2016年1月8日金曜日

RUN

 朝はハラハラと雪が降っていたようだったが、間もなく雨混じりになった。今年はこの調子なんだろうか。

 昼食のために初めてオムライスなるものに挑戦。テレビで見た記憶を頼りに作ってみたのだが、半熟の卵焼きをケチャップライスに乗せたあとでカメラの準備をしていたら蒸し上がってしまったらしい。ケチャップライスの卵焼き乗せになってしまった。急いで切り開いてみても当然間に合わない。漫画で登場するような見事なまでの失敗料理を作ってしまった。もっとも味は悪くない…はず。いつか漫画の資料に使えるだろうか。

 年末辺りから作画の好調。サンタクロースに願った「描画力」を受け取ったのかどうか定かではないが、悪くない感じが続いている。そんなことを思った途端不調の谷へ真っ逆さまというのがいつものパターンなので油断は禁物だ。
 調子が良い時と言うのは鉛筆もペンも走る感覚。
「走れ!走れ!走れっ!!」
 考えるより先に手が動く感覚。これまで慎重に、そして何度も失敗を繰り返して来たのは、この感覚を思い出すためだった。取り戻すためだった。歓喜とも陶酔とも知れぬ時間が瞬く間に過ぎて行く。やがて脳の方が先走りがちになり手先との連携が上手く行かなくなるので制御する意識も必要になる。
 ふと時計を見ると大抵1時間くらいが過ぎている。そんな時は小休止を入れてまた机に向かうのだ。
 夕方になって彩色しつつイラレに配置。 必要なカットがまだまだ足りない。

 夜、夕飯に悩んでスーパーに出かけた。しばらく店内をうろついたが、良いアイディアが浮かばない。結局カップラーメンをひとつ買って店を出た。

 腕立て伏せ:105回

2016年1月7日木曜日

多重人格

 ある意味で漫画のキャラクターは自分の分身である。ある時はボクの想いを代弁し、ある時はボクを叱咤激励する。ボクの意志を 継ぐ者もあれば、背く者も必要かも知れない。

 人の性格は見る角度によって違って当然なのではないだろうか。若い頃は裏表のないことを美徳と感じていた気がするが、世の中には様々な人がいて様々な形の交流がある。それぞれの出来事に対応するには、整合性を考えつつ自らが変化することが必要になる。誰から見ても変わらないというのはむしろ不自然なことの様な気がする。

 漫画のキャラクター設定に際してはそんな変化を細分化する。デコレーションケーキのようにどこで切っても同じ形というわけではない。その結果、様々な切り口で様々なキャラクターとなる。まん丸な性格よりもゴツゴツと変化に富んだ性格の方が切り分けた時に様々な形を生みやすいかもしれない。まん丸な性格であるなら切り分けた後でデコレーションするのも良いだろう。性格の多面性をそれぞれの面で捉え直すのだ。

***

 今日は一日中自宅で制作。
 描いたカットをイラレで配置したら思いがけない躍動感が出てテンションが上がった。1カットずつ別個に描いているので伸び伸び描けるからだろうか。お陰で構成をやり直す必要が生じるという副作用があった。漫画の作品としては必要な躍動感だと思う。小さなコマに入れなくてはならないカットがちょっと辛い。真面目にバカバカしい感じも悪くないはず。
 躍動感のあるキャラは、普段のっそりしているボクにはあまりない部分なので性格設定が少々難しい。このまま軽く華麗な躍動感が描けるだろうか。

 腕立て伏せ:102回

2016年1月6日水曜日

地平遥か


 暖かいお正月が過ぎて寒気がやってくるらしい。天候が崩れる前にと思って自転車を出すと雪まじりの雨がパラパラと落ちてくる。濡れるほどではないようなのでそのまま走った。明日は外出なしで制作出来るのではないだろうか。早めに用件を済ませたので午後になって机に向かう。
 年末からだったか断片漫画の素案からキャラクターを練る。掌編とは言え、練りが足りないとキャラが安定しない。

素案段階でのカット

 素案のネームの段階である程度カットが決まっていたが、髪型や服装を整理してキャラを練り始めてみると新しく描き直す必要を感じた。それでキャラの設定からやり直しているのだ。登場人物は2人の予定。
 今回で女性のキャラがかなり固まった気がする。素案ではかわいい感じだったが、少し勝ち気でサバサバした雰囲気に変更。少し姉御肌で寂しがり屋な印象。


 漫画としてまとめる前の段階にイラストとして描いていると自由度が高く実験的なコトも出来るし遊ぶこともできるが、漫画としてまとめるなら流れや統一感を意識する必要が生じる。可能な限り矛盾を排除する必要もあるので実験したり遊んだりすることは難しくなる。キャラクターが固まったらネームに沿って必要なカットを洗い直さなくてならない。
 漫画の制作現場の経験があるわけではないし、やり方もそれぞれに違っているものらしい。だからついステップを省略して結論に走りがちだが、それをやると結果が良くないようだ。

 多くは望まない。今年は昨年より階段を一段上がれたらそれでいい。

腕立て伏せ:110回

2016年1月4日月曜日

日進月歩

 歩みを止めれば進歩はない。
 そんな当たり前のことを改めて思う今日この頃。若い頃は多くの可能性を感じるから様々なことを試したくなる。それはそれで良いと思う。その中からこれと思うことに取り組んで行けばいいのだ。もっとも、実態はそれほどシンプルではない。組織や人間関係、社会的・経済的問題、健康面、持って生まれた資質や努力…と様々な事情が方向性に関与し、進みたい方向へ進むことは難しい。
 しばらくすると思いもかけない道を歩いているコトに気がつき「あの頃は良かった」と懐古するばかりになりかねない。どんな道を歩くことになっても悔いのない生き方が出来れば迷いやためらいは軽減されるのだろうか。
 ボクの人生はと言えば、迷いやためらいで出来ている。人生の地図があれば非効率で無駄な道を選択してきたことが一目瞭然だろう。時に目的を変え、時に手段を変え、いつしか方向性すら見失った。大したコトない気力や体力が続く限り目の前のことに打ち込むあまり間もなく限界に達しては頓挫したり挫折したりを繰り返すから周囲の理解を得ることも難しい。
 思い返せば、漫画家になりたいという想いを否定し続けたのは両親だけだったかもしれない。両親は公務員になることを望んでいたが、それはウチに限ったことではなかっただろう。時代背景や経済事情を考えるからこそだったのだと思う。最近になってそれは両親の夢だったのだということに思い至った。漫画家と比較して現実的で安定した生活に思えたのかも知れない。ボクには漫画家以上に非現実的なものに思えていた。漠然として何を目的に頑張ったらいいのかすら理解出来なかった。そもそも中学の頃には勉強が面白くなくなっていた。唯一成績が悪くないのは美術。入試科目でないばかりか高校の頃には授業からも姿を消してしまい、力を伸ばすなどと言うことは口に出すことすらはばかられた。ボクにもし翼があったとしても強い向かい風に煽られて叩き折られていたか飛び方すら解らずに大地に落下していたことだろう。だからボクは翼を畳んだのだ。
 少なくても今飛んではいけない…。
 漫画家になりたいなら絵画や映画、音楽などジャンルを厭わず良質な芸術作品に親しむこと。裸婦デッサンを経験すること。社会を経験すること。雑誌などから得た知識でも身近に取り組むことが出来るものがあった。そしてとにかく描くこと。裸婦デッサンを経験出来たのは20代の半ばを過ぎていた。
 父が他界したことで色んなものの形が変わったようだ。夢を追うことに終止符を打たねばならないと思った。あれから瞬く間に過ぎ去った時間の中で一体何を得ただろう。何が起きても大したことではないとポーカーフェイスを気取った結果は行き止まりになっていた。その間に経験したことに不満があるわけではない。むしろ得難い経験だったと思う。ただ、ボクが歩みを止めてしまっていたことは否めない。知人の絵描きさんはいつも描くことを勧めてくれていた。にも拘らず状況が許してくれないと思い込んでいた。その思い込みのお陰で長いブランクが出来てしまった。
 生活のため家族のためと思って選んだ行動は必ずしも理解されない。それでも役に立ちたいし、生きなくてはならない。想いと成果がチグハグになり周囲に迷惑をかけてきた。

 もしかしたらボクに必要だったのは「すべての希望とすべての可能性が断たれること」だったのだろうか。そして翼はまだ…生きているだろうか。


 腕立て伏せ:105回

2016年1月3日日曜日

冬何処

 小春日和を思わせるほど暖かい日となった。暖房費の節約になってありがたいが、しわ寄せがコワい。雪が少ないと思っていると大雪になるのが毎年パターンだ。さもなくば、ここの所の夏の猛暑。天井知らずかと心配になるほどの気温の上昇との関連性はどうなのだろう。

…とは言え、自転車移動の日々だから雪がないのは助かる。少し厚着して出かけたのでしばらく走ると汗ばむほどだった。中腹程まで白く雪に染まっていた山々は冬枯れの木々の色になっていた。こんなに暖かいとフキノトウなどの山菜が間違って顔を出してしまうのではないだろうか。春の味覚は雪融けの後に限る。冬の間、厚く大地を覆い適度な湿度を保って大地を厳しい寒さから守っている雪がなければ、春風が吹く頃に瑞々しい大地の息吹を開かせることが難しくなるのではないか。
 雪は厳しいほどに優しいものなのだ。
 少し書店に立ち寄ってコーヒーやコーヒーフィルターなど買い求めつつ自転車を走らせる。町には正月らしい飾りが目立つわけでもない。正月は1日から営業している店も多いようで益々正月らしさを見つけることが難しい。ただ、産直の店がまだ開いていなかったことが正月らしい気がした。
 最終的に近所のいつものスーパーに立ち寄るとお米がセールになっていた。年末に購入を控えていたが、近所とは言え雪が積もっていると自転車が走れなくなり10kgの米を担いで帰るのは楽ではないので購入した。

 帰宅して机に向かう頃には夕暮れ時。灯りが必要な時間だ。少し描いていると電話が鳴った。しばらくご無沙汰している知人なのでたまにはと思い長電話になってしまった。

 この暖かさは火曜日くらいまで続くらしい。
 瞬く間に過ぎて行く2016年。
 何を残すことが出来るだろう。

腕立て伏せ:110回

2016年1月2日土曜日

描き初め

 深夜の討論番組で人工知能やビッグデータが話題になっていたと思ったら朝起きるとWebでも人工知能の話題が流れて来た。有効な開発が進めば、人類は巨大な可能性を持ったテクノロジーを手に入れることになるかも知れない。

 西暦1990年代。IT革命の爆発的な影響は様々な産業を巻き込み社会に浸透して行った。

 ボクは写真業界や印刷業界に関わる者として様々な変化を目にした。
 デジタルカメラの登場により写真屋に必ずあった暗室は使われなくなり職人的な写真の修正作業はパソコンで出来るようになった。
 印刷業界では切り貼りしていた版下作業がパソコンで出来るようになり自動組版という未来が垣間見えるようになっていた。
 おそらくは様々な業界で効率化が進み、場合によっては業務そのものがなくなったり企業の存続が難しくなったりしたのではないだろうか。一方で、在宅勤務やフリーランスの可能性が開けたのではないかと思う。
 IT革命は印刷の組版における自動化の可能性も示唆していた。原稿と画像などの素材があれば、大部分を自動化出来るのではないかと言うものだ。それが確立すれば残業や休日出勤に苦しむDTPオペレーターやDTPデザイナーの仕事が著しく軽減出来るではないかと考えられた。しかし、自動化のためには定型化が必要だった。同じパターンの作業をこなすのであればかなりの効率化が可能なのだが、単発ものや臨機応変な対応が求められる場合はプログラムを組むより作業した方が早いことになる。そして作業を複雑にして効率化の妨げとなっているのは、そういう仕事なのだ。
 あれから時は流れボクは現場を離れた。果たしてどこまで自動化は進んでいるだろう。
 人工知能やビッグデータとの組み合わせにより更に複雑な仕事への対応は可能だろうか。それが可能になった時、過重勤務ばかりではなく仕事そのものがなくなるのだろうか。
 大変な作業だからこそ仕事として成立している場合もある。丁度いい加減は難しいのだ。

***

 今日は正月2日目にして作画した。漫画のシーンを思い浮かべながらキャラクターを描く、昨日は初詣に出かけたこともあって机に向かわなかったので少し心配したが、調子そのものは悪くないらしい。ただ、やはり少しデッサンが狂う。デッサンとは言ってもキュラクターが立体として成立しているかという部分であってさほど難しいレベルではないと思うのだが、それすらひずみが出てしまうということに苛立ちを覚えるのだ。
 2016年が始まった。これから一年を思って不安と焦りが浮かんでは雑念となる。


 腕立て伏せ:110回

2016年1月1日金曜日

幕開け

 A Happy New Year!!

 明日の天候が心配なので近所の神社に初詣。
 雪のない元旦。歩いていると少し暖かく感じるほどの気候で早春を想ったほどだった。
 神社には地元の方々が参拝に訪れてそれぞれの2016年を願っている。



 2016年が皆様にとって素晴らしい一年になりますように。
 今年もよろしくお願いいたしします。

 腕立て伏せ:110回

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...