若干やけ気味に色々調べているとただ不可視になっているだけの様子なので別の方法を試しているうちに唐突に認識したので意味がわからない。それでもまた時間をかけるよりいいだろうと思い続行するとまた消えた。そこからはもうどういう手順をとったのか自分でもわからない。多分どれかのファイルのリストがきちんとリンクされていないのだろうと推測はできてもどのファイルだかわからないのだ。
どうやらメールボックスを管理していると思しきフォルダが見つかったのでまだ読み込んでいなかったメールボックスを放り込んでみる。するとフォルダは認識しても肝心の内容は読み込まれていない様子。そこで一か八かそれらしきファイルの入ったフォルダをそっくり移動してみた。そしてメールソフトを再起動すると再度読み込みが開始された。前回の正規の方法と違って読み込み時間が表示される。しかもメモリの使用状況も我慢できる程度。
裏技だけに他のトラブルの心配がある。同じことをやって欲しいと言われても自信もない。ただ、正規の方法で深い階層が無視されてしまう場合があるのに今回の方法だときちんと読み込まれている様子。さっぱり意味がわからない。要するにメールが読み込まれるならよしとしよう。
撮影:2009/07/15 |
雨模様だったこともあり今日は外に出なかった。机に向かって鉛筆を走らせたり以前描いたカットに目を通したりしていた。毎度のことながら以前のカットを見ると恥ずかしいような申し訳ないような複雑な心境になる。例えば2年前のボクが描いたカットを得意気に見せに来たら叱りとばすか鼻で笑うかしてしまうかもしれない。けれど、ボクはそういう扱いを受けなかった。フォロワーさんや周囲の方の懐が深かったのではないかと思う。少なくても2年続けられるように温かく見守っていただいていたことに感謝するしかない。
反省しつつ、新しいカットを描いていると中身が伴っていないことに思いが至る。
漫画のカットやイラストを描いたり浮かんだアイディアを組み立てて設定を考えるのは次へのステップにもなるのでそれでいいとしても所詮小手先のことになっていないだろうか。それは予てより気になっていることである。いや、小手先と思われたところでそれを貫けるならそれでもいいだろう。問題は、ボク自身が満足できるかどうかということなのだ。描いていて飽きてしまうようではやはり長続きさせることは難しいだろう。絵の技術力がどうあれ「何を描きたいのか」「何を伝えたいのか」が欠落していることは、目的もなく荒野を歩くようなものではないだろうか。
画力が伴っていないと思い保留にしている作品にはそれがあったはずだと見直してみる。ところが、時間の経過のお陰で「想い」が希薄になってしまっている。
写真を撮る時に撮影する技術が伴っていないことにショックを受け慌てて技術を身につけたとしても同じ感動には二度とめぐり合えない。
描く前に思い出すエネルギーが必要になっているのだ。
なんだか勝手に反省してはリセットして少しも成長できていなす気がする。
描いている作品や設定を進めている作品の基盤は子供の頃の夢想だったものもある。当時はもっと面白くて素晴らしいものが描けると思っていたし描こうと思っていた。よもや子供時代の捉えどころのないホンの思いつきのアイディアにしがみつくことになろうとは思いもしなかった。
腕立て伏せ
1回目:75回
2回目:101回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回
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