風は涼しく、どういうわけか人出が多めに感じた。連休の人が多いのだろうか。広場にはスマホを片手に集まった人たちが思い思いに過ごしている。夏場なら噴水の公園には多くの子供達が遊んでいる。涼しくなったので子供の代わりに大人がゆっくり過ごせるということだろう。
それにしても誰に強要されたわけでもなく楽しみのために見ず知らずの人が一つの場所に集まるというのは興味深い。観光であれば、同じ場所であってもそれぞれが違う楽しみ方をしているだろう。ところが、これまで仮想であった世界観を現実世界に持ち込んだ結果、見えなかったつながりが姿を現した。これまでなかったことなのでいささか奇異に見えなくもない。ただ、釣りや写真などの共通の趣味の人が集まる場所では同様の光景が見られていたということに思い至る。もしかするとコンサートやスポーツ観戦などもそうだろうか。楽しむために集まった人が言葉を交わし、時に知人や友人になったりすることもあるかもしれない。これまでは特定の場所だった趣味の場所が世界中に出現したということなのだ。
買い物をしながらしばらく自転車を走らせているうちに雲が多くなり始めた。明日はまた雨だろうか。
撮影:2007/09/22 |
頑張ることというのは快楽の一種ではないかという考えが浮かんだ。
集中することは他の煩わしいことから解放されることでもある。結果を出すことで達成感という報酬を得ることができる。それぞれは良いことのようでありながら目標を間違うと徒労に終わったり好ましくない結果につながることもある。それでも頑張らないことよりは頑張ることの方が評価を得られるためともかく頑張ろうとしてしまうのだ。
例えば、山に登ろうとした時、事前に登山道すら調べずにひたすら頑張れば遭難の危険があるどころか登ることすらできないかもしれない。つまり頑張ることには冷静な判断が不可欠なのだ。
行き詰まって迷った時、端で見ている立場からすると「頑張っている姿」が確認できないことに不安を感じ苛立ちを思えてしまう。そこで何の根拠もなく「頑張ること」を強要してしまいがちだ。ところが、登山口さえ見えない場所にいて闇雲に頑張ったところでいくらも進めない。藪の中で傷だらけになって二度と山に登りたくなくなるかも知れない。
誰にも強要されていないのに夢中になってしまうことがある。快楽という報酬を得られるなら人は歩き廻ったりするし出費も厭わないこともある。
結果を必要とすることも結果を必要としないことも快楽という同じ報酬を求めているのなら、目標設定を間違わないことが大切ということではないだろうか。
プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:106回
2回目:120回
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