2016年7月5日火曜日

起動

 曇り。いつ降ってもおかしくない雲行き。

 いつものローテーションをこなしながらもあまり食欲がない。しばらくの間コーヒーとクッキーだけで過ごしていたが、昼を過ぎてようやくパンとカレーと味噌汁を口にした。
 買い物をしておこうと自転車を走らせることにした。外に出ると肌寒く感じたので着ているものを一枚増やす。早く帰って来ないと降り出すかもしれない。目的はコーヒーとクッキー。それから少し遠いスーパーでニンジンが安くなっている様子だった。

 スーパーで目的のものを調達し産直の店に立ち寄ると新鮮な小ネギがほどよい価格。青々として美味しそうだったが、こういう時に限って冷蔵庫には在庫がある。家族がいればあっという間に消費されるであろう食材も一人で消費するには結構時間がかかるのだ。身体を動かしたことが空腹感につながったのでパンとジュースを買って食べた。

 書店に立ち寄って「無意識」に関する書籍を探してみる。自宅にはまだ読んでいない本がたんまりあるので買う予定ではなくても状況が気になる。最新の科学に基づいた知見の書籍があるかもしれない。検索システムがあるので使ってみた。「ムイシキ」で検索するとかなりたくさんの書籍がヒットする。ところが、内容を確認してみるとどれも「在庫なし」である。それでは自宅でネット検索した方が良いというものだ。内容的に図書館を訪ねた方が良いだろうかと考える。
 心理関連書籍コーナーに立ち寄ってるみると一冊それらしい本があった。3000円くらいかなと思って価格を確認すると2900円だった。内容的にもしっかりしている印象で読んでみたい衝動にかられる。他にも何冊か手に取ってみると一々「なるほど」と思う内容の本が何冊もあった。要するに購入したらきりがないのである。まずは大きな書斎が必要だろう。

撮影:2011/07/06

 脳の活動を活性化を促すために環境を変えたり運動したりしている。腕立て伏せはいつから始めたんだったろうか。もうすぐ1年くらいになるのではないだろうか。始めた頃は10回すらできなかったのだから驚きである。

 物理的な何かに触れていることで活性化すると言うことはあるだろうかと考えてみる。学生時代、鉛筆やシャープペンシルを鼻の下に挟んでみたり手でクルクル回しながら考え事をした経験はないだろうか。
 たとえば、考え事をする時には、鉛筆や本を手に持っていることに決めてみる。それを習慣付けた場合、鉛筆や本を持つと考え事が始まるようにならないだろうか。これは道順を憶える時に看板や建物を目印にするのと似ている。普段は忘れていてもその現場に行けば自然に思い出すのは記憶の鍵が現場の風景にあるからではないか。そう考えると何かしらのアイテムを記憶の鍵として利用することも可能ではないかと思うのだ。

 記憶回路に限らず、もの想いに耽ってアイディアを出す行為や描くと言う動作にスイッチするための手段として鍵を使い「無意識」を起動させることは可能だろうか。

 習慣化が「無意識」を起動する鍵になるのではないか…そんなことを思った。


腕立て伏せ
1回目:90回
2回目:108回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回

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