2016年1月9日土曜日

金賞

 それは絵画展の受賞者を掲載した新聞記事。ボクの作品が金賞を受賞したという夢だった。夢の中での喜びは純粋に嬉しかった。
 現実世界ではどうだろう。
 何かしらの受賞しようものなら大量の石が飛んで来るような時代である。受賞さえしなければ平穏な生活を送れるかも知れないのに受賞したばかりに渦中の人となり築き上げて来たものが音を立てて崩れ去る。
 昔からこんな風だっただろうか。インターネット普及前でも羨望や嫉妬の目はあったに違いないだろうが、立上がれないほどまでに叩きのめしていただろうか。

 競争がスキではないボクでも何かのはずみで選ばれてしまうことはあった。
 小学校の頃、写生大会で描いた絵がたまたま選ばれてしまった。しかし、それはボクには不本意だった。たしか写生大会の前に図工の時間に点描の技法を学んだのではなかったかと思う。それで写生大会では点描で描き始めたのだが、描こうとしていた絵は牧場の羊だった。緑色を多彩に描き分けることなど知らず、不透明水彩の絵の具はいとも簡単に溶けて先に塗った色と混じり合った。つまり隣の色と混じり合わない距離感を保ちつつ一面の緑と羊を表現しなくてはならないことになる。始めこそ真面目に点描を開始してもしばらくすると時間内で仕上げることは不可能と気づいた。点描の点は徐々に大きくなり、なかなか乾かない不透明水彩に苛立って集中力が切れてしまった。そこからは太い筆にたっぷり緑色の絵の具を含ませ、太鼓を叩くように画面を叩いた。描きたい絵にはほど遠い見るも無惨な絵に仕上がっていたのだ。やりきれない想いのまま写生大会は終わり不愉快な気持ちを抱えたまま作品を提出した。ところが、後日図工の先生が選んだ数点の絵にボクの絵が入ってしまっていたのである。たしか「今回に限り」という条件つきだった。担任の先生も「良さがわからない」と言う。描いた本人にすらわからないのだから当然だ。そして不本意だった。
 納得出来る作品を描くというのはいつになっても容易ではない。だからこその挑戦なのだ。

 ちょうど同じ頃、夏休みの工作が入選してしまった。当時、夏休みの工作をやらずに登校して巧みに出来のいいものを作って来た級友と共同作品ということにしてしまう同級生もいた。もっともその級友でさえ自力で作ったとは思えない出来だったからどっちもどっちかなとは思う。だからボクが気に病むほどのことではないかも知れないが、ボクの作品は母のアイディアが元になっていた。作ったのはボクであっても選ばれたのは母のアイディアだと思ったのだ。オリジナリティとかプライドを意識し始めた出来事だったのかも知れない。それからはウケが良くなかろうが自分のアイディアで作ろうと思うようになり、それは絵を描くことにも繋がっている。

 社会人になってたまたま小学校の頃の同級生に地域のコンクールの絵を描かないかと言われたことがある。彼はその運営事務局の一人らしく、コンクールを盛り上げるために作品が欲しいということだった。応募者が少ないのかも知れないと思った。何よりも審査委員長は尊敬する漫画の大家である。締め切りまで時間がなかったが、ちょうどボクには制作に打ち込める時間があった。その漫画家さんの好みそうな曲線を意識してオリジナルの構想を組み立てた。締め切りギリギリまで徹夜で仕上げ、郵送では間に合わないので事務局に直接持ち込んだ。もっとも作品の出来に満足していたわけではない。友達に協力し尊敬する漫画家さんに見てもらう機会があるならそれでいいじゃないかと思っていた。ところが、その作品が入選してしまったのだ。授賞式があるというので会場へ出向くとボクは審査委員長の漫画家さんの特別賞をいただくことになってしまった。壇上には受賞者のために一段高くなっていたのだが、一番最後に呼ばれたボクはその段に収まりきらなかったためひとりだけ他の受賞者より低い位置に立つことになった。地方の小さなコンクールだし、大した不手際ではないのだが、何だか釈然としない想いが残った。賞には漫画家さんの直筆サイン入りのイラストという副賞があったが、それこそが主たる賞だったように思う。石こそ飛んで来なかったが、この話には個人的に不愉快なこぼれ話があったため、複雑な思い出になっている。後悔するのは、時間があればもっと良い作品が描けたのではないかということ。そして受賞の際に漫画家さんに握手をお願いすれば良かったということ。

 そしてさらに後になってインターネットで募集していたイラストの仕事をすることになった。その時にあの漫画家さんの雰囲気がぴったりだと感じたのが、制作に当たっては真似にならないように関連資料は見ないようにしてオリジナルを心がけた。そして曲線より直線を意識した。ただ、尊敬する方だけに影響からは免れないだろう。心のどこかがミシミシ音を立てている気がした。本人が真似したつもりでも似ても似つかぬ場合もある。結局、結果で判断を仰ぐしかないのだ。
 ボクの仕事で唯一書店に並ぶことになったが、オリジナリィについてこれからも常に考えていかなくてはならない。欲しいのは見せかけの金賞ではないのだから。


「芸は身を助ける」という言葉がある。ボクは人生の危機的状況を迎えた時、何度も「描く」ことに救われているような気がしている。


 腕立て伏せ:102回

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