2016年1月21日木曜日

並行

 今日は外出せずに作画に取り組むことが出来た。調子は悪くない。それどころかこれまで描いて来た中で最も良い状態のような気さえする。無論、問題なしなんて言うことはありえない。日々の雑用の他、平日は別途やらなくてはならないことがある。特にこの時期は忙しい時期にさしかかっている。そうは言っても外出の時間が省けるだけでも数時間が節約出来ることになる。
 締め切ったままのカーテン。ブラインドの隙間からは外の光が漏れさして来ていたから天候は悪くなかったのだろう。
 以前、油彩を描いていた頃、絵の具が乾く時間を有効利用するために数枚の絵を同時進行していた。当時の油彩の出来はどうあれ、集中力を維持することにも一役買っていた気がする。それを今、漫画で再活用している。描いているうちに高まる集中力はゲシュタルト崩壊を想起させる現象を引き起こすことがある。バランスはとれていたはずの絵が捻れたりデッサンが狂ったりしているように見えて来るのだ。
 どうにも上手く描けないと頭を抱えるような時に机を離れて休憩すると、戻った時には作品が見えない誰かによって修正されたような錯覚を引き起こすのはそのためだろう。
 複数の絵を同時進行して渡り歩きながら作画することは集中力をほど良く維持することが目的だが、頻繁に意識を切り替える必要があるため違った意味の疲労は増大しているかもしれない。現在noteで制作している漫画の作品が複数あるので理想的な制作スタイルとしては、それぞれの作品を同時進行することだが、現在はひとつの作品の複数のカットを同時進行するので精一杯である。

 夕方になって別途やらなくてはならないコトに手をかける。予想通りうんざりするような作業が待っていた。昨年までなら4〜5時間かかっていたような作業だが、やり方を変えたことで2時間ほどには短縮出来ただろうか。作業をしている間に夕飯の支度も同時進行である。
 会社に勤めていたこともあるが、大抵は帰りに安い食堂で済ませたりスーパーで安くなった弁当を買い求めて食べたりしていた。仕事の疲れもあって朝が起きられなくなり朝食もコンビニのおにぎりで済ませることも珍しくなかった。冷静に計算してみると仮に1日1,000円の食費がかかれば1ヶ月で30,000円である。会社と自宅を往復するだけの生活であっても自動的に30,000円の食費がかかってしまうのだ。もちろん朝昼晩と買い食いしていては1日1,000円に抑えることも容易ではない。プライベートの時間もしっかり充実しているなら納得も行くだろうが、会社の仕事だけの為に生きるような毎日であるなら食費は全額会社負担でも当然ではないかとさえ思えてしまう。そればかりではない。通勤で使うことがメインの自家用車の維持費、通勤のための服装、女性なら化粧品代…そんな諸々の多くを自己負担で会社に奉仕していることになっていたりする。その奉仕が会社への忠誠心の現れであるかのようだ。しかもそれは会社員としての基本セットと見なされるのであって、それだけで会社に利益が出るわけではない。何だかひどくおかしな構造ではないだろうか。
 作業をしつつカレーを作ることにした。特製の元気カレーだが、温めて朝食のパンとセットで食べるので朝食の支度の時間を短縮することにも一役買ってくれる。そのために一回は鍋一杯のカレーを時間をかけて作る必要があるのだ。
 何度かの転職の経験の中では、定時になったらタイムカードを押してそこからサービス残業のスタートということもあった。そんな時間外であるはずなのに携帯に私用の電話が入ると注意されるということもあったが、自宅であればそんな心配はない。画期的な業務の効率化の可能性があっても社内で理解されずお蔵入りになって、オフィスの暗がりで毎日コピー三昧などという過去の苦い思い出もある。会社勤めでなければ、自己判断で考えられる業務の効率化はそのまま生活のゆとりとなるはずである。新しい仕事の開拓に当てることも可能だろうし、今だったら漫画の制作時間を捻出することに繋がる。
 自宅であれば、仕事や生活を分け隔てなく並行に同時進行させるコトが可能なはずである。管理職が幅を利かせる社会では、誰かの仕事を作るために自己負担の奉仕をして通勤しているような気がして来ないだろうか。


 腕立て伏せ:115回

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