2017年10月3日火曜日

着想

 曇り。少し久しぶりに写真の投稿をしてみた。リクエスト形式の募集では凄腕のカメラマンが応募しているのだから敵うわけがない。そうは言ってもお蔵入りにしても意味はないのだ。買い手がつかないにしても見てもらえるようにしておけばいくらかでも撮った甲斐があるというものではないだろうか。

撮影:2011/10/04

 それにしてもこれまで撮影した写真を見返してみてもありきたりのつまらない写真ばかりが並んでいる。フリーカメラマンとはどういう人なんだろうと子供の頃に思っていた。写真の仕事は様々な分類が可能だと思うが、町の写真館のような存在は営業写真と呼ばれ、広告やカタログなどの撮影に関わる存在を商業写真と呼ぶようだ。フリーカメラマンはフリーだけに組織に属していないことなんだろうと思う。きっとそれだけでは十分ではないのだ。
 思うに着想が違うような気がする。面白いとか美しいという感動を提供出来る作品はただシャッターを切っただけでは撮れないのだ。近年、AIの発達やディープラーニングといった技術の進歩により見違えるような写真に修正することが可能になってきたという。ドローンの普及にも目を見張るものがあるからそのうち過酷な環境の場所へもドローンが飛んで行って撮影してくることも珍しくなくなるかもしれない。しかし、個人の人生経験といったものが今のAIにもドローンに搭載されていないだろう。何を見て何が心を動かしたかと言う想いがシャッターを切らせなくてはならないだろう。それには今しばらく時が必要ではないかと思う。

 撮りためたつまらない写真に心が動かされないのは「もの」を撮っているからかもしれないと思う。ピント、露出、構図…様々なことに気を配っているつもりではいてもそこに感動がなければならないのだろう。
 端的に言って光が撮れていないのだなという感想を持つ。光がなければ写真は写らないので真っ暗ということはないのだが、光を掴まえる意識が必要なのではないだろうか。フラットで遠近感もない退屈な画面構成の写真は記録にはなっても作品と呼ぶにはあまりに薄っぺらい気がする。

 感動するような作品を撮影するには遠くに行ったり朝晩のドラマチックな時間帯に撮影することが必要だと思っていたが、実は着想の問題であり心の中に感動を見つけることが先決なのではないかと思った。


プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:106回
2回目:118回

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