2016年5月27日金曜日

下絵

 パチンパチンという弾けるような音に気づいて目覚めた朝。近所で誰かが爪を切る音かと思ったら雨だれの音だった。雨は一時的に激しさを増し再び眠りに落ちることを妨げたが、いつしかまた浅い眠りに落ちたようだ。

撮影:2010/05/28

 昼食にカレー。そして制作中のアイスコーヒーのパターンが功を奏しているのか、比較的集中力を維持できている印象。何より数日前に観たテレビドラマが効いているのかもしれない。今真剣に取り組まずにどうするんだという想いが沸々と沸いている。

 これまでに描いていた下絵の山を少し整理した。すると少し前の自分の絵の酷さを確認せざるを得ない。調子の良くない時には、そんな絵を見て直そうとしたところで悪くなっていく一方だが、今はいくらか調子がいいようなのでデッサンの狂いを修正したり描き直したりできる。調子が出ないとぼやきながらも「よくここまで描いてきた」とそこだけは認めてもいいんじゃないかと思う。内容はひどいものだとしてもその蓄積が紙一枚分の厚さずつ成長してきたのかもしれない。
 敢えて自分に厳しいことを言うとすれば、どんなに下絵を描いたってどんなにアイディアを積み重ねたってまとめる力がなければ作品にはならないということだ。

 原子はどうして結合しあって分子になるのだろう。結合するための条件が満たされると適正に結合し分子となる。水素と酸素の原子は結合しあって水の分子となり、炭素と酸素の原子が結合しあって二酸化炭素となる。
 描きためた下絵やアイディアはどんな条件を与えると結合して作品になるのだろう。今はバラバラの断片を整理しながら結合の条件について考えてみたりしている。

 午後になって雨が上がり、陽が射し始めたので自転車を出した。
 特に用もないがホームセンターに立ち寄ると店の前にドロップハンドルの自転車が止まっていた。ドロップハンドルというとスタイリッシュなフォルムが魅力でもある。ところが、後ろにつけたキャリアに買い物用のカゴをセットしてあるというなかなか大胆な仕様になっていた。しかし、荷物を運ぶことを考えれば気持ちがわからないわけではない。
 店を出る時にその自転車の持ち主がいたので声をかけて立ち話となった。聞けば、県外で購入したものでキャリアなどをセットすることでいい値段になったらしいが、買い物用のかごをセットして欲しいと店員に依頼したら「お客さん、冗談でしょう?」と言われたとか。確かにそれほど大胆な試みだと思う。おそらくボクより10歳以上は年上だと思うが、自転車で行ったことのある場所を聞くとちょっと真似できないほど遠い温泉だった。遠いばかりではなくかなりの上り坂ではないかと思う。車で行ったことはあっても自転車で行くのは躊躇してしまう。確かに性能も良い自転車であろうと思うが、気持ちも体も元気でなければできないことだと思う。見た目のかっこよさより生き方がかっこいいのだ。

思えば、子供の頃に漫画家を志してから厳しい道のりになるであろうことは薄々予想していた。心身ともに元気でいる必要を感じていたし、一人では背負いきれないものを背負うのだからせめて家族や友達には迷惑をかけないようにと願っていた。しかし、その願いは叶わなかった。皮肉なことに漫画家を諦めることで生きようとした結果、行き詰まってしまい周囲に迷惑をかけている。周囲の迷惑を顧みずまっすぐ漫画家を目指していたらどうだったのだろう。たぶんそれでもやっぱり行き詰まっていたのではないかと思う。もしかしたら今よりずっと早く行き詰まっていたかもしれない。
 直接誰かを幸せにできないのだからせめて作品くらいは誰かを幸せにできるものにしたい。そうでなければ生きてきたことの意味を見出すことができない。

 子供の頃に描いた人生の下絵はデッサンの狂いを修正すべき時期にある。そしてペン入れを待っている。まとめる力を得て作品として完成させる日のために。


腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:103回

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