2016年7月31日日曜日

定型

 晴れ。今日も暑い。

 人物を描いていると得意な角度がだんだん決まってくる。決めのポーズや決めの角度が決まってくることは悪いこととも言い切れないが、ワンパターンになったりマンネリ化してしまうことは避けたい。
 プロと呼ばれるような人は失敗しない方法を見極めているのではないだろうか。それは師から学んだ手法にあったのかもしれないし、経験の中で見つけたものかもしれない。時には失敗こそが気づきを与えてくれることもある。失敗しない方法と言っても体調や環境、あるいは取り組む対象とするものが毎回同じ内容ではないから気を緩めていいというものでもないだろう。緊張感を持って、できる限り最大限の完成度で仕上げるからこそ評価され意義を見出せるというものだ。
失敗しない環境を整えること。準備を怠らないことが失敗する可能性を払拭し、自ずと成功へと導いてくれる。

撮影:5010/08/01

 人物に限らず、絵を描くという行為には何かしら得意なパターンがあるのかもしれない。構図や色、コントラストやリズム…それが魅力となれば良いわけだ。
 もっともそんなに簡単なものではない。抜け出せないクセやどうしてもこだわってしまうことが作品を台無しにすることもあるだろう。そこを見極められるような目を養うことも忘れてはならない。

 もしかして進化そのものもそんな風に成し遂げられてきたのだろうか。


腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:108回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回
自転車走行距離:約13km





2016年7月30日土曜日

記憶

 晴れ。朝から暑い。体がついて行けてない感じで体調も芳しくない模様。ここ数日、あまり動いてないせいだろうか。昼には室温32℃になった。エアコンを使うと具合が悪くなるようなので躊躇する。ショッピングモールは混雑していることだろう。

 時折、覚えのない記憶にたどり着くことがある。

 大抵は夢の中なのだが、時代も立場も現在とは違っていて現在とは別にその存在としての記憶を持っている。何のスイッチもなく意識だけが入れ代わるのだ。
「あれ?この記憶って何?」
 そう自覚した途端、現在の記憶に引き戻され夢を見ていたのだと納得することになる。しかし、果たして本当にそうなのだろうか。

 もし、記憶は脳に付随するものであって意識だけが自由なものだとすれば、眠りについている間は時間も空間も超越することが可能なのではないか。或いは、目覚めている間ですら自由に行き来しているのではないか。非科学的な話かもしれないが、実際、科学には科学のルールがある。科学が万能でないとすれば、ルールの違う世界では通用しないことなのかもしれない。そしてそれは奇異なことではないのかもしれない。
 その記憶が現在のものであるとするなら何のためにある記憶だろう?少なくても日々の生活とは全く縁のないもののように感じられる。もっとも遠い昔の記憶が残っていたりするから意味などなくてもいいのかもしれない。

 記憶が脳内でどんな仕組みになっているのかわからないが、現在見ているわけでもないのに映像として思い浮かべられるわけだから大したものだ。時には匂いや味まで思い出すことができる。


撮影:2009/07/31


 少し前から描き進めていた鉛筆のカットを漫画仕立てにしてみた。ちょっと実験的な試み。鉛筆画は加筆も修正も容易なのでスキャニングしてデジタル化することでストップモーションのような作品となる。スキャニング後に原画が変更されることでデジタルデータがオリジナルデータということになるから不思議な気がする。しかもデジタルとなっても修正は可能だから方向性が枝葉のように増えて広がる。




腕立て伏せ
1回目:102回
2回目:103回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年7月29日金曜日

突破

 晴れ。どうやら梅雨が明けたらしい。朝起きると涼しいような気がしたので室温を確認するとすでに29℃。間もなく30℃となりあっという間の31℃。常にじっとりとした汗をかいている感じ。夏だから暑いのは当然。それでも昨年よりいくらか楽のような気もする。

 日々何かしらの制作に取り組んでいると完成に至るまでの道のりは富士登山を思い出す。無理をしたら続かない。一歩ずつ一歩ずつ進む事が山頂にたどり着く最良の方法。
 そして完成はまるで想いの雫で器を満たすように。
 溢れそうになる前に止める。そこが完成。もう描けないと思う境界ギリギリのところ。
 ところが、時にはその境界を敢えて突破することで新たな器が見えてくる。完成はほんの一つのステップにすぎないことに気がつくのだ。


撮影:2006/07/30

 いつか漫画の基礎となるようにとデッサン教室に通っていた事がある。4年くらいは通っただろうか。その事が果たして基礎になったかどうか定かではないが、「美人画」を描いていきたいと思う事があった。古今東西「美人画」の名作が数多く発表され時代を超えている。現代はイラストや漫画といったジャンルにおいても「美人画」と呼べるような作品を見る事ができる。
 思うに「美人画」は石膏像のように人体の基本を捉え生命の存在としての美を讃えるものではないかと思う。基本的と考える美の基準。そこから個性や容姿を展開していくことは漫画のキャラクター設定の手法としても利用する。

 1年前、noteで募集された企画は美人画を描きたいという想いを刺激するには十分だった。早速デジタルで描こうとした。すると想いが空回りするばかりで完成形がイメージできない。そこではアナログに切り替えて…と出来れば良かったが、1年前のアナログの画力はまだ不安定で「美人画」として成立させられる自信がなかったのだ。

 果たしてこの一年でどれほど成長できたのかはわからない。
 完成というゴールにたどり着くための一つ一つの「描く」というハードルを越えることにためらいは少なくなったかもしれない。



 壁を突破するには、まず越えられそうなハードルに置き換えること。修練を積んでいくつものハードルを越えた時、いつのまにか壁を越えていることに気づくのかもしれない。

腕立て伏せ
1回目:102回
2回目:103回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年7月28日木曜日

期待

 曇り。
 目覚める時は、風もないのにサワサワと涼風が吹いている感覚があった。起きてみると小窓は少し開いていたが、別室で風を感じるほどではないだろう。不思議だ。
 薄日が射しているようなので洗濯を始める。蝉の声が聴こえる。蒸し暑くなりそうだ。 



撮影:2006/07/29

 良くも悪くも若さには夢と希望がある。可能性や時間。手つかずの経歴。
 皮肉なことに当事者にはそれがわからない。それが当たり前であり、実力や才能や運に恵まれていると思うのではないだろうか。
 可能性もチャンスも実感がないものだったりするから他にもできることがあるのではないか、他にも実力を発揮できる環境があるのではないかと考えてしまいがちではないだろうか。それはあながち的外れでもないのだが、若さとセットになっているからこそ失敗や暴走が許されていることに気づくことができない。
 可能性のあるうちにチャンスを掴むことができれば、次の段階へ進む手かがりもあるだろう。ただ、どんな環境にあってもできることをやるしかないという原則がある。
 若さという特権は気がつかないうちに無くなってしまうだろう。若さを売りにできる時期を過ぎ、若さに羨望の眼差しを向けるようになって初めてそのことに気がつくのだ。

 若い頃の可能性は失われても年齢や世代、或いは時代や環境による可能性を見落とさないようにしたいものだ。
 何よりも期待すべきは今現在の自分とその可能性なのだから。


腕立て伏せ
1回目:101回
2回目:108回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年7月27日水曜日

周到

 雨の音で目覚める。窓を閉め忘れて寝ていたらしい。窓を閉め、トイレに行って二度寝。気だるい目覚めだった。今日も暑くなるらしい。

 何事にも準備はつきものだ。
 今日の準備。明日の準備。来週の準備。来月の準備…
 先のことであればあるほど強い想いが必要になるかもしれない。そして失敗を重ねるほどに熟慮が重ねられ用意は周到になるのだろう。

 その日暮らしのような人生になったのはいつからだっただろう。
 目の前のことに取り組むことで精一杯だった。用意も準備も無駄になるのが嫌だったのだと思う。しかし、その日暮らしの日々を重ねてきた今思う。「用意しておけば良かったなぁ」と。いうまでもないが、仕事をするには様々な準備が必要だ。アシスタントや助手のような立場が多かったので仕事における用意や準備を欠かすことはできない。ところが、自分の人生の準備はというと何もできていなかったのではないだろうかと思うのだ。
 将来の姿がイメージできなかったのだから当然なのかもしれない。


撮影:2010/07/28

 今はどうだろう。
 用意や準備はできているだろうかと考える。
 漫画やイラストを中心に取り組むようになって2年が過ぎ去ろうとしている。下絵や下描きの類はそれなりに溜まってきてはいるが、それは技術的な向上のための訓練の成果であって作品のための準備とは少し意味が違う。
 短いスパンで作品を公開しようとすれば、充分な準備期間を確保できないので消耗戦のループに入ってしまいかねない。

 腰を据えて先を見通しつつ準備することが必要なのかもしれない。
 きっと用意や準備には夢や希望が詰まっている。


腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年7月26日火曜日

連係

 蒸し暑い夜が明けると雨だった。いくらか涼しいものの湿度は高め。

 制作には様々な工程がある。以前はデジタルで完結するようにしていたが、アナログで制作してデジタルデータ化するようになったこともあって工程が増えた。アイディアの発想から展開、下絵を描くにもキャラクターを練ったり背景を描いたりする必要がある。それをスキャニングして加工してイラレでコマ割りしながら画像とセリフを配置する…さらに公開するためのデータにしなくてはならない。他にも3Dソフトの利用なども考えれば、さらに多くの工程がある。
 これらの作業の連係が未だに上手くできていない。
 アイディアはアイディア、下絵は下絵と工程をブロック分けしてしまっているせいだろう。複数の人で手分けしている場合はそれでいいのかもしれない。問題は一人でやらなくてはならないということなのだ。


撮影:2012/07/27

 朝から雨ということもあって作画に専念することが可能だった。腕時計をストップウォッチにして時間の目安にしている。結構集中したつもりでも時間を確認してみると30分も経っていなかったりする。調子がいいとこれが逆転して大して描いていないつもりなのにあっという間に時間が過ぎている。時間の感覚が調子のバロメーターにもなるのだ。
 これまでの下絵や下描きを見て整理することが増えている気がする。それで目移りしてしまうのか焦点を絞りきれず時間ばかりが過ぎていく。

 今日はその中から下絵として描いていたもの一枚に注力。ペン入れして仕上げることも考えて描き込みすぎないようにしていたので躊躇いもありつつ意を決して加筆。描いているうちにそのまま鉛筆で仕上げる方針に変更。
 ペン入れをするなら漫画。鉛筆で仕上げるならイラストとして仕上げるのが良いのではないかと思っている。このままイラストとして描き込みの工程をしばらく続けることになりそうだ。

 夕方になって雨が上がったので買い物に外出。
 自転車で走りながら鉛筆でイラストとして仕上げたものを漫画として構成することだって面白いのではないかと思った。ただ、イラストとして仕上げた場合は独立した作品としても成立する必要があるので全体を描き込まなくてはならない。

 要は手間の問題なのだ。

 手間を惜しまずイラストとしての作品を成立させることができれば、長いストーリーを描くことは難しくても小編として世界観を提示することは可能かもしれない。企画の意図や作品の雰囲気などを考え合わせて臨機応変な連係を形成することが必要なのだ。


腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:103回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

2016年7月25日月曜日

配分

 晴れ。蝉の声が響き渡り、いよいよ夏も本番だろうかと感じる。

 最近、無意識について考えきたが、意識について考える機会があった。
 かれこれ一年になろうかという毎日の腕立て伏せだが、ここしばらく不調が続いている。原因はなんだろういくら考えてもわからない。以前と変わらないやり方でやっているはずなのに持続力が落ちている気がする。トレーナーがいるわけではないからわからないながらもとりあえず続けてみるしかなかった。


撮影:2010/07/26


 数日前、力の使い方が間違っているのではないかとふと思った。
 これまで「一生懸命やる」ことしか考えていなかった。腕の筋肉だけでは100回をこなせないので腕の力だけではなく胸筋に力を分散することはしていたが、それだけでは100回をクリアできなくなっていた。
「もしかしたら力の入れ方ではなく力の抜き方が違っているのかも。」
 そこで全身に力が入らないように腕と胸筋に注力するようにしてみた。イメージとしては両腕と胸筋で形成されるアーチに全身の体重を乗せるように意識してみた。
 すると全身の力みが軽減され必要な筋肉が増強されているようだ。逆に言えば、全身で力むことで力が無駄に分散されていたのかもしれない。まだ以前の調子に戻ったわけではないが、少しずつ改善しているような手応えがある。

 そんな風に考えていたら、創作活動もまた同様なのかも知れないと思い至った。
 一生懸命取り組むことは当然であるとして、一定の力がついてくると全力で力むことで柔軟さや粘りを奪ってしまっている可能性がある。余計なところに力が入っていれば却ってブレーキになっているかも知れない。

 必要な力を効果的に発揮することが作品の出来栄えにもつながるのではないだろうか。



腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:105回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...