まっすぐ進みたくても道がない。崖があって進めない…仕方なく迂回する。そして迂回の道でまた迂回の必要があったりして迷子になるのではないか。気がつくと元いた場所に戻っていて時間だけが過ぎていたりする。しかし、迂回して道に迷ってこその出会いもある。そう考えれば無駄なことではないのだろう。道草ですら足りないものを探しているのかも知れない。
食べたものを毎回写真に撮っているわけではないが、撮っておくと記録にはなる。2013年の今日は麻婆豆腐を作ったらしい。そういえば、最近作っていないかも知れない。折りをみてまた作ろうと思う。
撮影:2013/02/06 |
土日は雑用が少ないので制作に打ち込むことができるはずなのにどうしても気が緩むらしい。生活を考えるとそんな暢気なことは言っていられないはずなのに。
腕立て伏せ:108回
今日も机に向かって作画に取り組む。年齢のせいで近い所を見るのに苦労することがある。公的な場所でそう言う場面に遭遇すると困ってしまうことがある。漫画を描く際もそうなので一応100均で買ったシニアグラスを手元に置いてある。ただ、使ってしまうと負けるような気がして意地を張って裸眼で描くように努めていた。ところが、最近不思議なことに漫画を描く時だけ近くに目の焦点が合うような気がしていた。それでもペンで2本の線の先端を合わせようとするとズレてしまう。描いた線に隙間があると後の工程で手間が増えるので出来るだけ閉じておきたい。
今日、ずっと使っていたGペンのペン先を交換した。予想はしていたが、Gペンとは思えない程に線が細い。しばらく描いて慣らさなくてはならないと思いつつ描いてみると…これまた不思議なことに余計な隙間が出来ず閉じたい線はぴったりと閉じる。これはどういうことかと考えてみた。要するにこれまで使っていたペン先に腰が無くなっていたためにペン先が意図しない線を描いていることに気がつかずにいたということだろう。それはペン先のせいではなく視力のせいだと思い込んでいた。これは描いている紙の下敷きのせいもある。机の天板は木製なのだが、カッターナイフで傷をつけたりしてしまうのでカッティングマットを敷いている。そのままでは表面のわずかな凹凸や固さの影響で描画感がしっくり来ないのでさらに厚手の紙を敷いている。厚手の紙は力をかけて描くと鉛筆の先やペン先がわずかに沈むのだ。しかし、この沈む感覚の誤差を把握出来ていないとペン先が泳いだり逃げたりするのだが、腰のなくなったペン先では誤差を修正するコントロールが利かず本来描きたい線からわずかに迂回していたということだろう。
いずれにしても明日からは精度の上がった眼とペン先で作画することが出来るはずだと期待している。
腕立て伏せ:108回
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