時折、若い頃に登った富士山のことを思い出す。
装備などをある程度準備をしたつもりだったが、体力の準備はできていなかった。おまけに深夜の高速を走って出かけたため体調のコントロールもできていない。今にして思えば登山中の苦しさは高山病だったのだろうと思う。一緒に行った友人には先に登るように伝えて一歩一歩這いずるような感覚で登っていた。
今はどうなのだろう。
日々一枚一枚描く感覚が苦しみながら這いずるように想いで登ったあの時の感覚を呼び起こす。
撮影:2010/05/15 |
今日も調子がいいとは言えない感じでありつつも机に向かった。昨日と同様、少し厚手の上質紙に恐る恐る描いていく。毎日描いているのでそれなりに枚数は溜まっている。それでも納得行かないのでひたすら描き続けているのだ。
絵が描けるからといって漫画が描けるわけではないという話を時折目にする。つまりは何カット描いたところで漫画として構成できる絵でなければ意味がないということになる。イラストとして仕上げるなら1カットで完結している必要性があるだろうし、漫画として構成するなら動きのあるカットや後ろ姿なども必要となるだろう。
最近描いているものは漫画として構成することを頭に置いているから、ある程度収まるはずだと思いつつ何となくしっくりこない。しばらく描いてみて溜まっているカットを確認してみた。スキャニングして配置してみたいカットを集めると12カットほどあるようなのでまずはスキャニングすることにした。
カット数は12枚。下絵もあるのでそのまま使えるわけではない。旧型のスキャナーは昔よりは早くなっているとは言えそれなりに時間がかかる。まとめることでいくらか効率的にはなっているだろう。もっとも効率的なのは手描きのカットは手描きで完成させてデジタルはデジタルで完結させることなのかもしれない。現状の実力と環境ではそれができないのが辛いところだ。
何枚か彩色してみたところ思うような仕上がりには程遠い気がした。
手が届きそうなほど近く見えているのになかなかたどり着けない。それは頂上への道程なのだろうか。どういうわけかこのままたどり着けないことを願っている気もする。
腕立て伏せ
1回目:102回
2回目:105回
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