今日は外出の約束があったのでいつもの予定を少しずつ繰り上げつつ時間に合わせた。結局、いつもの時間になったので普段通りで良かったのかも知れない。約束に遅れたわけではないから良かったことにしよう。
思っていたより早く帰宅出来たので作画に取り組もうとすると人に会ったことでそれなりに疲れたようで集中力が散漫だった。
撮影:2011/12/07 |
人生は長くもあり短くもある。どう生きるかは本人次第なのだ。ヒントはあっても答えはない。答えがないからこそ自由と言えるのかもしれない。人は自由なはずなのに生き方を変えることは容易ではないのは何故だろう。
少し見方を変えると働くことで報酬を得るという関係性が成立するのは人間ばかりではない。様々な動物や植物間でも報酬を得るために働いているような関係性を観察することができるだろう。人間の場合も報酬が欲しいなら働けば良いことになって社会が成立するという図式が出来上がるわけだ。もちろん社会には報酬を与える側の存在も必要である。より多くの人との間で報酬と労働の関係性が構築されることで需要と供給のバランスが出来ていく。
しかし、そのことに馴らされてしまうと報酬がなければ働けない意識が出来上がってしまうのではないだろうか。自発的行動の根拠が得られないのだ。需要と供給のバランスが取れている間は特に問題はないかもしれない。バランスが崩れた時どうするのかが問われる。
社会情勢の変化、会社などの経営状況や方針の変化、自分自身の変化…それらは意外と身近にあって気づかない間に変化し続けている。目の前のことに集中している間は背景に気を配る余裕がなかったりするので気がついた時には手遅れになりかねないのだ。気づいていても対応できる手段も発想もない場合もあるだろう。
何かアイディアがあれば実現に向けて動くことができる情熱や行動力が必要な局面がある。自発的な行動に繋げられないと、報酬を得るためにひたすら探し回るしかない。それで運良く見つかったとしても良い条件や待遇に恵まれることは稀ではないだろうか。
実行力があることは企業にとって都合が良いことばかりではない。従順に決められたことを効率良くこなすことが必要だからだ。自主的に動かれてしまっては統率も取れないし予期せぬトラブルに対応することだけでも大変だろう。
だからと言ってアイディアだけで動いたところで報酬がなければ生活は成立しないから結局従順になるしか方法がなくなってしまうのだ。
社会にとって必要なアイディアや行動できる人が成長し夢を実現できる仕組みは出来ないものだろうか。
プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:104回
2回目:122回
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