予定より灯油の消費が早い。この時期の光熱費は悩みの種だ。防寒着を着込むなどして我慢しているつもりでも在宅時間が長いので必然的に暖房のお世話になる。これでもコタツがないので電気代はいくらか節約出来ているはずだが、ファンヒーターの使用時間が長ければトータルではどうなのだろう。午前中に一度自転車で走れば身体が暖まるので暖房の使用時間も短く出来るのではないかと思いつつ、この時期はそれもなかなか難しく実行出来ないでいる。春はもうすぐだろうと思えば、気持ちはいくらか楽になる。
撮影:2009/02/14 |
今日も机に向かった。しかし、鉛筆が走らない。ペンも走らない。
こういう日が定期的にやって来る気がする。丁度バイオリズムが低調期。調子が悪い時にはバイオリズムか気圧のせいにしているのだ。最近はそれに加えて月との距離。月の影響については以前から関心があって月の引力がどういうタイミングで最大になるのか調べてみたものの残念ながらわからなかった。ただ、月は楕円軌道を描いていて新月と満月の日が最接近の日とは限らないらしい。満潮や干潮が月と太陽の引力の影響であることは知られているから月の最接近のタイミングと重なれば、影響が強くなるのではないかと想像した。また地球の自転により北極や南極と赤道付近では体重にも差が出るらしい。これは単純にわずかな体重の違いだけだろうか。わずかな差とは言え常に身体全体が影響を受けているのだ。
結局の所、何の影響か特定は出来ない。毎日悶々としていた頃の事を思えば周期的な不調はまだ良い方かも知れない。逆に言えば、不調でない日があるということだ。
何にもしない中高年サラリーマンが話題になることがある。何にもしないんじゃなくて何にも出来なくなるのではないだろうか。それで仕方なく過去の栄光を声高に自慢したり社会や組織批判…果ては個人攻撃に終始することになる。他人事ではないのである意味では自己防衛なのかもしれないと思ったりする。若い頃はそれがわからなかった。いくつになっても活動的な人がいるからかも知れない。できればボクもそうありたいものだ。
車がある時は雪があっても気晴らしに車を走らせていた。お陰で少しは写真が残っていたりする。自転車でも少し頑張れば気晴らしくらいは可能だ。やはりある程度の準備と覚悟がないとリスクが高まる。気温が下がっているので路面が滑ることがあるし少しずつ長くなっているとは言え、まだ日が短いのだ。夕方にスーパーへ買い物に出たが、帰宅直前にコンクリートブロックを見落として衝突するところだった。
子供の頃は新鮮だった季節の移ろいを何度も経験しているうちに繰り返される当たり前のものになってしまっていないだろうか。いつか愛おしくて別れがたい世界へとなっていくのだろうか。
腕立て伏せ:102回
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