2016年5月21日土曜日

存在

 晴れ。やはりヒンヤリしている様子。

 朝からMacの不調に対応すべく調べ物をする。何とか対応策を見つけたが、根本解決ではないのでMacのバージョンアップを待つしかないかもしれない。メモリの使用状況もギリギリのようだ。ハード的な更新の必要も迫っている。

 そして机に向かった。
 少しの間レイアウト(コマ割り)でデジタル作業に取り組んでいたため勘が鈍っているかもしれない。描きかけていた下絵に鉛筆を入れていくことで勘を取り戻す努力をしてみる。集中力が続かないので何度か休憩をしつつ描く。

撮影:2012/05/21

 もう2年前から描いているはずのキャラクターなのに描く度に違う。画力の違いもさることながらキャラクターのイメージを固定できていないことが問題なのだ。例えば、現実に存在する人を描くのであれば、特徴を真似ることが可能だろう。モデルとして実物を描くことや写真を見ながら描くことができれば、ブレたとしてもブレたなりに描けるのではないかと思う。おそらくそれは甘えだろう。モデルに対峙して描くにせよ写真を参考に描くにせよ一旦は脳内にイメージを投影するわけなのだから、オリジナルキャラとしての確固たる存在感をイメージすることが必要なだけなのだ。
 オリジナルのキャラクターはぼんやりとしたイメージやラクガキの中から生まれる。何度も描いているうちにディテールや存在感が明確になっていくのだからとにかく描くしか手はないだろう。こんな風に繰り返し描くのだから愛着が湧くのは当然のこと。その場しのぎや使い捨てのキャラにしたくないと思うようになる。それがいわゆる「モブキャラ」の苦手意識につながる。いっその事、どこにでも出てくるキャラとして存在感を持つまで描けばいいのかも知れない。真似ることとは違う、生みの苦しみが愛着になる。仮想の存在だからといってぞんざいには扱えないのだ。

 結局、思うように描けないまま夕方になってしまった。
 買い物がてら自転車を出すと空を覆った雲に夕方の太陽が透けていた。風があって少し肌寒い。ここ最近は、この一時間ほど買い物時間を若干の運動にしているつもり。安くなっている小葱をやっと手に入れることができた。


腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:108回

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