2016年4月25日月曜日

方位


 季節の変化は体調だけでなく心理的な変化をもたらすこともあるのだろう。
 これからの時間に想いを馳せる時、これまでやってきたこととこれから取り組むべきことについて方針を考え直す機会になるのかも知れない。春と秋は気候的にも過ごしやすいから行動するのにも適している。

撮影:2010/04/26

 過去の写真を見直していたら疑問が浮かんだ。
「ボクはどうして写真を撮っているんだろう」
 子供の頃はカメラがまだ貴重品のような時代だった。修学旅行に一眼レフを持って来れば一躍ヒーローになれたのではないだろうか。しかし、今やスマホでも高画質の写真が撮れる。各家庭にカメラが何台もあるような時代なのである。幼稚園や小学校の運動会ともなれば、父兄のカメラがズラリと並ぶことになる。
 こんな時代にボクは何を残そうとしいるのだろう。自分の記録としての意味以上のことがあるだろうか。
 ストックフォトサービスが登場したのは何年くらい前だったろう。デジカメの普及が急速に進み、家庭内で撮影したものでも売れるとあってボクも登録した。ありがたいことに何枚かの写真をご購入いただいたが、単価が安いこともあって何年経っても最低振込額に達しない。そのうち熱意も冷めてしまったようだ。推測するにそういう人が相当数いるのではないだろうか。振込最低額に達しなければ支払義務も発生しないとすれば、これはある意味で運営資金を集めるシステムのようにも思える。しかも、株券のように売られてしまう心配もないのだ。現在もいくつかのストックフォトサービスを利用しているものの冷静に自分の写真を見ていると用途もよくわからないしメッセージ性もない。おびただしい数のカメラマンが登録しているのだから、ただ美しいだけの写真では売れるわけもないのだ。
 それは今描いている漫画とて同じことではないかと思う。数え切れない人がイラストや漫画を描いている。そんな中、出版社と契約するわけでもなくフリーの漫画家として作品を描いていくにはどうすればいいのだろう。恋愛やアクションやお色気で商業誌のような魅せ方をするのがいいのだろうか。それこそ多くの作家が考えることだろう。一時的なヒットでも困る。ボクにしか描けない息の長い作品であり、多くの人に必要とされる作品でなくてはならない。
 言うまでもなく簡単なことではないのだ。

 人は生涯の仕事を決める時、どんなきっかけで決めるのだろう。
 ボクは大学へ進むことが念頭になかったから近所で就職率が高いと言われる高校を選択した。自分の夢を追う前に家計の負担を減らさなくてはならないと思っていたのだ。しかし、就職率が良いからといって希望するような求人があるとは限らない。就職先を決める段になっても思うような仕事は見つからなかった。どうすれば良いのかわからなかったとは言え終始受け身だった気がする。希望の職場があれば学校から問い合わせてくれるというので地元の写真館を希望したところ、思い掛けずトントン拍子で話が進んでしまった。今思えば世間知らずのままのボクはただ迷惑をかけただけなのではなかったかと思う。指示されたことや教わったことが上手に出来ず、数え切れない失敗をして注意されたり叱られたりしているうちに将来が見通せなくなって辞めてしまった。休日が少なくて思うように絵が描けないということも大きかった。
 同級生の進路は様々で高校を中退してしまったり進学校から就職した友達もいる。よく知る同級生の中ではやはり大学まで進んだ友達が仕事も家庭も安定していると言えるだろうか。もっとも彼なりに苦労はしただろう。彼は何の仕事をしたいとか夢を持っていただろうか。体力があり要領が良くて色んなことを器用にこなす性格だったような気がする。世間から必要とされる典型的なタイプなのかもしれない。
「夢がない」と言っていた同級生は道を見つけただろうか。夢があるからといって道が楽になるわけではない。むしろ夢が導くのは険しい道だろう。しかし、彼の道もまた楽な道ではなかったかもしれない。
 ボクは生きるためにどうしても選ばなくてはならなかったのが「描く」という仕事のように思えている。時に漫画家だったり絵描きだったりイラストレーターだったりしたが、中心にあったのは「描く」ことだった。

 亡くなった父は建具職人をしていた。てっきり仕事に誇りがあって好きでやっていると思っていたのに「好きでやってるわけじゃない」という言葉を聞いてショックを受けたことがある。儲からなくても魅力的な仕事をしているのに「好きではない」とはどういうことなのかと理解に苦しんだ。ある意味では父もできることに精一杯取り組んでいただけだったのかもしれない。

 幸か不幸かボクには「描く」ことしかないようだ。たとえこの人生でまた新しいことに挑戦するとしても多くのことは出来ないだろう。そして、描くことの可能性はまだまだ尽きることがない。
 方向性の微調整は必要だとしてもこれまでやってきたことを無駄にしない道を選びたい。

 制作は新しいカットを2点ほど作画。イラレでレイアウトしてみたが、相変わらずまとまりが良くない。明日はデジタル作業をメインにした方がいいだろう。


腕立て伏せ
1回目:105回
2回目:105回

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