野に山に生きとし生けるものには与えられた生があり、その命を生きるしかない。個々を見れば環境も違えば育ちも違い、それぞれの生がある。種を超える生き方はできないばかりか環境から逸脱することができない場合もある。さまざまな事情の中で与えられた命を全うするしかないわけだが、本人は客観的に捉えることが難しい。目の前のことに対応して日々を過ごすしかない。そして、人もまた多様な生がある。
撮影:2010/03/22
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詳細は忘れたが、「漫画の続きを描くように」といった趣旨の指示書を受け取る夢を見た。それが即ち天命であるとは限らない。
そんな夢を見たせいか、今日はほぼ一日中机に向かっていた。しばらく3Dソフトに取り組んでいたせいか、デッサンが狂ってしまう気がする。腕立て伏せは1日休むと鈍ってしまう気がして続けているが、描くことも同じなのかもしれない。それでも何点か描いて描いて調整を試みた。
仮に漫画を描くことが天命であるとするならこれほど嬉しいことがあるだろうか。様々な理由はあるものの、漫画を描くことを志すようになった。時に人生に迷ったり挫折を味わったりと紆余曲折を経て結局描くことに戻ってきたのだ。天命なんて何の確証もない。単なる思い込みと言えばその通りである。しかし、例え勘違いであったとしてもそれを信じることが生き甲斐になるのであるとすれば、悪いことばかりではないような気がする。
五十にして天命を知る…か。
◇腕立て伏せ
1回目:90回
2回目:102回
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