風の強い朝。
いつものようにネットをチェックしつつふと思う。
「自分の作品に対する執着が薄れていないだろうか。」
デジタルはフラットが得意だ。データも軽くなる。
手描きでの制作であれば使用する筆や木炭などの画材はもちろんのこと紙の質感や吸水性など様々なことに気を配る必要があるし、それが楽しくもある。
デジタルはどうだろう。ブラシパターンやフィルタ効果など見栄えを工夫することが可能であり比較的簡単に試行錯誤することができる。
それが作品に対する執着心を希薄にしていないだろうか。
自分の作品に執着する。
そう心に念じつつ机に向かった。
ふと気がつくと、ペンにつけていたのは薄墨だった。使用済みのインク壺に薄墨を入れているから時々間違う。そして間違う時は大抵集中力が高まっている時だ。幸い薄墨の濃度が高かったので若干柔らかい印象になる程度で済んだ。スキャニング後に濃度を基準に線画を抽出するので濃淡のコントラストが重要なのだ。
デジタル作業に移ってレイアウトを再検討。ここでも執着だ。より良いものにする。それだけが目的だ。リズム、流れ…インパクトが足りない。間が足りない。レイアウトを再構成しているとカットが足りないような気がしてきた。しかし、カットを追加すれば、また詰め込みすぎになるだろう。いろいろ検討すると結局元の案に戻ってしまう。描いたカットを最大限使おうとするからいけないのだろう。レイアウトによっては背景画も変更する必要があるので何とか突破口を見つけなくてはならない。
夕方になって買い物のために外に出ると風が冷たかった。陽が差しているのにパラパラと降っていた雨は上空で雪だったのかもしれない。餃子が安かったので買って帰った。
最近、フッ素加工のフライパンで餃子を焼くと必ず焦げつかせる。火が強いのかと思っていつもより火を弱くして買ってきた餃子の半分を焼いてみた。するといつもよりは焦げつきが少なかったが、結局の所、餃子の皮は破れてしまい無残な姿となってしまった。以前は問題なく焼けていた気がするのにどうしてだろうと思ってネットで調べてみる。
どうやら古くなったフッ素加工のフライパンは餃子も焦げつきやすくなるようだ。要するに鉄のフライパンで焼く方が失敗が少ないのかもしれない。そこで残りの餃子を鉄のフライパンで焼くことにした。いつも目玉焼きやちょっとした炒め物程度に使っている小さめのフライパンだ。ネットで調べた情報を参考にして焼いたことは確かだが、フッ素加工のフライパンのように皮が破れてしまうような焦げつきは避けられた。そればかりかしっかり火が通ってとても美味しい。フライパンがもう一回り大きければ申し分ないと思う。ずいぶん前に100均で購入したものなのでずいぶん活躍してくれていると言っていいだろう。調べてみるとフッ素加工のフライパンは2〜3年で効果が落ちるという。穴の開いてしまう鍋もあるので仕方ないことなのだろう。鉄のフライパンは手入れ次第で使いやすくなっていくのでシンプルなものの方が強いということなのだろうか。最近セラミックコーティングのフライパンもあるようで気にはなっている。
何だか調理器具に執着しているようで可笑しくなってしまった。大したものを作るわけでもないのに調理器具に凝ったって仕方ない。腕の方を磨くべきだろう。
料理も考えて作るものなのだから適当に済ませるとかせずにきちんと考えた方がいいのかもしれない。以前は味噌汁の出汁も昆布や鰹節から取っていたのにいつの間にか顆粒の旨味調味料になってしまっているし、ドレッシングも調合していたのにマヨネーズで済ませるようになっている。何かを省略すると別の何かの手を抜くようになったりして全体的な質が落ちているようでは元も子もないのだ。
腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:105回
2016年4月30日土曜日
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