生きているとロクでもないことに遭遇する。いや、個人的にはむしろロクでもないことの連続と言ってもいいかも知れない。理不尽なことで石を捻じ曲げられたり進む道を邪魔されたりする。そうして従順に従うことが組織では評価され、都合で使い捨てられたりすることさえ正当化される。社会全体がそういう構造なのかも知れない。そんなことを繰り返していると生きているのが嫌になることだってある。
…悔しい。自ら命を絶つことは負けを認めることにならないだろうか。家族や知人、支えてくれる人や期待してくれた人、さりげない日々の交流をしてくれた人にも迷惑がかかるだろう。だから生きるしかないのかも知れない。
《さいかく》
生活の糧を得られるものはないかと少し調べてみた。クラウドソーシングに挑戦していたのは5年ほど前になるだろうか。1年ほど続けて手応えがないので心が折れた。少なくても3年くらいは続けるべきだったかも知れないが、自分の裁量がよくわからないまま我武者羅に取り組んでいたためか全く手応えがなく、藁すら掴めなかった。
それでも経験を生かせるものはないかと模索して漫画を描くことに落ち着いたつもりだ。実際のところ、イラストは描いたことがあっても漫画として仕上げた経験はなかった。けれど、最終目標と考えていたことは確かかも知れない。
画力の向上と安定、ページレイアウト、全体の構成、そして作画ツールの習得…やらなくてはならないことは山積みだったが、それまでの経験は随所で役に立ってくれた。
改めて生活の糧について調べてみると漫画以外何もできないことに気がつく。それで漫画の募集を検索してみたら状況の変化が見て取れた。少なくても以前だったら「漫画家募集」というものが選べるほどなかった気がする。あったとしても怪しい内容だったりしたのではないだろうか。それが今は漫画家として成立する構造が朧げながら分かるサービスが幾つか見られた。
ただ、条件としては原稿料だけでなくノルマが達成できるかという問題がある。指標になっているのは1ヶ月24ページくらいだろうか。そしてページ単価を掛ければ月収が見込める訳だ。今は1日1ページ描くことさえ難しいのに1カ月に24ページがクリアできるかという問題なのだ。
逆に言えば、1カ月に24ページをクリアできる描き方とはどんな描き方だろうと考えてみる。
今の制作パターンだと数ページで終えるはずのアイディアが描いているうちに膨らんで完結がどんどん遠くなっている。初めからページ数を決めて取り組めば、全体の流れや濃度のコントロールも可能だろう。今の書き方だとページごとの濃度が高すぎる気がする。
作画の訓練やページの構成など様々な角度で取り組んできたのだからそろそろ全体を俯瞰した作品創りも必要なのかも知れない。
アイディアのボリュームの把握と裁量。
1日1ページ描くのと1週間で7ページ描くのとではとの組み方が違うはずだ。
プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:175回
2回目:200回
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