東日本大震災の日は冷え込んで雪だった。大停電の影響で暖房器具が使えなくて凍えそうになりながら夜を明かした。たしか当時はソーラーパネルを設置してあっても自家用に使用するコトができなかったと聞いて驚いた覚えがある。今はどうなっているのだろう。
先週末から気にかかっていたことを解消するために少しばたついた。雨が降っていたので徒歩で外出したのだが、雨はやがて小降りになり電車の時間も都合良かったので滞りなくコトは進んだ。
電車の窓から畑にいるキジが見えた。梅の花も咲いているようだ。道端にはタネツケバナが咲いていた。たしか種籾を蒔く時期の目安にすることからこの名がついたのではなかったろうか。暖冬とは言えちょっと早すぎるような気がするが、例年こんな時期なのだろうか。そういえば稲刈りや草取りの経験はあるものの種籾を準備する作業をよく知らない。
今季も冬が越えられたという安堵と焦りのように気持ちが交錯する。
撮影:2016/03/07 |
些細なコトが気になってしまうのは気が小さいからだろう。普段気にしていないが、たまたまカレンダー見ると今日は大安だった。歯にものが挟まったような感覚が続いていたので無事に用件が済んで少し気が楽になった。
帰宅してから3DソフトのBlenderを使ってみた。ともかくこれまで使っていた3Dソフトより設定やメニューが多い。操作感も全く違うのでデタラメに触りながら覚える。これまでできなかったことが色々できそうだ。これまで出来なかったことはどうしたって出来ないことと考えてしまっていたようで新しい機能を知ると驚きや発見がある。そうして少しずつ憶えて行くのだ。これまでのソフトとデータの互換性もある程度維持できそうなので慣れて操作感が良ければ有効に使えるかもしれない。
デジタルは空間では、新しいツールを習得することは新しい力や技を手に入れることでもある。しかし、技術的なことだけに囚われてしまうことは本意ではない。手に入れた力や技で何をしたいのか。何をするのかが問題なのだ。
たとえば、書くこと、話すこと、歌うこと、撮ること、描くこと、走ること、笑うこと、泣くこと、登ること、想うこと、考えること、悩むこと、知ること、驚くこと…。
生きる上で当たり前にやっていることだって育てて磨くことで特技になる。しかし、その特技を活かす方法を知らなければ、やっぱり輝くコトができない。
それを知るには主観と客観の視点が両方必要なのではないかと思う。
車を手に入れて運転出来たとしても目的が必要なのだ。
腕立て伏せ:103回
0 件のコメント:
コメントを投稿