2016年5月31日火曜日

助手

 昨日、興味と関心について書いたが、そもそも興味や関心はどこから湧いてくるのだろう。以前だったら何か思いついたら実行せずにいられなかった。

 もし…こうなったら…こうしてみたら…

 例えば、風景写真を撮る。すると天候が良くなかったり、季節感が感じられなかったり、時間帯が適当でないために平凡な写真になったりすることがままある。すると自然に沸くのが「興味と関心」だった。

 天候が良かったらもっと良い写真になるだろうか。
 季節が変わったらどんな写真を撮れるだろう。
 時間帯が違えば…言うなれば、条件を変えて違う結果が出ることに「興味と関心」があるのかもしれない。

 それは音楽でもそうだった。ギター、キーボード、オカリナ、ハーモニカ…比較的手の届きやすい色んな楽器を試してどんな結果が出るのかを楽しんでいた。音楽の場合は、思い切って練習したり教わる機会を持つこともなかったので上達することはなかった。熱心さが足りなかったのかもしれない。

 もちろん描くこともそうだった。鉛筆、水彩、パステル、アクリル絵の具、油彩、木炭、墨汁…おそらく自分で試して未知の結果を知ることが好きだったのだろう。両親が賛成していなかったにも関わらず、展覧会を観に行ったり作家さんを訪ねたり通信教育を受講したり教室にも通った。おそらく自分自身のまだ見ぬ変化を知りたかったのだ。

 そう考えると「未知のもの」が「興味と関心」の対象になっていることになる。
 まだまだ未熟者には違いないから「未知の成長」は残されているはずであるにも関わらず興味や関心が持てなくなっているとすれば、色んなことを試してきたからこそ「結果が予想できること」も多くなってきたのかもしれない。

 頑張っても届かない自分の限界。
 根拠のない自信の喪失。
 幸福感をイメージする想像力の萎縮。

 目の前のことをひたすら追いかける時代を過ぎて、挫折の谷と絶望の闇を抜けてきたから止むを得ないことであるとも思う。しかし、道はまだ続いている。

撮影:2010/06/01

 準備をしているのに忘れていることが多い気がする。

 大切なことだから忘れないうちに準備しておこうと思い、準備したことを忘れてしまっている。「転職が多かったせいだろうか」とふと思った。アシスタントとか助手とか下積みばかりだった気がする。準備がきちんとしていれば失敗も少ない。
 昔から「段取り八分」という言葉があるように何かに取り組む場合は段取りが重要な意味を持つ。
 問題は残り二分。
「終わり良ければすべて良し」とも言われるくらい仕上げが大切であることは言うまでもない。過不足なく完成させるためのコツやノウハウがあるはずだ。そこがわかっていないのかも知れないと思う。

 まずは今日も自分の中の興味や関心を確認するために机に向かった。描いているうちにふとストーリーの流れを描き留めておいた方がいいのではないかと思った。ネームのような下絵はすでに2年前に描いてあったが、この間の心境や画力の変化を反映させたいと思ったのだ。それでつい先日、仮にレイアウトしたページを開こうとしてふと思い出した。
「そういえば、ページ立てで組んだデータがあったはず…」
 そうなのである。コマ割りに配慮しつつ時間をかけて用意したデータがあることをすっかり忘れていたのだ。この下絵のページ組だけでも何度かやり直ししているので「準備して忘れる」ということを何度も繰り返していることになる。アシスタントや助手は同じことを繰り返すことが重要だったからその名残なのではないかと思えてしまった。

 同じことを繰り返し習練を積むことも大切である。
 そろそろもう一段上がってみることも必要なのかもしれない。


腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:110回

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