そういえば、自転車と電車と徒歩で片道1時間半ほど通勤していたことがあった。これが一生続くのだろうかと麻痺しかけた頭で考えていた。毎日の仕事に追われていれば選択肢などあるわけはない。今でこそ無理してはいけない風潮が浸透しつつあっても「自発的な頑張る」気持ちがなければ、仕事を消化することはできなかった。その原因は自分の未熟さにあると思っていたのでなおのことだ。
《のこりいろ》撮影:2009/10/31 |
大手企業の下請けの仕事はやがてデータ納品を要請されるようになった。不況の波が静かに押し寄せて内製化の動きが加速し…仕事はなくなった。DTPの先端を走るつもりでいたのにいつの間にか薄暗いフロアの片隅でコピーに明け暮れる日々となった。高いとは言えなくても不満を感じない程度の給料ではあったので会社の負担になっているだろうと考えるようになった。薄暗い場所での作業で視力に不安も感じ始めていた。
同じフロアで働く人が宴会の席で精神的疾患の話をしていた。普段明るく礼儀もあり丁寧な対応をする人だったのでにわかに信じがたい部分もあったが、何よりその苦しみを共有できなかったことは心残りではある。その後、街並みを見て吐き気を感じるようになったことを思うと自分自身の心も壊れかけていたのかもしれない。
誰のせいでもない。それぞれの仕事をしただけなのにしわ寄せをかぶってしまう誰かがいるのだ。
病院に相談しなかったのは、社会復帰が困難になることを恐れただめだ。精神的疾患の認知度が低い時代で社会的な理解が進んでいなかった。
幸か不幸かそのタイミングで環境が変わることになり、その後退職。それから田舎暮らしに憧れて単身移住した。その判断が正解だったとも思わない。きちんと相談できないまま行動に移してしまったからそのしわ寄せは今になっても残っているし家族にも影響した。
あれからもう17年。さらなる不況の波もかぶりながら何とかやってきた。社会復帰が出来たとは言えないだろう。社会復帰と会社復帰を履き違えているようでもあるし、むしろ復帰不可能な深みまで沈みこんでしまった感はある。そして心の修復が出来たかと言えば自信はない。少なからず問題を抱えながらも生きようとしている人たちがいることを知ることは出来た気がしている
プランク:60カウント
腹筋運動(Vシット):60回
背筋運動:20回
腕立て伏せ
1回目:110回
2回目:118回
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