2016年8月14日日曜日

凌駕

 晴れ。朝は寒かったが、例によって日中の気温が上がった。
 予報通り雲が出て来れば少しは気温の上昇が抑えられるだろうかとささやかな期待。

 時折、殻を破りたいという言葉を聞くことがある。体内のエネルギーや爆発させて活躍するイメージ…わからなくはない。ボクもできればそうしたい。ただ、卵の事を考えてみると殻を破って孵化することは一つのステップであり始まりにすぎない。活躍どころが己の小ささを思い知ることになる。ヨチヨチ歩き始めたばかりのヒヨコに何ができるだろう。何も知らないし何もできないのだ。しかし、それが始まりであることに違いはない。活躍のための機会が与えられ、可能性に挑戦するだけの基本的な条件は備わっている。


撮影:2008/08/15

 新しい自分になるためには過去の自分を凌駕する必要がある。殻を破るということは過去の自分を凌駕するということではないだろうか。そこが完成ではない。そこから始まるために準備をしなくてはならないのだ。

 幸い作画の調子は悪くない感じ。アイディアとのリンクがまだできていない。たくさん描いて無理のない活き活きとしたキャラクターを描きたい。

 これまで撮りためた写真をレイアウト加工して公開。詩や記事と組み合わせれば、面白いものになるような気がする。こんな風に無意識に蓄積してきた作品を新たな作品として再構成する。

 必要なのはたぶん…魂だ。



腕立て伏せ
1回目:85回
2回目:101回
3回目:50回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月13日土曜日

額縁

 晴れ。朝方は寒くて毛布が必要。日中は暑くなった。

 絵画などの作品を展示する時、額縁に入れると見栄えが変わる。
 一眼レフカメラでファインダーを覗くと見え方が変わる。
 フレーム効果。雄大に広がる風景であっても切り撮ることで意味が生まれる。

 絵画や写真に限ったことではないかもしれない。日常生活や人生観においても無意識に枠を決めていることがある。ルールや秩序、あるいは場の空気であったりすることもあるかもしれない。人によって違う価値観もまたフレーム効果によるものだろうか。

 額縁は大きければいいというものではない。雄大な風景を楽しむことはできても小さなことが見えなくなるからだ。カメラのレンズのようにズームすることができれば少しはカバーできるだろうか。しかし、ズームレンズに頼ってばかりいるとリアルを忘れてしまうことがある。遠くから眺めるばかりではなく実際に体験して見方を変えることでものの形を捉えることが必要になのだ。


撮影:2007/08/14

 今日も作画。とにかく描き続けるのだが、作品としての目標地点がないまま描き続けるのはなかなか難しい。室温が高くなってぼんやりしてきたので一旦濡れタオルや保冷剤で頭を冷やしてみたもののやっぱり集中力が維持できなくなった。買い物に出て気分転換。帰宅後にシャワーで汗を流した。

 ずっと利用させていただいているnote.muのデザインが新しくなった。以前もシンプルで落ち着きのあるデザインだと感じていたが、さらにスッキリとしたデザインになった。イメージノートがエッジの効いたシャープな印象になり、トークノートの画像には角丸が適用され、親しみを感じさせる。
 そこで写真のレイアウト配置できるソフトを調べてみるとFotorというソフトが見つかった。ボクがこれまで知らなかっただけで結構知られているようだ。オンラインでの編集も可能のようだ。早速、少し使ってみようと思いインストールしてレイアウトしてみるとなかなか良い感じだった。フレームが自由に変更できるといいような気がするが、新たに作成しなくてはならないのだろうか。まだ使い方がよく理解できていない。他にもテキストが縦書きできれば…とか欲が出てしまう。気に入った証拠だろうか。少し使い込んでみたくなるソフトだ。
 フレームの使い方によっては漫画やイラストにも応用できるのではないだろうか。期待も高まる。



腕立て伏せ
1回目:80回
2回目:105回
3回目:71回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月12日金曜日

整頓

 晴れ。7時前に寒さで目覚める。
 日中の気温は高くなっても朝晩は涼しくなってきたようだ。

 脳内に散らばっていた意味を持たない記憶や想いが一つの作品のアイディアに出会って整頓されるような感覚になることがある。
「あぁ、そうそう。そういうことあるよね。」
 時にはひっくり返されて驚く。
「え?なんでそうなるの?」
 そして結末に至る頃に満足感や納得や感動の余韻を味わうことになる。


撮影:2011/08/13

 作品というのはそんな風に頭の中を整理整頓することなのかもしれない。
 作品そのものはナンセンスだったりありえないことだったりしても、結果的に何らかの作用を及ぼす。筋道を立て、思考パターンに一定の影響を与えるのだ。

 今必要としているアイディアとは点と点を結ぶ線のことなのかもしれない。
 アイディアの点と点を筋道、筋書きによって結ぶことで意味が生まれる。

 調子が出なくてアイディアが出て来ないと思っていたのにいくつもの種が見つかった。種まきは幾度となく繰り返してきていたからだ。何のことはなく種まきにばかり夢中になってその先を見ていなかったのだろう。ここからさらに種と種を結ぶためのアイディアが必要になる。

 ストップウォッチで時間を計りながら作画していると、どうやら調子が乗って来るまで起床してからの作画時間が累積で2時間くらいかかるようだ。休憩をはさんだり他のことをしたりするから2時間経つ頃には既に夕方近くなっている。夕方になれば、定時業務や夕飯の支度などがあるから調子が出る頃には終了となってしまうわけだ。
 そこで深夜モードと称して夜になってまた描き始めると翌日の起床が遅くなるというデメリットがある。
 修練を重ねればウォーミングアップの時間を短縮することが可能だろうか。あとは今以上に身の回りのことを疎かにすることくらいしか思いつかない。
 整頓どころか散らかる一方だ。


腕立て伏せ
1回目:80回
2回目:100回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月11日木曜日

魅力

 晴れ。少しずつではあるが気温が下がりつつある印象。

 作画しながら想うことがある。
 正確で克明に描写することが正解なら写真で良いではないか。
 では、なぜ描くのだ。正確で克明に描くだけでは表現できない何かがあるからではないだろうか。それは漫画のように誇張することかもしれない。あるいは絶妙な筆さばきかもしれない。

撮影:2009/08/12

 何に魅力を感じるか。
 透明感、空気感、爽快感…あるいは、美しいという言葉だけでは表現できないものもたくさんある。そういった様々な感覚の中からこれと思うものを抽出して咀嚼し新たな作品として再構成する。初めはお気に入りの画風を真似てみるのも悪くはないかもしれない。ただ、それはあくまでも魅力の要素を借りているに過ぎない。自分自身が何に魅力を感じ、どう伝えようとしているのか研ぎ澄ます必要がある。借り物の画風では伝えきれない何かがあるはずである。
 個性はいつしか才能と呼ばれるかもしれない。正確さよりも優先されることの中に魅力がある。

 千差万別。様々なものに様々な魅力があるはずなのに自分自身が伝えようとする魅力が何なのか見定めることが難しい。その難しさそのものがまた魅力なのかもしれない。


腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月10日水曜日

動機

 晴れ。珍しく早く起きたせいもあって気温がまだ低く涼しかった。

 子供の頃から朝に弱い。
 寝る前ギリギリまで何かしているせいだとは思うのだが、エネルギーを使い果たして布団へ滑り込むスタイルでないとなかなか寝付けなくて悶々としてしまう。
 今は寝る前に作画に取り組んでいたりして就寝時間が遅いから当然ではあるのだが、起きる時は身体を鉛のように重く感じる。見えない糸で布団に縫い付けられているのではないかと思えるほどである。
「起きよう」ではなく「起きなきゃ」となって初めて布団から体を引き剥がす。


撮影:2011/08/11

「描こう」という気持ちと「描きたい」という想いと「描かなきゃ」という意思はそれぞれ脳の違う部位で考えているような気がする。
「描かなきゃ」という時は義務感や使命感に因るところが大きい。
「描きたい」という場合は描く時間が取れなかったりしてエネルギーが溜まっている状態。
「描こう」というのは、自然に取り組むことが出来る場合。
 非常に稀なことだが「描ける」と感じられる場合もある。

 理想としては「描ける」という状態から「描こう」に至ることなのだが、現実には「描かなきゃ」から「描けない」状態に陥ることの方が多い。
 必要なのは自然に「描ける」と感じ「描こう」と思える環境やコンディションを整えることだ。
 調子が良くてもそうでなくても描き続けようとするのは「描ける」という感覚の起爆剤に点火し「描こう」というエネルギーを燃焼させることを目的としているような気がする。点火することがなかなか難しい点火方法が原始的であるせいだろうか。

 雨は空から大地へと降り注ぎ、高みから低きへと自然に流れる。小川が大河へとなって海へ流れるように感情や思考の流れも自然に流れるようにするにはどうすれば良いのだろう。


腕立て伏せ
1回目:91回
2回目:103回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月9日火曜日

陰影

 光射すところに影がある。つまりは影を描くことは光を現すことでもある。
 心の中のダークサイドが嫌いだった。見ないようにすることで逃げていたのかもしれない。
 影に執着すれば光を見失う。しかし、目を閉じれば闇があり闇の中には夢がある。
 光と影は合わせて一つであり片方だけで形を捉えることはできない。

 ふと気がつくと闇がつぶやいていた。忌嫌い疎んじてきた影の言葉だ。しかし、何となくその言葉の意味を追っていると、それは決して影ではなくむしろ光を意味する言葉と知る。


撮影:2015/08/10

 敵視してきた影の存在は、敵ではなく強力な味方なのかもしれない。バラバラに分断されていた光と影を統合することで曖昧になっていた形を浮き彫りにし存在感を明確にすることが可能になるだろうか。それは作品にとってどんな意味を持つのだろう。

 闇の中で眠っていた可能性が光を浴びた時、それはどんな輝きを放つのだろう。


腕立て伏せ
1回目:92回
2回目:103回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年8月8日月曜日

不足

 晴れ。太平洋側の台風の影響で少し雲が出てきたようだ。
 午後、買い物に出ると突然の雨。太平洋側の台風の影響だろう。地元の夏まつりの準備が進められていたが、夕方になってまた本格的な雨になった。夜には上がったようだ。

 地方は人口流出や過疎が問題になっている。少子化の影響もあるだろう。原因は地場産業の不足にあるのではないかと思う。そこで工場誘致などが進められるのだとは思うが、これが根本的な解決に繋がらないのは何故だろう。農業の担い手となるべく若い世代が安定収入を求めて工場勤務するようになれば、当然ながら農業は衰退する。農業経営が機械化されているとは言え人手がいらなくなったわけではないし、毎年の気象条件に合わせた工夫は経験に裏打ちされている。頭数が揃えば良いというものではないのだ。
 そして、工場勤務をしつつも実家の農作業を手伝ったり地元の消防団活動に参加したりと忙しい毎日を送ることになるようだ。


撮影:2011/08/09

 経済的な問題はいくらか解消されたとしてそれで良いのだろうか。では、なぜ人口流失や過疎化の問題が解消されないのだ。
 農業や観光、工場誘致などは地元の生活にとって経済的な効果はあっても夢や希望に繋がっていないのではないだろうか。
 例えば、農業経営の家に生まれたとして実家を継ぐか否かの選択をする。少なからず土地を手放す選択は容易ではないだろう。かといって労働条件や収入を考えれば農業を続けるのも容易ではない…となれば、工場勤務しつつ実家を手伝うというのは現実的なのかと思う。では、そのまた子供の世代はどうだろう。農業を継ぐことが選択肢になくなれば、あえて工場勤務を選択する必要かあるだろうか。かと言って他にやりたい仕事もないとなれば、都会へ出ようと思うのも自然なことのように思える。

 ここからは手前味噌な話になる。
 そもそも思考の出発点は「漫画を描く人手が足りない」ということだった。ボク自身の無能に因るところではあるが、実際、職業漫画家と言われる人にはアシスタントがいる。作品を制作するスピード感や厚みや緻密さを上げるために必要な協力者なのだ。一人で自転車を走らせるようなことをしていれば、行動範囲も生産性も高が知れている。
 その協力者を得るために是非とも作品が必要なのだ。
 そう、結局ボクの問題。

 今や一つの作品のキャラクターが世界中に出現し、社会現象にまでなる時代なのだ。
 もし、地元にコンテンツ産業の基盤ができれば…夢や希望、集客などに繋がるのではないだろうか。

 言うまでもなく夢想に過ぎない。
 しかし、何事も始まりはこんな風に足りないところから始まるのかもしれない。

 小さな家庭菜園を試してみた時は、いくらか手応えを感じられるまで土作りだけで3年かかった。その間も種を播き失敗を繰り返し成果につなげようとしていた。

 同様に今が土を作って種を播く時期ならまだ希望がないわけではない。

 足りないところには、きっと必要がある。


腕立て伏せ
1回目:90回
2回目:103回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...