2016年1月30日土曜日

発掘

 何年か前の断水になった際に送ってもらったペットボトル入りの天然水の賞味期限が切れてしまうということで炊飯用に利用していた。とうとう最後の一本になってしまった。現時点で賞味期限は既に半年程過ぎているもののこれが実に美味しい。汲み置きの水で炊飯すると美味しいことに気がついたのもその断水の時だった。以来、朝沸かしたお湯が冷めてしまい残りがあるとペットボトルに汲み置きして炊飯用に利用していた。けれど、汲み置きの水で美味しいと思った感覚とは少し違う気がするのだ。一旦沸騰させてしまうと美味しさの要素が抜けてしまうのだろうか。

撮影:2005/12/21
車で15分程の所に地元の湧水がある。そもそも周囲が山なので湧水には恵まれているのだろう。水汲みに出かけていたこともあるが、炊飯に使ったことがなかったような気がする。ラーメン屋さんも水汲みに来ていた程の水なのだから炊飯に利用してみれば良かった。大きなポリタンクで汲み置きにしていたので衛生上の心配があったのだ。そしてその水はかわいがっていた金魚の水槽用に使っていた。急な坂があるので今の時期は車で行くのも容易ではないし、今は自転車なので雪のない時期であっても出かけるのは容易ではない。

 この時期なら水道水をそのまま汲み置きしてみるのも悪くないのかもしれない。

 今日は雪の予報が出ていたにも関わらず朝から陽が射しているようだった。車道の積雪も自転車で走れる程度に融けていたので買い物に出た。冷たい風が頬に吹きつける。自転車はペダルを踏めば踏むだけ身体が温まる。そういえば中学・高校と自転車通学だったと昨夜の入浴時に思い出していた。社会人になっても自転車通勤することもあったが、高校時代の自転車通学は坂が多くて大変だった。気が重いことだってあったはずだ。寒風の中、茹だるような暑さの中を走ったことが今に通じているんだろうか。正解だったとは言えない。しかし、他に道があったとも思えない。選択肢がいくつもあるように見えて実は一本道なのかもしれないと思うのだ。他の誰が認めてくれないとしても時には自身のやってきたことを認めることも必要ではないだろうか。

 前に進むことに一生懸命になっていたから自分がして来たことを見直す機会が少ないのだろうか。最近、写真を撮る機会も少ないということで過去写真を確認してみた。するとうんざりする程の写真が眠っていた。これでもフィルム時代のものが含まれていないというのだから我ながら呆れてしまう。せっかくだから少しずつ公開して行こうと思う。

 特にいつもと違うことをした憶えもないが、今日は少し疲れていたのだろうか。机に向かっても制作意欲に繋げることが出来なかった。土曜日だから気が緩んだのかもしれない。

 腕立て伏せ:110回

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