体調が優れないのは、台風の影響だろうか。
今日は少し手描きに取り組んでみたが、多分暑さのせいで落ち着かない。外出しなかったせいだろうか。焦燥感がたまっているようなイライラが続いている。
Webの更新状況をチェックするための良い方法がないかずっと探している。良いものがあっちと思ってもなかなか納得の行くサービスやアプリが見つからないのだ。今日も少し調べ物をしていたらプログラム的なものを利用することで希望の機能を実現出来そうな記述が見つかった。そんなに難しいことではないようなのだが、全くの素人から始めて思うように行くわけがないだろうと思う。Applescriptであれば少しなら解るつもりなのだが、それ以外はからっきし解らない。正しくはプログラムではなく関数の応用ということになるだろうか。その違いも今ひとつ理解できていない。
撮影:2006/08/31 |
出来ることと出来ないことの間には、まるで見えない壁があるようだ。
行ける場所と行けない場所。距離的な問題か費用の問題か…あるいは労力の問題か。
地球は丸くて陸地は海でつながっているから前人未踏の地は少なくないのではないかという印象を持つ。しかし、個人のレベルを考えれば、町から出たことがない人だっているだろう。便利になったからこそ遠くに出かける必要もなくなりつつある。見えない壁の中で暮らすようなものだ。
田舎暮らしは車がなければ成立しないと言われるが、自転車があれば行動範囲が広がる。そればかりか昔の人の徒歩の行動範囲を聞いて驚嘆することがある。つまり、便利さ故に出来ることも出来ないことと考えて見えない壁にしてしまっているかもしれないのだ。
人類の叡智を結集した技術もまた日々進歩発展し可能なことは拡大してきた。それもまた個人単位を考えれば、出来ることは限定的である。便利なものが普及すればするほど努力の必要はなくなる。従属していれば、楽に生活することが可能かもしれない。
ところが、本当に欲しいものが手に入るかというとそうでもない。
何しろ個人のレベルは千差満別。多様性の時代であればこそ、本当に必要なものは一律ではない。オーダーメイドすることなどで手に入れることは可能だとしてもそれすら費用の問題が発生する。
出来ないことを出来ることにするための選択肢に残されているのが「労力」だとすれば、まだ可能性があるのではないだろうか。労力でどこまで見えない壁を乗り越えられるか。あるいは壊すことができるか。
世界は可能なことの中で限定され完結する。その世界が大きくても小さくても優劣はないだろう。充実していてもいなくても納得できていればいい。ただ、それが無意識のうちに進路を決めているのではないだろうか。
…と、自分のやる気を焚きつけてみても、頭脳労働はやっぱり億劫だったりする。
腕立て伏せ
1回目:100回
2回目:110回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
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