2016年5月12日木曜日

必要

撮影:2008/05/13

 必要としている人のところに集まらず、足りている人のところには必要以上に集まる。
 それはお金に限ったことではなく技術や幸福感もそうなのかもしれないと考えてみる。

 大きな川のほとりで暮らす人にとって水は潤沢にある身近なものであるように砂漠に暮らす人にとって砂はありふれたものである。

 技術を持つものにとって技術は生活の糧を得るために必要なものであり、なくてはならないものである。しかし、その技術を身につけるためには長い時間と努力を要するはずだ。技術が必要になった時、お金を持っている人ならば対価を支払って役立てることが可能かもしれない。
 では、幸福感はどうだろう。
 笑いだったり感動だったり充足感だったりという幸福感が得られるならお金を持つ人も技術を持つ人も喜んで持っているものを提供できるのではないだろうか。ただ、お金以外の技術や幸福感などといったものは数値化することが難しい。だから経済価値至上社会になりがちなのではないか。

…というのも「描く」ということについて考えていた。
 イラストにしても漫画にしても昔からは考えられないほど多く利用されている。そして描いている人はかなりの数に上るのではないだろうか。その技術を活かせる機会は多いとは言えないしマッチングもうまくいっていないように感じることがある。潜在的な必要性はあるはずだからまだまだ発展途上なのかもしれない。日本の場合、描くという行為に対する評価が高いとは言えないだろう。対価についてもおざなりにされがちだと感じるのはそのせいだろうか。
 そうした中で描くことがどんな役割を持つのだろうと思う。
 例えば自叙伝を遺したい人の挿絵であるとか漫画化ということを考えるとおびただしい数の需要があるはずではないだろうか。しかし、対価の問題もあるし制作期間や打ち合わせなど多くのハードルや難関が想定できる。気に入ったタッチの作家と巡り合うことも容易ではないだろう。

 そんなことを考えながら作画を始めたせいかひどく調子が良くない。昨日まぁまぁだと思っていた絵がとんでもない駄作に見える。昨日調子いいと感じていたのが錯覚なのか今日の感覚が狂っているのかわからない。とにかく描き進めることにした。進行中の作品がないので暴走気味なのかもしれない。夜になってやっと少し感覚がつかめてきた。エンジンかかるのが遅かったのだろうか。

 いつか必要とされる作品を描きたい。


腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:107回

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