2016年4月26日火曜日

虹色

 いつもより少し早く起きたので午前中に少しアナログで作画。
 昼頃に買い物のために外出した。書店を回るつもりをしていた予定より買い物が増えてしまったのでそのまま帰宅。夕食の買い物はまた夕方にすることにして昼食を済ませて制作に取りかかった。

撮影:2011/04/27

 足し算からの引き算。
 今日はイラレに配置したコマを削除してみた。すると空間にゆとりができてスッキリした。それではこのコマも削除してみよう…と削除しているうちにカットの半分ほどを削除してしまつた。やってきたことの半分が不要になったということかと唖然とする。
 次に削除したカットをフォトショの方で合成してみた。イラレではコマ割をしてあったが、フォトショの方では虹色の光の中に馴染ませることができる。
 背景の制作は、とにかく虹色の光をイメージ通りに表現することに頭を悩ませた。今回はP13-14の連結ページにすることに決めてからポスターのように濃厚でカッコイイ仕上がりにしたいと考えていた。現実には思うように行かず試行錯誤の繰り返し。
 実は今日も始める前までは出来上がる気がしていなかった。フォトショで合成し始めるとイラレ単体での作業ではなくなるのでフォトショで編集したらイラレで配置したテキストの関係を確認しなくてはならない。制作工程が増えることになるのだ。


 
 回転させたり捻ったりあれこれ試しつつ収まりの良いところを探す。最終的にはコマ割を全て無くしてしまった。空間の広がりは表現できただろうか。虹色の思い出の光は表現できただろうか。本来ならもっと緻密に描写すべきなのだろう。しかし、イメージを掴もうとする手が空を切る感覚がなのだ…。
 これ以上、足しても引いても良い結果になりそうにないので公開することにした…。やりきった感よりもっとなんとか出来なかっただろうかというもどかしさの方が大きい気がする。よく言われることだが、この苦悶はなかなか理解されにくい。
 そんな想いを抱えつつも公開してモニタで確認して見てハッと息を飲んだ。虹色の光の表現が予想以上だったのだ。自分で言うのもおこがましいが、まるで光の絵の具で描いたようだ。ある程度の完成形はイメージしていてもその予想を超えたと感じる時はやっぱり嬉しい。次からその表現を狙って使うことができるようになる。制作しているMacのモニタが古いので制作環境の色の再現性が良くないことも原因しているのかもしれない。正直なところフルカラーの作品を描くことの意義に疑問を持ち始めていた。しかし、きちんと色を扱えることが出来るようになれば間違いなく魅力のひとつになるだろう。


腕立て伏せ
1回目:103回
2回目:105回

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