日本は文明開化と戦争、そして高度成長期とバブル経済の崩壊を経て、美より機能性を優先するようになってしまったのだろうか。言うなれば花より団子社会である。もっとも、江戸時代以前の文化や習慣に関しては残された文化的遺産から憶測するしかない。もしかするとずっと以前からそういう精神性だったのだろうか。
「芸術品じゃないんだから、こだわる必要はない。」
その台詞は職場でも何度か耳にした。あまり時間を掛けるなというよりまるで丁寧な仕事は悪であるかのようだった。しかし、誰かのその場凌ぎの仕事の修正や変更の仕事を回されたりすると必要以上に時間がかかることになり、またも「芸術品じゃないんだから…」となるわけだ。その度に「本当にそうなのだろうか。」と疑問を感じて来た。そう言ってしまえば、まるで免罪符のように美しくないことを見逃してもらえるような錯覚に陥る。
見た目より中身が大切…確かにそうだと思う一方で何かが欠落してしまう感じが残る。
庭木や庭石から表情を読み取って美を見出して来た文化は機能や性能はもちろんのこと見た目にもこだわって来たのではなかったろうか。豆腐にだって裏表があり、寿司にも和菓子にも美学があると聞いている。味はもちろんのこと見た目にも気を配ること…それが和食らしさではなかったか。
芸術品でないからこそ見た目にもこだわらなくてはならないのではないかとさえ思う。そこをないがしろにするからビジネスはデザインを活かせずデザインは萎縮するのではないだろうか。
表裏一体。
機能と美が両立してこその高品質ではないだろうかと思う。
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今日は著しく調子が悪い日だった。
どれくらい調子が悪いかと言うと、この記事用に描こうとした一点のイラストが描けない。買い物に行くのも忘れて夕方まで頭を掻きむしりながら机に向かうも敢え無く断念。珍しいことではなくなったがやはり楽しくはない。午後になって日課の腕立て伏せをした。机に向かう前の100回をメニューにしていたが、午後の方が調子が良いようなので今日は午後になって110回…もしかして机に向かう前の方が作画の調子は良いのかも知れない。もともと作画のコンディションを上げるために始めたことなのにいつの間にか回数に気を取られるようになっていた。明日は午前に戻してみよう。
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