2018年4月19日木曜日

爪痕

 晴れ。桜が最盛期のはずだと思い買い物ついでに近所へ出かけた。

《幾年》撮影:2008/04/20
毎年花を咲かせられるという幸福

 以前は散歩コースのように歩いていた坂道だ。傾斜がきついので半分以上は自転車を引っ張りながら歩く。案の定、桜は満開を迎えている様子だった。通りかかるといつも気になる場所がある。そこには飼われているようないないような微妙な立場の猫家族がいる。
 もう何年も前に通りかかった時、そこには人懐こく気が優しく品の良い猫がいた。カメラを向けるとポーズを決めているようにさえ見える。どうやらお腹には新たな命が宿っているようだった。しばらくして通りかかると何匹もの子猫がいた。可愛がられていると思ったのに家族が出来たことで状況が変わったようだ。通りかかる度に少しずつ少なくなっていた。子猫が大きくなってそれぞれ独り立ちしたのだろうか。そのうち母猫の姿が見られなくなった。子猫が大きくなりまた子猫が生まれた。子猫は何匹かいたような気がするが黒猫の印象が強く残っている。この代になると厄介者扱いされているようにも見えた。痩せて毛並みも良くない。生まれた子猫も長く生きられないのではないかと思えた。彼らは飼い猫ではないのかもしれない。たまたま可哀想に思った人が食べ物を与えているだけのようにも思えた。少し離れた所に「猫を餌付けしないでください」という看板があることを知っている。

 今日、久しぶりにその場所を通りかかった。冬には初詣で通る場所だが、もちろんその時に猫家族の姿は見られない。
…と、藪の中に気配がするので覗き込んでみると…いた!黒猫だ!2年ぶりくらいではないだろうか。まだヨチヨチ歩きだった頃のことなんて覚えてないだろうと思いつつ可愛くて仕方ない。まだ若く遊びたい盛りなので撫でようとるとジャレついてくる。甘噛みしたり爪を控えめにしてりして気を使っているようではあるが、野生の衝動が抑えきれれないようだ。ゴロゴロと喉を鳴らしながらも遊びたくて仕方ない様子だった。お陰で手は小さな爪痕がたくさんついた。少しばかり出血してしまっても何だか嬉しい。子どもの頃、実家にいた猫に散々引っかかれたり噛まれたりした記憶が蘇ったせいかもしれない。

 よく見ると黒猫は真っ黒ではなくダークグレイの綺麗な毛の色をしていた。元気に人懐こく優しくて品のある猫になるだろうか。

 桜は最盛期を過ぎて葉桜になっている樹もあった。そればかりか今年は冬の寒さが厳しかったせいか花芽の数が少ないように見える。昨年の桜が見事だったので今年は控えめなのかもしれない。

 昨日は雨だったので久しぶりにミニスタジオでの撮影。以前から部分的なクローズアップ写真を撮ろうと考えてはいたが、なぜか行動が伴わなかった。最近は野外で部分のクローズアップを撮る機会が増えているせいか抵抗なく撮影できたような気がする。





プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:150回
2回目:151回

0 件のコメント:

コメントを投稿

漂泊

 2021年は変化が大きく波に揉まれるような日々だった。2020年が予想外の幸運に恵まれていたのかもしれない。その波に乗れないまま呑まれてしまったようだ。良いこととそうでないことが同時進行し、気持ちの切り替えに苦慮した。元々器用な方ではないからこう言う時には複数の人格の必要性を感...