2016年8月8日月曜日

不足

 晴れ。太平洋側の台風の影響で少し雲が出てきたようだ。
 午後、買い物に出ると突然の雨。太平洋側の台風の影響だろう。地元の夏まつりの準備が進められていたが、夕方になってまた本格的な雨になった。夜には上がったようだ。

 地方は人口流出や過疎が問題になっている。少子化の影響もあるだろう。原因は地場産業の不足にあるのではないかと思う。そこで工場誘致などが進められるのだとは思うが、これが根本的な解決に繋がらないのは何故だろう。農業の担い手となるべく若い世代が安定収入を求めて工場勤務するようになれば、当然ながら農業は衰退する。農業経営が機械化されているとは言え人手がいらなくなったわけではないし、毎年の気象条件に合わせた工夫は経験に裏打ちされている。頭数が揃えば良いというものではないのだ。
 そして、工場勤務をしつつも実家の農作業を手伝ったり地元の消防団活動に参加したりと忙しい毎日を送ることになるようだ。


撮影:2011/08/09

 経済的な問題はいくらか解消されたとしてそれで良いのだろうか。では、なぜ人口流失や過疎化の問題が解消されないのだ。
 農業や観光、工場誘致などは地元の生活にとって経済的な効果はあっても夢や希望に繋がっていないのではないだろうか。
 例えば、農業経営の家に生まれたとして実家を継ぐか否かの選択をする。少なからず土地を手放す選択は容易ではないだろう。かといって労働条件や収入を考えれば農業を続けるのも容易ではない…となれば、工場勤務しつつ実家を手伝うというのは現実的なのかと思う。では、そのまた子供の世代はどうだろう。農業を継ぐことが選択肢になくなれば、あえて工場勤務を選択する必要かあるだろうか。かと言って他にやりたい仕事もないとなれば、都会へ出ようと思うのも自然なことのように思える。

 ここからは手前味噌な話になる。
 そもそも思考の出発点は「漫画を描く人手が足りない」ということだった。ボク自身の無能に因るところではあるが、実際、職業漫画家と言われる人にはアシスタントがいる。作品を制作するスピード感や厚みや緻密さを上げるために必要な協力者なのだ。一人で自転車を走らせるようなことをしていれば、行動範囲も生産性も高が知れている。
 その協力者を得るために是非とも作品が必要なのだ。
 そう、結局ボクの問題。

 今や一つの作品のキャラクターが世界中に出現し、社会現象にまでなる時代なのだ。
 もし、地元にコンテンツ産業の基盤ができれば…夢や希望、集客などに繋がるのではないだろうか。

 言うまでもなく夢想に過ぎない。
 しかし、何事も始まりはこんな風に足りないところから始まるのかもしれない。

 小さな家庭菜園を試してみた時は、いくらか手応えを感じられるまで土作りだけで3年かかった。その間も種を播き失敗を繰り返し成果につなげようとしていた。

 同様に今が土を作って種を播く時期ならまだ希望がないわけではない。

 足りないところには、きっと必要がある。


腕立て伏せ
1回目:90回
2回目:103回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

0 件のコメント:

コメントを投稿

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...