2016年1月31日日曜日

使命

 noteでは今日がマンガコンテストの締め切りということで多くの力作が寄せられていた。ボクなんかではとても太刀打ち出来ないと思わせる傑作も応募されていて愕然とした。イラストの作品なら技術や表現などで判断されるのかと思うが、漫画の場合はそれに加えて物語性がある。設定の骨子がしっかりしているかどうかが安定感をもたらす気がする。
 ボクにはたぶんそのいずれの要素も不足している。

撮影:2006/01/29


 今日も机に向かったが、軽い頭痛があってどうも集中出来ない。遅い昼食の後、頭痛はいくらか緩和されたようだったが、今度は眠気に襲われた。それでもしばらく机に向かって格闘したが、たまらずそのまま机に突っ伏して仮眠した。
 仮眠の後は頭痛や眠気がウソのように払拭され鉛筆が走る。残念ながらすでに夕方になっていたからこの調子が明日に繋がることを願いつつ買い物に出た。最近、毎日腕立て伏せは継続しているものの自転車も散歩も激減しているので基礎体力が維持出来ていないのかもしれない。

 絵描きを志して絵画教室に通っていたことがある。そしていつしかボクは絵描きという生き物だということに思い至った。何をしてたって絵描きだ。生きてることが絵描きなんだ…と。実際、人生は様々な出来事を織りなす絵画のようである。
 色即是空 空即是色
…現象とは世界であり、世界とは現象である。深い意味を知るわけではないが、それはまるで白いキャンバスに人生を描くことのようだと思う。
 一般的に画家と絵描きは同じ意味を指すのだろう。しかし、ボクは少し違うような気がしている。画家になるためには社会的にも認められる必要があるのかもしれない。一方、絵描きは誰にだってなれるのではないだろうか。絵を描いて絵描きであると宣言すればいい。
 
 漫画家の定義は何だろう。
 出版社から作品を掲載された書籍が出版されていることが条件だろうか。聞けば、出版業界も厳しい時代だという。漫画家が印刷媒体という出版スタイルのみによって定義されるのであればゆゆしき事態である。しかし、インターネットの普及に伴って漫画を公開するための幅は広がった。サイトであれSNSであれオリジナルの漫画を描いて公開するのであれば漫画家を名乗ることも可能ではないのだろうか。それとも画家と絵描きの違いのように漫画描きと言うべきか。

 作品としての漫画を描くようになってどこか使命感のようなものがある。
 若い頃は衝動だった。描きたいという強い欲求だった。
 絵描きを志していた頃は存在意義だったような気がする。
 けれど、漫画は描かなくてはならない。その使命感が何を意味するのかボクもまだ知らないのだ。


 腕立て伏せ:105回

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