2016年1月4日月曜日

日進月歩

 歩みを止めれば進歩はない。
 そんな当たり前のことを改めて思う今日この頃。若い頃は多くの可能性を感じるから様々なことを試したくなる。それはそれで良いと思う。その中からこれと思うことに取り組んで行けばいいのだ。もっとも、実態はそれほどシンプルではない。組織や人間関係、社会的・経済的問題、健康面、持って生まれた資質や努力…と様々な事情が方向性に関与し、進みたい方向へ進むことは難しい。
 しばらくすると思いもかけない道を歩いているコトに気がつき「あの頃は良かった」と懐古するばかりになりかねない。どんな道を歩くことになっても悔いのない生き方が出来れば迷いやためらいは軽減されるのだろうか。
 ボクの人生はと言えば、迷いやためらいで出来ている。人生の地図があれば非効率で無駄な道を選択してきたことが一目瞭然だろう。時に目的を変え、時に手段を変え、いつしか方向性すら見失った。大したコトない気力や体力が続く限り目の前のことに打ち込むあまり間もなく限界に達しては頓挫したり挫折したりを繰り返すから周囲の理解を得ることも難しい。
 思い返せば、漫画家になりたいという想いを否定し続けたのは両親だけだったかもしれない。両親は公務員になることを望んでいたが、それはウチに限ったことではなかっただろう。時代背景や経済事情を考えるからこそだったのだと思う。最近になってそれは両親の夢だったのだということに思い至った。漫画家と比較して現実的で安定した生活に思えたのかも知れない。ボクには漫画家以上に非現実的なものに思えていた。漠然として何を目的に頑張ったらいいのかすら理解出来なかった。そもそも中学の頃には勉強が面白くなくなっていた。唯一成績が悪くないのは美術。入試科目でないばかりか高校の頃には授業からも姿を消してしまい、力を伸ばすなどと言うことは口に出すことすらはばかられた。ボクにもし翼があったとしても強い向かい風に煽られて叩き折られていたか飛び方すら解らずに大地に落下していたことだろう。だからボクは翼を畳んだのだ。
 少なくても今飛んではいけない…。
 漫画家になりたいなら絵画や映画、音楽などジャンルを厭わず良質な芸術作品に親しむこと。裸婦デッサンを経験すること。社会を経験すること。雑誌などから得た知識でも身近に取り組むことが出来るものがあった。そしてとにかく描くこと。裸婦デッサンを経験出来たのは20代の半ばを過ぎていた。
 父が他界したことで色んなものの形が変わったようだ。夢を追うことに終止符を打たねばならないと思った。あれから瞬く間に過ぎ去った時間の中で一体何を得ただろう。何が起きても大したことではないとポーカーフェイスを気取った結果は行き止まりになっていた。その間に経験したことに不満があるわけではない。むしろ得難い経験だったと思う。ただ、ボクが歩みを止めてしまっていたことは否めない。知人の絵描きさんはいつも描くことを勧めてくれていた。にも拘らず状況が許してくれないと思い込んでいた。その思い込みのお陰で長いブランクが出来てしまった。
 生活のため家族のためと思って選んだ行動は必ずしも理解されない。それでも役に立ちたいし、生きなくてはならない。想いと成果がチグハグになり周囲に迷惑をかけてきた。

 もしかしたらボクに必要だったのは「すべての希望とすべての可能性が断たれること」だったのだろうか。そして翼はまだ…生きているだろうか。


 腕立て伏せ:105回

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