昨年も今日あたりがピークだったようだからこれから徐々に涼しくなっていくのだろう。季節も実りの季節へと向かうことになる。暑さに耐え、少しずつ描いてきた成果が出せるだろうか。
描くことにおいて見ることは非常に重要な意味持つことは言うまでもない。しかし、デッサン力を磨くためには見ないで描くことも意味があるのではないかとふと思った。視覚には錯覚がつきものであり間違った認識が間違った答えを導き出している可能性もあるのではないか。
例えば楽器を演奏する時、譜面を見ないで演奏する。楽器を正しく演奏できるようになることは重要である。
つまり視覚に頼らずに描く訓練の必要性を感じたのである。
撮影:2011/08/08 |
試しに目を閉じていつものように人物を描いてみる。当然ながらメチャクチャな線画になる。幼稚園の頃だってもう少しましな絵を描いていたのではないだろうか。何度かトライしてみるも安定しない。当然だ。趣向を変えて丸を描いてみる。目を閉じてグルグルと描く。意外と位置がズレないので目を閉じたまま顔を左右に振ってみたりしてみると丸の位置がズレる。つまり頭の向いている向きで描いている位置を把握しているということだろうか。何度か繰り返してから目を開けていつも通り描いてみた。するとなんだか以前と感覚が違った。
「見なくても描ける」というのはどれくらいの訓練が必要だろう。この場合は脳内のイメージを見て手元を見ないことを意味する。
眼は大切にしてきたつもりだったが、年齢による視力の低下や疲労などの影響を考えると視覚に頼りすぎないようにすることも必要ではないだろうか。また脳内イメージを直接描画できるようにすることは、逆に言えば脳内にしっかりとしたイメージを確立する必要がある。
そういえば、以前は時々アコースティックギターを弾いていた。指の痛みを我慢して幾つかのコードを覚えると今度はコードを繋いでリレーすることで曲にすることができるようになる。やがて指の方が勝手に動くようになり考えなくてもギターを弾くことができるようになるのだ。ところが、ギターを弾けるという心地良さに溺れてしまいがちになるのだ。そうなると先に曲のイメージを固める必要が生じると感じた。
同様のことを描くことについても言えるのではないだろうか。描くことに抵抗がなくなって手の方が先に動いてくれるようになりつつある。そこに溺れてイメージが固まらないまま描き続けてしまうとその先へ進めなくなるのではないだろうか。
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:103回
腹筋運動(Vシット):25回
背筋運動:10回
0 件のコメント:
コメントを投稿