雨の心配をしたため、いつもなら自転車で一度間ちょっとで出かけるところへ電車と徒歩で一時間ちょっとかけて出かけた。時間は大して変わらないのに電車だと自由が利かない。電車賃がかかることもあって自転車でかけることが多い。電車ででかけたおかけで熱中症は避けられたかもしれない。
墓参のために寺でお水を分けて頂こうとすると、少年が一人で観音堂をスケッチしていた。小学生かと思ったら中学生とのこと。夏休みの宿題で観音堂を描いているらしい。将来の夢はまだ決まっていないという。しばらくすると描くことは既に飽きてしまっていたようなので「飽きちゃうから楽しんで描くといいよ」と声をかけた。いつかこの日のことを思い出すことがあるだろうか。
青空に秋を思わせるような白い雲、緑の田園風景には案山子がいる。蟬しぐれもそろそろクライマックスだろう。
電車で出かけたお陰で寄り道せずに帰宅。
撮影:2006/08/17 |
写真を撮ること。
フィルム写真の時代は、プリントを手にするまでいくつもの工程があった。撮影してもすぐに見ることはできなかった。カメラはもちろんのことフィルム代もかかったし現像代にプリント代も必要だった。当然、ピンボケや手ブレ、露出の失敗などは極力避けなくてはならなかったからシャッターの意味が今より重かったのではないだろうか。
デジタルカメラ全盛の時代になった今はどうだろう。
カメラは相変わらず高価だが、シャッターを切ればすぐに結果がわかるから気に入らなければその場で削除すればいい。ある程度の露出補正は後でもできるしプリントする必要もない。それでシャッターの意味が軽くなっていないだろうか。
もちろん悪いことばかりではない。良いことの方が多いかもしれない。
しかし、作品として考えた時はどうだろう。ただ無意味な魂のない写真になっていないだろうか。
描くことはどうだろう。
描かなければ始まらないからとにかく描く。描いて描いてまた描いて…それで?ふと我に還る。確かに目的もなく描くことが必要な側面がある。ただ、そればかりでは目的なくドライブしているようなものである。何も思わず何も残らない。自動運転のような時間。何かを伝えようとするならそればかりでは意味がないのではないか。
目的地や着地点を見定めることが大切ではないか思う。
夜になって雨。台風の影響のようだ。
腕立て伏せ
1回目:85回
2回目:85回
3回目:100回
腹筋運動(Vシット):30回
背筋運動:10回
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