描くことは自由であり誰もに可能性がある。だから何の権利も義務もないにも関わらず、描くこうする物語に相応しい画力を身につけて初めて描く事が許されるような気がしてしまう。
相応しい絵とは何だろう。
それは作家にしか解らない。そして解っていなくてはならないものかもしれない。
軽妙なタッチで繊細な雰囲気を表現したい場合もあるだろう。重厚なイメージで社会問題を描きたい場合もあるだろう。どんな作品を描きたいのかによって相応しい絵柄も違ってくるものではないかと思う。実際には描きながら自分のものにするものなのだろう。
絵柄が決まると作家はその絵柄で作品に取り組んでいくことになる。納得のいく絵柄でなくては長く描いているうちに整合性が破綻しかねない。ギャグタッチとかシリアス路線とか絵柄を描き分けられた方が良いと考えていたことが良いのか悪いのか。
撮影:2011/11/19 |
自分の作品を描くための権利を既に手にしているものなら、あとは行使あるのみ…の筈だ。
天候が良いので先に買い出しに出ることにした。スーパーから書店を回り靴屋に立ち寄ってドラッグストアに入ってみる。するといい感じの室内履きが安く売っていた。すでに霜焼けになっているのでこれからのために購入。それからまたスーパーへ。ニンニクと卵は欲しいと思っていたが、そろそろ料理酒がなくなるので安くなっていないか確認して回る。すると最後に立ち寄るスーパーで全部揃った。いや、揃うはずだった。
帰宅して作画に取り組む。
新しいカットを手がけようと考えつつ昨日描いていたカットの修正に終始してしまった。一点公開しようと思って再度確認してみるとアラが見えてしまって結局アップできなかった。
小腹が空いたので先日購入した柿を食べることにした。皮を剥いて口に入れてみて「あれ?」となった。甘いことは甘いが期待した甘さと違う。怪訝に思いながら確認すると「甘柿」と書かれていた。庄内柿を買ったつもりだったから甘味の質が違うのだ。庄内柿は渋柿から渋抜きをするのに対して甘柿は元から甘柿である。そもそも地元で甘柿は栽培できないと思い込んでいたので産直の店で柿が売られていたらそれは通称庄内柿…地元で採れた渋柿を渋抜きした柿だと思っていた。甘柿を食べることなどあまりにも久しぶりなので味もすっかり忘れてしまっている。まだあるので次は「これは甘柿」と肝に銘じて食べることにしよう。
夜になってあちこち回っているうちに肝心の卵をすっかり忘れて帰宅してしまったことに気がついた。慌てて再度出かけてみたら安売りの卵は既に売り切れていた。日曜日にはまた安売りになるはずなので忘れないようにしなければ…とおかしなことに情熱を燃やしていたりする。
プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:110回
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