曇りのち晴れたり雪が降ったり。
気温が低いため例によってなかなかエンジンがかからない。やっと動けるようになったのは昼過ぎだったろうか。鶏肉が安いはずなので買い物ついでに外出することにした。
外に出ると晴れて陽射しがあるのに雪が舞っている。こういう天候は嫌いじゃない。雪の残る道に手こずりつつショッピングモールまで自転車を走らせた。
日曜日のショッピングモールは来店客も多くいて当然ながらゆっくりできる雰囲気ではないい。コーヒー屋さんにも長蛇の列ができていた。
歩きながら考え事をする。
不安に苛まれて「出来ることはなんでもやろう」としていた時期がある。事態が好転するように感じた時期もあったからそのままその世界に打ち込もうとしてことも確かだ。ところが、細くても続いているように思えた道は突然途絶えた。誰が悪いわけでない。実力のないことまでやろうとして背伸びしたりしていたから当然ながら無理があったのだろう。敢えて元凶を特定するならボク自身の判断が間違っていたと思うしかない。
打つ手を無くした挙句に詰んだ。
人生において幸も不幸も等しくあるものだと言われるが、果たして本当にそうだろうか。そうでない人だっている気がするしボク自身が苦労する期間も終わったとは限らない。ただ、不安の原因を直視しないようにしているにすぎないからだ。
幾つかの選択肢がある時、多くの人が向かう道は楽で安全だと考えがちであるように思う。しかし、人それぞれの資質は千差万別であるから選択肢も千差万別であって然るべきである。
社会には千差万別に対応出来る柔軟性や包容力があるのだろうか。義務教育から高校、大学と選別を繰り返し就職でまた選別する。型枠に嵌められるようにして組織人として専業化され、そこでまた時間によって選別される。
日本社会のこのルールにどれくらいの歴史があるのだろう。江戸時代からすでにそうだったのだろうか。それとも明治維新だろうか。戦後であるならまだ100年に満たないことになる。成熟しているように見えて実はまだ未熟な社会ではないのか。
直視しないように目を逸らしていた不安の原因をちらり横目で見てしまったようだ。大義名分もない夢にしがみつき大海を漂流していることを思い出せば恐怖で正気を保てないかもしれない。せめて大義があればと考えてみる。働いて報酬を得ている立場であれば、生活や家族が大義名分になるだろう。少しくらいの苦労なら一緒に働く仲間のために汗を流すことだってできるだろう。ボクが漫画を描くことにそういう大義は見当たらない。
では、なぜ描くのだ?
初めから意味などない。
ただ、生きることと描くことが同義だっただけのことではないのか。理解されることを期待してはいけないのだろう。
しがみついていた夢が幻想であることを思い出しそうになった。もし夢を失えば、ボク自身が闇の藻屑に帰すだろう。
プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:102回
2回目:105回
2017年1月22日日曜日
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