注いでいて素晴らしい仕上がりの写真を予感させる。お姫様抱っこは少しばかり大変そうだったが、それも幸せのワンシーンだろう。

 目が不自由な様子の方の散歩に付き添っている方々も見受けられた。障害物も少なく広い通りなのでちょうど良いかもしれない。美しく色づいた銀杏並木を思い浮かべているだろうか。考えようによってはくさいだけの銀杏の実の匂いであっても記憶や空想の一助になるだろうか。

 公園の樹々は秋に染まり始めていた。穏やかな日和なので平日にしては人出が多い方だろう。こんな日和なら思索を巡らせるのにうってつけかも知れない。途中で購入したパンとコーヒーで昼食を済ませ軽く自転車を走らせて公園を出た。

 今日は、自転車の他に歩くことも目標にしていたのでショッピングモールへ向かう。よく考えたらそのまま公園を歩けば良かったわけだ。習慣になっているのでうっかりしていた。
 ショッピングモールの食品コーナーを歩いていると立派な人参が比較的安くなっていた。産地を確認したらオーストラリア産だということ。見た感じは立派で綺麗なので試しに購入してみることにした。それから歩いているとメガネの落とし物を見つけた。踏みつけられては困るだろうとインフォメーションへ届ける。靴屋に立ち寄って情報を聞いたりして外へ出ると夕暮れだった。



 繰り返す日々には喜怒哀楽がある。同じように陽が昇り陽は沈んでいても毎日表情が違うのだ。その大きな繰り返しの中で生命は何を見るのだろう。何を感じるのだろう。何を意味するのだろう。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:109回
備考:腰痛やや改善

2016年10月18日火曜日

健康

 曇り一時小雨。

 昨夜は眠れなかったので久しぶりに深夜モードを発動。机に向かって作画をしていた。朝になって描いた絵を見てみると大した絵が描けていない。夜中のラブレターみたいなもので気持ちが空回りした感じだ。夏は暑くて深夜制作を決め込んでいたもののやはり可能な限り日中に制作した方がいいのだろう。

 昨日からの腰痛が治っていない。毎日の運動はこなせるので大したことではないのかもしれないが、前にかがんだ状態から身体を起こすのが辛い。
 子供の頃にトランポリンで腰を痛めてから写真の仕事での機材運び、農作業や工場勤務での腰への負担など、原因となる理由だったらいくらでも思いつく。何年か前に色んなことが重なって朝起き上がれないかと思うほど大変だった。それから散歩や自転車で徐々に改善してきていた。
 季節の変化点ということで体調も変わりやすいのかもしれない。


撮影:2011/10/19


 昼過ぎに小雨の予報が出ていた。
 支払いもあったので運動を兼ねて自転車を出すとブレーキ音がやけに気になる。気温や湿度の関係かもしれない。そんなところにも季節の変化を感じる。間もなくして予報通り雨が降り始めた。小雨と言うには少し強いものの通り雨のレベルだったので間もなく上がった。
 自転車を走らせながら一般的なぎっくり腰だとこんな風には動けなくなるだろうからちょっと違うのかなと考えてみる。ここ何年も不自然な姿勢でMacに向かっているせいもあるだろう。生活が軌道に乗れば制作環境を整えたいと考えていたのに軌道に乗るなどいつのことやら墜落せずに飛んでいるかどうかさえ怪しいものだ。

 書店に寄ってからリユースショップに立ち寄った。中古でいいから手頃な座椅子はないかと思うのになかなか良い出会いがない。その後、産直の店に立ち寄ってゴーヤを一つ購入。今年のゴーヤ食べ納めになるだろうか。そしてホームセンターで座椅子チェック。新しい商品はなかなか入荷しない。どちらかというと部屋でくつろぐための目的だったりするから制作環境に取り入れようとすると選択肢が少なくなる。スーパーに立ち寄ってショッピングモールを歩こうかと思ったが、詰め込みすぎないほうがいいかもしれないと思い、もう一軒スーパーに立ち寄って帰宅。

 一通り自転車で走ってくるとすぐに制作できる状態にはならない。時間的に毎日の定例業務の時間になったので結局机に向かわないまま夜になってしまった。
 運動しないわけにもいかないので意外と通勤のための移動というのは健康に貢献しているのだろう。程よい通勤距離で適度なストレスなら在宅勤務より健康なのかも知れない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:113回
2回目:118回
備考:腰痛あり

2016年10月17日月曜日

交流

 曇り時々晴れ。
 毎朝の腕立て伏せの調子がその日の傾向を象徴しているような気がする。回数ではなく手応え…力が入る時と入らない時。調子が良くなくても何とかノルマはこなすものの机に向かうと基本的には頭と手しか動かさないので体内循環が良くない状態では長続きしないようだ。

 今日も午前の日程をこなし机に向かったのは昼過ぎ。
  腕立て伏せの感覚を掴まえきれなかった今日は作画のイメージも捉えにくい。昨日満月だった月が今日は楕円軌道の最接近の位置にあるらしい。古来より人と月との関係性を唱える説は数多あり、あながち迷信でもないだろうと思っている。潮の干満に影響するくらいなのだから、人体に影響がない方がむしろ不思議かもしれない。


撮影:2009/10/18


 もっともボクの体調が芳しくないのは月の影響ばかりではないだろう。

 体調が芳しくないせいか思考がネガティブになりがち。
 そういえば、人の輪に入るのがあまり得意でないのは、子供の頃に引越しを経験したせいだろうかと考えていた。いや、経験を友達作りに活かす人もいるだろう。つまり子供の頃の経験を活かせていないことになる。もっとも表面上はあまり人見知りしないタイプのようなので処世術的な活用はしているのかもしれない。ただ、深みに入るのが苦手なのだ。それは地方に移住してからも近所付き合いが上手くできないことにも通じている気がする。ある程度の都市となれば、近所付き合いが希薄でも問題ないのかもしれないが、UターンなりIターンなりして地方に移住する際は、恐らく地域に溶け込む努力が大前提だろう。ボクなりには努力したつもりであっても消防団に入ったり地域の活動に参加したりということはしていない。せめて職場で知り合った人と交流する程度だ。人と繋がる場を避けていると思われても仕方がない。

 そんなことを考えていたら知人から外出の誘いがあった。しかし夕方には予定があったし今日はカレーを作る日と考えていたので気持ちが乗らなかった。
  こういう時も臨機応変に対応できるのが望ましいのだろう。
 
 何れにしてもせっかく新しい扉の前に立っているのならノック一つくらいはしておきたいもの。鉛筆とペンを握って作画を試みる。
 作画もまた自転車の運転のようなもので一度体得すればある程度の技量は維持できるのかもしれない。続けることで様々な局面に対応できるようになり自分らしい走り方を見出せるようになるはずだ。
 描いては休み、休んでは描く。
 感覚を掴めないながら、ほんの少しだけでも確かめたい。

 夕方になって久しぶりの腰痛。
 こういう時は、自転車の走行距離が少なくなっていたり精神的な負担が強まっていることが考えられる。わかっていながらも今日は買い物にも出かけずに一日中在宅。

 雪が積もる前までには腰痛を改善する必要がある。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:117回

2016年10月16日日曜日

朧気

 晴れ。出かけたい気分を抑えていたもののすぐに机に向かうことができずダラダラしていた。

 重い腰を上げて机に向かう。いやいややっているわけではないはずなのに毎日の繰り返しのためか正直なところ億劫になることもしばしばなのだ。
 ここ数日の掴みかけた感覚を確実なものにしたいと思いつつ鉛筆とペンを握る。闇霜に足掻いていた時期と少し違うのは、自分がどんな絵を描くだろうと少し楽しみにしている自分がいるということだ。傍観とは少し違うかもしれない。客観でもない。寄り添うように伴走しているような視点である。
 繰り返し描くことでイメージが累積され描く前に浮かぶようになるはず。今はまだ捉えきれていない朧気なイメージを形にしなくてはならない。


撮影:2009/10/17


 大きくて重い扉の前に立ち尽くしているような心境。
 それでもここまでやって来た。
 この扉を開いたところでこれまでと同じように細く頼りない道が延々と続いているだけかもしれない。それでも進むためにはこの扉を開かなくてはならないのだ。

 あまり考えずに鉛筆を走らせているとどこか懐かしい感覚を思い出せる気がした。それはもう随分前に忘れてしまったような気がしていた感覚。無心で鉛筆を走らせる感覚だ。その感覚が思いがけない線と絵につながる。その結果に小さな自己満足。それから感覚を維持したまま描いている作品のキャラクターを描こうとすると途端にイメージが霧散する。目指す感覚と定型になっているキャラクターにズレがあって整合性が取れていないのだ。

 これはもしかするとキャラに魂を吹き込む大切な作業かもしれない。

 理想とするイメージには表情や存在感や雰囲気といった繊細で曖昧な要素が含まれているためだ。キャラクターとイメージをオーバーラップさせる。偶然上手く行ったような気のすることもあるが、まだまだ扉をノックしている程度ではないだろうか。

 夕方になって買い物に出た。日没が早いので一日が終わるのが早い気がする。辺りはすっかり夕闇に包まれようとしている。公園の樹々の紅葉が進んでいるようだ。

 なんだかんだで今日もやっぱり机に向かってしまった。明日もまた扉を開くために机に向かうことになるだろう。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:115回

2016年10月15日土曜日

勘所

 晴れ。気温はいくらか高いようで過ごしやすい日になった。

 なかなかエンジンがかからないのは毎日のことだ。何とか机にたどり着いて作画の練習にかかる。昨日、目指す絵柄が見えたような手応えを少し感じていたのて意識に的を絞って着地点を探る。

 風邪薬を飲んでいるせいか少し胃の辺りに痛みを感じた。これだから薬は嫌いなのだ。

撮影:2005/10/16


 誰も見たことがないような新しい世界観…それでいて誰もが昔から知っているような懐かしい世界観。芯があっても柔らかい雰囲気。シャープで高いコントラストでありながら優しい雰囲気。ややもすれば相反して矛盾するかもしれない。そういう雰囲気が渾然一体となった絵柄でありたい。
 生半可な気持ちで漫画は描けないということは日を追うごとに痛感させられる。
 理想とする絵柄は、ごくたまにまぐれのように描ける気がすることがある。それは針に糸を通すような感覚なのだ。

  勘所…とでも言うのだろうか。

 掴まえたと思っては逃げられ、また追いかける。雲をつかむような話だが、筋斗雲を乗りこなすように自分のものにしなくてはならない。

 しばらく描いていたらまた感覚を取り逃がしてしまった。
 今日は無理に買い物に出かける必要もないのだから外出はやめようとも考えていた。しかし、買い物がなければ外出してはいけないというルールがあるわけではない。漫画を優先するために外出しないようにした方がいいだろうと考えていたものをいつの間にかルール化してしまっていた。言うなれば買い物を外出の大義名分にしていたわけだ。何かと言うと自分の中でルール化してしまって、とどのつまり自分が苦しむのだ。ルールだらけのつまらない人間なのかもしれないと思ったりする。そこで敢えて自転車を出してみた。せっかくだから買い物もするわけだが、結局走るのはいつものコース。大きな変化があるわけでもない。そういうことの積み重ねで日々は出来上がっていく。

「自分らしさ」は一朝一夕で出来上がるものでもないはずだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:104回
2回目:105回

2016年10月14日金曜日

油断

晴れ。

 毎日このブログにアップしている写真は、過去の写真の中から翌日の日付のものの中からピックアップしている。何年分もの中からピックフップするので毎日のように何かしらの写真があるわけだが、明日の10/15の日付のものからピックアップできる写真がなかった。この日は毎年あまり活動していないらしい。寒くなれば出かけない日も多くなり写真の数は少なくなるわけだが、この時期は紅葉前の時期ということで少し活性が下がるのかもしれない。



 風邪が抜けないせいか今日も体調はイマイチ。まるで惰性で描くような感じでひたすら描いたり休んだり。目標も定まらないままなのでまずは調子を上げるためにアイドリングしているようなものだ。
 慣れは油断を生む。
 マンガの作品を描くには無意識のうちに強い衝動や高い集中力を必要としているようだ。惰性のままでは到底描けるものではない。しかもアイドリング状態ともなれば緊張感の欠片もないわけだ。
 それでもエンジンを錆びつかせるわけにはいかない。ネガティブな思考を躱したり打ちのめされたりしつつ描いていた。するとラクガキしていたカットが急に輝いて見え始めた。そこから一気に集中力が高まるのを感じた。

 足りないのは感動だ。

 ただ惰性で描いているだけになってしまっているのは、自分の絵に対する感動が足りないのだ。感動は関心へとつながり強い衝動を呼び覚ます。
 感動さえあれば、スケジュールも体調管理も後回しにできる。

 考えてみれば、写真を撮るのも感動に出会うためかもしれない。描くことも同じように感動に出会いながら描き進めるのかもしれない。
 自画自賛は原動力。それがなければ失敗の意味すら見失う。小さな感動と自画自賛を積み重ねて一歩ずつ前に進もう。

 夕方になって買い物のため外出。既に日没となっていた。いよいよ日が短くなってきた。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:105回

2016年10月13日木曜日

優先

 薄曇りのち晴れ。今日も気温が低い。
 用があったので外出。ついでに電器店とショッピングモールを回った。朝、入れている紅茶はティーバッグを使用しているのだが、茶葉で買った方が安くて美味しいのではないだけうかと考えて軽くリサーチ。それからいつものコースを歩いた。風邪薬を飲んでいるためか身体が重い気がする。大した時間ではないのにひどく疲れた気がしたので早めに帰宅することにした。軽い頭痛がまだ残っているようでもある。薬が効いているのか症状が明確ではないので動けるだけ動いてしまう。

 問題なのは疲れより気力かもしれない。昼食を作る気になれないのでスーパーの弁当で済ませることにした。安くて美味しいので助かる。

 少し休んだのでいくらか復活したということで机に向かう。目的が定まらずラクガキに終始。これは外出して体力を使ったことの副作用ということになるだろうか。やはり先に作画して夕方に外出するパターンの方が集中力を確保できるのかもしれない。


撮影:2012/10/14

 以前にりんご酒に使用した残りのリンゴを砂糖で煮詰めてコンポート風にすることにした。紅茶の砂糖の代わりにしようと考えたのだが、アルコールは抜けてくれるだろうか。
 生のリンゴではないせいか砂糖を加えてしばらくしてもあまり水分が出ないので少し水を加えて煮詰めることにした。リンゴ酒に使ったということでリンゴの香りよりアルコール臭の方が強い気がする。生のリンゴを一緒に煮て香りづけをすれば良かっただろうか。途中、レモン果汁を少し追加。いつもより長い時間煮詰めたような気がするが、頃合いを見計らって完成。

 今夜はまた餃子にしようと思っていた。いろんな組み合わせを試してみようということで今回は鶏のミンチと玉ねぎとピーマンにしてみた。まだ量の加減がよくわからない。前回、餃子の皮を残してしまったのだが、後で使おうと思って冷蔵庫に入れて取っておいたら見事にカビていた。使う分だけ小麦粉から作った方がいいのだろう。それはまた次の段階だ。
 少なめに作ったつもりなのにちゃっかり2人前ほどになった。
…気力がなかったはずなのにいつもより手のかかることをやっていたりする。

 生活を優先すれば制作が疎かになり制作を優先すれば生活が疎かになる。本気で取り組むとはどういうことだろう。これから寒くなって夜間の制作ばかりか昼間の制作に集中することも大変になるだろう。仮に全てのことが問題ないとしても制作に集中できるとは限らない。むしろある程度の制約がある方が、集中力を高められるものかもしれない。
 何を優先すればより効果的により良い成果へとつながるのだろう。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:115回

2016年10月12日水曜日

呼応

 晴れのち雨のち曇り。気温は上がらない。

 時に何か大きなものの働きかけによって運命や人生が左右されているように感じることがある。急流に呑まれる落ち葉のように抗う術もなく時流に流されるしかない。
 日々の体調もまた何かの働きかけに呼応しているように感じることがある。それは季節の移ろいかも知れず太陽や月の運動かも知れず大気圧の変動や気温や湿度かも知れない。ただ捉えがたいものであるからこそ気のせいとして片付ける方が楽である。
 もしもこの大きな働きかけのリズムをつかむことができれば、闇雲にもがいたりせずにより大きな成果を得ることができるだろうか。

 大きな要因として気温の低下が影響しているのか腕立て伏せに力が入らなくなっている。夏場の暑い時期も同様だったが、リミッターのようなものがあるのだろうか。他に原因がある可能性もある。


撮影:2008/10/13

 作画の方も一進一退。遅々として成果にたどり着けない。
 今日も以前に描いてあった下絵を取り出して加筆修正。まるで出来の悪い弟子の作品を添削するような気分になる。

「全然なってなってじゃないか。」

 デッサンが狂っているばかりか気合も抜けている。こんなことで成果につながるわけもない。もちろん自分のことでありそういう時期を過ごしたからこそ今があるということになる。過去の自分にアドバイスするならどんな言葉をかけられるだろう。細かいことを言っても耳に入らないだろう。

「その調子で頑張りなさい。」

 好調であっても不調であっても続けることにしか答えは見いだせないかもしれない。要は自分の努力を超えた力をどのように活かすかということだ。

 物理的で触ることができなければ存在を確認することは難しい。しかし、見に見えないものや触れることのできないことが如何に多いことか。その見えないもののリズムを見極めることで「一進一退」を「一歩前進」へと変えられたら大きな成果へと繋がるのではないだろうか。
 そのヒントはどこにあるのだろう。微かな変化に気づくためには時に息を潜め機を窺うことが必要かもしれない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:110回

2016年10月11日火曜日

根拠

 雲は多いものの晴れていた。
 そもそも忘れっぽい性格ではある。刺激的だと思うものや珍しいものはその正体を確認したくなる。次々に新しいものに手を出すからそれまでに積み上げていたものを忘れてしまいがち。部屋が散らかったてるのもそのせいかもしれない。もっとも新しいものを買い集めたわけではない。必要なものや足りないと思うものが手元にないと不安になるのだ。それでペットボトルだの必要ないであろう書類などが雑然と散らばるようになり捨てられずに置いておく古着などが拍車をかけるのだ。


撮影:2008/10/12


 今日も気温が下がっているので暖房を入れたくなる。時期的にはまだ少し我慢が必要だろう。重ね着してひざ掛けして机に向かった。
 いつものようにラクガキ程度からスタート。いつもならそのまま練習を続けるところを今日は忘れかけてしまいがちな下絵の山から何点かピックアップして加筆することにした。もうかれこれ2年くらいかかって描いたり消したりいる。紙面は荒れてしまっていて鉛筆も必要以上に滑る感じがする。
  何度も繰り返し描いている絵はこの2年で上達しているのだろうか。ふとそんなことを思う。上達していないのなら保留するだの熟成するだのと御託を並べずに可能な限り仕上げていった方が良いことになる。
 後悔しないためには今やるべきか先延ばしにするのかという選択だ。

 考えてみると気持ちが緩みがちになっている。
 以前は自分のためだけに描いていた。だから気ままに描けばよかったし描かない自由もあった。それはある種のゆとりになっていたのかもしれない。そしてそれは同時に踏み込みを甘くしている原因ではなかったか。
 自分のためにではなく誰かのために作品と向き合う必要が厳しさへ通じることもあるのではないだろうか。

 人は根拠のない自信が必要になることがある。根拠はなくとも経験に裏打ちされていれば申し分ないのだが、経験が役に立たないことも珍しいことではない。それでも前に進まなくてはならない時がある。無謀とも言える賭けに出なくてはならない。根拠はないのだし経験も役に立たないとなれば賭けに負けても何ら不思議はない。ただ自分を信じて行動するしかないのだ。

 昼過ぎに空腹感を覚えたので軽く食事しようとして茶碗を見失った。なくなるはずはない。手品でもない。どうしただろうと思っていたら電子レンジが「チン!」と鳴った。あろうことかご飯を茶碗に盛ってレンジアップしていたことを忘れていたのだ。忘れっぽいにも程がある。

 夕方になって買い物に出たが、帰宅してから軽い頭痛のため少し仮眠。風邪のせいかもしれない。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:102回
2回目:104回

2016年10月10日月曜日

加筆

 曇天。雲が多いので日中も薄暗い印象だった。
 今日もエンジンのかかりが良くないもののなんとか机に向かった。ラクガキからスタートして描きかけて保留にしてあったカットに加筆しているうちにいい感じになってきた。ここでペン入れに移るのか、さらに加筆して鉛筆で仕上げるのかは賭けのようなもの。しかし、ペン入れを怖がってばかりはいられないのでペン入れすることにした。ここでスキャニングすれば良かったのに手間を惜しんで写真を撮ってペン入れに移った。


撮影:2010/10/11

 ペン入れした後の消しゴムでガッカリするのは毎度のことだ。今回もそのパターンに陥ってしまったようだ。
 シンプルな線と髪をボリュームとして捉えることが最近のテーマである。さらにペン入れで加筆するか彩色によって救える可能性もあるものの余白に描いたカットだったこともありそれ以上は限界を感じる。
 ここで達成感や充実感があると次の作業へのつなぎが良くなるのかもしれない。




 買い物があったので外出すると少し風があって寒かった。
 買い物だけして帰ろうかと思ったが、書店を回ることにする。こういうことは意外と思わぬ出会いにつながったりする。書店は暖房が入っているのか暖かかった。特に目的があるわけではないのでいつものコースを辿って近くにある産直の店へ立ち寄る。祝日だからか客が多く生鮮野菜や果物の商品は品薄になっている様子。昼食がまだだったのでスーパーに立ち寄って休憩コーナーでおにぎりを頬張った。
 それから冷たい風に吹かれながら靴屋とスーパーを回って帰宅。いつものコース、見慣れた光景…特に思いがけない出会いもなかったものの自転車で走っているうちにいろいろと想いを巡らすことが出来たかも知れない。これから寒くなるとこういう時間も貴重になる。

 栄養管理は塩分コントロールに苦慮している。
 毎日の定番になっている食パンとカレーと味噌汁だけでもういっぱいな感じ。調べてみると味噌汁の塩分は悪くないらしいのだが、一律で塩分としてカウントされてしまうので実際のところいいのか良くないのわからない。しかも副腎疲労の人は塩分が必要らしい。塩分濃度が高いと腎臓に負担がかかるので減らした方がいいのだろうかと思ったのだが、そうとも言い切れない事態ではないか。こんなことを病院に行って事細かく相談することもできないだろう。結局、概ね良好なら気にしない方がいいということになってしまう。
 副腎を気にしているのはアトピーがあるからだ。寒くなってきたので汗によるアトピーは収まりつつあるが、副腎の状態を改善するためにはこれからが大切かもしれない。もっとも副腎疲労の場合はやたらに塩分が欲しくなるらしいのでボクの場合は該当しないかもしれない。やはり減塩の方向だろうか。堂々巡りだ。  他には意外と炭水化物が少ないということだろうか。朝のパンをご飯に戻せば塩分も減らせて一石二鳥かと思ったが、考えてみたら納豆などを食べて醤油を使えば元の木阿弥かもしれない。

 年齢とともに色々不具合は出てきて当然なので細く長く生きるなら少しずつでも工夫が必要だろう。考え方によっては栄養管理もデザインなのだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:102回
2回目:106回

2016年10月9日日曜日

梯子

 夜間に降った雨が朝には上がっていた。それでも空はまだどんよりと曇っていた。昨日ほどではないが気温が低い印象。
 以前だったら天候を気にしつつもどこかに出かけていたはず。それを行動力と見る人もあるようだが、どちらかというと衝動力だろう。好奇心や興味が先に立ってしまうので気になるところにはやらなくてはならないことを後回しにしても出かけていた。それも車があったお陰だろうと思う。地方は車なしで生活することは難しいと言われつつ自転車でもう何年過ごしたろう。電車やバスを使えばもう少し行動範囲が広がるだろうと思いつつも電車で片道250円くらいの場所であれば自転車で行けなくはない。もちろん時間はかかるが、目的地での自由を考えれば自転車の機動力は捨てがたい。それ以上遠い所となると今度は目的がないということになる。半径25kmくらいのところでほとんどの好奇心は満たされる環境なのだ。


撮影:2010/10/10

 今日も机に向かう。
 机に向かうことを自分に義務付けても結果が伴わなけれはせ意味がないことは言うまでもない。
 朝、浮かんだイメージを描きたいと思っていたのだが、いつの間にかかき消えてしまっていてとりつくしまもない。仕方なくいつものようにラクガキから開始。ここのところラクガキに終始しがちなので描きためた下絵の中から新しいものをピックアップして加筆。昨日少し調子が出ていたせいか今日はノリがイマイチだった。キャラが安定しないので再度キャラ設定からやり直す必要がある気がする。

 わずかながらも作画における3年目の手応えを感じ始めている。ストーリーや構成がまだまだという感じもあって面白いと思ったアイディアが時とともに色褪せて見える。潜在的な感覚を埋没せないようにキャラクターや構成が重要な意味を持っているはずだ。

 今日はうまく軌道に乗せられないまま夕方になってしまった。

 昨日外出しなかったので今日は軽い運動と買い物を兼ねて外出。外は早くも晩秋を思わせるほど寒かったので一旦戻って一枚上着を着て再度外出。見渡すとまだ稲刈り前の田んぼもあるようだった。天候の様子を見ているのだろうか。西の空には雲の切れ間から光が射している。「天使のはしご」とか「天使の階段」とも呼ばれる光の現象だ。
 天使ではないが、そろそろ次のステージへ上がる梯子を見つけたいものだ。

 いつものように近所のスーパーを二軒はしご。
 途中で渡った川には大きな鯉が悠々と泳いでいて岸には何羽かカモが休んでいた。街中を流れてくる川なのでゴミも散見されるものの比較的綺麗なのかもしれないと思う。そういえば、夏の終わりだったか泳いでいる子供たちを見かけた。

 時は静かにそして確実に流れてゆく。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:108回

2016年10月8日土曜日

単純

 朝は曇り空だったが、雨音がし始めた。肌寒く暖房が欲しいとすら思うほど。外出しなかったので外の様子はわからない。少し前から風邪っぽいと思っていたら今日は一段と悪化してしまった様子。

 食事の塩分コントロールが難しい。たぶん意識しているだけ少しずつ改善されると思いつつメニュー次第でどんどん増える。そもそも塩そのものは料理の際にほんの少し使うだけなので味噌汁とかラーメンのスープなどが積み重なってしまうのだ。今日は一食分の生ラーメンのスープをラーメン用とオニオンスープ用に分けて使ってみた。しかし、朝の味噌汁を2杯飲んでしまっていたのであっさりオーバー。味噌汁なしでは物足りないので量を減らすとか味噌を薄くするとかの工夫が必要なのかもしれない。


撮影:2011/10/09

 せっかくの雨なので机に向かって作画に取り組む。スタートは出遅れたものの調子は悪くないどころかどんどん描きたい心境だった。天候不順だと意欲が高まるのだろうか。
 昨夜寝る前にシンプルな線を心掛けてみようと考えていた。シンプルな線をテーマにすることももう何度目か分からない。それくらい繰り返し取り組んでいるテーマであり長続きするのが難しいテーマでもある。
 シンプルな線で構成するにしても描き込んだ上で必要な線を抽出することになる。何度も描いているうちに描き込む必要なく最初からシンプルな線を描けるようなるのではないだろうか。今日はどんどん描ける感じだったのでとにかく数を描くことにした。描いているうちに制作過程を残しておきたい気持ちになった。現代は様々なサービスがあって後悔することで多くの人が見られるように進化している。しかし、下絵やラクガキ程度の絵を次々に多くの方に見ていただくのは申し訳ないような気もする。制作に時間がかかっても見るのは一瞬ということもあるからある程度溜めてから見られるようにした方がいいのだろう。それにしても未完成の段階をそんなに勿体つける必要があるだろうか…とも思う。
 鶴の恩返しのように制作過程は一目に触れない方がいいのかもしれないとも思う。
 また、出来るなら気ままに公開した作品であっても後でグループ化したりタグをつけたりと分類が楽に出来る方がいい。写真共有サービスの中にはそうした作業が便利になっているものもあるが、イラストや漫画の場合はどうだろう。使い方次第ではあると思うが、それぞれのサービスのカラーがあったり著作権の問題があったりと選ぶのはなかなか難しい。

 調子そのものが悪くないのだからあまり余計なことは考えない方がいいのかもしれない。

 夜になって餃子を作った。餃子の皮は買ってあったのに先延ばしにしているうちにし冷蔵庫の中で賞味期限切れになっていた。大したことはないだろう。中身にするミンチは買ってあったので残りはあるもので適当に。今回は玉ねぎとピーマンを刻んでみた。驚いたのは餃子を包む時だ。父が好きだったので子供の頃に餃子包みを手伝っていたことを身体が覚えているようで抵抗なく包むことができる。それにしてもずいぶん久しぶりなのでいくらか手間取ったものの何度かやっているうちに慣れるだろう。何れにしても市販の焼くだけ餃子の食感とは違って美味しも格別だった。

 分量も考えずに作ってしまったので塩分ばかりでなく全体的に食べすぎになってしまった。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:100回

2016年10月7日金曜日

風情

 晴れ。気温が低い。
 よく考えてみたらもう10月だ。時折暑い日があるのでうっかり忘れがちだった。そろそろ衣更の季節である。そこで半袖Tシャツを長袖にして腹巻きを装着してみると早速汗ばんでしまった。
 腹巻きには別の意図もある。それは腎臓や肝臓の保護。特に腎臓の機能が低下するとアトピーにも影響するのではないかと考え始めているのでどうすればケアできるのかを考えているのだ。

 ビタミンBの補給を視野に入れて紅茶習慣にしてみたが、調べているうちに毎朝のカレーの中に入っているらしいということがわかった。そうするとここ数日、起床が少し楽になるような気がしていたのは何故だろう。単純に気持ちの問題だろうか。それともカフェイン?
 試用している栄養管理アプリはなかなかしっかりしているようだ。使い勝手も悪くない。ただしビタミンやミネラルなどの成分分析までは対応していない。ところが成分分析以前の問題として塩分の取り過ぎだったり脂質が多すぎたりと問題点が出てくる。まずは栄養バランスを先にコントロールできるようになる必要があるかもしれない。何しろ控えめにしたつもりのスーパーのパック焼きそばでいきなり警告が出てしまったのだ。一食ずつで厳守するのは難しいかもしれないのでとりあえずは一日単位で考えた方がいいだろう。

 健康で長生きすることは作家の使命である…たぶん。


撮影:2010/10/08

 銀杏の紅葉の様子が気になったので所用を済ますついでに運動公園へ向かった。気がつくと銀杏の紅葉を見に行くのも毎年恒例になっている。
 着いてみると微かに黄色くなっているものの紅葉にはまだ早いようでどちらかというと青々としていた。道にはおびただしい数の実が散らばっていたが、誰も拾っている様子はない。踏みつければ臭うだけなので好きな人は持ち帰ればいいのだと思う。
 公園には散歩の人やジョギングの人がいた。バスで着いたばかりのご高齢の方々がベンチに腰掛けて談笑している。木漏れ日の中、平和でほのぼのした光景が展開していた。池の噴水が勢い良く青空に向かって噴き上げている。角度によっては午後の陽射しを受けた噴水に虹がかかる。赤とんぼが飛び交い池の手すりにずらり並んでいた。

 ふと見るとわらび餅やおまんじゅうで知られている近所のお菓子処のロゴが目に入った。お店の出張所のようにして販売と休憩が出来るようになっていた。地元では結構有名なお店ではあるが、通りかかるのは散歩の人とかジョギングの人だから実験的な試みだろうか。立ち寄って写真を撮らせてもらった。

 少し行くとたわわに実をつけた柿の木があった。芝地の中なので少しばかり見慣れない光景になっている。その周りにも休憩できるようなベンチと椅子が並べてあった。便利ではあるものの風情とかデザインとか…そういう感覚は考慮されているのかと少しばかり不思議な感覚になった。もっともそんな風に感じてしまうボクの感覚のほうがおかしいのかもしれない。現代は機能的で合理的であれば感覚的なことは後回しになっていることが少なくない。
 例えば、わらび餅で有名な先程の店などは古い土蔵を利用して喫茶コーナーにしていた。風情を大切にしているからこそ立ち寄る客も後を絶たないのではないかと思う。
 出かける途中で買っておいた菓子パンと野菜ジュースで休憩した。次回はわらび餅かなぁ。

 それから少し公園内を自転車で走ったが、まもなく寒くなって来たので帰宅することにした。秋は静かに深まっていく。銀杏の葉が色づく頃にはまた訪れることになるだろう。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:105回

2016年10月6日木曜日

失速

 驚くには値しない。昨日の調子が悪くなかったので翌日失速することくらい予想の範囲内だ。

 晴れ。台風は温帯低気圧になったようで衛星画像を見たら台風の影も形もわからなくなっていた。ただ、影響は残っているようで風が強い日だった。

 失速した原因の一つは生活パターンのシフトにもあるだろう。最近、夜型から昼型へ生活パターンをシフトする努力をしている。夏の間は暑くて日中自宅にいられなかったため夜の時間を制作に当てていた。今は日中の気温が快適なので制作時間を夜型から昼型にした方が調子が良いのではないかと考えた。その甲斐あってか今日は朝のゴミ出しもスムーズに完了した。そしていつもより起きるのが早くなったせいで眠気が残ってしまったのだ。それでも午前中は比較的描けたような気がする。描けたと言ってもラクガキのレベルなので公開する手間をかけるほどでもない。
 まもなく眠くなったので例によって描いたり寝たりの繰り返し。ただ、最近ラジオをかけてみているのが悪くないような気がする。自分が選曲してしまうとどうしてもリラックス系などの曲になってしまうので作画が捗らないことになってしまうからだ。ラジオの場合は自分の嗜好ではない曲もかかるし興味のない話題が展開することもある。それがむしろ良い方に働くような気がする。


撮影:2007/10/07


 生活パターンのシフトについては紅茶習慣再開が役に立っているような気がしている。朝早く目覚めるのが幾らかでも楽になれば一日のリズムが変化させられる。それにしても飲み物一つで生活に変化を持たせられるとすれば、食事は思っている以上に人生全体に関わっているのかもしれない。

 例えば、毎日の食事を記録することで不足している栄養素を推測することが可能ではないだろうか。そこで少し調べてみると栄養管理を目的としつつダイエットが目的のアプリが多いようだった。これまでも体重記録の程度はやっていたものの栄養成分分析まではやっていなかった。

 色々調べていたら人工知能を取り入れたアプリがあるようだ。興味深いと思って試用してみると…塩分摂取量が多いらしい。塩辛いものはあまり好きではないので塩分が多いとは思わなかった。体調不良の原因に高血圧の可能性も浮上する。面倒だと長続きしないのでしばらく使ってみようと思った。
  様々なアプリがあるから使い勝手等を考えるとちょうど良いものを見つけるのが大変かもしれない。

 いずれにせよ何を食べるかによって日々の健康のみならず思考にまで影響すると考えると軽んじるわけにはいかないだろう。

 現代は情報が氾濫していて何が本当に良いのかわからなくなる。しかも一つのことを続けるのは難しいものだ。気軽で始められて手軽に生活習慣に取り入れる方法を見つける必要があるのだろう。

 少しずつでも前に進むためには失速しないことが必要なのだ。



プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:112回

2016年10月5日水曜日

急行

 薄陽射す曇りがちの日。
 朝、顔を洗いながらかれこれ10日間ほどかけている作品を仕上げようかと考える。1カットの断片漫画なのだが、カットを追加して物語を膨らませた方が良いだろうかと考えを巡らせる。

 天候は下り坂のようなのでとりあえず洗濯。

 今日は外出せずに制作。まずは朝予定していたように作画してあったカットをスキャニング。デジタル彩色は下絵段階で少し進めてあったので手直ししてから公開した。筆描きの後のペン入れの手数が多すぎたかもしれない。描き込む部分と控える部分を意識できるようになる必要があるだろう。


 それから机に向かった。
 するとどうやら久しぶりにスイッチが入ったらしい。

 思い浮かんだアイディアと少し前に思いついていたアイディアを関連づけて作品にできると思いついた。所謂「点と点を結ぶこと」ができそうだったのだ。1ページでまとめることを考えたが、どうやら無理がありそうなので2ページ分のネームを制作。コマ割りの訓練をしていたせいか迷いが少ない気がする。ネームを描いてみてから流れの矛盾が気になったので推敲。推敲に関しては毎日書いているブログの組み立てが糧になっているかもしれない。そこから改めてキャラ練りに入る。舞台設定がまだできていないので背景は空っぽだが、背景次第でニュアンスが変わる可能性がある。どんな舞台設定が最も良いか検討する必要がある。こういう時、ディスカッションの過程があるとイメージを広げやすいのかもしれない。空想することは得意だったはずなのにいざ具体的なテーマやストーリーがあると自由さを奪われてしまうのだろうか。ないものねだりしても仕方ないのでしばらく時間をかけることにしよう。

撮影:2010/10/06


 午後になってコーヒーを入れた。

 何のタイミングでスイッチが入るのか自分でもわからない。
 数日続いた不調が嘘のようだった。もちろん急に風邪が治るわけもなく時折鼻をクズグズすすりながらの制作である。バイオリズムを参考にしているものの確信があるわけでもない。にも関わらず作画が追いつかないほど衝動が先行する。いつもこんな風に理想的な状態だと制作も捗るはずなのだが、現実はそんなに甘くない。珍しく急行列車のような日があっても翌日はまた各駅停車の鈍行に戻ってしまいかねないのだ。急行列車に乗れた日は行ける所まで行って鈍行の日はじっくりゆっくり進む他ないのだろう。

 明日は雨の予報。
 急行列車に乗れるだろうか。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:120回

2016年10月4日火曜日

計画

 よく晴れたものの風の強い日。台風18号の影響だろうか。いつになっても強い風の音に慣れることができない。子供の頃に聞いた空が唸るような音を思い出す。

 朝から軽い頭痛が続いているのは風邪が治っていないせいだろうか。コーヒーをやめて紅茶に変えたせいか起床時の不快感は軽減されている気がする。コーヒーがダメということではなくビタミン摂取のために紅茶を試しているだけることで可能なら日本茶も取り入れたいところ。問題はそこまでマメになれないというだけのことなのだ。

 しかし、机に向かって作画に勤しんだものの体調が芳しくない。
…何が正解かわからない。

 夏は暑くて機能停止。冬は寒くて活動停止。春と秋くらい動けないようでは年中動けないことになってしまう。この時期は風邪をひいたりして体調を崩しがちであることは否めない。頭痛のせいもあってやる気は空回り。例によって夕方近くまで寝たり書いたりしていたが、買い物ついでに外出した。こうしてみると動けることは動けるのだ。むしろ活動を制限しているから不調になるのかもしれない。


撮影:2007/10/05

 いつもより少し早めに外出したものの、いつものように思うのは午前中に出ていれば少しは体内循環が良くなるのだろうかと思う。問題は時間が早いとうっかり遠出してしまいがちだということだ。
 書店を回って産直の店に寄ると紅玉が出ていた。まだ時期が早いせいか真っ赤になりきっていないものもある。しかし、小さめのものから大きいものまで様々なサイズが揃えられていた。紅玉はその酸味の強さから加工用のリンゴとして重宝する。小さいものならリンゴ酒、中くらいならジャムにして、大きいものはコンポートにしたらどうだろう。ケーキやパイなどをに使う人ならどのサイズがいいのだろう。そんなことを考えながら中くらいのサイズを購入することにした。
 季節的には日が短くなっている。蝉が声が響き渡っていた神社の森も静かに秋を迎えていた。小腹が空いたので途中で買ったパンと飲み物をパクつていてたら目の前の樹に緑色の何かがついているのが見えた。もしやと思ってコンデジの望遠で確認すると結構大きい緑色のカメムシだった。カメムシは冬を迎える前の風物のような存在なのだ。冬になる前に温かい屋内に潜り込んで騒動の種になったりする。

 帰宅して風邪対策に薬よりはカリン酒をと思ったが、丁度空っぽになっていたことを思い出した。確認すると一昨年に漬け込んだものだった。仕方なく昨年11月に漬け込んだものを開封。もう少しすれば産直の店にカリンも並び始めるだろう。リンゴ酒も香りが良いのでリンゴを漬けるなら今なのだが、大して飲まないのにカリン酒と重なってしまうのもどうだろうと思う。フルーツが多い地域なのでその気になれば様々な果実酒が楽しめるはずだと思いつつ、果実酒は焼酎や氷砂糖などそれなりに出費が必要になってしまうので計画的に漬ける必要がある。

 何事も計画的に進めることが大切ということだろうか。
 制作もそうしたいところだが、体調や衝動…そして技術。リズムをシンクロさせることが容易ではないのだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:108回
2回目:121回

2016年10月3日月曜日

手順

 曇り。
 毎朝のコーヒーを紅茶にしようと思い立ち、キッチンに立つといつもと手順が違う。いつも臨機応変にしていれば戸惑うことなどないはずだから生活はパターン化することで成り立っているのかもしれない。

 苦手なことも繰り返しているうちに「楽しいかもしれない」と思えることがある。仕事でも同様で苦手なりにもこの感覚を覚えると強みになるかもしれない。苦手だって楽しいんだからいいじゃないか。考えてみると終わりの見えないゲームに没頭してしまうのも同様なのだろうか。


撮影:2011/10/04

 苦手意識を感じていたネームに改めて向き合うようになって数日経ったろうか。
 ほんの少しだけ「楽しさ」が見えたような気のすることがある。
 今はまだ前日に描いたネームのデッサンのようなものを眺めてリズムや流れを楽しんでいる程度。徐々にストーリーや設定をネームに落とし込めるようになる必要がある。
 大胆と大雑把は似ているようで違う。
 これまで慎重に描き進めてきたせいで大胆さを見失っていたような気がする。ザクザクと大胆に「荒描き」することは油彩の下絵段階でも大切な意味がある。最初から慎重に描いてしまっては全体の構成やバランスを見失いかねない。大胆でありながら的確に対象を把握することが重要であろう。

 DTPに関わって以来、アナログよりデジタルの習得を優先してきた。将来的には紙が不要な時代が来るかもしれないさえ漠然と感じていたような気さえする。それがブランクを助長することにもなっていたわけだ。ホンの数年前のデザタル作品を見てゾッとするのは、ここ最近アナログで描き込んでいるせいではないだろうか。当時の技術では精一杯だった絵の緩さが気になる。もちろん今描いているアナログですら数年先にはゾッとする代物になっているのだろう。考えすぎると描けなくなる。
 問題は、パソコンが使えれば漫画の制作で苦手意識のある部分がカバーされると思ってしまっていたことだ。コマ割りの直線や吹き出しの曲線、背景の作画は3Dソフトの利用が可能だから。それらはこれからも適宜利用していくことになるとは思うが、それだけで漫画が作品として成立するものではないということにやっと気がつきつつある。

 デジタルは上手に利用すべきもの。踊らされては意味がない。

 夜になって雨。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:120回

2016年10月2日日曜日

遭遇

 晴れ。昨夜風邪薬を飲んだせいか珍しく早くが覚めた。普段より2時間以上早い。
 ファンヒーターが必要かと思うほど冷んやりしていて毎朝恒例のくしゃみを二つ三つ。何となくラジオのスイッチを入れてみたらちゃんと音が出た。しばらく使っていなくて埃をかぶっていたが作業用BGMとしてまた活用してみようかと思う。

 それにしても風邪薬のせいですっきり目が覚めたとすると普段の食生活に足りない栄養素があるということではないだろうか。逆に言えば、その栄養素を補完することで気持ちの良い朝がスタートできるかもしれない。朝が弱いのは子供の頃からなので普段あまり食べないものの中にヒントがあるのだろうか。
 やっぱり朝は早いから朝なんだなぁと思う。


撮影:2009/10/03


 風邪薬が功を奏したと思い朝食後にも風邪薬を服用した。
 一体、風邪薬の成分の何がすっきりした目覚めにつながったのだろうと思い、調べてみるとビタミンCが不足すると起きるのが辛くなるらしい。それは副腎の機能に影響するとかいう記述を見かけて思い当たる節があった。日頃からビタミンCを摂る食生活になっていないし何よりアトピー性皮膚炎の薬にも配合されている副腎皮質ホルモンは本来体内で自己生成できるはずのもの。副腎皮質の機能が低下しているとすれば説明がつくような気がした。
 では、ビタミンCを積極的に取り入れることが大切なのだろうか…と思ってさらに調べると副腎疲労の人が大量にビタミンCを摂取することは好ましくないという。
 副腎疲労ならビタミンCの他にもビタミンBが大切だということのようだった。要するに偏りがないように食べることが一番いいのだろう。一人暮らしは食べるものが偏りがちだ。副腎の機能回復で朝の目覚めが楽になりアトピーにも良いならなんとかしたいものだと思う。
 そういえば、先日紅茶を飲んだ翌日の目覚めが良かったような気がする。紅茶はビタミンBが含まれているらしい。レモンなどでビタミンCを補えば理想的だろうか。ビタミンCを大量摂取するではなく効率よく摂取することを考える必要がありそうだ…そんな調べ物をしていたのに、せっかく効き目を感じていた風邪薬の副作用なのか日中だるくて仕方なかった。眠いような気がするので少し寝ようとしても頭の芯が起きている感じで眠れない。天候が良いのに作画に時間を使おうと引きこもりを決め込んだ甲斐がない。

 いつものように描いては休み、休んでは描くを繰り返しているうちに夕方になってしまった。なんとも手応えがない。これなら自転車を出せばよかったのだ。動いていれば眠気も少しは誤魔化せたかもしれない。

 結局、どうにもじっとしていられなくなって買い物に出た。既に山の向こうへ陽が沈んでいる。近場のスーパー二軒をはしごするくらいが一日の自転車移動の最低距離と考えている。

 自転車を走らせながら最近猫に触れていないとふと考えた。さりとて自分で飼わなければ気ままに遊んでもらえるわけでもない。そんなことを思いつつ通りかかった側の空き地に見るとまるで待っていたかのように三毛猫が鎮座していた。その場所では以前も一度猫に出会ったことがあるが、同じ猫だろうか。赤い首輪をしている。空き地に繁茂する膝丈ほどの草の中で辺りを見回している様子。監視員のようだ。空き地に足を踏み入れるのもためらわれたので遠目から写真を撮ろうとしたら暗すぎてダメだった。
 あの三毛猫はこちらの想いを察したわけではないだろう。では、会うような予感をしたのだろうか。ただの偶然と言って片付けるのは簡単かもしれない。ただ、そのことによって何か大切なことを見逃すような気がするのだ。

 スーパーは時間帯的にも混み合っていたようだ。一軒目で調味料を調達して二軒目へ行くと鶏肉が安くなっていた。明日はまたカレー作りができそうだ。

プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:107回

2016年10月1日土曜日

閃光

 晴れ。今日も涼しい朝。
 ラクガキ程度のことをしてから少し外出。用を済ませたついでにショッピングモールへ立ち寄った。

 土曜日なので人出が多い。そろそろ週に一度のカレーを作る日の準備ということでニンジンを手に入れて置きたかった。近所のスーパーは軒並み高値で下がる様子が見えない。いつもならショッピングモールであまり買い物しないのだが、こういう時は比較的安いかもしれない。野菜コーナーをチェックすると予想通りだった。3本セットではあるものの近所のスーパーより100円ほど安い…とは言ってもいつもより100円ほど高い。喜んでいいものかどうか。

 せっかくなので店内を歩いてみたものの昨日の疲れが残っているようで早くも帰りたくなった。レディースの靴のバーゲンをしていたようで2,000円という価格が目を引いた。しばらく手頃な靴を探しているのでメンズはないかと立ち寄ってみたが、残念ながらレディースのみだったようだ。結局靴の買い替えは来年になるだろうか。時間ももったいないのでネットで取り寄せた方がいいような気もする。

撮影:2010/10/02


 今日は早めに帰宅したものの休憩してから動けなくなった。最近そうなのか昔からそうなのかは定かでない。

 しばらくして机に向かう。

 数日前くらい前からイメージしていたネームの練習だ。
 ともかくネームには苦手意識がある。コマ割りが単調になりがちでキャラクターのポーズや構図もワンパターンになりがちなのだ。さらに加えて思うように絵が描けないと言う情けない事態が生じていた。しばらくの間、作画練習を積み重ねていたので少しは形になってきている気がする。そこで改めてネームの作画に取り組むことにしたのだ。

 ネームの苦手意識の根源には卵が先か鶏が先かというような組み立ての難しさがあるような気がする。設定やストーリーを優先するとコマ割りが問題になり、作画を優先すればストーリーと擦り合せるためにまたコマ割りが問題になる。要するにコマ割りが肝なのだろうとコマ割りを優先すると中身が空っぽなのでパターンを決めにくい。肝心なのは描く前に脳内である程度イメージを固めておくことなのではないかと思った。そこで脳内で練るための訓練が必要かも知れないと考えたのだ。

 必要なのは訓練そのものなので内容はともかく思いつくままにキャラクターやコマ割りを描いていく。思えば、これまで慎重に描きすぎていたかもしれない。もっと大胆に書くことが必要だったのだろうか。ザクザクと描きながら背景なども描きたい欲が出る。描き損じの裏紙を利用して細部にこだわらないように何枚も描く。感覚的にはデッサンやクロッキーの感覚に近い。これが出来るのも素材となるキャラクターやテーマとなる作品があるからかもしれない。

 闇雲に描くことは言うなればお家芸のようなものだ。普段から繰り返し描いていることが財産となっているはずだ。描く前にフラッシュを発光させた時のようなページの映像が思い浮かぶようになることが理想的だ。そうなるためには今は闇雲に描き続けることしか方法を思いつかない。

 光は闇の中でこそ意味を持つのだ。

 くしゃみと鼻水が続いていると思ったら軽い頭痛までするので急激な気温変化ばかりが原因ではなく久しぶりに軽く風邪をひきかけているかもしれない。夕食後にいつかの風邪薬を服用したら少し楽になったようだ。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:121回

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...