2016年4月22日金曜日

活性

 思い出すのに努力を要するような日。一体何をしていたのだろう。
 バイオリズムが低調ということで気持ちを楽にしようと思っていたことは確かだ。
 朝もゆっくりしたせいで朝食は正午を過ぎている。実は1日2食生活はどうだろうと考えていることもあって朝食兼昼食だ。
…そうだ。作画系の脳を休ませれば、効率が上がるだろうかと考えて少し数字と向き合っていた。ずっと課題になっていることなのだが、表計算ソフトでランダムな数字の列をもとに次の数字を予測する関数がないか調べているのだ。昨夜から少し調べ始めていて、いくつかの関数があることはわかった。一つずつ試してみるとどれも目的に合致しないようだ。勉強不足なだけで工夫すれば使えるのだろうか。しばらく格闘してみたもののやっぱりわからないので再度保留することにした。


撮影:2011/04/22

 それから机に向かって鉛筆による下絵の作画。数字と格闘したせいか調子が悪くないようだ。脳を活性化されるということは、一部だけを活性化させることよりも全体を活性化させることが大切なのだろうか。そう考えると一意専心よりも様々なことに取り組むことで全体としての効率が上がることになる。苦手意識を忘れて次々に課題に対峙した方がいいのかもしれない。
 それから改めてネームを描き込む。ここ数日、外出したり他のことをこなしつつ脳内のイメージを再構成していた。最近、視力に問題を感じていたのに調子がいいような気がする。アーモンドを食べていたせいだろうか。なんでも老化現象の一因となるAGEという物質を排出する働きがあるとのこと。まさかそんな即効性はないだろうかと半信半疑である。
 空腹になったので紅茶を入れ、ブルーベリージャムで食パンを一枚食べた。
 そこからはMacに向かう。
 制作中の漫画の背景を制作するためにまだ使い慣れていないソフトを起動。英語モードで使用する必要があるのでMacをあらかじめ設定してあった英語バージョンのOSに切り替える。まだ使い慣れていないとはいえ、何度か使っているうちに無意識に体が反応するようになる。記憶を辿るより身体の反応に任せる感じなのだ。ざっくりとベースになる画像を作画しておいていつものソフトでまた編集。デジタルドローイングとはいえ、作業そのものはキャンバスにアクリル絵の具で描画している感覚だ。もっとも、レイヤーを分けたり透過効果を設定したりすることはデジタル独自の感覚が必要かもしれない。

 このブログのための写真をチェックしていると季節の様子をチェックすることになる。そろそろあの山へ行けば、瑞々しいフキノトウが出ているはず。平地ならコゴミも出ているだろうと想いを馳せると途端にソワソワし始める。子どもの頃、家族で山菜採りに出かけることがあったから習慣になっているのかもしれない。

 一日を終えてみると何が低調だったのかわからない。
 思い出すのが難しかったのは、色んな課題に取り組んでいた結果なのだった。

腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:105回

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