2016年5月10日火曜日

手法

 雨天スタート。
 昨日鉢植えにしたシソは喜んで元気な様子。アパート前はアスファルトで夏はかなり熱くなる。頃合いを見て室内に入れた方がいいだろう。

撮影:2012/05/11

 下絵を描いてペン入れをする場合、消しゴムをかけた時のイメージの変化は避けられない。しかも鉛筆で描き込めば描き込むほどギャップが大きい。当然のことだ。そしてその手法を良しとしてきた。しかし、昨日描いたカットは下絵の線の段階からシンプルにしたためペン入れの際に大きなズレを感じなかった。これも当然。
 こうして考えると、下絵を納得行くまで描き込んでペン入れで本番という考え方を改めた方がいい気がしている。むしろ下絵が本番なのだ。無駄な線を極力排し下絵からシンプルに仕上げる。そのためにたくさん描いて描き込んで脳に刷り込みをする必要がある。先に脳内にイメージを形成してから新たに下絵として描くするのだ。
 以前なら先にイメージがあるように感じていたはずだ。しばらくそれを見失っていた気がする。

 そこで今日は、昨日に引き続き手描きによる作画の続行。鉛筆による下絵の段階から本描きの心構えでイメージ先行を意識する。油彩画より水彩画の感覚に近い。失敗や描き直しは考えないようにする。
 しばらく描いてみて昨日の感覚がつかめないことに気がついた。意識するポイントを少し変えたせいだろうか。作画の際に意識する課題が多いと統制がとれなくなるのかもしれない。バランスが問題なので一つ一つの課題をものにしていく必要がある。
 これまでに描いたキャラクターを描きながらそれぞれの特徴を確認し作画タッチを確認する。昨日掴みかけた感覚は精神状態にも左右されていたのだろう。たった1日とはいえ精神状態は同じではない。昨日描けたはずの線が再現できない。辿々しいのはまだ自分のものになっていないせいだろう。
 感覚は薄い羽衣のようなものでつかみどころがない。極たまに偶然のように身に纏うことができる。それを偶然ではなく意図して自由自在に操る必要がある。


腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:107回 

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